56話『嘘のような奇跡』
ーーー目を瞑ってから、どれ程の時間が経過しただろうか。
まだ、私の命を削ろうとする牙は届かない。
まだ、私の命を消し去らんとする爪は届かない。
痛みは未だ伝わらず、ただ久遠にまだか、まだかとその時を待ち続ける。
目を固く閉ざし、歯をくいしばるようにしてただ只管にその時を待ち続ける。
一層の事、早く楽にしてくれ。
だが、死にたくはない。
そういった複雑な感情が糸のように絡み合っていく。これが、人が死を直感した瞬間なのだろうか。これが、死の直前に心中を整理するために与えられたモラトリアムなのだろうか。
不本意だが、もう気持ちの整理は済んでいる。思い残すことは多々あるが、もう諦めた。
なのに、まだその時は来ない。
これ以上は気が狂いそうだ。
そんな時、ふと、私の耳に声が届いた。
ーーーいつまで目を閉じているんだ?
その声は、聞いた事のある声だ。
澄んでいて、透明感のある爽やかな男性の声だ。
続いて、次は女性の声がする。
それもまた、私にとって心地のいい声だ。
ーーーもう怖くないわ。目を開けてごらん?
私は、その声に促されるまま、ゆっくりと瞼を持ち上げた。するとどうだろう。私の目の前に、二人の人影があった。それは私が心待ちにしていた人達だ。それは私をいつも助けてくれるヒーローのような人達だ。
その内の一人が、微笑みを浮かべて私に顔を向ける。そして、優しい声でこう言った。
「ーーー悪い、待たせたな。」
瞬間、私の目には涙が溜まっていくのが分かった。同時に、心を強く締め付けるような枷が一気に解き放たれたのが分かった。
あぁ、と私は心の中で感嘆を漏らした。
ーーー奇跡って、存在するんだ。
《サファイア》
「裕仁! 雪乃!」
見間違えるはずもない。海音の目の前に立つ二つの人影は、紛れもなく裕仁と雪乃だった。これこそ、正に奇跡と呼べるだろう。海音は確実に死を予感した。だが、いつまで経っても巳空の攻撃は海音に届かなかった。
それもそのはず。巳空の拳を、裕仁は正面から受け止めていたのだ。“ダイヤモンド”の“硬度を操る異能”によって、裕仁は巳空の攻撃を抑え切ったのだろう。そして裕仁は血を流して倒れる涼太に目線を移す。すると裕仁は、巳空の拳を握る手に更に力を込めて言い放った。
「なに俺の仲間に手ェ出してんだよ。」
「ーーへぇ。格好いい再登場じゃないか。」
巳空は揶揄する様に笑うと、裕仁に掴まれる拳を力尽くで開いていく。裕仁の握力を押しのける様に少しずつ、少しずつ巳空は指を伸ばす。まるで力量の差を誇示するかの様に。まるで私には敵わないと言いたげに。
遂には裕仁の手から逃れ、巳空は余裕の笑みを浮かべる。その笑みは海音達に対して、何人束になったとしても勝てないと主張している気がした。敗北。その二文字をただの表情だけで海音に植えつけてくる。人を見下す様な彼の破顔は、言うなれば“強者の笑み”だった。
ただ、その点に関しては裕仁も同じだった。
「……何を笑ってるんだ? 何かいい事でもあったのか?」
巳空も顔に邪悪に満ちた微笑みを貼り付けながら、裕仁に問うた。その問いに裕仁は、含み笑いを浮かべて答える。
「………いや、“これから起こる出来事”を想像すると、ちょっと面白くてな。」
それを聞くと、巳空は鼻で笑って言い返す。
「お前らが全滅する姿か?」
裕仁は一頻り笑うと、勝利を確信した様な笑みを浮かべた。その裕仁の表情に巳空は、彼が何か楽しませてくれるのではないか、と期待を込めた眼差しを向けた。退屈そうな濁った瞳は、珍しく光を取り戻した様に裕仁を見つめている。「さぁ、楽しませろと」目が語りかけている。それに答えるように、裕仁は口を開いた。
「………かもしれねぇなぁ。」
ただ、と裕仁は言葉を繋げた。
その際、裕仁は巳空を力強く睨みつけた。一瞬にして彼らを包み込む空気が、張り詰めるような気がした。
「ーーーこれだけは言っておく………。俺はお前に“触った”。」
