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3話 『遊戯の始まり』





あれから、数時間が経った。


気が付けば薄暗くなり始めた頃だった窓の外は、すっかり闇に覆われていた。星の見えない夜空は、裕仁の心に募る不安を燻る。こういう時にこそ、誰か話し相手がいてくれればと思う。弱った心を癒すのはいつだって良き理解者の存在か、冗談言って笑い飛ばしてくれる友人の存在だ。だが裕仁がこのような状況に陥っている事を一切知らず、知ったとしてもまるで興味がないと言わんばかりに大通りの方向から街灯りが点々と浮かび上がっていた。傍目でビルから漏れる電灯を眺めながら、今日も彼らは残業しているのだろうか、と考える。皆、誰もが自分のことで忙しいのだろう。裕仁でさえも、今夜は自分自身のことでお取り込み中だ。


この数時間、ただ何もせずに鈍に時間を過ごしていたわけではない。普段のように「暇だ」と呟く暇さえなく、ただ只管に宝石の持つ『固有の力』について検証していた。簡潔に書き記された説明文を読み込むよりも、こちらの方が余程手っ取り早い。それ以上に新たな発見がある可能性もある。その方が個人的に心も踊る。裕仁は買ったばかりのゲームを、説明書を読む前に始めてしまうタイプだ。


その研究ーーと呼べるほど大層なものではないがーーの産物か、大部分を謎で構成していたこの黄緑石『ペリドット』についても分かったことは多かった。


まず大前提として、この『宝石の力』とやらは本物のようだ。科学では決して証明できない、別次元の力と言うものがこの宝石には込められている。非常識でいて、非現実的だ。そのような代物が、どういう訳か現実世界に存在している。紛れもなく、それでいて疑いようもなく異能は裕仁の目の前に存在しているのだ。それは決して夢や幻といった簡単な言葉で片付けていいものではなかった。いや、出来れば夢であって欲しかった。


“有り得ない”という絶対的な言葉も、検証を重ねるうちに裕仁の思考から霧のように消えていった。俄かには信じがたいが、信じざるをえない。裕仁はこの異質な怪異現象を、徐々に“有り得ない”から“当たり前”に感じ始めている。奇妙な事ではあるが、それは元々体の一部だったかの様に自然と扱えるのも事実。まるで手足を自分の意思で動かしているのと同じ感覚だ。気がつけば、何の疑問もなくこの異能を使用している。この自身の感情の移り変わりが、何よりも恐ろしく感じてしまった。そしてその感情は「慣れ」という簡単な二文字で片付けてしまえるような、簡単だが残酷な現実だった。


裕仁はその後も試行錯誤を繰り返し、その結果をまるで朝顔の観察日記の様に事細かく大学ノートに記していく。こればかりは仕方ない。裕仁だって男子であり少年だ。未知なる力を手に入れれば、自然と気分が舞い上がるように興奮する。それが少年心を忘れない男という性別の性なのだ。


そしてノートに綴った内容だが、先ほども述べた通り“ペリドット”の『触れた物の運動力と向きを操る』という異能は、一部の例外を除けば容易く発動させることができるという点だ。その発動条件は記述されている様に“物に触れる”ことだ。そして触れたものに何かしらの『命令』を与えれば物体は自然と、そして珍妙に動き出す。例えば、触れた物体に“飛びあがれ”と命令したとしよう。すると命令を与えられた物体は、まるでポルターガイストのように一人でに宙へと舞い始める。或いは、ロケットのように蒼穹へと打ち上げられる。“前に驀進しろ”と心中で唱えれば、高出力のアサルトライフルのように物体は勢い良く発射される。つまりは『物を自由な方向へ、自由な力量で動かす事ができる異能』だ。


