59話『二人だけのストーリー』
「………準備はいい?」
「……うん。」
闇夜に紛れるように黒いパーカーを羽織り、屋上で微風を浴びる女子の姿が二つ。夜特有の澄んだ風が、二人の髪を優しく撫でる。
その日は文句のつけようのない満月で、それを遮る雲の姿は一つもなかった。対して珍しくはないのだが、少し特別で贅沢な感覚が心を満たした。しかし、黒一色の奈落のようにも感じる空に、一つだけ浮かんだ輝く月。イレギュラーにも煌々と照る月桂を、少々不気味にも感じるとることが出来た。なんと表現すればいいのだろうか。筆舌に尽くしがたいと言えば大袈裟だが、そんな不吉な感覚もまたこの夜の雰囲気に溶け込んでいた。
それもその筈だ。
たった今から、二人の少女は初の“宝石略奪”を開始しようとしていたのだから。
雪乃は不安げに溜息を吐いた。
チャンスはたったの一回のみ。失敗は許されないのが雪乃が鬼胎を抱く原因だった。幾ら空を見上げても、沈痛な思いは降り注ぐように雪乃を虐める。
再び重苦しい溜息を吐き出し、雪乃は隣に立つ友絵の表情を確認した。きっと彼女も本番となると緊張していることだろう。
そう考えた雪乃の方が馬鹿だった。
変に思い悩む雪乃とは対照的に、友絵はとても楽しそうだった。
きっと彼女の表情から察するに、こう考えていることだろう。
“今から、私たちが主役のショーが始まる”
そんな事を考えていると、友絵は雪乃の目線に気づいたのか薄っすらと笑みを浮かべた。
「これから始まるんだよ。私達の“ストーリー”が。紡ぎ手も勿論。私達。」
やっぱり、そんな事を考えていたんだなと雪乃は苦笑した。ニュアンスは少し違えど、友絵の考える事は顔を見れば大体分かった。
友絵はフードを浅く被ると、気を引き締めるように呟いた。
「よし、そんじゃあ始めますか。」
雪乃達は、屋上から大通りを見渡した。雪乃の手には、百均で買ったような安っぽいオペラグラス。友絵の手のひらには、宝石が乗せられていた。その宝石が、ターゲットの接近を知らせてくれるセンサーとなる。雪乃は友絵のセンサーに引っかからぬよう、十分に距離を離して置いておいた。
今雪乃達がいる建物はそこまで高さはなく、下と上で宝石のセンサーが反応する事も二人で既に検証している。そして屋上は縦に長く、端と端ならば宝石が反応しない事も確かめてある。
つまり、この宝石が眩くのは敵が近づいた時のみ。もっと簡単に言えば、宝石が輝いた時が試合開始の合図だ。雪乃達は、ただ静かにその時を待つ。
雪乃はポケットに入れた小さなメモ帳と、シャープペンシルを執拗に指先で触っていた。緊張した時に、手に何かが触れていないとどうにも落ち着かない性格だった。それは最早癖になっているのだ。身近にそういった物がない時には髪に触れたり、パーカーの紐を指で摘んだりしてしまう。自分で分かっているのだが、染み付いてしまった癖というものはどうにも厄介で取り除くことが出来ないでいた。
その一方で友絵もまだかまだか、と言いたげに音楽プレイヤーで時間を確認していた。中学生で携帯を持っているのはごく少数であり、腕時計なんて便利な物も二人は持っていなかった。というよりかは、腕にずっと巻きついている感覚に、何とも言えない不思議な感じがしてならない。腕時計という存在は、手首に違和感を与えて落ち着かなくなる。そういった理由から、二人とも腕時計を毛嫌いしていた。
その所為で、時間を確認できる物といえば友絵の持つ音楽プレイヤーが唯一だった。
ここで少し、雪乃達が誰を狙っているかを説明しておこう。
彼女達の標的は、二十代であろう若い女性だった。
会社帰りの時刻だからか、必ずその女性は毎日同じ時間にこの通りを歩いている。髪は短め。身長は至って平均的であり、スタイルは悔しいがかなり良かった。顔も端正に整っており、友絵と同じようなボーイッシュな雰囲気が特徴的だった。しかしスーツを着用している所為か、やや大人らしいムードも漂わせる不思議な人物だ。
案外近くに宝石所持者がいた事に雪乃は驚いたが、友絵はそれを“運が良かった”と言った。
やはり彼女は楽天家すぎる。
“近くにいた”という事は、いつでも発見されて攻撃されていた可能性もあったという事だ。今の雪乃達のように。
