表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
55/84

54話『切なる想いはいつも届かず』



挿絵(By みてみん)



《エメラルド》



巳空は腕から垂れ落ちる血を親指で拭うと、暫くそれを眺めた後に指で磨り潰した。そして、まるで痛くも痒くもないと言いたげに口角を上げる。


痛くない筈はない。

何せ浅いとはいえ、数カ所を突き刺したのだ。必ず痛覚はある。ただのやせ我慢に違いない。


涼太がそう思った矢先、巳空の傷口はみるみると塞がっていく。訳がわからない。涼太の思考は、彼の異常な治癒力によって奪われてしまう。そうして気がつけば、先程まで流血していた事すらも嘘のように、巳空の傷は完治していた。涼太が与えた傷は、痕すら残さず綺麗に消え去ってしまっていた。



「………化け物かよ。」



涼太は思わず、そう口にした。


傷が癒える速度が尋常ではない。これも奴の持つ宝石の力なのだろうか。いや、そうでなければ説明がつかない。身体能力もそうだが、全てにおいて奴は人間という生物の機能を逸脱している。これが宝石の力でなければ、一体何だと言うのだろうか。



巳空の持つ“宝石の力”は、少年漫画にもよくあるポピュラーな能力だろう。“身体能力の強化”ーーーこれ程単純で威力の高い能力はない。人間としての限界を上回り、驚異的な力をいとも容易く振りかざす。その様は正に暴君……暴力の権化だ。


その膂力は岩山を砕き、その脚力は摩天楼をも鳥瞰するほどの飛躍力を有する。控えめに言っても“化け物”だった。



ーーー漫画と全く同じだ。



目の前にいる男は細く、脆い。

にもかかわらず彼は一振りの拳でコンクリートを砕き、助走もなくビルをも飛び越えてきた。


そして今、彼に与えた傷口はものの数秒で塞がった。更に、そこにプラスで精神攻撃も加えてくるときた。



………こんな奴にどうやって勝てば良いんだよ。



涼太の頭には、そんな負の感情が芽生え始めていた。だが、“絶対に誰も死なせない”と決意したのはつい先程だ。涼太の心はまだ完全には折れていなかった。




涼太は自身を鼓舞するように声を張り上げると、巳空に向かって正面から飛び込んだ。策などない。と言うよりかは、策など弄しても巳空には通じないと分かっていたから考えていない。自分はそういった頭脳を使う戦い方は向いていないのだ。だから涼太は、何も考えずに前進した。


寧ろ、その方がずっと動きやすかった。何も考えず、相手を倒すことだけを念頭に置く。まるで高校時代に何度も経験した“喧嘩”と同じだった。



巳空はその様を滑稽だと笑うと、その場から動かずに涼太を待ち構える。




「ーー“ゾロゾロ”」




涼太は走りながら、短くそう呟いた。

すると涼太が分身したように、一人、また一人と涼太が増えていく。次第にその数は十数、数十と数を増やし、怒濤の波となって巳空に襲いかかった。



だが、巳空は冷静だった。


巳空はその大軍には目もくれず、軽く地面を殴りつける。その行動に涼太は理解を放棄した。だが、すぐに思い知ることになる。



巳空が殴打したことにより、ビルの屋上に大きく亀裂が走り、あろうことか幾数の瓦礫が涼太目掛けて飛来した。ぞろぞろと歩みを進める涼太達に、ビルの破片は容赦なく猛追した。ただの分身体である涼太にそれを躱すほどの余裕はなく、命中すればする程その数は搔き消えるように減少していった。


あっという間に涼太の分身は数える程度になり、巳空は首を鳴らしながら近づいてくる。


だが巳空が足を置いた場所は、運が悪かったのか音を立てて崩れた。脆くなっていた所を踏んだ所為か、足元の床が崩れ落ちてしまったのだ。しかし、それは巳空が屋上に亀裂を走らせた事だけが原因ではなかった。



「ーー“ボロボロ”」



涼太は、巳空の足元を予め腐敗させておいたのだ。そのお陰で、巳空は落ちまいと前傾姿勢となり手を地面に着いた。


巳空が体勢を崩した隙に、涼太はすぐに攻撃に移る。たが、巳空は地面につけた片手で体をふわりと持ち上げると、すぐに体勢を立て直した。その瞬間、その勢いを利用して巳空は接近していた涼太に思い切り回し蹴りを繰り出した。


