6話『休日の過ごし方』
《ペリドット》
裕仁が最初の襲撃を受けてから、早くも数日が経った。光陰矢の如しとはよく言ったもので、時間が過ぎるというのはとても早く感じてしまう。このような生死を分かつ境遇に身を置いていれば尚更だ。いつ、何処から、誰が襲撃してくるかは分からない。常に警戒する必要がある。そうして気がつけば、時計の短針は半回転ほどしている。このままでは、たとえ生き残ったとしても寿命はみるみると縮んでいるに違いない。ストレスと緊張で常にマッハ状態だ。
しかしこの数日の内、特に大きな事件も襲撃も起こる事はなかった。怪しい人物どころか、些細な変化すらも起こらない。周りの人々だって何一つ変わらず学校へ行き、会社へ行き、そして夜になれば帰宅する。そんないつも通りの寧日を暮らしている。裕仁も同じように、平々凡々な日々を何をするでもなく過ごしていた。
もう、このまま何も起こらないのではないか?
そんな期待の込もった考えも、案外現実味を帯びているのかもしれない。だが、まだ開始されてから一週間程度しか経っていないわけで、きっと本当の激戦というのはまだまだこれからなのかもしれない。そう考えると、無性に気が重くなった。
そして時は現在。
果てなく広がる空は雲一つない快晴で、太陽の光がいつも以上に眩しく感じる。それに比例して、裕仁は実に清々しくいい気分であった。伸びをする手も、頑張れば太陽に届くのではないか。そのような子供染みた考えを胸に、つま先から指先まで精一杯伸ばす。そして大きく口を開き、澄んだ空気を肺いっぱいに吸い込む。そんな心地の良い完璧な今日は、学生にとって極上のシエスタ……日曜日だ。
だが裕仁にとってはそんな良日も、これ以上ない最悪な厄日と成り果てていたのであった。
「…………で、何をしろって?」
「何って……話聞いてなかったの?」
折角の休日であるというのに、何故か街に駆り出された裕仁は少々気が立っていた。ただでさえ人混みは苦手なのだが、そのような事は御構い無しといったように、休日で混雑している駅前広場に訳も聞かされずに呼び出されたのだ。それほど大した都会ではないにも関わらず、駅の入り口からは人の波が堰を切ったダムのように流れ出てくる。この街に住む裕仁からしてみれば、彼らは一体何を目的として来るのかが不明だ。一周回って興味が湧くほどだった。そのような雑踏の波に、裕仁は今にも呑み込まれそうになっている。本日最初の溜息が口から漏れ出した。
そしてその隣には、数日前に裕仁の命を刈り取ろうとしてきた野蛮女。そして、裕仁をこの場に呼び出した張本人である嘉嶋雪乃が並んで立っていた。二人とも休日だということで制服ではなく私服を着こなしている。それも、運動に適している身軽で動きやすい服装であった。これは雪乃からの指定の服装でもあった。
何故、このような状況になっているのか。
それを説明するには、少し時を遡る必要がある。
◆
それは襲撃事件の直後の事だ。体育教師による悪魔のカウントダウンから命からがら逃げ延びた二人は、お互いに「少し話がしたい」と言い出した。もちろん話題は、このゲームの事だ。このタイミングで持ち出される話などそれ以外にはない。しかし高校の周辺はまだ、やや都会に分類される方だと感じる。通行人は忙しなく闊歩し、自動車の通りも多い。二人にとって『宝石』についての会話は、なるべく他人には聞かれたくない話だった。歩道を行き交う人は聞く気は無いかもしれないだろう。それどころか興味もなく、耳にすら入ってこないだろう。しかし、この話は周りの人々の耳にたった一本の糸屑程度でも入るのを警戒すべきだと雪乃は言った。
「考えすぎだろ」と裕仁は笑ったが、雪乃はそれでも頑固に拒んだ。
それから二人は、最寄りのファストフード店へと足を運んだ。入店後、雪乃に先導されて客の少ないーーと言うよりかはほぼ無人であるーー三階へと上がった。この時間帯と三階の異様な狭さ故に、普段から客はこの三階を滅多に利用しない。最早、隠れスポットと言うよりかは二人の専用スペースに近かった。雪乃は盛大に溜息を吐きながら、倒れ込む勢いでソファに腰を据えた。
