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46話『空間は彼の掌の上で踊る』

《ペリドット》



ーー時は少し遡って、十分前。


とりあえず裕仁達は、いつもの駅前広場に集った。今思えば、この対して広くもない駅前広場は、たった数ヶ月の間で様々な思い出を生み出してくれた。海音とこの広場で出会い、街の中で逃走劇を演じた事もあった。そして、葵と仲良くなるきっかけになった時の集合場所もこの駅前広場だった。そして今、葵の仇を取ると誓って集まったのも、数奇な運命の所為か、この駅前広場となった。


足を揃えて集った三人の顔つきは、各々覚悟を決めた迷いのない表情をしていた。雪乃はもちろんまだ幼い海音でさえ、その目は真っ直ぐと現実を見ていた。



「……よし、揃ったな。」



裕仁は三人が集まったことを確認すると、早速出発する旨を伝えた。それに関しては海音も賛成であると目で教えてくれた。少し見ない間に、彼女の精神は根強いものに成長している。きっと、まだまだ海音は雑草のように踏まれても何とも起き上がる、強い女性に育っていく事だろう。



「……でも、場所は検討ついているの?」



しかし、雪乃は根本的な問題を口にした。確かに海音に残されたメッセージの中にも、具体的な場所は一切書かれていなかったらしい。一体葵は何処で戦闘を行なっていたのか、何処で倒れているのかは全くの不明であった。だが当然、裕仁もその事について忘れていたわけではない。



「それに関しては問題ない。」



と、裕仁は断言した。

それは何の根拠もなく吐き出された言葉ではない。裕仁は確かな証拠を持って言い切ったのだ。



「葵の残した意志が、俺たちを導いてくれるはずだ。」



裕仁が指差す先には、彼女が操っていたであろうマネキン達が等間隔で立っていた。しかし、もう彼らが動くことはない。それでも、マネキンは主人である葵の意志を裕仁達に託すため、道しるべとしての役割を果たしていた。それを見た雪乃達は、葵の残した確かな意志を、その背に背負った気がした。



「………急ごう。」



彼女が託してくれたその思いを、決して無駄にはしない。そう誓って、裕仁たちは一歩一歩を踏みしめるようにして走って行った。












ーーーそして、時間は今に至る。


血に染まった葵を見て、裕仁は複雑な感情を抱いていた。怒りといえば怒りなのかもしれない。悲しみといえば悲しみなのかもしれない。そんな幾つもの単純で純粋な感情が、混濁し、混ざり合い、複雑なものに変えていく。


だが、彼女が約束を破って一人先に旅立ったことに関しての怒りは湧かなかった。


そして、葵の為に必死に戦っている男が一人いた。彼のことは知らないが、彼もまた葵の仲間だった人だろうか。そうでなければ、あれだけ激昂する理由はないだろう。そうだとすると、さらに奥に立つサラリーマン風の男が、葵をこんな目に合わせた犯人だと言う事だろう。いや、そのように考えなくとも目を見れば分かる。あいつの目は殺しを楽しんでいる目だ。恍惚の色に歪ませ、更に獲物を求めている目をしていた。


奴は正気じゃねぇな……。


裕仁はすぐに敵と味方を判断すると、海音と雪乃の様子を確認した。海音は既に泣き止み、覚悟を決めた強い瞳を輝かせている。雪乃もまた状況の判断を終えているようで、裕仁に相槌を打った。



「準備はいいか?」



裕仁は彼女たちに最後の確認を行った。決して死にに行く訳ではないが、死なない可能性も低くはない。ここから先は死闘になる。実際に人も死んでいる。彼女達の退転の決意を疑う訳ではないが、もう一度聞き直した。


するとまるで愚問だ、と言いたげに



「私はできてる。海音は知らないけど。」



「私だってとっくに準備万端よ。当たり前でしょ?」



と、雪乃と海音は気構えを口にした。


それだけを聞き終えると、裕仁は前へ駆け出した。その瞬間に地面を強く蹴り、まるで何かを飛び越えるように、宙に体を浮かばせると膝を少し折り畳んだ。その時に指でお気に入りのスニーカーを撫でると、そのまま地面に着地した。すると、裕仁は速度は高速と形容するに等しい速度で疾駆した。




だが、あの男はまだ余裕を崩してはいない。恐らくはあの“壁”を張っているのだろう。裕仁の放った石が彼の手前で止まった事で“見えない壁”の存在は確認済みだ。彼の異能はバリア系なのだろうか………とも思ったが、裕仁はすぐにその考えは消去した。



明らかにそうではないと結論付けた理由は、あの場違いなトラックだ。



窓ガラスが割れ、前部は見るも無残に大破損していた。正常にエアバッグは作動していたので、トラックの運転手は無事だろう。きっと、葵を轢きそうになり、急カーブを試みたが間に合わず激突。そしてそのままトラックも壁に追突してしまった、といったところだろうか。


もし壁とトラックに板挟みにされていたら、言い方が少し不謹慎だが、死体はあれだけ綺麗に残ってはいないだろう。恐らく、跳ね飛ばされた衝撃か、地面に頭を強く打ちつけてしまったのかもしれない。


