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2、私とかずい荘、そして怪人

 私は高校を卒業して都会に出てきた。

 確か68年だったか、いや、9年か。同窓の一人が「今年の東大入試が中止になった」と悲観に暮れていたのを覚えている。思い返してみれば、あいつはすごいヤツだったんだな。今頃はどうしているだろう。

 ともあれ、安田講堂事件があった年だ。だからうん、1969年で間違いない。


 学生紛争などとは無縁に、ただ田舎から離れたいと下宿を願い出たのだから、最初はそりゃあ反対された。最終的には祖父の一声で許可されたようなものだ。しかる後に、男として成すべきを成すまで帰ってくるなと宣言された。仕送りもせぬと言って、事実一度も仕送りが来たことはなかった。こちらも意地になって一度たりとも電報を送った試しなどないけれども。


 私がそんな身一つの状態で探し当てたのが華瑞(かずい)荘だった。一階が大家の婆さまの住む部分、二階が下宿になっている建物で、便所、電話共有で風呂なしと特に変わった所のない三畳の安下宿だ。

 下宿をいざ目の前にした時に、朽ちそうな木札に"かずい荘"と書かれていたのを覚えている。


 ああ、思い出した。

 私の部屋はハ号室だと帳面に書いていたのだけれど、下宿になっている二階部分をいくら見ても六部屋しかなかったし、部屋に番号も振られていなかった。これは一体どういうことだと、とりあえず端にあった部屋を開けたのだった。


 そこには縦縞の入ったデカパン一丁で胡坐を掻いてタバコをふかす怪人がいた。これが彼との最初の出会いだ。後になって、怪人が好んで吸うタバコの銘柄がLARKだと知った。


 怪人は煙を吐き出しながら、何事もなかったかのように気さくに手を挙げて「やあ」と言った。その寝起きのような間延びした声に私はどこか拍子抜けしてしまった。


「貴君の部屋は向こうの端から3つ目だ」


 そう、怪人は言った。


「しかし私の部屋は(はち)号室なのです」


「かずい荘にそんな部屋はないよ。

 貴君の部屋は()号室だ。イロハのハ。分かるかい」


 そう、部屋の表記は数字ではなかった。何故、私が新しい入居者と分かったのかと後に聞いてみたが、怪人は顎を手でさすりながら「そりゃあ、わたしが天狗だからさ」と笑っていた。低い鼻をしておいて何が天狗なものか。


 どうにも気が触れているのかも知れんとその時は思ったものだ。しかしどうにも嫌悪というものが浮かんでこない顔をしていたのも事実だ。

 特に、愉快そうに笑う怪人の顔を見ていると大概のことなら許せてしまいそうな気がしたものだ。



   ○   ○   ○



 腹が減ったので、私はドライブインに立ち寄り蕎麦を食べた。食後の一服にと怪人が好んで吸っていたLARKの封を切り、一本吸う。

 やはり湿気ていた。独特の甘みがさらに増している気がする。私はシケモクをやらない主義なので、ぴんと弾いてそれを捨てた。


 車に戻ってから、自分のタバコを切らしそうになっている事に思い至り、売店に戻ってピースを購入した。ドライブインを出ると"名物そば"と書かれたのぼりがはたはたと揺れているのが見えた。


 それほど美味いものでもなかったがと思いながら、私は別の華瑞(かずい)荘の住人を思い出していた。盛りそば、と呼ばれていた人物のことだ。数年前に就職が決まって荘を去ったが、元気にしているだろうか。あの人はどうにも小心者だったから。


 私は新しい仕事がうまく軌道に乗ったら手紙でも出そうかと思ったが、よくよく考えてみれば宛先を知らない。随分間の抜けたことだ。自嘲的に笑って、私は今度こそ車を走らせた。

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