「…………今日は色々と疲れたわ。裕仁、何か奢ってよ。」
「馬鹿言え、誰の所為でこんなに疲れたと思ってるんだ。それに自慢じゃねぇけど、俺は所持金22円だ。うめえ棒くらいしか買えねぇよ。」
裕仁は呆れたように軽く雪乃を睨みつけながら、彼女と向かい合うように正面の椅子に座った。対する雪乃は手をひらひらと振りながら茶化すように言った。
「2本買えるじゃない。人数分ぴったりね。それでいいわ。」
「それでいいわ、じゃねえよ。今日くらいはお前の目の前にいる被害者様に何かお詫びでもしたらどうだ?」
雪乃は目を逸らして小さく舌打ちすると、「仕方ないわね」と小さく呟いた。普段に比べてすんなりと引き下がるあたり、彼女にも少なからず罪悪感があるのだろう。裕仁はそんな彼女を珍しい物を見るような目で眺めた。そのような目線を嫌がるように、雪乃は早口で言った。
「流石に、私もそこまで鬼じゃないわ。“300円以内”なら何か奢ってあげるわよ。」
「なんだ? やけに素直だな。」
それでも300円だけなんだな、と思いつつ裕仁はクーポンの付いたチラシに目を通し始めた。それにしても300円というのは思った以上に何も買えない。まるで遠足に行く幼稚園児のお菓子の上限金額だ。ポテトは一番大きなサイズを頼めるとしても、ハンバーガーは少し無理がある。安価な物はサイズが小さく、腹三分目にも満たないだろう。それならば、ここは大人しくポテトにするべきだろうか。
……まぁ、折角雪乃に奢ってもらえるのだ。こんな機会はこの先生きていても、滅多に訪れる事はないだろう。故に逃すわけにはいかない。腹は恐らく満たされないが、間食感覚ではいい食事になるかも知れない。今日はあまりポテトの気分ではないので、バーガーにしよう。そう思い立つと裕仁はチラシを机に広げ、食べたい物に指を指して示した。
「それじゃあこのバーガー1つとドリンクのSサイズだ。クーポン使って、大体300円だろ。」
「……分かったわ。買ってくるから、少し待ってなさい。」
そう言うと、雪乃はクーポンを受け取って席を立った。そしてそのまま、振り向くこともなく足早に階段を降りていった。
それから数分後に彼女は帰ってきた。「案外早いお帰りだ」と裕仁が言うと彼女曰く「レジもかなり空いていた」そうだ。まぁ、この客の少なさを見れば疑念の余地なく納得する事が出来た。雪乃の持つトレイの上には、裕仁が注文したバーガーとドリンクの他に様々なものが乗っていた。
「そんなひもじい子供のような目で見つめないで。このバーガーとドリンク以外は私の分よ。」
雪乃はバーガーとドリンクを手に取って、裕仁の席の前に置いた。そして盆を自分の前に置き、ゆっくりと席に座った。その動作を見ていると、このような奴でも一応は女性なんだなと感じた。それから雪乃は一息つくと、低い声で話し始めた。
「さて、そろそろ本題に入りましょうか。」
雪乃はLサイズのポテトを摘むと、口に運んで頬張った。いつも思うが、華奢な体躯をしている割に彼女はよく食べる。これだけ食べて、よく太らないものだと裕仁は感心した。裕仁もドリンクのストローの袋を開けながら、先程とは打って変わって真剣な表情で会話を始める。
「雪乃に幾つか聞きたいことがあるんだ。」
「何かしら?」
雪乃は頬杖をつきながら、ぶっきらぼうに聞く。ただ、ポテトを摘む手は止まらない。次から次へと、単純作業をこなす機械のように運動は一定だった。それでも裕仁は、構う事なく疑問を呈した。
「何で俺が宝石を持っていると分かったよ?」
「何でって……。」
雪乃の口調は驚きと共に、呆れに似た感情も含まれていた事だろう。それは彼女の表情に、隠す事なく全て現れていた。まるで「は?」とでも言いたげな歪んだ顔だった。寧ろ言っていたとしてもおかしくはなかった。序でに、ポテトを摘む手も止まった。
「あなた……あの冊子読んでないの?」
あの冊子、とはきっと黒革で装丁されたルールブックの事なのだろう。
「いや、読んだけど…。」
その回答を聞くや否や、雪乃は溜息をついた。
