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69話『その先にあるモノ』


挿絵(By みてみん)


《ペリドット》



「何が……起こったんだ?」



巳空は殴打を受けた頰を撫りながら、裕仁に睨みを利かせる。野生の狂犬のような眼差しではあるが、裕仁は怯むことなく……それどころか強気に前へ足を踏み出す。



「訳が分からねぇ……って顔してっから、ちょっとだけ解説してやるよ。」



裕仁は拳を開いたり閉じたりしながら、巳空を見下すように口を開いた。まるで自身の方が優位な存在であると言いたげに。自身の方が立場が上である事を主張するように。



「……角度だ。“光の角度”を、ほんの少しだけ“屈折”させた。」



裕仁は上向きの指をくいっと横へ傾けると、勝ち誇ったような表情を浮かべた。『角度を変化させる能力』………海音の所持していた“サファイア”にこれ程までの可能性が秘められていたとは、つい先程まで考えもしなかった。



目には見えないが、光は本来屈折するはずのない空気中で歪み、裕仁と巳空の間に距離感のズレが生じさせていたのだ。裕仁自身も、あまり詳しい理屈は分かっていない。物理の分野なのかも知れないが、理数系は大嫌いだ。裕仁は生粋の文系人間だ。……かと言って、文学もそれ程得意ではないのだが。


ただ、この現象は裕仁の知る知識の中では“蜃気楼”の仕組みに近い。


蜃気楼は密度の異なる大気にて光が勝手に屈折し、物体が浮遊しているように見えたり、逆さになって見えたりする現象だ。


尤も、裕仁の行った事はそれ程大層なものではない。どちらかといえば、虫眼鏡のレンズの方が理に適っているかもしれない。ちょっとした光の屈折が巳空の目を狂わせ、裕仁との実際の距離を誤認させたのだろう。巳空には、恐らく裕仁が実際より手前にあるように映ったのだ。



「………なるほどなぁ。」



巳空は先程までの憎悪に打って変わって、不気味なまでに歪んだ笑みを浮かべていた。そのまま巳空は、地に手をついてゆっくりと立ち上がろうとする。まだまだ闘志は折れていないようだ。それどころか、更に燃料が投下されてしまった気がしてならない。


裕仁は立ち上がろうとする巳空を、下から蹴り上げようとする。折角彼を地に這わせたのだ。再び立たれては面倒だ。出来ればこのまま大人しく寝ていて欲しい。そのような願いを込めて蹴りを放つ。


裕仁の蹴りは、ダイレクトに巳空の顔面へと迫る。ただ一瞬、ほんの数瞬だけ巳空の方が速かった。巳空は両手は間に合わなかったものの、利き手である右で裕仁の蹴りを防御した。


それだけならばよかった。だが、巳空の防御の盾は攻撃する鉾ともなり得るのだ。



「“ビリビリ”」



突如、裕仁の足元から電流が伝い登った。静電気などと生易しいものではない。経験はないが、形容するならばまるでスタンガンを押し込まれたかのような電撃波だった。過度な痺れが指先まで到達すると、麻痺してしまったのか感覚が薄らいでいく。体内を駆け巡る電気信号が遮断されてしまったような体感だった。裕仁の体は反射的に仰け反ると、無意識の内にその場からの回避を優先的に行なっていた。そのままゆっくりと後方へ倒れ始め、視界に瞬く星が映り込む。この時、裕仁は巳空の思惑に勘付いた。


……誘い込まれた。


巳空は、最初から裕仁のカウンターを狙っていたのだろう。立ち上がろうとすると、必ずそれを阻止しようと動く。その単調な行動を全て読まれていたのだろう。その証拠に、巳空は秒にも満たぬ勢いで裕仁へと追撃を仕掛けている。裕仁は軽い絶体絶命に陥ろうとしていた。



裕仁は今、軽いスタン状態だ。手足は痺れ、まともに動かすことが出来ない。ならば、“宝石の能力”を使用してこの難を乗り越えなければならない。


しかし敵が至近距離にいる場合、光を捻じ曲げて像を誤認させるのは難しい。そして角度を1度だけズラすのも、距離があって初めて意味をなす。つまり極度の接近戦では、このような小細工は通用しない。


