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67話『アヒンサーな精神』


挿絵(By みてみん)



《ペリドット》



彼女の軽やかな身のこなし。その柔軟さはまるで芯のない棒のようで、見ているこちらの関節が悲鳴をあげるような不規則な回避をする。それに加え、彼女は適切であろう場面でしか攻撃を仕掛けない。それは別段、彼女が武道の心得を習得しているわけでも、喧嘩慣れしているわけでもない。ただ、恐れを知っているのだ。


裕仁には彼女が最初からこうだったのかは分からない。雪乃との戦闘で開花した才能かもしれない。どちらにせよ、無防備に正面から突っかかって来るほど単純な人間ではないようだ。怒りに身を任せているように見えて、その実理にかなった攻防を繰り広げている。その点によって宝石を7つも所持する裕仁は、本来あり得ない苦戦を強いられているのだ。



どうしたものか………。



未だに裕仁は、彼女を退ける策が見つからずにいた。宝石の力を用いれば、勝敗は容易に着くだろう。持つ者と持たざる者。結果も一目瞭然だろう。ただ何度も言うが、裕仁はそれを好まないのだ。相手が女性だからというのもある。それだけでなく、弱者……という言い方は少々毒を含むが……を一方的に蹂躙するのは些か気分が悪い。それこそ羽虫を捕らえ、羽や足を一本ずつ捥いでいくようなものだ。もしくは、手のひらで挟み込み叩き潰すようなものだ。


いくら蚊に吸われて苛立とうとも、裕仁は激情に駆られて殺すような真似はしない。羽虫一匹殺すことにも躊躇するような人間だ。現に、和陰の行為に憤慨したものの、命まで奪おうとは考えもしていない。他人からすれば異端とみられるのは裕仁の方かもしれない。ただ、裕仁はその風変わりな性格を長所とし誇りに思っている。だからこそ、弱者は虐げない。そして殺人を前提とした暴力を憎む。なのにどうして彼女を、宝石の能力で仕留める発想が生まれるだろうか。いいや、生まれない。



裕仁の元にナイフの刃先が迫る。あのような状態でも、彼女はナイフを握る手を緩めることはなかったようだ。裕仁は一定の間隔を取りつつ、彼女の射程から逃れ続ける。だが、いつまでもそうしているわけにはいかない。裕仁はふと巳空を一瞥する。彼はまるで飽きたと言わんばかりの表情を浮かべ、退屈そうに彼女との死闘を見物している。なるべく早くに勝敗を決さなければ、彼女をも巻き込んで攻撃をしてくる可能性がある。それが最も最悪なケースだ。巳空が本気を出したならば、裕仁には彼女を護衛しながら戦闘するような器用なことはできない。二人まとめてあの世行きだ。


こうなれば、一か八かだ。


少々荒技となるが、彼女の生存を保証できる対処法が、裕仁にはこれしか思い浮かばなかった。


きっと、もっと安全で丁寧な方法もあるのかもしれない。いや、絶対にあるに違いない。ただ最終決戦という緊張的な場面で、そのような策が思い浮かぶほど裕仁に余裕はない。だからこそ、確実に成功するような方法は一切脳に掠めなかった。


裕仁は彼女の凪ぐナイフを飛び退くように避けると、突如背を向けて木々の中へ逃走を開始した。当然、彼女も後を追ってくるだろう。



「待て!」



予想通り、彼女は夜の森では五月蝿いほどの声を張り上げた。それは明らかに敵意を剥き出しにしている声だ。彼女は生い茂る木々の間隙をすり抜け、地面から顔を出す根を軽やかに飛び避けて裕仁を追跡してくる。彼女はまさに鬼だった。


だが、彼女が感情に任せて裕仁を追ってくれるのは好都合だった。不気味なまでに静かな深い森の中は、既に裕仁のテリトリーと化していたのだ。


裕仁や彼女が跳躍して回避している“木の根”。それは二人から言わしてみれば、立派な“障害物”だ。裕仁はある程度深くまで歩を進めたところで、彼女の足元に網を張るように無数の根を生成した。


ただ、彼女はそれをロールオーバーのように飛び越えると、地面を一度転がって立ち上がった。その勢いはまるで死んでない。しかし彼女がこの木の根を超えた時点で、裕仁の策は始動する仕掛けとなっていた。


先ほどの木の根は唐突に自我が芽生えたようにうねりだすと、彼女の足に絡みついた。



「………な⁉︎」



女性は思わず予想外といった声をあげた。そのまま彼女の体に次々と根が絡みつくと、木の幹に複雑に縛りついたのだ。勿論、並みの女性では木の根を振り払うことは出来ないだろう。だからこそ、裕仁は地の利を生かして彼女を拘束したのだ。



「……捕まえた。」



裕仁は安堵のため息を吐くと、念のために更に木の根を複雑に絡ませ、“ガーネット”の能力で繋げておいた。


しかし裕仁はどうして、木の根を自在に操作する事が出来たのだろうか。12個の宝石の内に、“植物を操作する”能力なんて存在しない。全て裕仁の持つ“宝石”の力によるものだ。


前述したとおり、まずはただの“障害物”として、裕仁は木の根を生成した。しかし、それを直接足元には設置しなかった。裕仁は自身の手の届く範囲に木の根を生成し、それをあたかも突然現れたかのように彼女の足元に設置したのだ。つまり、既に木の根は裕仁の“ペリドット”の支配下にあった。ただし、木の根は太く強い。蛇のようにうねらせるなど到底可能ではない………“ダイヤモンド”が無ければ。