それともう一つ。この異能の別の使い道は、いつも持ち歩いている“スマートフォン”にあった。


“スマートフォン”に触れれば、どういった理屈なのか操作性能が格段に向上したのだ。ここで言われる“運動力”というのは、力の量や向きだけではなく、【機械の性能のアップグレード】という効果がもあるらしい。画面上で指をアイススケーターの様に優雅に滑らせると、有難いことに何の弊害もなくスムーズな動作を行えるようになった。それは携帯依存症患者にとって非常に喜ばしいことだ。


だが矢張りというべきか、このアパート自体に運動命令を付与させることは不可能だった。大きすぎる物体、又は自身より力の強いものに対しては命令をが 与えられないのだろうか。それとも、アパートを動かせば住人や大家さんに迷惑がかかると遠慮してしまった所為なのだろうか。現段階では理由は不明だが、それが能力発動においてそれが一つ目の例外だった。原因は想定して二つ。一つは大きすぎる物は動かせない。そして二つは、躊躇すると異能は発動しないという事だ。


裕仁はその事をノートにさっと殴り書きし、その文字を丸で囲んだ。


ゲームに参加している殺人狂から自身の身を守るためには、この力を完全に掌握する必要がある。今のような固定概念に囚われた意識下での発動ならば、十中八九身を守ることはできない。いついかなる時でも自然に発動できるようになり、息をするように利用できるまで慣れなくてはならない。


まず間違いなく、相手もこの“ペリドット”のように変わった“宝石の力”を使用するだろう。


ならば異能の質の良し悪しは除き、より自身の異能を習熟するかが生存の鍵になると踏んでいる。最弱の能力も、使い方次第では最強の能力を下す。要は「使いこなせるか」それとも「使いこなせないか」が勝敗を、生きるか死ぬかを分かつのだ。


そしてこのゲームにて最も大切なのが「宝石は決して手放してはならない」という事だろう。それが自衛の前提であり、鉄則だ。外出時は勿論、学校や家の中でも例外ではない。風呂や就寝時以外は必ず手中に収めておくべきだ。というのも、宝石の“固有の力”は、自身から1〜2m離れた時点で、発揮されなくなるそうだ。それが「宝石の力」を利用できる限界範囲なのだろう。となれば、もし襲撃を受けた際に手元に宝石がなければ対処の仕様がないのだ。だからこそ、常に宝石は持ち歩かなければならない。これが異能発動に関する二つ目の例外だ。





いま深くあれこれと考えても仕方がない。


まだ何が起こるかもまだ分からないというのに、今から死刑を待つように怯えていては流石に精神が持たない。少し気分を落ち着かせなければ、夜も安心して熟睡できないだろう。だから裕仁はこう考える事にした。思っているよりも杞憂に終わるかもしれない、と。今日の午前まで平凡に暮らしていた学生が急に「空が落ちてくるかもしれない」と心配してもどうしようも無い。絵空事も良いところだ。


裕仁は宝石弄りに一区切りをつけ、明日の学校の準備をする事にした。気がつけば時計の短針は一の数字をを回っている。普段ならばもう寝る準備をしている時刻だ。これ以上遅くに就寝すれば、翌日の朝は恐ろしいまでに起床し辛い。体は怠く、瞼も重くなる。こういった場合、二度寝という深い眠りの沼に沈みやすいのだ。そうなれば遅刻の危険があり、授業も熟睡の時間となる。


「こんな事になったのなら、学校くらい休ませて欲しいもんだ…。」


こんな気違い染みた遊戯に巻き込まれても、登校拒否は許されない。遅刻する訳にもいかない。欠席は論外だ。一つ一つの授業に裕仁の単位が掛かっている。留年が掛かっている。将来が掛かっている。大袈裟に言えば人生が掛かっている。裕仁はこの馬鹿げたゲームの“挑戦者”以前に“学生”なのだ。