そう考えると、雪乃は背筋が凍るような恐怖を感じた。よくこの準備期間を無事に過ごせたものだ。
毎度の事だが、友絵にはよく振り回されている。友絵は愉快かも知れないが、雪乃にとっては作戦が云々では無く、このゲーム自体が恐れの対象なのだ。
正直、今すぐにでも逃げ出したい。
ただ、「私達二人でこのゲームを優勝しよう」と自分から言いだした手前、退路は既に塞がれたも同然だった。
そして、そんな弱気な雪乃の逃げ道を更に封鎖するように、友絵は突如大声をあげた。
「……来た‼︎」
よく見なくとも分かる。
友絵の手に乗せられた宝石は鮮やかに、そして蠱惑的な輝きを放っていた。それは間違いなく、作戦開始のゴングが鳴った瞬間だった。
「準備よろしく!」
雪乃は慌てて屋上の隅に寄せておいた宝石を回収し、メモ帳とシャープペンシルを取り出した。メモ用紙を一枚乱雑に千切ると、其処に「透」という漢字を殴り書きした。その紙片を友絵に手渡すと、雪乃は遺憾無く宝石の力を発揮する。
友絵の姿はみるみると闇に溶け込み、遂には完全なインビジブルの存在となった。これこそ雪乃の持つ“宝石の力”、『漢字の一文字を力に変える』能力だ。「透」という文字の力を利用し、友絵はたった今“透明人間”になったのだ。
これは、二人が宝石所持者を捜索する際にも重宝した漢字だ。姿を消した状態で、一方的にプレイヤーを探すことができる。言わば反則のような能力だった。
「透」の文字を使用すれば、最早雪乃ですら友絵が何処に居るのか分からない。
ただ、離れていく彼女の陽気な声は雪乃の耳に届いた。
「それじゃ行ってくる! 作戦通りによろしく!」
それからすぐに屋上の扉が開き、階段を急ぎ足で駆け下りていく音が聞こえる。友絵は雪乃を置き去りにして、真っ先に走って行ってしまった。
まったく、自分勝手なんだから………。
そんな呟きを、雪乃は屋上に残して立ち去った。
・・・
雪乃は、標的である女性と一定の距離を保ったまま尾行を開始した。とは言っても、姿は無闇に隠さず、堂々と後ろを歩いていた。その女性も、まさか中学生の女子に後をつけられているとは思うまい。
当然、女性もまったく此方に気付く様子は無かった。人通りが多いという事も理由に挙げられるが、いちいち後ろを歩いている人の顔など確認しないだろう。まぁ、見られたところで何ら問題はないのだが。
そして雪乃は、宝石が共鳴し合う距離に足を踏み込んだ。
まず作戦の第一段階として、雪乃は彼女が何処に宝石をしまっているかを探す必要がある。ある程度の目星を付けなければ、本日の作戦は失敗に終わる。だから雪乃は、人混みに紛れて女性に接近を仕掛けた。
その結果、彼女のスーツのポケットからは宝石の光が伺えない。まさか持ち歩いてない訳ではないだろう。人違いという線もない。ならば恐らく、宝石の在り処は彼女の持つ鞄の中だ。
その女性は暫くすると、大通りから外れて狭い路地へ曲がった。そこは人気のない閑静な路地。殺風景で、錆びついた灰色がかった壁が続く、夜に通りたくない路地トップテンに入るような風景だった。
だが、今回は都合がいい。
この時より、作戦は第ニ段階を迎える。
女性は何か良いことでもあったのか、鼻歌を口遊みながらヒールの音を鳴らしていた。何だか申し訳ない感情が、雪乃に湧き上がってきた。雪乃は心の中で、今から可哀想な目に合う女性に謝罪の文を述べた。
すみません、今から襲わさせて頂きます。
突如その女性の前に、突如何かが視界を縦に過ぎった。その何かはそのまま女性の前に落下してくると、驚いた様子で口を大きく開けた。
「きゃあ!」
その何かとは、簡潔に言えば等身大の人形だった。
ただ、人形と呼ぶには見窄らしく、そして低クオリティだ。
それもその筈であり、その人形は雪乃と友絵がこの作戦を実行するにあたって、たった1日で用意した低コストの代物だからだ。
「やっぱり、やるからには楽しんだ方がいいでしょ!」と言いだした友絵が発端で、「ビックリしてもらうにはどうしたらいいかな?」と考えに考え抜いた結果がこの有り合わせの布で作った人の形をした何かだ。大量の綿に金を使いたくないという理由から、適当に余った布を詰めただけの薄っぺらい人形になってしまった。だが、突然その何かが弾けるように現れれば、誰だって驚くだろう。
