表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
46/84

45話『猫の前の鼠か、虎になる鼠か。』



《エメラルド》



常葉葵と出会ったのは、まだ漢字も読めないほど小さい頃だっただろうか。元々二人の家は近所で、親同士の付き合いもあった事から二人はよく遊んだものだ。


彼女とは二つ違いで、よく葵の兄貴ぶっていた記憶がある。空はなぜ青いのか。風はどこから吹いてくるのだろうか。まだまだ知らない事だらけなのに、彼女に自慢げに薄い知識を話していた事もあった。今思えば、あの頃の自分はこれ以上ないくらいに恥ずかしい。それでも、その度に笑ったり驚いたりする彼女の表情を見ていて楽しかった。


小学校に上がっても、二人は友達だった。学校が終わればよく彼女の家を出入りし、一緒にゲームをしたり葵のままごとに付き合っていた。もちろん、各々の学年に友達はいたし、その友達と遊ぶことも多かった。が、必ず、彼女と遊ぶ時間は設けていた。長い間一緒にいる割には、一度も喧嘩という喧嘩をしたことはなかった。それは、自分が彼女の兄のような存在である、と勝手に思い込んでいたからだろう。多少の揉め事が起これば自我を突き通すより、涼太が折れて葵に譲る、という気持ちの方が強かったのだ。


涼太が中学に入ると、勉強を教えたりもした。あまり良くない事だが、宿題も手伝ってあげたりもした。数年一緒にいると、彼女は涼太にとって次第に家族のような存在となっていった。本当に自分に妹が出来たかのように、涼太は葵を可愛がって面倒を見続けた。時には危なっかしい彼女を見てひやひやとしたり、時には喜ぶ葵と共に笑ったりした。葵の話す今日の出来事を聞くことが毎日楽しみで、そのおかげで面倒な中学生活も真面目にやってこれた。



だが、そんな楽しい時間は突如として終わりを迎えることになった。



葵が引っ越しをすると聞かされたのは、涼太が中学三年生の時の夏だった。聞けば、親の仕事の都合らしい。


当時、中学生はおろか学生に携帯なんてものは買い与えないような時代だ。連絡手段は何もなく、もう葵とはそれ以来一度も会うことはなかった。あれだけ仲が良かった二人の仲は、案外あっさりと引き離されてしまった。


それからというもの、涼太の心には大きく穴が空いたように、全てが空っぽになってしまったかのように日々を過ごした。“大切なものは無くしてから分かる”とはよく言ったもので、涼太も初めて自身の中で体験した。心に空いてしまった穴を埋め合わせるものが見つからず、暫くは何に対してもやる気は起こらなかった。当然、本来優先して然るべき受験勉強も全くの手付かずだった。そして案の定涼太は志望校の受験に失敗し、偏差値が一段階低めな高校に入学する羽目となった。


そして、その高校で涼太は穴を無理やり塞ぐように暴力の世界に明け暮れた。喧嘩を売られ、買う、殴り合うといったまるで昭和の不良漫画のような高校生活を送った。とはいっても殆どの場合、涼太は自ら喧嘩を吹っかけることはしなかった。弱いくせに粋がって絡んでくる下衆を、ただ冷酷に仕留めていただけだった。たったそれだけの事で、不良達の間では少し名が知れ始めてしまった。涼太はそれが嫌で仕方がなかった。自分より弱い相手を殴り倒しただけなのに、どうして自分が“強い”という位置付けに当てはめられなければならないのだろうか。当たり前だが、番長張ってる奴と戦えば涼太は負ける。無敗なんていうのも、今まで敵が弱かった。ただ、運が良かっただけなのだ。


