表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
76/84

75話『争闘の後』


挿絵(By みてみん)


《ペリドット》




終わった………のだろうか。


裕仁は肩を大きく揺らして苦しそうに呼吸し、振り切った拳を力無く垂らした。うっすらと白い靄のかかる視界には、地面に倒れ伏せる巳空の姿があった。裕仁が持てる全ての力を注いだ、正真正銘の渾身の一撃により、彼は仰向けの体制から微塵も動きはしなかった。痛楚にもがくこともなく、立ち上がろうとする様子すら見せない。気絶しているのだろうか………無理もない。相手も化け物とはいえ、人間だからだ。しかし、此方も無事だという訳ではない。寧ろ満身創痍だ。裕仁は一度口内に溜まった血液を吐き出し、荒い呼吸を落ち着かせようとする。だが未だに興奮状態であるからか、まるで過呼吸のような苦しさが裕仁を襲い続けていた。


それに加えて全力を出し尽くした所為か、両手足は軽く痙攣するように小刻みに震える。最早立っているのも限界だ。その一瞬、裕仁は朦朧として意識を手放しかける。足は完全に地から離れ、前のめりで倒れそうになる。しかし咄嗟に片膝をつき、何とか意識をつなぎとめることに成功した。突き刺さるように鋭かった頰の痛みも、麻痺した所為かあまり感じない。だが、それでも鈍い痛みが常に留まり続ける。この短い人生の中で感じたことがないような新鮮な痛みだった。出来れば二度と感じたくない。そんな切なる願いと共に呼吸は更に荒くなる。そして遂に裕仁の全身からは力が抜け、そのまま逆らう事なく地面へと倒れ込んだ。


そのまま寝返りを打ち、葉の隙を覗く月を仰ぐ。星は眩いほどに輝き、まるで裕仁の勝利を祝福しているかのようだった。同時に土埃に汚れ、所々破れている衣服が照らされる。巳空との戦闘が如何に過激なものであったかを物語っていた。それとは裏腹に草木を通り抜けてそよぐ夜風は、なんとも優しく裕仁の頰を撫でた。僅かに土埃を舞い上げながら、髪を揺らす。それが開放感と解放感を掻き立て、妙に心地よく感じた。



……あぁ、やっと終わったんだな。



この宝石の争奪戦が開始されて約三、四ヶ月。それは長いような、とても短かったような……。雪乃から襲撃を受けたあの日がとても懐かしく感じる。刃物を持って、挙句に「殺すつもりはない」なんて言っていたか。今思ってもとても信じられない。海音と街で追いかけっこをしたのも遠い思い出のように感じる。そういえばあの後海音は泣いていたっけか。彼女は幼いながらにも自分で考えて行動していた。短い間だったが、葵とも仲良くなれたっけか。最初の方はよく睨まれていたような気がするが。全くの関わりのなかった涼太とも、このゲームがあったからこそ出会えた。彼とはほんの数回言葉を交えただけだったが、とても熱い信念を持っていた人物だった。


……そう考えると、全てが全て悪い思い出ではなかったのかもしれない。雪乃の抱え込んだ過去を共有し、本当の彼女を知ることができた気がした。海音の信頼を得て、彼女にとって頼れる存在であれたのをとても誇らしかった。今のこの関係があるのも全て、この宝石争奪戦があったからこそだ。その点に関しては感謝しなければならない。


このゲームがなければ、雪乃はともかくその他のメンバーとはこの先も赤の他人として過ごしたことだろう。珍妙で非日常なキッカケで結束したメンバーではあったが、確かにそこには友情と絆が芽生えていた。それは運悪く敵として出会った和陰と衿花にも言える。



そして何よりも、人の命の重みを初めて手にして分かった。この世のどんなものよりも重く、そして宝石に劣らぬ程に煌びやかだった。



………今夜は月が眩い。薄雲を透かして見るが、月華はまるで満月のそれだった。


この濃密な三ヶ月間を、そして今日という日を裕仁は決して忘れることはないだろう。


そう思いつつ、裕仁は重い瞼を閉じた。




………今日はいい夢が見れそうだ。













《ムーンストーン》






もう、手足が動かない。指先までもがまるで自分の体ではないかのように動かないのだ。まさか押し負けるとは思ってもいなかった。全力を賭してなお、彼には敵わなかった。まるで巳空は最初から負ける運命であったような、強大な力を彼から感じた。あの拳には、まるで彼の全てを乗せたような重みがあった。一体何が彼にここまでの力を与えたのか。それは全く想像がつかなかった………といえば、嘘になる。


……きっと、彼には“仲間”がいたからだ。力を与えてくれる、そして支えてくれる後ろ盾のような存在。それらが彼の後ろで励まし続けたのだろう。つまりは初めから一対一の戦いではなかったのだ。巳空にはそのような“仲間”はいなかった。だからこそ、最初から負ける運命にあったのかもしれない。