こうして何とか、作戦の第ニ段階は成功した。
彼女は何が起こったかまるで分からず、思わず小さく悲鳴をあげた。その須臾にも感じれる隙が、雪乃に託された最後の仕事に必要となる。友絵の悪戯心によって与えられた絶好の機会を、みすみす逃すわけにはいかない。これより作戦は、最終段階に突入する。
瞬間、雪乃は考えるより先に前へ駆け出した。肘を伸ばし、彼女の肩から掛かった鞄に手を触れた。女性は迫ってきた雪乃の手に気気付くと、鞄の紐を強く握りしめて体を翻した。きっと、引ったくりか何かと思ったのだろう。どちらにせよ、宝石の入った鞄は、警戒心を剥き出しにした彼女によって固く守られる羽目となった。
だが、雪乃は“鞄に手を触れた”。
その時点で既に、勝敗は決していたのだ。
雪乃は彼女の前で立ち止まると、手に握ったものを軽く上へ放り投げた。まるで見せびらかすように、わざと相手に見えるように。
女性は投げられた物に視線を移すと、表情を一転させて驚愕の色を示した。次に彼女は、自分の鞄の中を漁り出した。大切なものを盗られたような形相で、必死に何かを探していた。
そう。女性の持つ宝石は、既に“雪乃の手の内”にあった。
これが、友絵の考えた「必勝の作戦」なのだ。
まず最初に、姿を消した友絵が標的に接近し、足元に小さくした人形を落として行く。
その小さくなった人形を足で触れた瞬間、 人形は大きさを取り戻して標的の前に飛び出すように現れる。標的の人物にとっては、まるで突然出現したように感じるだろう。
吃驚を利用して生まれた一瞬の隙を、雪乃は逃すことなく利用する。前以て掌に大きく「盗」と書いておき、宝石だけを能力で盗み出す。
一見完璧にも見えるが、やはりこの作戦には穴だらけだ。
標的が驚かなかったらどうする?
標的に気づかれてしまったらどうする?
そういった“もしも”の時の対応策が一つもない。まさに、ギリギリの綱渡りだ。
だが、今回は無事に上手くいったようだ。
なんだかんだ言って、初めてにしては上出来だった。
「これは、頂いていきますね。」
雪乃は彼女に一礼すると、事前に用意しておいた「透」の文字の力を発動させて彼女の前から姿を物理的に消した。
返してよと嘆く彼女の声は、雪乃に少し罪悪感を感じさせた。しかし、仕方がないことだ、と心の中で何度も言い訳をした。
・・・
「どお? 上手くいった?」
曩に決めておいた集合場所に着くと、待ちくたびれたと言わんばかりに寛ぐ友絵の姿があった。
「うん、何とかね。」
雪乃は友絵の前の椅子に座ると、ふと疑問に思ったことをそのまま口にした。
「というか、こんな場所でその話しても大丈夫なの?周りに人いっぱいいるけど………。」
友絵の決めた集合場所というのは、雪乃達の通う中学から最も近いファストフード店だった。すでに友絵の前には少し食べた形跡のあるバーガーとポテトが置かれており、ジュースにもストローが刺さっていた。
友絵が出番を終えた瞬間、雪乃は宝石を奪ってそのままここに向かって歩いてきた筈だ。
なのに、友絵はもう食料調達まで済ませている。そこまで時間に差は無かった筈なのだが。
流石に色々と早すぎでは、と突っ込みたくもなったが、雪乃は敢えて触れなかった。触れてしまうと色々と面倒な上に話が長くなる。
友絵は難しい表情を浮かべる雪乃を笑って、山盛りのポテトを摘むように促した。
「大丈夫、大丈夫。案外こういった場所の方が秘密話には打ってつけなのよ。」
雪乃は友絵の厚意に甘えて長めのポテトを口に運んだ。揚げたてなのか、非常に熱い。それでも絶妙な塩加減が、雪乃の舌の上に広がった。
雪乃は二本、三本と手をつけながら、友絵に早速本題に入るよう話しかけた。
「友絵、あれ出して。持ってるでしょ?」
友絵はこくりと頷くと、ポケットからナイロン袋を取り出した。その封を開けて、もう見慣れた小さな破片のようなものを机の上に転がした。
友絵はそれに、突くように軽く指を触れる。
すると大きさを取り戻して現れたのは、ゲーム開始時に配られたあの大きな説明冊子だった。
友絵はその説明書を手に取ると、後ろのページから指でパラパラと捲っていく。
そして捲る指を止めたページは、白紙が目立つ空欄のページだ。最初はメモ欄かと思ったが、説明書をよく読むとそうではないらしい。この白紙のページにはとある仕掛けがあった。
