64話『最終決戦のゴング』
《ガーネット》
「もうこんな時間か……そろそろ帰るわ。もうすぐでお前の母ちゃんも来るかもしんねぇからな。」
裕仁は病室に設置されている時計を一瞥すると、雪乃に言った。
気がつけば、もう夜の7時だ。
面会時間の終了の8時までもう少し時間はあるのだが、裕仁はもう帰ってしまうようだ。
それでも込み入った話をしていただけあって、彼がここに来てから二、三時間ほど経過していた。随分長いこと話していたものだと、自分自身でも驚いている。実際、雪乃はこの暗澹に満ち満ちた過去は生涯誰にも話さず、墓まで背負う覚悟でいた。決して御涙頂戴で軽く話せるような内容ではないからだ。だが、全く見ず知らずの第三者に秘密を暴露された挙句、彼女によって長らえた命を手放しかけた。
しかし、結果的に裕仁に話したおかげで重苦しかった雪乃の心は軽くなった。それでも、裕仁がこれから巳空と一人で戦わせる羽目になった責任という新たな重荷が加えて雪乃にのしかかった。
これで裕仁が命を落としてしまったとしよう。そうなるともう雪乃は自我を保てない。雪乃の行動で、信頼の置ける二人の親友を殺してしまうことになるのだ。幾ら雪乃が何度も修羅場を潜り抜けていようと、子供であることに変わりはない。他人より少しだけ強靭な精神を有していても、それももう既に限界を迎えている。今、雪乃の精神を支えているのはか細い蜘蛛の糸だ。何者かが手を払えば、簡単に切断されてしまう累卵の危うき状況だ。
……裕仁が帰ると言いだしてから、またナーバスな思考が雪乃の脳内を駆け巡った。
夜に、一人になるという不安。
自分の目の届かないところで、大切な誰かが死んでしまうのではないかという不安。
宝石を裕仁に預けた以上、もう後戻りはできない。このゲームの命運を、全て裕仁に託したも同然だ。能力を手放した雪乃に、もうどうすることも出来ない。雪乃は、不安げに裕仁を見つめる。
裕仁は雪乃の視線に気がつくと、鞄を手にとって優しく微笑んだ。
「……大丈夫だって。お前は何も心配せず、ただ寝てればいい。そうすれば、俺が大金持って自慢話しに来てやるよ。」
それだけ言い残すと、彼は「またな」と言って病室から出て行ってしまった。扉が閉まる隙間に見えた彼の振る手は、何処か寂しさを感じた。
彼は「さようなら」、「バイバイ」とは言わなかった。彼は「またな」と言い、雪乃とまた会う約束をするかのように口にした。これは彼なりの雪乃に対しての気配りだろう。不安にさせないように。生きて帰ってくることを宣言するかのように。
だが、手の振った彼が何処か遠くへ行ってしまうような気がしてならなかった。
その昔、手を振る……もとい袖を振るという行為は『タマフリ』と同じであった。『タマフリ』は『魂振り』と呼ばれ、神主が御幣を左右に振る儀式だった。それは神を呼び、場を清め、魂を奮い立たす効果があった。
何故それが、別れの際に用いられるようになったのか………。
それは古代の人々にとって、旅立ちとは“命懸け”であったからだ。旅立ったまま、帰ってこないという事は多々あった。だからこそ旅路に神のご加護があるように、旅人は大きく手を振り、願いを込めて『タマフリ』を行なったのだ。
「別れの際に手を振る」
それは自分にではなく、別れる相手への行為だったのだ。無事に帰還することを祈る思いが、その何気無い動作に含まれている。
……我ながら深く考えすぎであり、軌道を大きく離れた深読みだ。
しかし、裕仁も楽な戦いで帰ってくる事はないだろう。雪乃はただ、旅立つ者を心配しながら待つしかない。その点に関しては、『タマフリ』と大きく間違ってはいない。彼が手を振ったことによって、雪乃は裕仁の帰りを祈り、祈り、祈り続ける。呆れるほどの祈りの果てに、彼が生きて帰ってくると信じて。
