糖質制限を始めて、思考ではなく、感覚で解り始めたように思うこと
センス、と、いうもの……でしょうか
わたしは、自分自身のことをセンスがない人間だと思い込んでいたのですが、それはそれは根深くて……
でも、それは、足すことしか出来ない自分を卑下したり、不安に思うことからくる感覚、自らに向ける意識だったのかもしれないと今思うのです
糖質制限を始めて、糖があまりにも食品に含まれているので、自然と引くことを思考に混ぜるようになって
そして、糖を食事から引くようになると、自然と、舌が軽くなる……というのか
糖って、舌を鈍くする……と、いうのか、味を調節するって前に書いたように思うのですけれど、良い言い方をしたら、まろやかにする、良くない言い方をするなら、少し、強い味を鈍らせる効果があるように思うのです。あまりにも糖の存在感が強いので、糖を混ぜると、自然と味も濃くなってしまいがちなのですけれど……
なので、糖を抜き始めた当初は、その感覚になかなか、頭と舌がついてこなくて、お豆腐をつぶしてみたり、オリーブ油を多目に入れてみたりと、舌を鈍らせる方法をとっていたのですけれど……
今は、それをしなくとも大丈夫になってきたのです
舌が軽くなる感覚が、寧ろ、居心地が良いというのか、舌がベールを抜いた感覚と言うのか
お砂糖と対極にあるのは、きっとお塩なのだと思うのですけれど、お塩はほんの少し入れるだけでも強い主張をしますよね
人の味覚というのは、辛いものや苦いものを本能的に避けようとする性質があるらしいのです
毒などを回避するための本能的な行動らしいのですが
甘味というのは、人のそういった警戒心を緩ませてしまう効果があるのだそうです
そのため、お塩以上に糖は、身体に摂取し過ぎてしまいます
それこそ、気づかない内にうまみや、コクを出すために隠し味として入れられていることもあったりすると思うのです
わたしは、その隠れた糖を含めて舌に味として覚え込んでしまっているのだと思うのです
だからこそ、本当の素材の味をわたしは知り得ているのかというと違ったのかもしれないのです
素人とはいえ、小さいころから料理をしてきた身として、一番大事に思っていることは、素材の味を知ることだと思っています
使う素材の味を知らなければ、味の組み立てが作れないからです
だから、生で食すと毒のある……そうだな、コンニャクイモなどのようなものは口にしませんが、大概のものは素材の段階で、先ず、生で口にしてみて、素材の味をみてからお料理をすることにしていました
でも、そういった場面でも味の組み立ては大抵は覚えている味の再現になりますから、口にした素材に何を足してあの味にするのか、という思考で味をみているところがあってだからなのか、糖を入れる、入れないで、味の組み立てにも引出しにも変化が起きて、出来上がった味も本当にどんどんシンプルになっていくので(結局は、油を多目に入れたり、鈍くさせるためにつぶしたお豆腐を入れるという行為は雑味になるので、慣れてくると自然に入れなくなる)
そうすると、素材の味が、みえてくる、と、いうのか……不思議なのですけれど、シンプルになってくると、逆に味が広がる別のゾーンがあるんだなって
味覚の世界は、なんて繊細なんだと最近、地味に感動し始めました
もう少し、深みに入り込みたいです
そうして、もう一つだけ変わったことがあって……
それが、冒頭のセンスや引き算という言葉にかかってくるのですけれど、
センス、なんです
引くことが出来て、微妙に盛り付け方に変化が起きてきたというのか……センスが上がったんです(自分でも感覚の部分で実感している点です)
この点ももうすこし深みを知りたいです 知らない世界を知りたいというなんだか、妙な感覚に最近、支配し始められています
いろいろと、思考の変化や、身体の変化(こちらはとても急激に起きています)感覚の変化に感動したり、楽しんだり、知らない世界の扉を開いたような気持ちになって知らない世界を知りたいと思ったりです
いつも、長くなってしまい申し訳ない、、
それでは、失礼致します
おやすみなさい
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