そう裕仁が言い終えると、巳空は驚異的な速度で後方へと吹き飛んでいくのが見えた。まるで大砲から発射された砲丸のように、アスファルトの隙間にある砂利を巻き上げながら素飛ぶ。秒も満たぬ間に、巳空の姿は遥か遠くへと離れていく。あの速度だと、一つ二つの建物なら貫いて飛んで行きそうだった。
それでも裕仁はやや焦ったように、雪乃や海音に意見を求めた。
「……どうする⁉︎ ここで戦うか? それとも逃げるか?」
そう聞かれた時、海音は真っ先に裕仁に提案した。
「涼太にーちゃんは宝石を盗られただけで、まだ生きてる‼︎ でも、すぐに病院に行かないと本当に死んじゃう!」
そう。涼太にはまだ息がある。
だが、息絶えるのは時間の問題だ。直ぐにでも病院へ連れて行かなければ彼は死ぬ。
ただ、気がかりなのが奪われたままの“宝石”の存在だ。涼太の持つ“エメラルド”が巳空の手に渡ってしまった。その事実が海音達の判断を鈍らせていた。それほどまでに、“エメラルド”の異能は強力だったのだ。
それでも海音は、“宝石”よりも“命”を優先したかった。
長考している時間はない。
いつ巳空が戻ってくるかも分からない。
その事を裕仁も雪乃もよく分かっている。
だからこそ、海音も急かすような真似はしなかった。
それから直ぐに、裕仁と雪乃は意を決したようにして言った。
「ーーそれじゃあ、涼太を連れて逃げるぞ!」
「瀬良君を直ぐに病院へ連れて行きましょう!」
海音は勿論、大賛成した。
裕仁は直ぐに涼太を担ぎ上げると、その場にワープホールを作り出した。取り敢えず、最大の25メートル先に出口を作ってくれたようだ。海音や雪乃は、時を移さず飛び込んだ。
逃走の途中、裕仁は顔を引きつらせて力なく声を漏らした。
「……まじで怖かった。」
その何とも情けない言動に、雪乃は眉を傾げて笑う。
「何? あのクソ腹立つ笑みは演技だったの?」
溜息を漏らしながら、裕仁は心情をどんどん吐露していく。助けてくれたカッコいいヒーローという像を自ら打ち砕いていくように、裕仁の愚痴は止まらなかった。
「そりゃそうだろ。あんな一目見りゃ“ヤバイ”って分かる奴を前にしてどうしろってんだ。何しでかしてくるかも分かんねぇしよ…………! でも、弱みを見せて彼奴に舐められたら終わりだ。せめて表情だけでも強気でいかねぇとって思ったんだ。」
それでも裕仁は、戦闘の渦中に飛び込んで海音を守ってくれた。一体彼に何回感謝すれば良いのだろうか。彼がどれだけ弱音を吐こうが、愚痴を溢そうが海音の中で彼の英雄像は崩れることはなかった。
そして裕仁は新たな穿孔を空間に創造した。
この調子で行けば、容易に逃走は成功するだろう。心なしか、彼らの表情にも安堵の色が見えていた。
しかし突如、闇夜を劈く発砲音が耳に届いた。それと同時に、海音の隣を走っていた雪乃が倒れ込んだ。それはただ、躓いて転んだだけではない事を、海音はすぐに悟った。まず、倒れ方が異常だった。まるで後ろから強い衝撃を受けたように頭部が仰け反り、胴体だけが前へ進もうとしていたのだ。そのまま衝撃に従順に、雪乃は前のめりとなって地面へ飛び込んだ。
その異様な光景に、海音は理解が追いつかなかった。瞬間的に熱せられた海音の脳は、無意識のうちに雪乃へと目を向けさせるように信号を送る。そして海音は、逆らう事なく雪乃へと目線を移した。
倒れ込んだ雪乃は、腰あたりの横腹を抑えて悶えていた。どうやら直撃は免れたものの、空気の銃弾が掠ってしまったようだ。それでもこの威力だ。彼女の傷口を押さえる指先からは、血が溢れるように流れ出している。見るからに重症だ。
「ーーーっ!」
「雪乃っ‼︎」
裕仁と海音が駆け寄ろうとすると、遠くから独り言を漏らしながら腰に左手を当てた巳空が歩いてくるのが見えた。片目を瞑り、右の人差し指の先を此方に向けながら街灯の少ない路地から姿を現した。
「意外と扱いが難しいな……。心臓部を狙ったつもりだったが……。」
その技は、涼太の持つ“エメラルド”……“擬音を操る能力”による指銃だった。