ならば大きく角度をズラせば良いのではないのだろうか。いや、巳空の事だ。それも予想の範疇に含めているだろう。何かしらの対策は考えているに違いない。


だったら矢張り、巳空を遮るしかないのだ。だが、その提案にも問題が幾つかある。障害物として防壁を生み出したとしても、巳空にとってそれは薄い発泡スチロールの板に変わりない。指先だけでも破砕されてしまうだろう。かと言って、空間を切り離すほどの時間はない。それ以上に、裕仁の精神が安定していない。



……ならば一か八か、こちらもカウンターを狙うしかない。



途端、裕仁の視界は真っ暗闇へと変化する。目を閉じたわけではない。目が開いているにもかかわらず、何も映らないのだ。理由が分からないまま数瞬………それが巳空が手で遮っている“目隠し”だと気が付いた刹那、強烈な衝撃が走る。


巳空の拳が裕仁の腹部に減り込んだのだ。それは言葉通り、腹部を通じて背が盛り上がるような、強烈な一突きだった。貫通してもおかしくない……確実に仕留めようとする力強い拳だった。


裕仁は暫く動かなかった。巳空の拳が当たったまま、その場を微動だにしなかった。それも当然の話だ。巳空の異能によって強化された身体能力は、コンクリートやアスファルトすらも打ち砕く。それをただの人間が直接的に喰らえばどうなるだろうか……恐らく小学生でも理解できる。


骨は砕け、内臓は強い衝撃によって撹拌される。どう考えても、生き残れる方がおかしいのだ。如何なる宝石を用いようとも、敵わない。


それが今回のゲームにて、最も単純にして最も最大の能力。


『身体能力を向上させる』能力だ。










………決着は、唐突に訪れた。


つい先程まで喧騒が包んでいたこの森林も、巳空を中心に静けさが広がった。白熱した決戦も、終演してみれば案外呆気ないものだ。誰も拍手を送らない、三流の舞台だった。


巳空はフィナーレを飾った感触の余韻に浸る。だが、それ程気分の良いものではなかった。


余りにも、殴打した感覚がなさ過ぎたのだ。


いや、この言い方だと語弊がある。今回は確かに命中した。それは間違いない。今現在、裕仁は巳空の拳が食い込んだまま項垂れている。幻覚でも虚像でも何でもない。正真正銘の裕仁だ。


だが戦闘特有の興奮状態からなのか、清々しい感触は一切なかった。楽しい時間はあっという間に過ぎ去る。その一抹の寂しさを抱え、巳空は裕仁にサヨナラを告げる。そしてゆっくりと裕仁の腹部から、深く突いた拳をゆっくりと引き抜く。








………その時だ。



巳空の腕を、急に誰かが掴んだ。

いや、誰かなど直ぐに分かる。


この場には裕仁と巳空しかいない。ならば答えは簡単だ。



「一つ……忠告してやる。突き終わった拳は直ぐに引いた方がいいぜ。じゃねぇと………こんな風に掴まれちまうからよ‼︎」




裕仁は端的に言うと、両足で高く跳躍した。そして太股付近で巳空の顔を挟み込むと、後方へ急激に回転を加えた。バク宙のように回転し、その勢いを利用して巳空の足を地面から引き剥がす。巳空も慮外な出来事に反応を示せない。それが勝ちを確信して慢侮した者の結末だ。


裕仁はそのまま回転すると、足で挟んだ巳空の頭部を地面へと叩きつける。土壇場で放たれた、美しい程のフランケンシュタイナーだ。もしここがリング上だったならば、観衆は皆スタンディングオベーションをすること間違いないだろう。


大技を華麗に決めたのだが、勿論裕仁にもダメージは残っている。率爾な電撃に加え、視界が芳しくない状況での猛突。それは少なからず裕仁に傷を与えていた。


しかし、どうやって巳空の殺人的な殴打から回避したのだろうか。



それは、簡単な発想の逆転だった。



威力の高い攻撃に対しては、硬化して防御力を高めて応戦しなければならない。



その固定観念が、ずっと裕仁の脳内にこびり付いていた。だが、反対に“柔らかく”してはどうだろうか。結果はこの通りだ。


軟調となった裕仁の身体は衝撃によって構造を変形させ、威力を分散させると共に吸収したのだ。骨も臓器も全て軟化した事により、事実上の無傷……とまではいかないが、致命傷は難なく避けることができた。後は巳空が拳を抜こうとした瞬間を狙い、飛びかかる。それが咄嗟に思いついた裕仁のカウンター方法だった。