ダイヤモンドの能力は“硬度を操る”……つまり、木の根を“柔らかく”する事も可能なのだ。そうして可動域の広がった木の根をまるで生きているかのように彼女の足に絡みつかせ、後は落ち着いて次の動作を繰り返す。


裕仁が行ったのは、ただこれだけの話だ。


思っていた以上に簡単に事が進んだことに、裕仁は軽い達成感すら感じていた。



「……私も、殺すの?」



彼女は俯きながら、声を震わせて呟いた。


そういえば、そんな誤解から彼女に襲われてたんだったか。裕仁は思い出したかのように「あぁ〜……」と情けない声を出すと、なんとか誤解を解こうと口を回した。



「……どうせ信じないだろうけどさ、殺したのは俺じゃなくて巳空だ。証拠に、きっと俺が死んだら天国行きだろうぜ。」



何も自身が犯人ではないと証明する材料がなく、裕仁は適当に口走った。



「だから俺はお前を殺さねぇし、俺たちの決着がつくまでそこで大人しくしてやがれ。ついでに和陰の仇もとってきてやる。」



最終的に説明が面倒になった裕仁はそう吐き捨てて、巳空の元へ帰ろうとする。しかし若干彼女の事が気になり、ふと振り返る。すると彼女は、まるで幼子のように鼻をすすって泣き始めた。都会の雑踏の中では耳に届かないような小さな音だろう。ただ、こんな夜だからこそ、その泣き声は裕仁の心にまで到達した。


彼女の涙が意図している理由はわからない。単に裕仁を殺し損ねた事が悔しいのか。それとも殺されるかもしれないという恐怖から解放された安堵によるものなのか。もしくは、和陰を思い出したのか………。



その理由がどうであれ、彼女の啜り泣く声は裕仁の闘志に静かに火を放った。







《ムーンストーン》



いい加減、余興にも飽きてきた頃だ。


自ら仕組んだこととはいえ、巳空の予想では裕仁があっという間に衿花を仕留め、邪魔者には消えてもらう算段だった。言わば、邪魔な相手を敵にけしかけて消してもらおうと考えていたのだ。あらかじめ衿花とは連絡先を交換しておき、病院へと向かう。運が良ければ何事もなく雪乃から宝石を奪えたのだが、まぁ、裕仁が邪魔をするだろうとは思っていた。どうせ彼と戦闘になった場合、場所を変えることも分かっていた。だから、巳空は衿花に位置情報を送信し、自らの居場所に“和陰の仇がいる”と告げた。ここからは先ほどの流れの通りだ。衿花は簡単に騙されて裕仁との戦闘に縺れ込んだ。巳空は愉快で仕方なかった。


……だが、想像以上に面白みに欠ける戦いだった。何せ、裕仁は甘すぎる。「女性には手を上げない」などと言う自称フェミニストは、巳空にとって「口だけの人間」の次に嫌いな人種だ。そして、誰にでも愛想と優しさを振りまく人間もまた嫌いだ。


矢張り、奴は自らの手で葬ろう。


あのような偽善者を許すほど、巳空は甘くない。誰も殺さずにこのゲームを終えようなど、片腹が痛い。所詮は人を切り離せない弱小者の考えだ。己が欲を叶えるために、時には他人を切り捨てなければならない。それが現実だ。彼のようなロマン主義者がこのままこのゲームの勝者になってはならない。誰一人殺さずにこのゲームを優勝してもらっては困る。


でなければ………今までの巳空の真実が全て否定されることになる。だからこそ、彼にはこの場で凄惨な地獄絵図を描いて死んでもらおう。自分が正しいと言い切れるためにも………。




そんな時、森の奥の方から何者かが近づいてくる音がした。布と葉が擦れ、木々の騒めく音が閑静な森の中に響いた。



「………やっと、来たか。」



巳空は近寄ってくる影に、言葉を漏らした。

実際、誰かを確認しなくとも巳空は既に分かっていた。



「あぁ。決着はつけて来た………後はお前だけだ。巳空。」



裕仁は前髪を掻き分けながら、再びこの広場へと姿を現した。その一歩一歩は確かなもので、微塵も迷いを感じない。彼ももう一度覚悟を決めなおしたのだろう。彼からは先ほどとは違う鋭い気配が醸し出ている。まるで彼から引力を感じるようだった。足に力を入れないと、彼に吸い寄せられるような気分だ。巳空は小さく笑うと、揶揄の言葉を口にした。



「すっかり、逃げたかと思っていたよ。君は外見からはひどい臆病者に見えるからね。」



巳空が軽口を叩くと、裕仁も負けじと言い返してくる。この点に関しては実に愉快だ。



「人は見かけによらねぇんだ。ただの蚯蚓みみずかと思いきや、とんだ大蛇だったって事もあるんだぜ?」



巳空は彼の言葉を鼻で笑い飛ばすと、御託はもういいと彼に告げた。ここからは口喧嘩などといったつまらないものではない。拳で、全身で、命で語り合うのだ。そこに善も悪もない。互いに自分の中に正義を持っている。つまりは正義と正義の衝突だ。この指の高さを揃えて整った握り拳で、「お前が嫌いだ」と言い聞かせてやる。「私が正義だ」と刻み込んでやる。


巳空は彼を見据えて、インターバルの終了を告げた。






「さぁ……第2ラウンドだ。」

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