取り敢えず学校内では、宝石を布に包んで制服のポケットにでも入れておくのが良いだろう。そしてふとした拍子に落とさないように、ポケットの中で安全ピンを留めておくのが最善だと判断した。箱に宝石を入れて、それを学生鞄に収納していたとしても校内では鞄は持ち歩くことは滅多にない。仮に宝石を収納した箱をポケットへ入れるとするならば、それは少々窮屈だ。ただでさえ裕仁はポケットに大きな物を入れるのが嫌いだ。何よりも嵩む。箱にしまうのであればやはり鞄が良いのだが、1、2m程度など有って無いようなものだ。気がつけばすぐに宝石の範囲外へと出てしまっている事だろう。そうすれば咄嗟の行動は取れなくなる。


そう考えるならば、やはりポケットが一番良い。


それも温度や気分によって脱ぎ着するブレザーではなく、常に履いているズボンのポケットだ。ズボンを脱ぐ時など体育の時間以外にはない。


しかし何時までもそういう訳にはいかない。隠し場所が安直過ぎれば、無用心極まりない。家の鍵をいつも決まったポストに入れておくようなものだ。泥棒にはいつか場所はバレる。もし隠密系の異能の持ち主が存在すれば、簡単に奪われてしまう。そのうち、何か上手く隠す方法でも考えなければならない。


それから持ち物に忘れ物がないことを確認すると、裕仁は力なくベッドに倒れ込む。不思議と重く感じる体を、マットレスは優しく受け止めてくれた。今日だけで奇矯な出来事が幾つも起こった。どれもこれも浮世離れした奇々怪界な出来事だ。そしてそれは明日も、明後日も、明々後日も、酷ければこの先ずっと終わることなく続くかもしれない。未来は暗澹とした闇に覆われ、救いである一筋の光すら遮断する。この薄暗い濃霧を突破するには、霧中にいる自分が我武者羅に足掻くしかないのだ。もがくしかないのだ。外部に助けを乞うことは出来ないのだから。


裕仁は布団を深く被る。


そして醒め切った目を二、三度瞬きさせると、無理やりにでも瞑る。寝れる気はしなかったが、裕仁は気合いで眠りにつく事にした。





目覚まし時計が耳元で騒ぎ立てる。

何度聞いても喧しいモーニングコールだ。

小鳥の囀りとは程遠い騒音で、裕仁は夢から現に引き戻されることとなった。不快な朝の到来だ。


眠っている間はとても心地良い。

不快だった出来事も、鬱陶しかった瞬間も全てシャットアウトしてくれるからだ。夢の世界に負の感情は持ち込めない。現に、宝石のことなど綺麗に忘れて眠っていた。


もしかしたら全て夢だったのかもしれない。


そう思った裕仁は眠気眼でベッドの棚を見る。すると、緑色の宝石が朝日に照らされ「おはよう」と言わんばかりに絢爛な輝きを放っている。残念ながら、そう現実は甘くなかったようだ。夢に嫌な出来事は持ち込めないが、どうやら入り口で預かってくれているようだ。そして、帰ってくる頃に返却される。どうせならこのまま焼却炉にでも焼べてくれれば良かったのに。


裕仁は頭を掻きながら軽く舌打ちをし、登校の準備を始めた。寝癖直しに歯磨き、朝食に着替え。全てを手際よくこなし、起床から出発まで30分とかからなかった。これは遅刻の限界まで就寝時間を確保する為に編み出された、裕仁専用の究極のスケジュールだ。