何が何でも速すぎる。
まだ巳空を吹き飛ばし、逃遁を始めてから1、2分程度しか経っていない。裕仁の異能をまともに喰らったにも拘らず、巳空はもう海音達に追いついたのだ。
「ーーーてめぇ、どういう仕掛けだ?」
それ以外にも解せない点がある。
“どうしてこの短時間で裕仁達を見つけたのか”という点だ。
少なくとも、裕仁は直線的に逃げてはいない。この25メートルという範囲を最大限に活用し、様々な方角にワープホールの出口を設けた。確かにまだそれほど移動していない、という点もある。それにしても、速すぎるのだ。
巳空は気分を害すような不気味な笑みを浮かべながら、裕仁の問いに答えるように語り始めた。
「……いやぁ、“この異能”は便利だ。“ピタリ”と擬音を言えば、本当に動きが止まったよ。君が逃走を始めてからすぐに私は君の異能から逃れたよ。」
なるほど、と海音は眉をひそめた。
それならばこの速さにも納得がいく。
「それからは簡単だ。お前達がそう遠くまで一気に移動することができないことは分かり切っている。だから私は屋上を伝うように移動し、上からお前達の姿を探った。有難いことに、私の“宝石”を使えば“視力”も良くなるんだ…………それでも案外速くに見つかって良かったよ。」
余裕の表れか、巳空はいつだって自分の手の内を明かす。それも特に飾ることなく、淡々とタネを説明する。矢張りこの男の本気は底知れない。彼はきっと………いや、絶対にまだ“遊んでいる”状態だ。巳空の持つ“勘違いさせる異能”を使っていないことが、それを顕著に表していた。ただの戯れで、既に二人も重症を負ってしまった。流石に予想外だ。
海音は裕仁をちらりと見る。
彼もまた、じっと巳空を目線で捉えていた。
しかし海音は、裕仁の手が小刻みに揺れているのを目撃した。彼は親指を後方に向け、後ろに小さく手を振っている。それは変わらず、奔逸を続行するという意味だろう。海音はそっと素早く後方を確認した。すると後ろには、まだ建物の灯りが見えた。それはどうやらコンビニエンスストアのようだ。裕仁はそこに逃げ込む、と合図しているようだ。
「すまねぇな……。海音、少しの間だけ頑張ってくれ。」
裕仁は海音だけに聞こえるように、とても小さな声で呟いた。
そうだ。海音が頑張らないと、ここで全滅だ。自分に強く言い聞かせながら、海音は雪乃を担ぎ上げる。女性とはいえ、相手は高校生。大人と対して変わらない体格を中学生である海音が背負うとなると中々大変なものがある。
それでも海音は、自らを奮い立たせて走り出す。
雪乃も咄嗟に傷口を“繋いで”出血を抑えたようだ。だが、それもやはり応急処置程度に変わりない。扱いとしては、一応グレイズとは言え“銃創”だ。命に別状がないとしても、直ぐにでも病院で診てもらう方がいいだろう。
だが当然、逃げようとする海音達を巳空が逃す筈もない。
だから海音はここで、大きく“角度”を変更させた。まず最初に、巳空の足元の角度を90度下に傾けた。全円分度器で言えば270度だ。直角に変更された足元に巳空は立っていることができる筈もなく、落下を始める。
その隙に、自分たちのいる足場も90度に変更させる。海音は裕仁と共に、コンビニに向かって落下を始めた。だが、何度も口説いようだが角度の急激な変更な長く持たない。徐々に角度は元へと戻り始める。
「あのコンビニへ入るぞ! そうすれば逃げ切れる‼︎」
確信するように、裕仁はそう断言した。海音も今はその言葉を信じるしかなかった。巳空が落下している間に、逃げ込めば勝ちだ。時間稼ぎとしては不安だが、海音にはこうするしか思いつかなかった。落下程度では巳空は直ぐに戻ってくる。涼太の“エメラルド”を所持しているのだ。先ほど同様に彼が「ピタリ」といえば落下は止まる。「バサバサ」といえば翼を生やして容易に戻ってこられる。
振り返っている暇はない。
一つのゴールにめがけて、海音は飛び込むしかないのだ。
ただもう一つ、不安な点があった。
