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43話『届かない想い』



ーーー「奴の弱点?」


彼は当然だが、そう聞き返してきた。



そりゃあ気になるだろう。

なんと言っても、あの強固な鉄壁である異能力を打ち崩す『一手』なのだから。


そして私は彼の…………。




挿絵(By みてみん)




《エメラルド》



策は、ペストマスクが全て考えてくれた。

奴の言葉が真実であるならば、この停滞した状況を撃ち壊す大きな前進となる事だろう。勿論今でも半信半疑だ。実は奴が一譲側の人間で、上手い事誘導されている可能性も否めない。しかし、不思議と奴の言葉には納得させられた。確かに的を射ていた推理だった。それもあるが、どう言うわけか直ぐに納得してしまった自分もいた。涼太の中に渦巻く疑心暗鬼の天秤は、“信じる”方にやや傾き始めていた。


そうこうしている内に、作戦は開始された。

まずは奴が先行する。複数の人形の部隊を引き連れ、無謀にも正面から一譲へと駆けた。


等身大の女性のマネキン人形がまず先陣を切り、黒い風となって一譲に襲撃を仕掛けた。その手にはバールのようなものが握られていた。何処から盗んできたのは分からないが、よく見ると数多くいる人形の数体は武器になるものを所持している。ある人形は刃物。またある人形は鈍器。それらの人形を統率するあのペストマスクの殺意は底知れなかった。奴に慈悲というものは感じられない。ただ只管に冷徹で、残忍で。そのマスクからも得体の知れない恐怖を感じることが出来た。


そしてマネキンはバールを片手で器用に回転させて持ち替えると、思い切り振り抜く姿勢をとった。彼女が纏う繊細な黒いドレスは、動きに連動して可憐に揺れた。一譲はその様に陽気に口笛を吹くと、例の如く手を前へと差し出した。



……そう。

彼は異能を使用する際、必ず“手を動かす”


ワープホールを精製する際は手を前に、空間に透明な壁を隔てさせる際は手を横に払う。



それが一譲の持つ宝石の力の“弱点”の一つだ。



それともう二つーーー。







マネキンの振るったバールは亜空間を潜り抜け、涼太の目の前に出現した。これは想定内だ。あのペストマスクの言った通り、本当に一譲が手を前へ突き出すと空間に亀裂が生じた。どうやら出鱈目ではなさそうだ。


マネキンは意志を持ったように、そのバールを涼太に当たる寸前でぴたりと止めた。それに合わせるように涼太はそのバールを素手で掴み、再びそのワープホールへと飛び込んだ。マネキンも腕を引き、涼太を引き込むのを手伝った。


一譲はほんの一瞬目を見開いたが、直ぐになんて事ないと言いたげに微笑を浮かべた。



「……無駄なことを。」



涼太がその空間の穴から飛び出すと同時に、一譲は腕を横に凪いだ。またあの壁が作られてしまう。涼太はそうはさせまい、と小さく叫んだ。



「……ぐらぐら」



すると、突如として地面が大きく揺れだした。その範囲はこの路地のみとかなり矮小だが、その震度は立っているのもやっとなものだった。電線は揺らぎ、壁には亀裂が走り、標識は弱く傾きを見せた。一譲も当然、その振動に抗っていた。どうやら壁を生み出すのを中断させることに成功したようだ。


一譲は小さく舌打ちすると、再び腕を掲げる姿勢をとった。しかし、それを涼太が見逃すはずがない。


涼太は立て続けに、再びオノマトペを口にした。



「ばきばき」



そう唱えられた瞬間、一譲の立っている足元に一筋の線が走った。アスファルトに走った一筋の綺麗な亀裂は、唐突にその口を開いた。大きく割れた地面は、一譲の足を見事に掬い上げた。彼の顔から余裕は消え、今にも怒号をあげそうな表情と化していた。


それでも一譲は手を動かした。今度は両腕。

左手と右手を交差させるように動かした。


その動作は、彼が“瞬間移動”する際に行うものだった。そして彼はそこから姿を消した。彼の瞬間移動を許してしまっのだ。


それは、涼太の攻撃が間に合わなかったのではない。“わざと”見逃したのだ。



彼の異能は強力故に、その射程範囲はかなり狭い。現に、彼は異能を自分自身の“目の前”でしか使用していない。ワープホールの出口だって、恐らく彼の視認できる地点にしか配置できない。長くてせいぜい半径5メートル程度だろう。実際、彼は涼太やペストマスクが我武者羅に突っ込んでくるところを上手く利用して反撃している。逆を言えば、彼自身からの攻撃は少ないのだ。それは何故か。射程が狭いからだ、とペストマスクは結論付けた。