きっと心中では「何故読んだのに分かってないのよこの馬鹿野郎。文字もまともに読めないの?それだから国語の成績が底辺なのよ。一層の事、幼稚園児からやり直したらどうかしら。いや、胎児からやり直しなさい。」程度の罵倒は軽くしているだろう。心の中で思うのは自由であり、口にしないだけ有難い話だ。雪乃は軽く額に手を当てると、明からさまに面倒そうに口を開いた。
「バクテリア程度の脳しか持ってないあなたに、分かりやすく一から説明するとね。この宝石には別の宝石を接近させると起こる特別な『共鳴反応』があるの。」
この宝石が“共鳴”するなど初耳だ……多分、裕仁が説明文を読み飛ばしただけなのだろうが。
「どういうことだ?」
「それに関しては、実際にやってみた方が早いわね。」
雪乃は何処からかそろりと宝石を取り出すと、そっと手で覆い隠して机の上に置いた。
「あなたの宝石を出してくれる? そっとよ。周りに人はいないけど、もし突然上がって来た従業員とかに見られたりしたら困るから。」
「……あぁ、分かった。」
裕仁もそっと、手で覆い隠すようにして宝石をポケットから取り出した。そして雪乃に一旦手渡す。彼女はそれを受け取ると、ゆっくりと机の上に置いてもう片方の手で覆った。
すると、奇妙な事が起こった。いや、裕仁が一番最初に抱いた感想は「奇跡」であった。彼女の覆った手の指の隙間から見えた景色は実に神秘的であった。
「……輝いてる?」
そう。裕仁の持つ“ペリドット”は彼女の手の中で眩く光り輝いてたのだ。それは決して比喩ではない。その宝石が自らの意思で煌々とした光を放っていたのだ。蛍光灯は霞み、窓から侵入する街灯の灯など退けるような神秘的な光だった。これらの宝石は一つの光源として、存在を周囲に主張するかのように輝いていたのだ。
「そう。『宝石』が『宝石』と接近すると、危機を知らせるかのように発光するのよ。」
「……危険信号みたいなものか。」
雪乃の手にも同様に、赤々と煌めく真紅の貴石があった。それは血液のように赤く、炎の様に紅い。裕仁と違って緋色をしたその宝石は、ローズカットという加工が施されていた。宝石の種類もカットも恐らく十人十色ーー十二人十二色の方が正しいのだろうか。ーーなのだろう。皆それぞれが違う宝石を所持しており、それぞれが違うカットで研磨されているのだろう。
「私の宝石の名は“ガーネット”。宿した『宝石の力』は、貴方の想像通りだと思うわ。」
「『物を繋げる力』か?」
雪乃は軽く頷くと、裕仁に“ペリドット”を返した。裕仁はそれを受け取ると、再びポケットへと収納する。
「ええ。正確には、『様々な物を繋げる能力』ね。これは冊子に載っていた説明そのままよ。」
「なるほど。だからバラバラになった刃物は一箇所に集合し、縄も元通りに繋がった…って訳かい。」
「そゆこと。」
雪乃は軽く笑って肯定した。そして雪乃は裕仁を指差し、「次は貴方の能力を教えて」と言った。そういえば、結局説明はしてなかったような気がする。彼女からすれば裕仁の異能を見たのはその一度きり。その上、気を失ってしまっていた。推測しようにも出来ないのだろう。裕仁は納得したように首を縦に振ると、
「俺の持つ“ペリドット”は、簡単にいえば『触れたものに命令を与えて動かすことができる』って能力だ。あの時は縄に触れてたから、ああやって動かすことができたって話しだ。」
と簡潔に説明した。雪乃は「なるほどね」と言うと、
それに次いで釘を刺す様に裕仁に忠告をした。
「……“これ”は貴方だから教えたの。仲間となったから“宝石の力”を明かしたのよ。そして貴方も、仲間となったから私に話した……でも、決して仲間ではない他のプレイヤーに出会っても『固有の力』については話さないことね。悟られてるのも、あまりよろしくはないわね。」
「どうしてだ?」
そういった瞬間、雪乃は裕仁の目の前に人指し指を突き出した。そして、唐突にクイズを出題した。
「ここで問題よ。何故『固有の力』を宣言してはならないのか。貴方には分かるかしら?」
突然のことに裕仁は驚いたが、直ぐに考え始める。流れに合わせて聞き返してはみたが、実は幾つか頭に浮かぶ答えは既にあった。その答え合わせがしたかったのだが、何故か問題として出題されてしまった。
