42話『思わぬ救世主』
《エメラルド》
まるで金属を打ち付けたかの様な、耳に嫌な音は辺りに広がるように響いた。しかし、それを伴う筈の衝撃は、一向に体を襲う気配はなかった。それを疑問を感じた涼太は、恐る恐る背後へと目線を写した。するとどうだろうか。涼太の目に真っ先に飛び込んだのは、あの胡散臭い男などではない。風に靡いて広がるのは、黒色の布地。深く被ったフードから見え隠れするのは、まるで正体を隠蔽しているかのような不気味なペストマスク。そしてその人物の傍らには、兵隊のように列を成した人形達の姿があった。
……誰だろうか。
こんな見るからに不審な奴に見覚えもなければ、助けられる理由も見当たらない。
しかし、助けてもらったのは事実だ。
どこに隠し持っていたのか、一譲の手には何やら細く長い棒が握られており、それは見て明らかに涼太に向けて振り下ろされていた。その棒の先端をよく見れば、赤く塗られた中に白で“止まれ”の文字が入った三角形のプレートが設置されている。紛う事なく、それは“標識”だった。そんな物で殴られていれば、かなりの高確率で死んでいたかもしれない。しかし、涼太は無傷でその危機から逃れた。思わぬ救世主が割り込んだからだ。見た目は完全に悪役だが、その人物と付き従っている人形が涼太の前に庇うように立ち、振り下ろされた標識を受け止めてくれていた。
「助けてくれてどうも有難う……。」
ところで、君は誰だい?
涼太がそう問うと、そのマスクを被った人物は溜息まじりに言葉を吐き捨てた。その声は変音機によって加工されていたせいか、やけに突き放すような冷淡さを感じた。
「……ただの散歩中の人形回しですが?」
「おい、お前。」
涼太は下手に出た態度を改め、例のペストマスク野郎に高圧的に声をかけた。助けてもらったのは事実だ。だが、ここは最早戦場だ。助けてくれたからといって変な仲間意識を持ち、背後から一撃、というのは避けなければならない。
「……なんだ?」
ペストマスクは一譲から目を離すことなく、素っ気なく返事をした。加工された音声は、感情を決して含んではいない。だがその態度から見て、奴は一譲を敵視しているような気がした。これなら、このペストマスクを協力体制に引きずり込むことが出来るかもしれない。そうと決まれば、行動はすぐに起こすべきだ。涼太は早速、ペストマスクにこの提案をした。
「俺と協力して奴を倒さないか?見た所、お前も宝石を持ってるんだろ?」
ペストマスクは、暫く黙り込んだ。その沈黙は、拒否を表すものなのだろうか。涼太は少なくともそう感じた。だがペストマスクは数秒置いて、感情のない声音で涼太に返事をした。
「……別に構わない。」
ただし、これだけは忘れないでくれ。
ペストマスクは了承の後に、少し言葉を付け加えた。
「私は別にどちらの味方でも、宝石が欲しいわけではない。ただ、本当に散歩をしていたところを巻き込まれた被害者だ。いざとなれば、お前を切り捨ててでもこの場から逃げる。いいな?」
涼太は頷くと、ペストマスクの言葉に同意した。あくまで一時的な協力体制だ。今日、それもたった今出会ったばかりの人なのだから、切り捨てられても文句はない。それよりも、何故ペストマスクが涼太を助け、更に味方になってくれるのか。それが不思議でならなかった。正体不明のペストマスクは、その行動も不明な点が多かった。
「……へぇ。これで二対一かい。流石の私でもこれはしんどいなぁ。」
一譲は口ではそう言いながらも、大して追い詰められているような表情は見せなかった。それがやせ我慢のようには見えない。本当に心の底から余裕なのだ。
「ぬかせ!」
そのスカした態度が癪に触るのだと、涼太は瞬間的に沸騰した怒りに身を任せて人形の兵隊達よりも前線へと飛び出した。そして一言、小さく擬音語を呟いた。
「……カチカチ。」
涼太の体はまるで結晶のように硬質化し、鋼の鎧をその身に纏った。今の彼は西洋甲冑よりも身体の強度は高いだろう。ある程度の攻撃ならば臆することはない。しかし、涼太は一譲に向かう途中で足を止めた。
その理由は、突如どこからともなく空間に亀裂が走り、その隙から先程まで後ろにいたはずの人形が飛び出してきたからだ。早速ペストマスクが裏切ったか。そう思ったが、人形はただ流れに逆らうことなく空間の穴から外へと放り出されていく。あの怪しげなペストマスクが操作しているわけではなさそうだ。では、何故こんな事が起きたのだろうか。涼太は不思議に思って振り返ると、人形のいた足元に、空間の大穴が開いていた。その穴は一つではない。驚くことに、複数の穴がそこには開いていた。