涼太は急いで防御の為に腕を固める。



「“ガチガチ”」



だが、その重みは他の人とまるで違った。

どれだけ自身の体を硬化させようとも、その威力は芯にまで響いてくる。


綴木絢成……巳空の蹴りは、彼と同じような威力を誇っていた。今ならば分かる。この男は、彼を殺して宝石を奪い取ったのだろう。あいつが負ける絵は想像できないが、そうとしか考えられない。


その威力に押し負けた涼太は、自分の体が宙に浮かんでいることに気が付いた。


次に理解したのは、眼に映る景色が流れるように移動しているという事だ。それは、涼太が吹き飛ばされている事を意味していた。


そして最後に感じたのは、途轍もない痛みだった。何かに衝突するような……背を思い切り叩きつけられるような。そんな強烈で痛烈な衝撃が涼太を襲った。





……どうやら、涼太は大通りを挟んだ向かい側のビルの壁に衝突したようだ。運がいいのか悪いのか、壁にやや減り込む形で止まったので落下することはなかった。


ゆっくりと自身の足元を見下げると、今いる場所はかなりの高さがあった。


ーー落ちてたら死んでいただろうな。


涼太はここから落ちた時の想像をしてしまい、少し寒気を覚える。


だが、問題はそこではなかった。


そうしている内にも、巳空は向かい側のビルから飛び出そうとしている。



「おいおい……マジかよ。」



涼太がそう呟く間に、巳空は拳を構えて目の前にまで接近していた。あまりにも速すぎる。ほんの一回、瞬きをした程度のこの一瞬で、巳空は今涼太の目の前にいる。


涼太は早口で何かを呟くと、掌を見せる形で巳空の前に片腕を上げた。



「……これ以上近づいてみろ。テメェの脳天に風穴開けてやる!」



「……ハッタリだな。」



巳空は一瞬だけ動きを止めたが、すぐに拳を振りかぶった。しかし、涼太にとってはその一瞬で十分だった。



「あぁ。ハッタリだとも。」



挿絵(By みてみん)


涼太がニヤリと笑った瞬間、巳空の拳が爆音を轟かせて炸裂した。ビル壁は盛大に砕け、岩塊となって飛び散った。瓦礫の数々は地に降り注ぎ、まるで爆発したかのように煙が舞い上がる。幸い下に通行人はいなかったが、もし誰かが歩いていたならば確実に負傷していただろう。本当に、良かった。



ーーー俺にも怪我がなくって。



巳空の一撃で破壊された事によって、ビルの壁は取り払われて内側が露わとなった。だが、そこに涼太の姿はなかった。





「ーー“バサバサ”」





涼太は背から翼を生やし、巳空の攻撃を既に飛翔して躱していた。天使の如く澄んだ純白の翼は、この暗い夜をも跳ね除けて存在感を放っている。その白い羽根が舞うと同時に、巳空の真上に飛んだ涼太は足を振り下ろした。



「落ちろ。」



これまた予想外と言ったような表情で、巳空は蹴りを避けようともせずにまともに喰らう。そして抗う事なく、そのまま垂直に落下していった。


流石に奴とは言えど、この高さから地に叩きつけられれば無事というわけにはいかない。死には至らないかもしれないが、それなりのダメージを負うことになるだろう。


しかし、そのような考えは浅はかだった。


巳空は恐ろしい速度で地面に叩きつけられたかと思うと、まるでトランポリンのように跳ね返ってきたのだ。このビルの高さまで、いや、それ以上の高度を超える勢いで帰ってきたのだ。



「なんだと……っ⁉︎」



完全に想定外の出来事に、涼太は巳空の接近を許してしまう。気がついた時には、彼は既に目の前にいた。そして何も出来ず、そのまま重量感のある蹴りを防ぐ事なく腹部に受けた。




「ーーーっ!」



涼太の口から、声にならない苦悶の声が溢れた。衝撃が身体全身に伝わり、肺から全ての空気が吐き出されたように一瞬呼吸が止まる。痛いと言うより苦しい。突き刺さるような鋭い痛みは一瞬で、その後はずっと打ち付けられるような鈍い痛みが涼太の腹部を襲い続ける。