「それじゃあ、奪った宝石を貸して?」
雪乃は言われた通りに、友絵に宝石を手渡した。明るいところで見ると、その宝石の透明感をより味わうことができた。ただ美しさでいうならば、人工的な電灯の下ではなく月明かりを介した方がより綺麗だった。
友絵は宝石を受け取ると、冊子の空欄に目線を落とした。
すると、白紙だったはずのページにふわりと文字が浮かび上がり始める。どういう仕掛けなのかは全くもって分からないが、何か超常的な力が働いていることは分かった。異能なんて物がこの世にあるのだ。今更驚いたりはしない。
「……キタキタ!」
友絵は無邪気な声とともに笑みを浮かべた。浮かび上がりつつある文字の羅列は、徐々に二人にも読めるほど明瞭になっていく。水で滲んだような文字だったものが、次第に言葉になっていく光景には、少なからず心が踊った。
そして最後まで文字の顕現すると、二人は早速その文章に目を通し始めた。そこには、あの女性が所持していた宝石についての説明が長々と書かれていた。
【ムーンストーン】
別名『恋人たちの石』
モース硬度 6〜6.5
石言葉『愛、幸運』
6月の誕生石
その下には「月は女性の象徴であり、女性をサポートする力を持つ」事や、「大切な人へのプレゼントに最適である」、「自浄する力に優れている」など、様々な説明が連綿と続いている。友絵は途中で眉間を抑え、読了することを断念したようにジュースを啜った。
雪乃は次のページへと読み進めると、そこには“宝石の力”についての説明文があった。寧ろ、これだけが知れれば良かったのだ。
【ムーンストーン 固有の力】
『しりとりに応じて、物質を変換する』
手元に“林檎”があるとします。“りんご”の最後の“ご”の文字から始まる言葉を口にすると、林檎はその物質に変化します。
例えば、“りんご”→“ごま” だと、林檎は胡麻へと変わります。
しかし、生物に変化は出来ません。
つまり、“りんご”から“ごりら”への変化は不可能というわけです。
そして巨大過ぎるものや、曖昧な物にも変化は生じません。
“家”や“ビル”といった規模の物の変換は無効で、“気体”や“風”など実体を持たないものにも変化は起こりません。
あくまでも、物質から物質への変化のみとなります。
もし「ん」がついてしまった場合、それ以上その物質を変化させる事は出来ません。また違う素材を見つけて、お試しください。
「うぉっ! 何気に強い能力じゃん! 早速当たりを引いてしまった感があるぞ。」
先程まで興味なしと言いたげに食事に夢中だった友絵も、思わず飛びついてきた。友絵も異能の説明は知りたかったらしい。
確かに、この異能は使い勝手は悪いがそこそこ強力な異能である事に間違いない。何せしりとりが続く以上、好き勝手に物を変更することができるからだ。
例えば拾った“小石”を“白砂”に変え、そこから“スタングレネード”に変化させることができる。
小石などそこらに無限にある。つまり、無限にスタングレネードを生み出せる能力だ。いざとなれば、それなりの殺傷能力を持つ武器も作り出せる。
本当に強過ぎるくらいの異能だ。ゲームの序盤から、早速魔王を一撃で仕留められるような剣を手に入れたくらいの衝撃だ。
友絵もますますやる気になり、
「よっしゃ! これからもジャンジャンかき集めていくぞ!」
と周りの目を気にせずに声をあげた。周囲の目線が雪乃に刺さったが、雪乃も少々昂っていた所為か満面の笑みで同意した。
それから二人は、順調に宝石をかき集めた。
誰も殺さず、誰も傷つけず宝石だけを奪う。それがいつしか二人のモットーとなっていた。宝石はまるで思い通りのように手に入り、どんどんと使える異能も増えていく。『起こりうる可能性の確立を数値化する』能力や、『相手に「自分は無敵である」と思い込ませる』能力、『視界を遠くまで飛ばす』能力。とんだ外れ能力の数々だが、既に二人の手元には五つの宝石が揃っていた。
次は何の能力の宝石が手に入るのだろう。出来れば当たりがいいな。いつしか二人は、ガチャガチャのように宝石集めを楽しんでいた。
それ程までに、計画は順調だった。
一切の狂いなく、完璧に物事は進んでいた。
ーーーあの男と出会うまでは。