そして気がつけば、貴重な高校生活の半分はそんな退屈な喧嘩だけで終わってしまっていた。


それでは流石に駄目だ。この先へ足を踏み入れてしまえば、血生臭い拳の世界だ。涼太は対して不良でもなんでもない、ただの一般生徒だ。だのに、高校の教員は涼太を不良と断定している。同級生は分かってくれている事なのだが、何せ生徒指導部が涼太の存在を目の敵にしていた。このままでは不味いと感じた涼太は、自らの人生の軌道修正を試みることにした。


真面目に大学へ進学するために勉強を始め、喧嘩からは綺麗に足を洗う事にした。








ーーーそれから三年が経ち、今に至る。



もう会う事はないと思っていた彼女は今、涼太の腕の中で眠っている。血に染まった綺麗な顔で、安らかに眠っている。ただ、その瞳が開く事はもう無いのだろう。彼女はもう笑えない。もう泣けない。喜んだり、悲しんだり、怒ったり、そんな当たり前のことがもう出来ないのだ。彼女との過去を思い出す度、涙が溜まっていくのを感じる。しかし、ここで涙を流そうとも彼女は帰ってこない。もう、彼女の声も聞くことすら叶わないのだ。


彼女は涼太の危機を颯爽と助け、そして死んでいった。彼女は涼太の事に気付いていたのだろうか。いや、気付いていたからこそ涼太を助け、あっさりと味方についてくれたのだろう。そして彼女は、“自分が葵である”という事を涼太に隠していた。きっと、このような形で再会をしたくなかったのだろう。あの強気な口調も、少し底の厚いブーツを履いていたのも、声を変音機で変換させていたのも全て正体を隠すつもりだったに違いない。だから涼太も最後まで気がつかなかった。昔別れた友人と、殺し合いゲームによって再会だなんて皮肉なものだ。


涼太がペストマスクの正体を彼女だと知っていたならば、一体どういった行動をとっていたのだろう。彼女を真っ先に庇っていたか。それとも彼女に逃げるよう必死に諭したか。

そうすれば、彼女は死なずに済んだのかもしれない。




……終わったことを考えても、納得のいく結論は出なかった。


ただひたすら彼女を惜しむように抱え、怒りと後悔を奥歯で噛み締めていた。まだ気持ちに整理がつかず、重く暗いものは混濁して、泥みのある灰色のような感情となって涼太の中を渦巻いていた。そんな中ただ一つ、明確な意思があるとするならば、それは“目の前に立つ男を必ず殺してやる”ということだろう。



「ーー必ず殺す、ねぇ。」



一譲は、涼太の心の奥底から出た嘘偽りない言葉を鼻で笑い飛ばした。よっぽどおかしく感じたのか、彼は初めて大きく口を開けて笑った。



「それは不可能だよ、涼太くん。ひよこがどう頑張っても鷹には勝てない。猫が幾ら威勢を張ったところでライオンは微動だにしない。それと同じことだよ。」



いちいち口を開けば癪に触る野郎だ、と涼太の感情は更に怒りの度合いを増した。怒っても起こり足りない。そんな抑えの効かない忿怒によって、彼は冷静さを欠いていた。“アンガーマネジメント”なんて言葉は、彼の脳内に一切ない。


きっと、一譲も涼太を激怒の淵へと追いやり、我を忘れさせる事が狙いなのだろう。そうだと分かっていても、このはち切れんばかりの怒りを押さえつける事こそ不可能だった。



「ーーだが、追い詰められたネズミは何をしでかすか分かったもんじゃねぇぞ。」



涼太は彼女を優しく寝かすと、ゆっくりとその場に立ち上がった。顔を俯けたまま、力を抜いて何秒もかけて立ち上がった。



「……知っているよ。“窮鼠猫を噛む”。こう見えても日本の語学には明るいんでね。時によっては鼠だって虎になる。だけどねぇ、涼太くん。所詮は“猫の前の鼠”なんだよ。……断言しようか。」