だが今は彼女の死因よりも、問題は何故“大型トラックがこんな路地に存在しているのか”という点だ。


こんなに大きなトラックが、路地のような細い道を夜中に通ろうとするだろうか。もし通ったとしても、少しズレたら壁に衝突してしまう所だ。そんな場所で、注意深く運転しないなどという事などあるだろうか。



それと、不可解な点はもう一つある。


それは“エアバッグ”だ。



エアバッグは大体だが、時速20〜30キロで固定壁に衝突した場合に作動すると聞いたことがある。一般自動車ならまだ分からなくもないが、このような車幅が広く、壁に擦れそうな状態でそのようなスピードが出せるだろうか。



それらの事から考えれば、あの男が何らかの手によってトラックをこの場所に出現させた、もしくは移動させたと考える方が現実的だった。それならば、葵に走行中のトラックを何らかの形で不意打ちで衝突させた、という筋の通った仮説が完成する。



そして奴はきっと、裕仁が攻撃を仕掛けた瞬間にその異能を披露するだろう。


そして案の定、裕仁の目の前の空間に何やら黒い渦のようなものが発生した。次第にその渦は無機質な穴となり、先が何処に繋がっているかも分からないような不安な空気を吐き出していた。裕仁は素早く運動命令を“上書き”し、穴隙に飛び込む前に上へ回避した。その跳躍力も常人からすれば異常なもので、かなりの高度を誇っていた。そして勢いに任せるまま、裕仁は男の上を飛び越えていった。


しかしこのままでは、勢いが強すぎて折角詰めた距離がまた開いてしまう。勿論、“彼女”がそうさせる筈もない。


裕仁の進行方向には、突如として“壁”がせり上がってきた。これは肉眼で確認できる、明らかな壁だった。この能力は雪乃が奪ったという『タンザナイト』の“障害物を生成する”というものらしい。この壁は所謂“障壁”ということだろう。裕仁はその壁に『ダイヤモンド』の異能で硬化させた足を置くと、それを利用して進行の軌道を変更した。


そして後は一直線。狙うはあの男だ。


だが、男も裕仁の姿を目で追っている。その時点で不意打は不成立だ。だったら奴も何か対策を施しているに違いない。




「ーーー『サファイア』」




その時、海音は小さな援護をしてくれた。


奴の立つ、たった一部の地面だけの角度を90度傾け、彼の足元を崩してくれた。その瞬間、彼の顔から余裕の笑みが消えた。裕仁の手はその時すでに迫っていた。


男は咄嗟に腕を振るうも、裕仁の行動の方が少し早かった。



裕仁は彼の体に少しだけ触れると、その場から脱兎の勢いで離脱していく。


その様子を見て、男は不思議そうな顔を浮かべていた。それはその男だけでなく、若い男性までも驚きを隠せないでいた。きっと、折角の好機だったのに何故攻撃を止めたんだ、とでも思っているのだろう。



「………なんだい? 優しいねぇ。」


男は冷や汗を垂らせながらその顔に笑みを取り戻していた。


だが、これでいい。


裕仁は彼に、“命令”を与えておいた。




「喜べ、お前は今から地球一周旅行だ。」




裕仁がそう告げると、男は突如引っ張られるように、後方へ飛ばされていった。




やり口は“和陰”の時と同様、「全速力で後ろにぶっ飛ぶ」というものだ。単純だが、その力は恐ろしい。特に後ろというのは、前方と違って手で防御する事が難しい。あとは奴が固定壁に強く叩きつけられるのを待つだけだ。






………







「……お前、名前は?」



若い男性は、裕仁に名前を問うた。

きっとこの男性も宝石所持者なのだろう。よく見れば砂埃を被り、所々擦り傷も見受けられる。彼もきっとあの男と必死に戦っていたのだろう。



「藍浦……裕仁だ。お前は?」



そう聞き返された男性は、あぁ、と自分もまだ名乗っていない事に気付いたのか慌てて名前を告げた。



「俺は瀬良涼太だ。そっちの姉ちゃん二人は?」



裕仁が振り返ると、話が振られるとは思っていなかった雪乃と海音が少し驚いた反応をしていた。その様子を見かねた裕仁が、彼女たちの紹介をした。


「あぁ、白いロングヘアーの方が嘉島雪乃。そして青いツインテールの方が姫宮海音だ。」



それぞれの名前を聞き終えると、涼太は裕仁達に深く頭を下げた。



「なんつーか……有難う。葵とは昔馴染みでな。まさかこんな形で再会するとは思ってなかった……。それに俺は、彼奴のために一人で仇も取れなかった。裕仁が来てくれてなきゃ、俺も死んでたかもしれねぇ………とにかく、有難う。」