雪乃は何気なく横を見ると、簡易テーブルの上に何かが置いてあった。それはよく見ると、裕仁が林檎を剥くのに使用したペティナイフが置きっ放しとなっていた。
もしナースに見つかれば一大事だ。
「あいつ………結局ナイフそのまま置いていきやがったのね……」
雪乃は溜息をついて、ナイフを手に取ると隠すように棚の中へ仕舞った。まぁ、1日程度ならバレないだろう。雪乃はベッドへ戻ると、布団を深く被って今日はもう寝ることにした。
起きていても、悪い考えしか思い浮かばないから……‥。
そんな時、雪乃はふと思い出した。
「あぁ……母さんが来るんだっけか……。」
今になって、どう接すればいいのか分からない。まずは心配かけたことを謝ったほうがいいのだろうか。それとも、何も知らないといった顔で被害者を演じればいいのだろうか。
まだまだ長い夜になりそうだな。
雪乃は不安感を多分に含んだ溜息を吐き出すと、そっと瞼を閉じた。
《ムーンストーン》
………巳空の行動は迅速であった。
もうゲームはエンディング間近だ。なのに、ここでセーブしてクリアを後回しにする子供がいるだろうか。いいや、いない。
巳空はなるべく、早期決着を望んでいた。
それならば、ただ待っているだけでは終わらない。此方から行動するのみだ。
夕方に二人の生徒から得た情報を元に、彼は終電で“上鳥越”へと向かった。時刻としては0時はとうに過ぎていた。電車の中も呑んだくれの中年男性が多く、巳空のような地味な若者はかなり浮いた存在だった。
そんな不快感が蔓延した最終電車から降りると、巳空は二の足を踏むことなく病院へと直行した。人気は無く、街灯の明かりも頼りない。きっと“宝石の力”という超自然的な能力を持っていなければ、一人では歩きたくない道だろう。
ただ、大通りに出ればそれなりに明かりはあった。少なからず車のヘッドライトが光の線描き、高層ビルの数室から淡い光が漏れている。そんな光源に導かれるように歩き続けて数十分。漸く巳空は病院へと辿り着いた。
夜間の緊急時にも対応している病院なだけあって、職員もまだ多く残っているようだ。しかし、日中に比べると医療スタッフが少ないのは確かだ。だからこそ、侵入するのは簡単だった。堂々と真正面から歩いて入り、お得意の“ムーンストーン”を発動させる。
“誰も通っていない”と勘違いさせればいいのだ。
あまりにも大勢の人間がいれば、その分多くの人から見られる。多くの人間に能力を行使するのも面倒極まりない。だからこそ、人数が少ないのは巳空にとって好都合だった。だが、姿を正面から見られてはこの勘違いはすぐに解除される。だから少しは柱を陰にして姿を隠す必要があるのが不便な点だった。
それでも、エントランスを抜ければ能力も不必要となる。廊下の電気は消されており、先は暗い闇に包まれている。そんな廊下を深夜に行き来する患者は殆どいない。ただ、巳空以外に誰もいないので、まるで肝試しをしているかのような気分だ。季節も夏であり、本物の病院なだけあって雰囲気もそれなりにある。
ただ、巳空には呑気に楽しんでいる暇はなかった。寧ろ、此処からが面倒な話だった。
巳空は、雪乃の病室を探さなければならなかった。
流石にどの病室に入院しているかまでは、あの二人に聞いても分からなかった。つまり巳空は雪乃がこの建物内の何処にいるのか全く知り得ないのだ。だから巳空は、全て自分の目で彼女を探す必要がある。巳空は一つ一つ病室のネームプレートを確認し、『嘉島雪乃』の名を探さねばならなかった。
だが、案外簡単にその名は見つかった。
単純な推理だ。