君は私には勝てない。




一譲は、鋭い顔つきで口角を吊り上げた。まるで観客を嘲るピエロのように、不気味で本能を恐怖に突き落とすような冷たい微笑みだった。だが、今の涼太にそんな感情は微塵も湧かない。彼の中を埋め尽くすのは純粋な怒りのみだ。


余裕ぶってるのも今の内だ、と涼太は心の中で叫ぶと、彼に向かって一直線に駆け出した。何も恐れない、何も受け付けないといったような全力疾走は、今までにない速度だった。だが、それと同時にかつてない程、涼太は無防備な状態だった。



「怒りは動きを単純化する……。覚えておきなよ。多分あの世でテストに出るから。」



一譲は周りを警戒せずに突っ走る涼太を見て、“期待はずれだ”と言いたげに溜息をついた。しかし涼太も、小細工なしで奴に立ち向かおうなどと考えているはずもない。何も考えずに突っ込むのは、愚の骨頂なのだから。




「ーースケスケ」




涼太は再び、オノマトペを口にした。すると突如として、涼太の体は宵闇に溶けるように姿を消した。実際には消えたのではない。“透明色”となって背景と同化したのだ。これには流石の一譲も驚きを見せた。が、すぐにいつものヘラヘラとしたにやけ面に戻った。



「……ここは細い路地だよ?そんなところで透明になったところでーー。」



意味なんてないんだよ。



そう言いつつ、一譲は腕を振るった。

まるで朝方にカーテンを開けるように、引き扉を動かすように腕を動かした。


その動作は、初めて見るものだった。



いや、彼に元々決まった“攻撃動作”なんて無かったのだろう。それに、使用後の猶予時間というのも存在しなかったし、彼は異能の射程距離も偽っていた。


全てを嘘で塗りつぶし、真実を誰もたどり着けないほど深い奥層に隠蔽していた。


この男はかなり狡智で、人を騙すのに長けている人間だ。葵と涼太は、まんまと彼が“勝手に設定”した“偽物の弱点”を本物であると思い込まされてしまっていた。彼女の敗因はそこにあった。


それに、彼はまだ“能力を隠している”。

証拠や確信はないが、そんな気がしてならない。



そして、その予感は的中する。




その現象は、突然だった。

一譲が腕を横へ動かした時、その射程範囲にあった物の高さが一段低くなった気がした。そう、まるで“空間が削られた”みたいに。




ーーー涼太の体も、少なくともその変化を受けている。走っている身体に大きな、涼太は歴とした違和感を感じた。視線を違和感の正体へと向けると、異変な現象が起こっていた。涼太の胴体部分は、見事なまでに削り取られていた。その断面からは血を吹き出し、上半身と下半身は綺麗に分離された。その時、未だに自分が死に行くことを涼太は認識していなかった…………………などと、一譲は『涼太が今そうなっている』と“思いこんでいる”事だろう。



そんな簡単にこの俺が死ぬ筈がねぇだろ、と涼太は声には出さずに叫んだ。


涼太はその攻撃が来る前にいち早くその場に屈み、そのまま地面を這うようにして一譲の背後へと潜り込んだ。好機は奴が油断している今しかない。仕留めるならば今しかない。涼太は音を立てずに素早く立ち上がり、手刀を一譲の首元へ迅速に振り下ろした。




だが……。




「人は背中に目はついていない。だから、後ろから近付かれても攻撃されても分からないんだ。……だからさぁ、“自分の背後を無防備な状態”にしておくと思った?」



一譲は首元だけ傾け、再び般若のように口角を歪ませた。


全て読まれていた。涼太は怒りに任せて行動した結果、かなり単調な思考であった事を今になって気が付いた。透明になって、後ろに回り込んで攻撃。だなんて、誰でも思いつく発想だろう。正面にはいつもの壁があるかもしれない。そう涼太が考えることも一譲は見越して、背中付近にのみ空間の壁を作っていたのだろう。