この速度で落下し続けると自動ドアに衝突してしまう可能性があった。
最近の自動ドアは赤外線などによる『光線センサー』が主流だ。だが幾ら優秀な機能だといっても、扉の開く時間という物がある。ただの駆け込みですら危険だというのに、この落下速度でコンビニへ向かうと必ず自動ドアに衝突するだろう。
海音は不安げに裕仁をちらりと見る。
すると裕仁は優しげな笑みを投げかけ、海音に感謝の言葉を述べた。
「……ありがとう。海音のおかげでなんとか間に合いそうだ。」
そう言うと、裕仁は落下途中の空間に穴隙を作り出した。角度は少しずつ戻り始め、そろそろ地面に足が着きそうになっていく。海音は少し不安になり、上を見上げた。
するとやっぱりと言うべきか、当たり前と言うべきか………。まだ小さいが巳空の姿を確認できた。
だが、海音達が裕仁のワープホールに飛び込む方が速かった。
「……一度、“運動をリセット”する。」
裕仁の作った穴に飛び込むと、そのまま飛び出た先はコンビニのドア付近だった。だが不思議と、その落下速度は遅くなっていた。裕仁の“運動を操作する異能”による効果だろう。それに加えて、裕仁の持つその力には“機械のアップグレード”と言うものがあるらしい。裕仁は出口から落ちつつも真っ先に腕を伸ばして自動ドアに触れた。そのおかげか、「センサーが反応してドアが開く」という動作が非常に速く、海音達は何とか衝突を免れて店内へ飛び込んだ。それまでに何とか角度も戻ったらしく、海音達はレジ前の床に転がり込んだ。
「うおおぉぉぉ⁉︎」
恐らくバイトの店員はだろうか。若い男性の店員は、思わず驚きの声をあげた。
そりゃそうだ、と海音は思った。血塗れの怪我人二人を連れて、まるで降ってくるように飛び込んできたのだから。
だが、店員には悪いが構っている暇がなかった。こちらもそれどころではないからだ。
海音は焦燥に駆られながら、裕仁に言った。
「……移動できてないよ⁉︎ 私達はただドアを開けて中に入っただけ‼︎ すぐにアイツに追いつかれちゃうよ⁉︎」
そう。ワープしていないのだ。
海音はこのドアに飛び込めば、どこか別の地点に繋がるとばかり思っていた。だが、飛びこんだ先はコンビニのままだ。
海音はガラスドアを通して、巳空が追ってきている事を確認する。彼は確かにそこにいた。引き離していた筈の距離を、ものの数秒で0に縮めてくる。そして彼はすぐにドアの元へと辿り着いた。そこからは突っ込むこと無く、彼はゆっくりと歩いて自動ドアを開けさせる。
「入ってくる‼︎」
海音は危機を叫んだ。
なのに、裕仁は落ち着いた様子で地面に腰を下ろしていた。それどころか、驚いた店員に「気にしないでください」などと会話している。裕仁は何を考えているのだろうか。
たとえ店員や客という一目があったとしても、巳空は平気で人を殺める。彼奴はそんなに生温くはないのだ。裕仁だってそれはよく分かっている筈だ。なのに裕仁は余裕綽々と座っている。
そして、自動ドアは巳空に反応して開かれる…………。
だが、様子がおかしかった。その不可思議さは一目瞭然だった。
「………誰も………いない?」
ドアは開いた。
だが、そこに巳空はおろか誰も立っていなかった。まるで怪奇現象のように、センサーが勝手に反応してドアが開いたみたいだった。
海音は裕仁が落ち着いた様子で座っていた理由が分かった。
「俺達が“このドアを通して移動した”んじゃない………。アイツを“このドアを利用して遠くへ飛ばした”んだ。」
コンビニの店員が、「救急車を呼ぼうか」と裕仁達に話しかけてくれる。海音は呼んでもらった方がいい、と言いたかったが、裕仁はその話を直ぐに断った。
「………どうして?」
海音はその理由を裕仁に聞いた。直ぐにでも病院へ向かわないと彼らの命は危ない。ここで救急車を呼ぶことを断る理由なんてない筈だ。
すると裕仁は、意味不明な質問を投げかけてきた。
「海音は50メートル何秒だ?」
突然の問掛に、海音は不思議そうな表情を浮かべる。困惑しながらも、正直に返答した。