もし病院で襲撃を受けた際、彼らはどうするだろうか。もちろん、怪我を負った状態での戦闘は不可能。そうなると、残された道は逃走しかない。ならば、病室はなるべく避難経路に近い位置を希望するだろう………。雪乃もそれなりの重症だ。その希望も容易に通るだろう。
だから一度、その逆を考えた。
避難経路から最も遠い病室で、絶対に希望しないような病室……。前回の戦闘においても、巳空の推理の裏を攻める裕仁の事だ。今回だって巳空の考えの裏を実行しているかもしれない。
しかし、矢張りそれは有り得なかった。
命に関わる場合、優先すべきは命の存続だ。相手の思考の裏をかくなど二の次の行為だ。なるべく最短で逃げ出すことが可能であり、安全な経路がある位置。裕仁が本当に彼女の安全を考えているならば、その位置に彼女がいる。
そして、その考えは正しかった。
203号室
そのプレートの下に、『嘉島雪乃』の名が記されていた。
………ビンゴだ。
巳空は何とか無事に、目的の病室まで忍び込むことができた。巳空は躊躇する事なく、病室の扉にそっと手のひらをかける。その扉は思っていたよりも軽く、簡単に開くことができた。鍵はかかっていない。そもそも、個室の部屋は鍵をかけないことが常識となっている。だからこそ、巳空は容易に病室の扉を開けることに成功した。
扉を開くと、奥のベッドに髪の白い女性が無防備に寝ているのが見えた。月明かりに照らされ、その光景はやや幻想的にも感じる。まるで何かのおとぎ話を彷彿とさせるような美しさと共に、どこか泡沫のような儚さが彼女を包み込んでいた。手を伸ばせば触れられるが、すぐに消えてしまいそうな嫋やかな姿は、戦闘時に見た彼女とは全くの別人のような印象を受けた。巳空が思っていたよりも華奢で、整った顔立ちをしている。このような愛敬のある少女が常に前線で戦ってこれた事が、不思議でならなかった。
しかし、そんな事は巳空にとってどうでもいい事だ。あくまでも巳空の目的はさっさと宝石を回収する事であった。
恐らく奇襲にも対応可能なように、すぐに手の届く範囲に置いてあるのだろう。
そして、巳空が捜索を開始しようとしたその時、背後から突如男性の声がした。それは、ほんの数日前に初めて聞いた事ばかりの真新しい声だった。
「……よぉ。待ってたぜ」
唐突な呼びかけに、巳空は反射的に背後を振り返る。
そこに出現したのは、空間の裂け目だった、
その亀裂を両手で広げて現れたのは、このゲームのジョーカー的存在……藍浦裕仁だった。
「雪乃を餌に使うのには気が引けたが………おかげで大物が釣れたぜ。」
このゲームで唯一、無敗の巳空を楽しませてくれる男だ。絶対的王者として、最初から“宝石の能力”が優遇されている巳空に、唯一対抗しうる男だ。巳空は頰を緩めると、邪気に満ちた笑みを浮かべた。
「釣ったからには気をつけろよ……。逆に海に引きずり込まれねぇようにな………。」
対する裕仁も微笑むと、微塵も怯える様子を見せずに言った。
「場所を変えよう………。ここの裏手にいい空間があるんだ。多少騒いでも人が来ねぇような良いところだ。」
間違いない。彼はここで巳空との決着を望んでいる。今日この夜、彼は巳空を討つ気でいる。
楽しませてくれそうじゃないか………。
巳空の濁った目に、幸甚の光が宿る。
何もかもにやる気が起こらない巳空にとって、初めての感覚だった。作業だったこのゲームで、初めて心が踊る。彼ともう少し早く出会っていれば、この胸の高鳴る感覚をもっと早くに知る事ができたのかもしれない。
とにかく今の巳空は、最高の気分だった。
「いいだろう、乗ってやるよ。精々楽しませてくれよ……クソガキ。」
対して裕仁も空間を繋げながら、不敵な笑みを浮かべた。
「カッコつけてくれるじゃねーか。それで負けたら恥ずかしいぞ………根暗野郎。」
二人はそのまま、雪乃の病室から忽然と姿を消した。