結局はそのような少年誌のような展開で幕を閉じるのか……。なんだか出来上がったシナリオのようで逆に笑えてくる。


巳空は小さく、そして自嘲気味に頬を緩めた。





…………なんて、洒落くせぇ。






何が仲間だ。何が絆だ。


そんなものは互いの利害の一致によって結ばれる、言わば“利用価値のある人間との表面上の提携”に過ぎない。もし自身の身や命に危険が降りかかってみろ。人は簡単に裏切る。例え友人であろうと、家族であろうと。関係がどうであれ、人間は所詮“自分がよければ他人などどうでもいい”のだ。まさに、自身が体験してきたように…………。


巳空は奥歯を噛み締め、土を力強く握りしめた。結局は、最後に勝てばいいのだ。どんな劣悪な手を使おうとも、最後に立っていればいいのだ。こんな純粋無垢な子供だけが喜びそうな友情、努力、勝利の茶番劇は、この手で終わらせる。そして怯えた表情を貼り付けた子供達に、血に塗れた手で頭を撫でて教えてやる。


この世はこんなにも醜いのだ、と。


ここは正直者が損する世界だ。汚濁にまみれたような利己的な大人達が情勢を牛耳り、自身に得があるように身勝手に動かす、そんな腐りきった世界だ。そんな汚れ物を見て育った子供達が可哀想に思える。最初は誰でも淡い夢を抱く。白紙のスケッチブックを開け、手に持った色とりどりのクレパスで自分の理想を描いていく。巳空でさえ、幼い頃はそうだった。だが、今ではどうだ。巳空は幼いながらにも現実を知ってしまったのだ。黒く荒んだ光景、人間の裏側に隠された闇。描きかけのスケッチブックは、介入してきた大人の手によって黒く塗りつぶされていく。そして「こんな世界は成り立たない」と言って破り捨ててしまう。だからこそ、巳空は希望の光を失った。彼の目には全てがモノクロのように映るのだ。どれだけ美しいものであっても、どれだけ光に包まれていようとも、必ず裏には影が存在する。かつて太古に繁栄した都市も、影に奴隷がいたからこそ光に満ちていた。それを誰もが気付かぬふりをして、一部の者だけが裕福になる。それは今も変わらない。誰かが得をすれば、必ず影で誰かが不幸になる。それを見ているはずなのに、誰も何も言わない。あいつも………あいつも………。


………そして当然、この宝石争奪戦にも“どす黒い裏”が存在するのだろう。


ただのバトルロワイヤル?


ただの金持ちの暇つぶしのゲーム?


そんな事に大金を注ぎ込む馬鹿はいない。間違いなく秘密裏に、何かしらの計画が動いているはずだ。それも国に莫大な利益のある何かが。



そんな事も知らずに、純粋なまま育ったであろう裕仁は勝った気でいるのだろう。自分が何かのプロジェクトに加担しているとも知らず、ただ呑気に「ゲームがやっと終わった」などと考えているのだろう。あの安らかな顔がその証拠だ。



確かに、もう巳空の手足が動かない。指先までもがまるで自分の体ではないかのように動かない……………………なんて、思っているのだろう。


まず、その前提が間違っている。


いつ、誰が“動けなくなった”と言ったのだ。巳空は“立てなかった”のではない。“立たなかった”のだ。それをまともに確かめもせず、奴は口を間抜けに開けたまま気を失っている。敵にトドメを刺す事なく、平和面して眠ってやがる。


全てが甘いんだよ。今までも殺意を持って襲ってくる相手にトドメを刺さず、況してや敵を許して背を向けて立ち去る。馬鹿を通り越して異常だ。今までの相手がお人好しだったから良かったものの、巳空のような敵であれば間違いなくその背を後ろから狙っていた。彼は誰も彼もが優しい人間ではないと知らないのだ。何処か分かり合えるなんて考えを持っているに違いない。いつか必ず痛い目を見るに決まっている。



………だがまぁ、今回は少し状況が違う。


そう。巳空は裕仁に、とある“勘違い”をさせたからだ。




…………「巳空はもう立ち上がれない」と。




お陰で、隙ができた。


巳空は懐からナイフを取り出し、ゆっくりと立ち上がると。しかしやはりダメージは確実に蓄積されている。震える足に鞭打ち、ふらついた足取りで歩を進めた。ゆっくり、ゆっくりと。何度も膝が曲がろうとするも、足を踏み出して耐える。


そして裕仁の元へ辿り着くと、ナイフを両手に構えた。刃先を下へ向け、心臓部へと照準を合わせる。




………お前を殺し、俺はこのゲームの“裏”を見る。その為に、ここで轢かれた蛙のように死ね。





そう呟き、抵抗もできない裕仁に目掛け、ナイフを振り下ろした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