そして彼の移動する先は、今いた彼の地点からだいたい半径5メートルだと前提し、包囲網を設置した。


それはペストマスクの人形部隊による、何とも奇妙な包囲網だ。一譲は既に、涼太とペストマスクの用意した鳥籠の中にいる。


そして、攻撃の機会は今しかなかった。



一譲が空間移動した先、そこは涼太から少し離れたところだった。きっとまた背後をとるつもりだったのだろう。が、その思考はペストマスクによって簡単に読まれていた。






「ーーお前の最後の弱点。それは………。」





一譲は珍しく冷や汗をかいていた。

あまりにもリアルな緊張と焦燥の感情。それらはこの戦場に、ひしひしと伝わった。


そしてこの瞬間、ペストマスクの口から勝利を確信する言葉が放たれた。






「それは発動の瞬間の“タイムラグ”だ。」








その後、一斉に人形部隊は一譲に飛びかかった。一譲が異能を行使する際、必ずと言っていいほど時間に“空白”が生まれる。それは、能力を短時間で連続使用できないことを明確に物語っていた。そのタイムラグの感覚はざっと“5秒”。それでも短すぎると言えるが、タイミングさえ掴んでしまえばその5秒は痛烈な弱点へと変化する。大袈裟に言ってしまえば5秒の間、彼は“無防備”になるのだ。その機を逃しては彼に勝つ術はない。逆論すれば、その機になら彼に必ず勝てる。


ある程度読めていた場所に彼は出現したので、移動にかかった時間は約1秒。


残り4秒の間、彼を一方的に攻撃することが出来る。それも、まず腕を潰せばいい。


彼が異能を発動するのに、腕の動きは必須と見た。だったら腕を動かせないようにすれば、彼はこの強力な能力を使用できなくなる。


これこそ必勝法。

ペストマスクが編み出した、光輝く一縷の勝ち筋。黄金の戦略だった。


涼太達の勝利は最早確実だった。













ーーだが、涼太はひどく恐怖した。


彼の浮かべたあの笑みによって。


彼と最初にあった時のような、弱者を虐げるあの嘲笑によって。












「ーーーおい! 今すぐそこから離れろ‼︎」





涼太は本能に従い、必死に危機を知らせる声を絞り出した。


しかし、遅かった。


一譲とペストマスクの決着をつける決定打。

間違いなくペストマスクはその意気を乗せた最後の攻撃を放っていた。



だが、一歩。


いや、遠く及ばなかった。



残り3秒の時点で、ペストマスクの横にいつもより大きな空間の穴が作り出された。かと思うと、そこから出現したのは何と走行中のトラックだった。勝ちを確信していたペストマスクの不意を打つなど、何とも容易い事だっただろう。それこそ、まな板の上で跳ねる鯉を殺すように。


当然、人形部隊を全て攻撃に駆り出したペストマスクを護衛する物など何もない。後は急遽変化した激流に呑み込まれるように、ただただ運命に従うことしかできなかった。


急な出来事に対応しきれない運転手は、ブレーキを踏むも間に合うはずもなく、ペストマスクに正面から激突した。互いに何が起こったかなど理解出来るはずもなかった事だろう。気がつけば吹き飛び、痛みを感じる頃にはきっと地面に叩きつけられていたことだろう。


その様を、涼太は呆然と見つめたまま立ち尽くすことしか出来なかった。




そして、涼太は目を疑った。




「ーー葵……なのか…………?」




ペストマスクが割れ、素顔を晒した奴のーー彼女の正体は涼太のよく知る人物であった。その女性は、涼太のかつての後輩にあたる人物だった。


常葉葵ーー特別な関係ではなかったものの、涼太の中では数少ない女性の友人だった。



……涼太は無意識の内に、彼女の元へと駆け寄っていた。その過程を涼太は覚えていない。ただ、彼女の元へ辿り着くのに必死だった。彼女の顔は流血で汚れ、見ているだけで痛々しかった。それでも彼女は、やる事をやりきったと言いたげな安らかな表情をしている。きっと薄れゆく意識の中、彼女は涼太の姿を確認すると小さく掠れた声で謝罪した。



「ーーごめんね。貴方の……役に立ちたかった……。」



それだけを言い残すと、彼女は瞼を重く閉ざした。



「……おい。………冗談だろ?」



何とか言えよ、と涼太は彼女の肩を抱えて揺すった。しかし、彼女の手は力が抜けたようにだらりと垂れた。立っていた人形も同じように、突如音を立てて崩れ落ちるように倒れていった。それが全てを物語っていた。


信じたくない現実を涼太に強く突きつけた。



「おやぁ、もしかして知り合いだったのかい? そりゃあ悪い事をしたねぇ。」


この状況に似つかわしくない陽気な声が、涼太の耳に入り込んできた。そんな雰囲気も気にする事なく、一譲はそれにしても、と言葉を繋げた。



挿絵(By みてみん)



「案外あっけない幕引きだったね。あれだけ自信満々だったからもう少し楽しませてくれるものだと思ったんだけどなぁ………。」



その物言いに、遂に涼太の中で煮えていたマグマ溜まりは噴火した。涼太は鬼のような形相で、一譲を思い切り睨みつけた。その表情は憤怒や激怒といった単語だけでは片付けることが出来ないような、形容し難いものであった。その言葉で表せない爆発的な怒りは、その矛先を全てたった一人の男に向けた。彼の握ったこぶしは爪が食い込み、歯は折れるのではないかと思う程食いしばった。


涼太は固く決意した。

その決意は決して揺るぐ事はないだろう。


例え自身の身が傷つこうが、死のうが、この決意だけは決して変わらない。





「ーーテメェは必ず殺す。泣いて謝ろうが命乞いしようが、完膚なきまでにぶち殺す。」






涼太はこの時初めて、人を殺したいと願った。


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