そんな涼太の丁寧なお礼に、裕仁の後ろから雪乃が口を挟んだ。





「もしかして、もう終わった。と思ってる?」






そんな彼女の言葉に、涼太は思わず声を裏返らせた。雪乃はさらに言葉を続けて、絶望的な事を口にした。



「彼奴……多分まだ“無傷”よ。」



「………嘘だろ?」



でも、と驚く涼太を無視して雪乃は言葉を繋げた。



「まだあの男が帰ってくるまで時間はある。少し、彼奴に関して話を聞かせてくれないかしら? ほんの一欠片でも、情報は大きな武器になるのよ。」



その言葉を耳にした涼太は、順を追って話し始めた。



奴の名前、謎の異能、虚偽の弱点、葵の死因………。



涼太が目にしたもの全てを簡潔に裕仁達に話した。



「偽の弱点を設定して、葵を罠に嵌めたのか……。中々に厄介な野郎だな。」



「ズルい大人って嫌いだわ。葵姉ちゃんをあんな目に合わせた事、絶対許さない。」



裕仁は奴の危険度を再確認し、海音は更なる怒りを心の中で燃やしていた。彼女の中で音を立てる炎は、ちょっとやそっとでは最早消えない豪火へと成長していた。落ち着け、という言葉も迂闊にかけられない。


そんな彼等に対して雪乃は、少し考え込むような素振りを見せると、すぐに結論を出したように顔を上げた。



「成る程ね……。話を聞いて何となくピースが当てはまったわ。奴の持つ宝石の異能はきっと、『空間を操る』というものよ。それも“自由自在”にね。」



「空間を………操る?」



『空間を操る』。そう言われれば、確かに合致するものがある。空間に穴を開け、出口を生成してそこへ繋げる。それでワープホールの謎は解明される。透明色の壁だって、空間を自分の手前で切り離しているのならば説明はつく。瞬間移動も、自分の体を特定の空間内で転送していると言ってしまえばそれ程理解は難しくない。あの壁を削るような攻撃も恐らく、空間の一部を消し飛ばしているだけに過ぎないのだろう。


全てはこの仮説で片がつく。


そして、引っかかるのは“自由自在”という言葉だ。もし雪乃の言う事が正しければ、更にその宝石の汎用性は富んでいるに違いない。



「きっとあいつはまだ色々と隠しているわ。」



「……気を付けないとね。」




ーーそんな時、円になって集っている彼らの遠くで、空間に裂け目が生まれた。その裂け目は間違いなく、あの男………南雲一譲の帰還を知らせていた。



「………ついに帰って来やがったか。」



裕仁は軽快に舌打ちすると、すぐに臨戦態勢に入った。そしてそんな様を少し自嘲気味に溜息を吐くと、悲しげな目で語り始めた。





「……いつからだろうな。少し前まではこんなゲームに参加する気は無かったし、殺し合いなんてまっぴらゴメンだった。」



その様子を、涼太はともかく、雪乃や海音も口を出すことなく静かに聞いていた。



「なのに、なんでかな……降りかかる火の粉を払う内に、自分達も徐々に戦いの色に染まり始めてしまった。“宝石の力”を乱用して何も知らない一般人を巻き込んで……。そんな奴を見てたら、綺麗事は言ってられなくなってしまった。」



そして、裂けてゆく空間を見据えながら、裕仁は目から光を消した。



「綺麗事に溺れてる間は誰も救えない。自らも奴らと同じ土俵に立ち、“悪”となって“悪”を制するしかないんだ。」



悲観的に語る裕仁に、涼太は少し反論を述べた。



「……そいつはちょっと違ぇな。綺麗事? そんなもん吐いてなんぼだろ。問題は、その綺麗事を“実行するかどうか”だぜ? 」



涼太は普段の調子を取り戻したのか、流暢に口を動かし始めた。



「お前はそこの女二人を守りてェんだろ?」



その問いに、裕仁は小さく頷いた。もう、誰一人として死なせるわけにはいかないのだ。それは綺麗事でも何でもない。それはまぎれもない裕仁の本心だ。


だったら、と涼太は裕仁の背を強く叩いた。不意な出来事だったので、裕仁は思わず「痛……っ!」と声をあげた。それに対して涼太は裕仁に対して小さく笑みを浮かべ、それでもまだ怒りを含んだ表情で目の前の空間から現れようとしている男を睨んでいた。



「だったら“有言実行”だ。それができる奴が、善だろうが悪だろうが、紛れもなく“正義”だぜ。」



正義なんてものは自分と他人では相違するものだ。正しいと信じるもの、悪だと感じるもの。それらは全て人によって価値観が異なる。だが、自分の正しいと思う道を信じて疑わず、貫いていくその志が“正義”なのだ。と彼は言いたいのだろう。



「……とんだ暴論だな。」



裕仁は、少し口元を緩めながら呟いた。



「それが男って生き物だろ?」



空間は瞼のように開き、中からあの男が再び姿を見せた。



「ーー話し合いは終わったかい?空気を読んで黙っていてあげたんだ。感謝してくれよ?」



雪乃が危惧した通り、一譲は完全に無傷だ。きっと壁に衝突する寸前に空間を切り離したのだろう。奴の異能は万能、そして弱点らしきものは全くと言って見当たらない。完全無敵、と言っても過言ではないのかもしれない。




“だからこそ、思わぬ弱点は存在する”。




「………あぁ、感謝してやるよ。おかげでお前を殺す体制が整ったんでな。」



赤く染まった満月の夜はまだ、たった今 始まったばかりだ。


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