「よし。」


時間に問題はない。

宝石にも問題はない。

問題なくポケットに収納されている。

依然、問題ない。


裕仁は気合を入れると、靴紐を固く縛った。


裕仁はアパートの階段を降り終えると、屈むようにしてお気に入りのスニーカーに指を触れた。そして、覚悟を決めたような目付きで、独り言をぽつりと零すように呟いた。


「前進だ。」


そして裕仁は力強く地を蹴った。

するとまるで息を合わせたかのように、裕仁が走り出すのと同時に“ペリドット”の力が発動した。命令は「前進」だ。スニーカーは裕仁が足を動かすのを待たず、勝手に前へ進んで行く。その速度は凄まじく、裕仁は不慣れな動きで裏路地を駆け抜ける。何とか転びそうになるのを堪え、必死にスニーカーの速度に足を合わせる。しかし、流石に大通りをこれで通過するのには勇気がいる。流石に人目につくのは不味い、というか恥ずかしい。路地に放置されたゴミ袋を飛び越え、我楽多を飛び越え、高いフェンスを飛び越えた。朝の風は実に爽快だ。ひんやりとした朝特有の空気を全身に浴び、非常に清々しい気分になる。昨日の出来事によって荒んだ心が、フィルターにかけられて綺麗に浄化されていくようだ。正気を疑うくらいの時刻に早起きして、ランニングをする人達の気持ちが何となくだが分かった気がした。朝風は心のクリーナーだったのだ。


裕仁は直進路をひと蹴りで通過し、障害物は華麗に飛び越え、順調に路地を邁進していた。徐々に動作に慣れ始めたようで、足の動きがスニーカーに追いつくようになった。タイミングを合わせて地面を蹴り、再び高く前へ飛び跳ねる。回転を加えて塀を飛び越える様は、まるで憧れていたパルクールをしているような気分だった。この速度ならば、もう少し遅くまで寝ていたとしても学校に遅れることはないだろう。家に帰ったら早速目覚まし時計のアラーム設定を遅らせよう。その点に関しては、“宝石の力”とやらに感謝をしなければならない。


そして気がつけば、多くの生徒が通る学校付近の通学路の近くまで裕仁は辿り着いていた。この道まで普段は十数分かかるところが、今日はたったの数分で駆け抜ける事ができた。その通学路から少し離れた地点で、スニーカーに与えた命令を解除する。それから裕仁は、何食わぬ顔をして登校中の生徒の波に紛れた。前の生徒の背を見ながら歩くこと数分、目線を前へと向ければ裕仁の通う高校の校門が見え始めた。


校門の前では、生徒会の連中が挨拶活動をしている。正直な所、個人的にはあのような挨拶運動は好ましく思わない。どうしても強制的に“やらされている”感が否めなく、あまり良いとは思えない。裕仁は彼らに投げかけられた複数の挨拶を一度の軽い会釈で返し、面倒そうに門を通り抜けた。その少し後だ。


「おはよう裕仁。」


突如、後ろから声を掛けられた。見なくとも誰か分かるほど、聞き慣れた声だ。声をかけた主は、少し訂正を加えて裕仁にもう一度朝の挨拶をした。


「あら、私としたことが台詞を間違えたわ。仕切り直して………“おそよう”裕仁。今日も遅刻ギリギリじゃないの。良いご身分だこと。重役出勤かしら?」


裕仁は早速洗礼のように浴びせられた皮肉めいた言葉に、思わず溜息を零す。しかし、そのような言われようは慣れている。裕仁は少し口角を上げたあと、いつものように言い返す。


「よぉ、雪乃。お前も今来たとこだろ? 人のこと言えないだろ寝坊助。」


こういった友人同士の自然 な挨拶ーーなのだろうか?ーーこそ、本当の挨拶だと裕仁は思う。よく「知らない人でも挨拶をしろ」と教師に言われるが、実際知らない人から急に挨拶されても挙動不審になり、まともに返すことはできないのがオチだ。それか完全に無視されるかだ。自分だけかもしれないが、少なくとも裕仁は親しき仲でこそ本当の挨拶が成立するのだと考えている。それ以外の挨拶などすべて社交辞令であり、感情など込められてはいない。それならば、しない方がマシなのではないかというのが持論だ。


そんな事を考える裕仁の前で、雪乃はふてぶてしく笑った。


「あら? 私のような押したら倒れる淑やかな女子は、野蛮な男子とは違って準備に時間がかかるのよ。起きた時間は当然、私の方が早いわ。」


彼女は自慢げに言い切ると、腰に手を当てて胸を張った。まるで小学生の言い訳のような理論で、だ。


「口だけなら何とでも言えるさ。お前の準備なんて障子すら見ていない。だからこそ、お前が俺よりも先に起きていたことも証明もできない。それに、遅いことは牛でもできるよ。」