巳空はそのまま蹴り抜くと、涼太を空高く打ち上げた。ただ、浮き上がる前に涼太の手は巳空によって捕まえられた。それからの巳空の行動は容易に想像出来る。ただ、涼太に防ぎようはなかった。


巳空はハンマー投げの要領で涼太を空中で振り回し始めると、そこそこ勢いがついた辺りでアスファルトに目掛けてぶん投げた。



「落ちろ。」



巳空は先程の涼太の言葉をそのまま返した。

涼太は猛風を浴びながら、凄まじい速度で落下していく。このままでは衝突してしまう。



そう考えた涼太は、再び大きく翼を広げた。



そうして落下の速度に抵抗を続けること数秒、涼太は何とか地面との衝突を紙一重で免れた。だが、巳空の攻撃は重く、着実に涼太の枷となっている。体の節々が痛く、口内も切れているのか血の味がする。


涼太はくるりと回ると地面に降り立つと、両手を上空にいる巳空に向けた。


勿論、巳空もずっと宙に浮かんでいられる訳はない。確実に、そして着実に彼も落下を始めている。


狙うなら今しかない。




「ーー“メラメラ”」




小さく唱えると、涼太の手元に渦巻くように燃え盛る炎が現れた。その焔は掌で増幅すると、一気に放出された。遠距離型の火炎放射器だ。


瞬く間に火炎は空を包み、巳空など見えなくなるほど広範囲に渡って広がった。街の影は美しいほど赤く映る。その神々しい炎は、完全に巳空を捉えた。空中での回避は不可能。 逃れる方法など万に一つもない。百パーセント。最早確実に、巳空は炎に呑み込まれたのだ。



たちまち豪火は晴れると、巳空の姿はそこにはなかった。燃え尽きたのか、灰になったのか……。


それは定かではないが、回避する方法がない以上涼太は勝ちを確信した。


何せ、状況が“完璧”だったからだ。


巳空の敗因は、涼太を相手に空中戦を挑んだ事だ。この擬音の異能……“エメラルド”によって翼を扱える涼太に比べ、巳空は身体能力を高めることしかできない。当然、空中での動きは人並みに不自由だろう。人間は空を飛ぶことはできない。どう足掻こうとも、その前提をひっくり返す事はーーー涼太を除いてーーー出来ない。彼に許されたのは、そのまま落下する事だけだ。動く方向が分かっている的を外すほど、涼太のエイムは鈍ってはいない。それでも念には念を入れ、広範囲に焔を放出した。当然、外す筈がなかった。



涼太はふっと力を抜くと、思い切り咳き込んだ。緊張が途切れた所為か、痛みが堰を切ったように押し寄せ、呼吸も酷くなっていく。涼太は耐えきれずに膝に手をつき、今にも崩れ落ちそうになる。だが涼太は倒れまいと足に力を入れて、何とか顔を上げた。


そんな時、涼太の目線に何かが風に踊るように舞い落ちてきた。ひらひらと舞う物はどうやら、何かの布のようなものだ。その黒い影はゆっくりと落下を続け、次第に街灯の光の下へと潜り込んだ。まるでスポットライトに当たったかのように、黒い影はその正体を涼太に見せた。


その布の正体は、パーカーだった。


それも、巳空が着ていた灰色のパーカーだった。少し燃えた形跡があり、一部が黒く焦げ落ちて、糸が解れている。





ーーーーどうして。







涼太は、違和感を覚えた。


目に映ったのは、ただの一着のパーカーだ。それも、確かに燃えた跡がある。巳空が着用していたのだから、焦げ跡があって当然だ。だが、涼太が違和感を抱いたのはその“燃え跡”だった。




ーーーどうして、このパーカーが“残っている”………?




ただの思い込みかも知れないが、涼太は確かにその点を疑問に思った。



巳空は、姿が消えるほど燃えた。


骨を溶かすほど、肉も全て灰にするほど完全に燃やした。跡形もなく燃やし尽くした。その筈なんだ。いや、そうでなければ巳空が消えた説明がつかない。



……なのに、何故パーカーだけが燃えずに“残っている”のだろうか。




その瞬間、ビルの屋上から叫ぶような声がした。



「涼太にーちゃん‼︎」



その声は、先に屋上から逃した筈の海音の声だった。



「海音……っ⁉︎ どうして!」



涼太は見上げると、確かに海音はそこにいた。己の目を疑うと同時に、涼太は吃驚の声を上げた。だが涼太のそのような疑問を一切聞かず、海音は叫ぶのをやめなかった。目を凝らすと、海音は指をさし、何かを涼太に伝えようとしている。涼太は、何度も声を張り上げる海音の声に耳を傾けた。