「……そりゃあ、『異能を相手に知られる』からじゃないのか?自分の切り札を明かしてる様なものだし。」
「40点ね。」
雪乃は間髪入れず、辛辣に言い放った。
予想外の厳しい採点に、裕仁は思わず肩を竦めた。そんな様子を見て、雪乃は小さく笑った。
「……その答えも当然間違ってはいないわ。現に、貴方は私に異能の正体を教えなかったから勝てた。もしあなたの力を私が聞いていれば、きっと油断もしなかったわ。」
だけどね、と雪乃は言葉を続けた。
「もっと恐ろしいのはまだ他にあるのよ。単純で、それでいて狡猾な。」
「それじゃあ、それによって『警戒される』………とか?」
「20点。寧ろ逆よ。固有の力は教えない方が警戒されるの。相手は何の能力を持っているのか分からないのに迂闊に飛び込むなんて馬鹿のすることよ………まぁ、私もしてたから人の事言えないけど。取り敢えず、それぞれの力が分からないという事は、それぞれのプレイヤーの動向を牽制している状態になるの。要するに拮抗状態ね。アンダースタンド?」
裕仁はその後、無いに等しい頭を搾り尽くすほど捻るも、何も出てはこなかった。それ以外に何かあるのだろうか。いや、無いだろう。裕仁の思いつく限りでは、それ以上の脅威は特に思い浮かばなかった。
「……すまん。正解を教えてくれ。」
裕仁は遂にリザインを宣言し、ハンバーガーに大きく噛り付いた。雪乃はいいだろう、と偉そうに大きく頷き、控えめに威張る様に話し始めた。
「相手に異能の正体を話して、最も恐ろしいこと…。それは『逃げられる可能性がある』。ただ、それだけの事よ。」
「……はあっ⁉︎」
裕仁は頭に疑問符を浮かべた。
あれだけ壮大に言っておきながら、答えはただ『逃げられる』のが怖いとはどういう事なのか。裕仁には全くもって理解できなかった。
「何故、『逃げられる』ことが恐ろしいことなんだ?」
そう。ただ逃げられるだけだ。それのどこが恐ろしいのか裕仁には分からない。逃げてくれればそれは良いことではないのか。無駄に戦わなくてよくなるのではないか。強い力ならそれだけでも戦闘の抑制となる。相手に恐怖心を植え付ければ二度と襲ってこないかも知れない。それのどこが狡猾なのだろうか。
そんな裕仁を見かねて雪乃はドリンクを啜るストローから口を離した。
「『逃げるは恥だが役に立つ』…。そんな諺があるのを知ってる?」
「あぁ。どっかの国の諺だろう?」
裕仁は静かに息を吐きながら背凭れに体重を委ねた。たしか、ハンガリーの言葉だったかな……。“逃げるが勝ち”のようなニュアンスの諺だったとうろ覚えながらに考えた。
「……本当に役に立つのよ。恐ろしいくらいにね。そしてそれ以上に厄介なのよ逃げるっていう行為は。それも情報を持ち逃げされたとなれば、幾らでも潰し合わせる様に嗾ける事が出来るのよ。」
裕仁は、徐々にその脅威とやらを理解し始めていた。逃げる行為に隠された、恐ろしい裏側を。その無様な行動の本質を。
「……つまりこういう事だろ? もし俺が異能の宣言をして、それを知った相手は上手く逃げ切ったとする。そのあと強プレイヤーにでもその情報を流して、潰しあわせる様に誘導させる。若しくは、強プレイヤーに脅されて、洗いざらいその情報を喋らされるかもしれない。」
雪乃は指を鳴らして微笑んだ。
「その通りよ。『知られる』事自体は問題ない。ただ、それが『広まる』のが恐ろしいのよ。誰彼構わずに吹聴し、喧伝されるのが一番の恐怖よ。それに繋がるのは『逃走』という行為。情報というのは宝の山なのよ。大切なの。常に守護者が付いていないといけない。」
裕仁は完全に納得したように溜息を吐くと、再びハンバーガーにがっついた。
「敵に教えてしまえば最後。その場で仕留めない限り、その後ずっと一方的不利な状態で戦わなければならないって事か。」
「そういうことよ。」
雪乃はドリンクを啜り終わると、すっと席を立ち上がった。いつの間にか彼女のポテトの容器は空になっていた。案外食べるのも早いようだ。
「…今日はこのくらいにしましょう。明日も学校だわ。」
裕仁はその案に否定する事無く頷いた。残ったハンバーガーを大急ぎで口に詰め込むと、脱いでいたブレザーに腕を通す。今聞きたい事は全て知ることができた筈だ。これ以上長居しても、話を誰かに聞かれる可能性が高まるだけだ。
