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人ならざる者

少し短めです。


不意に鼻の穴に入ってくる冷水をふんっと吹き出し、左手で鼻をつまむ。大小の違いはあれど、川の中のどの泡も緑色に鈍く発光している。そしてじゅわりと体から薄桃の気泡が浮かび上がってきた。


「牙に見つかるのはやだなぁ...」


文献で、川は雷雨の獣のなれの果てと書かれてあったが、まさしくそんな感じである。この川の水は酸性で、人間は長く居ると溶かされてしまう。気泡は自分の溶かされたものだろう。

思わず顔を顰める。


「...ぐっ!!」


右手はさっきから出血していたためよく染みる...熱い...

体は正直で、既に瞼が下に降ろせとうるさい。末端は感覚がなく、重い枷となって自分を深く沈ませていく。



もう間もなく閉じようとしているその細められた瞳に、蠢く影が宿った。


「ごふっ...」


鋭い殺気が自身の周囲に寄り集まってくる。...牙、牙楼だ。

それらは、楼の肉にブスリブスリと噛み入れ、濁った緑水を赤く染め上げる。


「がっ!......ぶくっ...ごぼっ........がはっ...!!」


四肢はもがれ、牙楼たちは自らの腹に楼の骨を押し込んだ...






しかし、楼は亡骸と成り果ててなお、その意識を保っていた。


<<牙楼、川を下れ>>


楼の意思をくみ取った牙楼たちは、一斉に川を下り始める。全部で8頭。それ以外は肉にありつけず渋々縄張りへと帰っていく。そして、その8頭の瞳は通常の牙楼と異なり、二つの黒曜石の玉に黄金の傷が縦に付いていた。まるで、楼の所有物となったかのように。


死したはずの楼は、牙の体の中で再構成を始め、必要な血は牙の体内から拝借していく。ちぎれた筋は次々と繋がっていき、砕けた軟骨はもとの形に凝固していく。成分は主に牙から血管を通して送られ、酸素を回してエネルギーを生産する。

もっとも、楼は8つのパーツに分かれ、それぞれの完成形は後ほど組み合わせ、1つにするつもりだが。



ここで一つ零しておくが、楼のこの特性(再構成)を知る人間は彼女自身を除くと誰もいない。当然だ、そんなことを知られては彼女が平穏無事に暮らせなくなる。

このリア大陸に埋もれているあらゆる火種にも悟られてはならない。もし万が一気づかれては、世界を脅かす戦に連れ出されてしまうかもしれないのだから....。






ーーー


少し時間を巻き戻す。



断食最終日の早朝、まだ薄暗いうちから起き上がって家の井戸に小走りで向かう。


(ロウ)の髪は黒よりの金で、時折吹くうすら寒い風に引っ張られてはその光沢で辺りを照らしている。


彼女の毎朝はその輝きを奪うことから始まる。

井戸の水にとある植物を入れると、そいつが黒い色素を出す。次に、赤土を混ぜ、全体的に茶色っぽい、一般的なものにする。後は簡単だ、頭を低く下げてバシャリとかけるだけ。

粘土は固まると落ちにくいし、水を弾くようになる。


「これでよし」


使い古した茶色っぽい服は、痩せ気味の肌をうまく隠してくれる。


額から垂れてきた水を拭いつつ、暁で満たされた其処らじゅうの天を仰ぐ。楼は自分の首を目一杯反らして何処と無い遠い日々を思い出す。




長年世話を焼いてくれた彼女はもうこの世にいない。

数日前、風邪をこじらせてポックリだ。呆気なさ過ぎて笑いが止まらなくて、十鵡琉に止めてもらわねば恩師の葬式を台無しにするところだった。


... 尤も、その止め方は気にくわないものだったが。



結局その式の最後まで誰も口にすることはなかったが、彼女の死因の引き金は断食だろう。死に際の彼女の体はひどく痩せており、血管が浮き出ていた。手足が骨と皮で出来ているようだった。白髪の彼女からは想像もできないだろうが、享年僅か34歳という若さであった。


それでも、村の人たちはひたすら原因不明とのたうち回った。

まあ、考えればすぐわかることだ。


ある意味、独立している小さな村を支える唯一の信仰であり、拠り所。それを悪く言えば小さな社会は成り立たない。

たとえそれが、既に形骸化した伝統だったとしても。


村には医者がいないため、最低限の治療のため離れた土地から薬を仕入れて生計を立てている薬屋のオッサルさんという人がいる。

例に漏れず、彼に衰弱している彼女、麻瑠璃(マルリ)さんを見てもらっていた。



「すまねぇ... 嬢ちゃん。

俺にゃあもうどうしようもねぇ... 村に医者がいりゃあ、わかったかも知れねぇがなぁ... 」


本音は、「餓えにより衰弱しているだけ」とかだろうに、諸々の事情で口にはしなかった。その上、麻瑠璃さんは結構頑固だから、断食を最後まで続けたいと願った。本人の意思は尊重せねばならない。

だからこそ、死因はわからない、だ。

彼はせめてものお詫びによく見舞いに来てくれた。


村の外れにある家は他と比べてかなりボロい。家々の密集しているところとは少し距離があり、道という道はない。敢えて言うなら森の奥に位置しているため、ここまで来るのも足場の悪さもあって相当キツイはずだ。



「何言ってるんです、本業じゃないのにここまで手を掛けてくれたんですから、感謝こそすれ、責められるわけないですよ」


それでもと、オッサルさんはその巨体を縮め、己の無力さにうちひしがれていた。

彼も彼で奥さんと子供たちのために薬の手配やらなんやらで忙しく働いているのに、隙有らば家に寄って看病してくれた。

薬の運搬で鍛え上げられた自慢の豪腕も病の前では形無しといったところだろうか...


クスリ


怪訝な顔で此方を伺うオッサムさんは、何か言いたげに口を開くもそこから出るものは空気だけだった。


何も言うな、それでいい。

無言のまま視線を麻瑠璃さんに向け直す。

オッサルさんは諦めたように腰をあげて家を出ようとする。


「また明日来る。それまで頑張ってくれ」


弱りきった彼女は意識の無いままだ。

少し前までは会話くらいできていたが、それもない。


オッサルを含む村人たちは悲しむ様子も憤る様子もない楼の心をおもんばかろうとするも、全員失敗していた。


いくら村のためとはいえ、育て親の死を微笑しつつ観察する少女など理解の範疇を越えていた。

だから無理矢理、混乱して情緒不安定なだけと決めつけて落ち着いた。


だが、その予想は全く当たっていない。

彼女は嗤う、心の底から。とても慈悲深く本来の髪色を考慮すれば女神と見間違えるほどに。


その心に何を浮かべているのか...

それを知るのは本人を除けばいない。







───麻瑠璃を除いて...







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