「……8秒だけど。」
「そうか、ちなみに俺は6秒代だ。」
海音は少し溜息をつくと、裕仁に膨れて言った。
「………自慢?」
「いや、そうじゃない。もし仮に巳空とこの地点が直線だったとしたら………彼奴は50メートルの半分、25メートルを約3秒で駆けてくる。更に“宝石の力”を使うと彼奴は1秒もかからずに帰ってくる。」
海音は質問の意味を理解した上、更に絶望的な状況にある事も理解した。救急車を呼んでから来るまでの平均時間は6分と言われている。待っている時間がないことなど灼然たる事実だ。
「そんなの……本当に逃げ切れるの?」
裕仁は涼太を背負いあげると、海音にも移動するように促した。
「………だから、取り敢えずこの場を離れるぞ。」
「もちろん、アイツとは反対側に逃げるんだよね?」
すると裕仁は吹っ切れたように笑うと、
「これから考える。」
と屈託無く言った。
店員にはここで起こった事を内密に、と口約束を交わした後、裕仁はコンビニのトイレの扉に駆け込んだ。海音も遅れる事なく、雪乃を連れてその扉の枠をくぐり抜けた。
その先は何処かのカフェのように、木造で、落ち着いた雰囲気の店内だった。だが言わずもがな閉店後で電気も全て消えており、客も店員も誰もいなかった。
「……で、これからどうするの?」
海音は改めて、裕仁に逃奔の方法を聞いた。
「いいや………。どうしようか。」
何を迷う必要があるのか、と海音は難しく考えないで、簡単に「彼奴と反対方向に逃げればいいんじゃないの?」と言う。
だが、それではダメだと裕仁は自分の考えを話し始めた。
「巳空がまず最初に思いつく可能性が、“俺達が反対側に逃げる”という事。その次にアイツは必ず、“俺達が裏をかいて同じ方向に飛ぶ”という可能性を考慮する。」
だから俺達は“横へ逸れるように飛ぶ”のが一番良い。
裕仁はこの結論を先に述べた。
結論が出ているのならば、尚更何に悩んでいたのだろうか。海音は裕仁に早速それに準じて逃走する事を提案しようとする。
「それじゃあ………。」
しかし、裕仁は海音の言動を途中で遮った。
「いや……ここまではきっと、アイツの“想定内”だと思う。」
ここから更にどうするか……。
それがきっと必要なのだろう。
暫く………とは言っても30秒程なのだが、思慮していた裕仁は、漸く思考を纏めたようで「よし。」と口にした。
「で、どうするの?」
海音は早速、裕仁にこれからどうすべきかを聞く。裕仁はこれが一番安全な策だ、と前置きをして海音に簡潔に言った。
「“俺達は大きく距離を飛ぶ事を止める”。少しずつ、そして四方八方にこの“扉”を経由して室内や地下を移動する。それが最善策だ。」
確かにそれなら上空から見られる心配もなく、海音達の居場所も容易に目星をつけられる心配もない。逃走経路としては最大級に安全だ。
それでも気は抜けない。いつ彼と鉢合わせするか分からない。
でも、恐らく今夜はもう会うことはないだろう。だが、いつまた彼が海音達に襲いかかるか分からない。暫くは安心して眠れない日が続くだろう。
ーーーこのゲームも“ラスボス”という彼を残し、佳境に足を踏み入れている。だがこのゲームでの難点は、“現実である”という所だ。死んでも生き返るというのなら何度でもあの男に立ち向かおう。だが、現実では一度死ねば人生は終了なのだ。そんなものは分かりきっている。だから海音は、二度とあの男の前に立ちたくはなかった。
それに、謎はまだ色々ある。何処のイカれた野郎がこのゲームを開催したのか。そもそもどうやってこのような“宝石”を生み出したのか。
だが、そんな事をいくら考えても海音に分かるはずもない。とにかく今は焦らず落ちついて逃散し、病院へ向かう事だけを考えればいい。
「………なるべくここから離れた、夜間でもやってる病院って何処だろ?」
「さぁ………? 落ち着いたら後で調べてみるよ。」
そう会話しながら、裕仁達はゆっくりと音を立てて扉を開いた。