「そうだな。それじゃあ暫くは様子見だな。」
そう言うと彼女は塵を捨てながら、正気を疑うような目で裕仁を見つめてきた。何か変なことを言っただろうかと、裕仁は少し萎縮してしまった。彼女の大きな瞳は時として睨みを利かす猫のような威圧感を感じる。その時当然、裕仁はネズミのポジションにいる。
「様子見? 何言ってるの。情報は命よ。勿論こちらからも行動は起こすわ。」
「え…?」
「今週の日曜の朝、駅前広場で待ち合わせよ。何があるか分からないから動きやすい服装で来る事。当然、宝石は持参。分かったわね?」
雪乃は一方的に約束を取り付けると、裕仁の返事も待たぬ内にファストフード店を後にしてしまった。取り残された裕仁は暫くそのまま椅子に座り、思考が纏まってから席を立った。その腰はとても重く感じた。
◆
そういった経緯により、裕仁は雪乃に逆らうことも許されず、休日を惜しみながら潰す羽目となってしまっていた。
隣では雪乃が周りから隠すようにして、チラチラと宝石を確認していた。雪乃曰く、宝石所持者同士が至近距離にいれば、宝石は共鳴反応を起こして光を放つ。その仕組みは一切不明である。そしてこの先も分かることはないだろう。超現実な現象は今に始まった話でもない。きっとゲームを円滑に進めるための一種のシステムなのだろう。いちいち一つ一つに理解を求めていては脳が持たない。今でさえショート寸前なのだ。だから、そう割り切ることにした。
そんな裕仁の一方、雪乃は勝つために真剣に活動を続けていた。彼女を良く言うならば行動力の塊、悪く言えば我儘だ。それは今に限った話ではない。彼女は昔からこうなのである。しかし、今は二人とも命がかかっている。大袈裟かもしれないが、裕仁が珍しく文句の一つも零さない理由でもあった。
「なるべく怪しい動きをしてる人を探しなさい。ポケットの中をやたらと確認する者。辺りを挙動不審な迄に瞥見する者。単純に宝石を身につけている者。全てを疑って……全てを敵だと決めつけるように観察しなさい。そうしなければ見つけられる者も見つけられないわ。」
そして、と雪乃は更に言葉を繋げた。まるで一度経験があるかのような無駄のない指示と、全てを敵だと食ってかかる強い口ぶりだ。それほど必死なのだろう。生き残るためなのか、賞金が欲しいのか。彼女がこのゲームに積極的に参加する理由は、裕仁は全く知らない。それでも、聞く気にはならなかった。彼女もまた、裕仁の知らない何かを抱えているのかもしれない。
そう物思いに耽っていると、雪乃が裕仁の肩を叩いていることに気がついた。雪乃は軽く笑みを浮かべると、とある提案を投げかける。
「今考えると、当然こちらも相手に怪しまれないようにしなきゃね。丁度いいから、あそこに座りましょう。」
そう言って雪乃が指をさしたのは、駅前広場に佇む一軒のカフェだった。真新しい白木壁は、店全体に清潔な印象を与えている。屋根は洒落た緑色で、バルコニーのようなテラス席が存在している。新設された割にはデザインが少し古めでアンティーク風だった。こういった外見の方が、大人に好まれるのだろうか。洒落たカフェなど入ったことも行ったこともない裕仁にとって、そういった知識は皆無に等しい。何よりも、洒落が過ぎると緊張するのだ。
「あのテラス席が空いているわ。そこなら怪しまれること無く、周りを監視できるでしょう。」
裕仁は雪乃に口答えするでもなく、全て一任する意図を伝えた。最早思考の放棄であった。
「雪乃がそう言うのなら、そうかもしれないな。」
それじゃあ早速行きましょう、と雪乃は裕仁の手を無理やりに引いた。そんな中、強引すぎるエスコートも嫌いではないな………と、裕仁は雪乃の真面目な考えとは的外れな考えを抱いていた。
◆
そんな二人に歩み寄るは、小さな影。小さな足幅で改札を通り抜けると、駅前広場へと続く通路へと差し掛かった。ゆらりゆらりと揺らぐ影は、何度も二の足を踏むように立ち止まる。それでも小さな影は、出口へと歩を進めていく。そして、眩い光に伸びていく影は、確実に二人の元へと近づいていた。