「涼太にーちゃん‼︎ 後ろ‼︎」



“後ろ”。


確かにそう聞こえた。



涼太は急いで後ろを振り返ると、そこには更に目を疑う光景があった。



「ーーーは?」



嘘だろ………。涼太は心の中で、何度も、何度もこの言葉を連呼した。あり得ない。だが、彼は涼太の目の前……いや、背後にいた。






そこには、巳空の姿があった。







その一瞬の動揺を突くように、巳空は涼太の懐に潜り込んだ。


瞬間、狂気的な痛みが涼太の腹部を襲った。それから、涼太と巳空を分かつように地面が二人の間で迫り上がり始めた。この力は、今日見たばかりだ。海音の持つ“角度を操る”力によう地殻変動だ。理屈でいうと、涼太と巳空の合間に90度の角を生み出すと言うものらしい。



ただ、少し遅かったようだ。


涼太は自身の腹部を抑えると、何やら粘り気のある液体だ溢れ出していると分かった。その正体を確かめるべく掌を見ると、赤一色に塗りつぶされていた。それが一体何なのかは、すぐに察することができた。



自分の“血”だった。



そして涼太の腹部に、何かが刺さっている。それを朧気に揺らぐ目でよく見ると、ナイフの柄のようなものが映った。どうやら深々とナイフを差し込まれているようだ。



だが涼太の記憶が確かならば、奴の持つナイフは確かに折った筈。どうして奴がナイフを持っているのか。



「何故………ナイフを……。いや、それよりも何故生きて………」



涼太は、海音の異能で迫り上がったアスファルトがゆっくりと元に戻っていく様子を見ながら、巳空に質問をした。今にも生き絶えそうな虫を見下すような目で、巳空は口を開いた。



「簡単な話だ。お前が勝手に、“巳空は死んだ”と勘違いしたんだ。」



涼太は、悔し気に歯を食いしばった。全く気付かなかったのだ。一体何時勘違いをさせられたのか。どうしてそんな簡単な話を察せなかったのか。



「ナイフだって同じ。あの時お前が折ったのは、“プラスチック製のおもちゃ”だ。それを勝手に“本物のナイフ”と勘違いしていたんだ。ちなみに、本物は今お前の腹に刺さってるよ。」



涼太は必死に腹部を抑えながら、膝から崩れ落ちていく。そして力が抜け落ちるように、涼太は地面に倒れ伏せてしまう。瞼が徐々に重くなり、涼太がいくら力を入れようとも、ゆっくりと視界は閉じていく。その目が閉じる最後まで、涼太は巳空から目を離さなかった。それが涼太の最後の抵抗だった。



瞼の裏に浮かび上がったのは、優しく微笑みかける葵の姿だった。ただ、彼女の表情は何処か寂し気だった。涼太は心の中で、そんな彼女を元気づけるように何度もこう言った。




「………俺は……まだ、死な……ねぇ。」






………





「涼太にーちゃん‼︎」



海音の声が聞こえる。


何度も、何度も涼太の名前を必死に呼んでくれる。そんな彼女の為にもまだ死ねない。


だが、もう体は動かなかった。手足どころか、指一本まともに動かせなかった。


痛みも麻痺している所為か、徐々に消えていく。これが、死に近づいていく証拠なのだろうか。まだ死ねない、まだ死ねない。涼太は心の中で、そう何度も自分を叱責し続けた。


だが、どうやら動けそうになかった。


海音は心配しているんだろうな。

こんな出会って数時間しか経っていない涼太の事を、心の底から心配してくれているんだろうな。


何処に行ったかもわからない裕仁と雪乃を探しにいくよりも、自分でサポートをしなければ……そう思って、屋上に戻って来てくれたのだろう。



……ごめんな。



涼太はそう呟くも、きっと声には出ていない。彼女には届かないのだろう。



ここから逃げてくれ。

そして、生きてくれ。


どうか、海音だけでもーーーー。








涼太の思考は、悔しくもそこで途切れてしまった。










評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