巳空は地を手で弾いて裕仁と距離を取ろうとする。しかし裕仁は彼を“繋げる”ように手元へ引き寄せると、お返しと言わんばかりに巳空の腹部へ肘を叩き込んだ。巳空は咳き込むと、裕仁の首に腕を回そうとする。だが、裕仁はここで先程触れた時に与えておいた“運動命令”によって巳空を後方へ弾き飛ばした。そして再び裕仁の元へ引き寄せると、足を踏み込んで膝を胸元まで上げて構える。そして突き刺すように巳空の顎を蹴った。それは見事に、これ以上ないくらいに決まった。


巳空はその場で一回転を描き、足跡で荒らされた土壌へ倒れ込んだ。彼の口元から伝い落ちる鮮血に、裕仁は少し身震いする。見ている此方が痛くなりそうな赤々しさだった。自分がやったのだという罪悪感に対し、それも致し方ないと容認する感情が複雑に入り組む。



しかし、巳空はそんな様子を全く表情に浮かべなかった。まるで何事も無かったかのようにスムーズに立ち上がると、無表情のまま虚空を見つめる。つい数分前のような覇気がなくなったかのように思えるのだが、何も感じさせないその容貌が、裕仁を戦慄させた。


………この表情。前にどこかで見たことがある。



そうだ……“一譲”が腹を括った時の表情だ。一切の感情を押し殺し、鎮静させ、全ての目的を敵の殲滅に設定する。まるで機械兵器のようなその表情は、今の巳空にそっくりだった。もう少し簡潔に言うならば、“巳空も遂に本気になった”ということだ。


今思えば、彼はこの戦いにおいて二つしか異能を使用していなかった。“身体能力の向上”、そして“岩を反射させていた”能力。彼は四つの宝石を所持している。つまり、彼は二つの能力を自ら制限してこの戦いに身を投じていたのだ。


そしてたった今、彼の中から余裕の二文字は消えたのだ。ただ只管に裕仁だけを見つめ、冷酷に、冷徹に仕留める。そこに慈悲や躊躇いという言葉は一切存在しない。全ての意識が裕仁を一直線に指し示している。



ここからが正念場なのだろう。



裕仁の集中力も、徐々に上昇していく。いつ、何処から彼の攻撃が来ても対処できるように………その一弾指。


巳空の恐ろしく速い蹴りが裕仁に襲撃を仕掛ける。咄嗟に膝と肘で防いだものの、その威力は桁違いだった。裕仁は弾かれるように宙を舞うと、自らの身体を“障害物”として生成した段によって押し上げた。しかし瞬刻の間に段は轟音を立てて破壊される。裕仁は宙返りしながら段から降りると、巳空と正面から向かい合う。だが、ここでとある違和感を感じた。




………あれ?





その寸時に、巳空の後ろ蹴り上げが裕仁の防いだ腕に命中した。瞬間、裕仁の左腕から妙に軽快な音がなった。その音は間違いない。“骨が折れた音”だ。



「……………っっ!」



そのまま裕仁は、衝撃に耐えることができずに吹き飛ばされる。しかしそれは案外幸運だったのかもしれない。裕仁は勢いに任せて転がり続け、視界の晴れている広場から抜け出した。そして木々の生い茂る中に紛れ込むと、その場に姿を隠して伏せる。今、この状態で彼の前にいたならば数秒ももたない。


それは、決して腕が折れたからではない。




………『宝石の力』が、使えない。




そう、“使えない”のだ。

先程の攻撃を“ダイヤモンド”の異能で防ごうとしたのだが、全く発動の素ぶりさえ見せなかった。それどころか、『宝石の力』という言葉も裕仁の脳内から消えかかっている。“勘違い”とはまた違った感覚だ。まるで根底から削除されてしまうかのような、気味の悪さを感じる


これもまた、巳空の持つ能力の一つなのだろうか。



この“相手の能力を封じる”という宝石の力は、彼が隠してきた“最後のひとつ”の能力だ。言いかえれば、この異能こそが彼の“切り札”だ。


この理不尽な難易度の試練を乗り越えた先にしか、勝利はない。だが敗北は裕仁のすぐ側で手ぐすねして待っている。逆にそいつを押しのけ、手を伸ばした先に制勝はある。案外近くまで来ているのだ………ここで諦めるわけにはいかない。


裕仁は全ての異能を失った中で、静かなる闘志を燃やしていた。この挑戦に受けて立ってやる、と。

挿絵(By みてみん)


明けましておめでとうございます!


今年もよろしくお願いします!

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