………どうしよう。奴に勝てるビジョンが全く見えない。


涼太は自身の非力さを嘆いた。女一人守れず、その仇もとってやれない。なんて情けないのだろう。それでも涼太は、一譲に立ち向かうしか道はなかった。奴には必ず償わせてやる。そう心に誓ったのだ。


涼太は崩れそうな足に力を入れ、気合の雄叫びを上げた。自らの戦意を鼓舞するように、我武者羅に叫んだ。










ーーそんな時、その声に応えるかのように路地に誰かがやって来た。


街灯に照らされた影は三つだった。


彼らは涼太と一譲に見向きもせず、横たわる血に濡れた葵を見ていた。そして、一人の男性が声を震わして言った。



「……てめぇがやったのか。」



そう言った彼の眼差しは怒りに満ちていた。

それは理不尽な怒りなどではない。純粋で真っ直ぐな怒りであった。そして、彼の双眸は間違いなく正義の色に染まっている。その彼の視線は涼太に向けられてはいなかった。鋭い視線の先に佇んでいる、あの男を確実に捉えている。


そして、彼女は中学生だろうか。彼らの中でも一際小さな女の子は、葵に縋って涙を流している。その女の子の様子を、長い髪の女性は静かに見守っていた。それは、その女性がドライだからではない。下手な言葉で軽い慰めはしない、少女の昂ぶる気持ちが治るまで見守ってあげる彼女の優しさからだろう。彼らは葵のために涙を流し、葵のために怒りで拳を震わせている。このゲームでの仲間なのか、新しい友達かどうかは涼太は知らない。だが、これだけは自信を持って言える。



………彼らは信用できる。



一譲はニヤニヤと彼らの怒りを侮蔑し、油を注ぐような笑みを浮かべて言った。



「そこに転がっている奴なら、間違いなく私だね。」



一譲がそう告げた瞬間、大人しそうな彼の手から何かが銃弾のように発射された。一寸の容赦もなく、慈悲もなく。一譲の命を刈り取るのに迷いがない様子で攻撃を仕掛けた。分かっていたことだが、彼もまた“宝石の所持者”だった。



だが、やはり攻撃は一譲に届くことはなかった。



「おっと……危ないねぇ。君はあれかい? もしかして人を殺すのに何も感じないタイプかい?」



その問いに、彼は無視を貫いた。


彼はひたすら冷徹な怒りを持って、一譲を凍てつくような鋭い視線で見据えていた。




そんな時、涼太の後ろから女性の声が聞こえた。



「……えぇ。躊躇しないわよ。忘れてないわよね? このゲームではお前のようなゴミを駆除しても犯罪にはならないのよ。」



彼女は長い髪をかき分け、目の前に立つ彼の横に並んで立った。そこに、あの幼い女の子もゆっくりと近付いてきた。もう泣き止み、落ち着いた様子で彼らの傍に立ち止まった。


少女からは、その若さで真実を見据えて受け止めるといった強い瞳の力を感じた。彼らはもう現実の醜さをきっと知っている。そして、自らもその泥沼に足を踏み入れていることも悟っている。自分だけが綺麗で気高い意思を持っているだとか、正義と平和のために戦っているといった様子は全く感じられない。その行動が決して許されることのない悪だと知っていながらも、それが自分の信じる“正しい道”だというのならばその道を突き進む、といった覚悟の目だ。葵を殺した奴には死をもって償わせる。現代社会では許されない復讐劇を今、彼らはこのゲームのルールを利用して果たそうとしている。彼らはその場に正義なんてちっぽけなものは持ち合わせていない。持っているのは単純な怒りと、無慈悲な精神だけだ。


涼太は、そこに自分の思い描く“主人公像”と重ねて彼らを見た。



挿絵(By みてみん)



………あぁ、なんて格好いいんだろうか。


自称正義の味方なんかより、よっぽど格好いい。





「……もう泣いてなんかいられない。決めたからには、葵姉ちゃんの仇は必ずとる。」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