ただ、一瞬の足止めだった。
しかし、その足止めが涼太を苦しめた。
呆気にとられていた涼太の側頭部に、急激に強い衝撃が襲った。倒れゆく中、何度か足に力を込めて留まって衝撃の正体を確認した。するとやはり涼太の顔のあった場所の少し横に、空間の亀裂が存在した。そこから飛び出していたのは、先ほどの標識だった。
涼太が能力を発動していなければ、確実に今ので仕留められていただろう。硬質化した肌が殴られた衝撃を緩和したのだ。
そんな中、ワープホールで移動させられた人形は踊るように一譲へ向けて襲いかかった。
だが空間が断裂された所為か、また彼の一歩手前で人形達の足は止まった。外から見れば、それは変わったパントマイムパフォーマンスに見える。それでも、見えない壁はそこには実在している。涼太も確認済みだ。あの壁を突破しない限り、彼に攻撃の手は届かない。
その時、一筋の光が見えた。
実際に光が見えたわけではない。一縷の希望が見えたのだ。
ペストマスクの操る人形は路地を駆使して、一譲の背後へと回り込んでいた。その事に彼は気づいていない。なら、このまま涼太も目を惹く役目を買って出るしかない。そう思った涼太は再び「メラメラ」と唱えて炎で身を包み、視界を全て覆う程の巨大な火炎放射を放った。一譲に後ろを振り向かせてはならない。こちらに集中させておく必要がある。
そして炎は全てを飲み込み、涼太の視界でさえ赤一色に包まれた。小さな路地に火の粉を撒き散らかしながらその火炎は旋回し、その様はまさに豪火のトルネードだった。
そしてその猛攻は数十秒間続き、まるで全てを焼き尽くさんと炎を生きたように全てを丸呑みにした。そして炎が晴れた時、壁は焦げて黒く染まり、灰と煙が狭い路地を埋め尽くしていた。しかし驚くべきことに、その場に一譲の姿は既にそこにはなかった。
さすがに骨まで灰と化す程の火力はない。
それに、彼は空間断裂を使用していなかった。
となれば、思いつく可能性は一つしかない。
またこの現象だ。
一瞬にして人が消えるという謎の現象だ。
再び涼太の背後を取っているのだろうか。後ろから標識で殴打されるのだろうか。背が粟立つのを感じた涼太は、急いで首を回転させた。
だが、振り返ってもあのペストマスクを被った不審者しかいなかった。
それなら一体奴はどこへ消えたのだろうか。
路地の隙を通るように街風が吹き荒れる。
その肌触りは湿気が強く、気味の悪いベタつきを感じる。炎によって空気が乾いているにもかかわらずだ。それは涼太の感じる“嫌な予感”というものに直結していた。
涼太は口内に溜まった唾液を一度飲み込んだ。警戒心を最高潮まで高め、神経を鋭く光らせた。その時だった。
「後ろだ!」
ペストマスクは、突如大きな声を出した。
ボイスチェンジャーを通しても、珍しく声の感情を感じ取ることができた。必死に危機を伝えようとする、そんな焦りの見えた声音だった。
涼太は振り返るという行為を短縮し、取り敢えず全力でペストマスクの元へと走り出した。そしてある地点で余裕を持って振り返ると、彼は空間に空いた穴の中にいた。自らの腕で空間を引き裂き、そこからその無空間に涼太を引きずり込もうとしていた。
「……おっと、おしいおしい。あと少しだったんだがねぇ。」
涼太は流れ落ちる冷や汗をそのままにし、一譲を鋭く睨みつけた。
……少しずつだが、彼の異能について分かってきた気がした。
彼はこの空間の穴を自在に操り、その中を通り過ぎたり、自ら入ることもできる。それが彼の瞬間移動の仕組みだろう。ただ、やはり透明な壁についてはまだ分からない。彼の隠している、もう一つの力だろうか。彼が持つ宝石が一つとは限らない。既に誰かを殺めて奪い取っている可能性もある。寧ろ、何故今までその考えが浮かばなかったのだろうか。
それならば、奴はまだまだ何かを隠しているかもしれない。
さらなる警戒が必要だ。
「……そう心配するな。」
ペストマスクは、緊張に顔が強張る涼太に静かに話しかけた。涼太はペストマスクの言葉に疑問符を浮かべた。心配するなと、どういった根拠を持って言えるのだろうか。奴の異能がわからない以上、心配は更に重く募るばかりだ。それでもペストマスクは、「大丈夫だ。」と言葉を続けた。
「どういう事だ……?」
涼太は思わず聞き返した。
その質問を待っていた、と言わんばかりに、ペストマスクはその無機質な声で勝ち筋を見据えているように返答した。
「………奴の。あの異能の弱点を見つけた。」