「失礼ね。」


裕仁と雪乃は、その後も減らない口を働かせ続けながら校舎まで歩みを進めた。


この高校では学年は同じでも、校舎が分かれている。それは生徒数が多く、クラスが多いからである。一つの校舎で一学年は収まっても、もう一学年は収まらない。つまりは一年クラスが収まった校舎に二年クラスが半数。そして三年クラスが収まった校舎に二年クラスが半数収まっている。裕仁と雪乃は同じ二年生であり、そして校舎も同じだ。


二人は遅刻寸前とは思えないゆったりとした歩行速度で歩き、廊下をスローペースで進んで行く。勿論、無駄口とも呼べるような会話は一向に減らない。


「よくもまぁ、次々とそんな下らない屁理屈が浮かんでくるわね。国語の成績悪い癖に。」


「口争いに関係してくるのは豊富な語彙だけだ。論文が読めても漢文が読めても口論には何の意味もないさ。もちろん成績もな。」


そう返すと、雪乃は裕仁の顔を覗き込むようにして言った。


「語彙の“無駄遣い”ね。」


「俺は金を払って語彙を買ってる訳じゃない。だから無駄とは言わない。寧ろ、こうして今有効活用できてるじゃないか。」


裕仁は手をひらひらとさせて言い返す。それに対して雪乃は少し顎に指をかけて訂正する。


「でも時間は払ってるんでしょ? 言い改めると時間の“無駄遣い”ね。」


それに対し、裕仁は得意げに言い放つ。


「俺が感じる事の出来る“無駄遣い”は“金銭面”だけだ。」


「……幸せな奴ね。」


雪乃は目を瞑ると、まるで可哀想にとでも言いたげなニュアンスでそう言った。それから彼女は突如「あっ」と、何かを思い出したかのように声を上げた。


「どうした?」


裕仁はそう問いかけると、彼女はいたずらな笑みを浮かべて、裕仁にそっと耳打ちをした。


「今日の放課後にさ、ちょっと校舎裏まで来くれない? 裕仁にお願いしたいことがあるの。」


そう言うと彼女は長い髪を揺らし、ぱたぱたと走り去っていった。彼女の事を良く知らない人ならば、この場面は明らかに口笛を吹き鳴らしたくなるような羨ましい展開であると想像することだろう。しかし、そんな訳がない。彼女の事を良く知る裕仁……正確には中学からの付き合いである裕仁にとっては嫌な展開でしかない。裕仁は走り去る彼女の後ろ姿に、あからさまに面倒そうな顔をした。何故なら、彼女の言う「お願い」に良い思い出が一切ないからである。


奴は何かと理由をこじ付けては、無茶な願いを懇願してくる非情な女だ。此方側の意見など「知らないわ」の一言で済ましてしまい、まるで聞く耳を持ってはくれない。この数ヶ月前には、意味の分からない罰ゲームだと称して少し高めなケーキバイキングを奢らされた。その数週間前には「私への日頃の感謝をしなさい」などと訳の分からないことを抜かして、小さなぬいぐるみを強制的にプレゼントさせられた。


彼女の存在は、裕仁が金欠である原因の一つである。


裕仁はこの先起こるであろう不吉な出来事に対し、盛大なため息を吐いた。嫌な予感しかしない。そして裕仁の抱く感情など無視するように、授業開始のチャイムが高らかと鳴り響いた。瞬間、裕仁は雪乃が足早に教室へ去っていった理由を悟った。


「しまった! あいつが走りってたのはその所為か!」


裕仁は雪乃にまんまと嵌められて、無事遅刻の烙印を押されることとなった。睨むように教室を見渡せば、雪乃は何食わぬ顔をして既に席に着席していた。そしてこちらを見るや否や、机の上で小さくピースサインを作っていた。





それから時間は流れ、何事もなく放課後になった。いや、なってしまった。何かハプニングが生じて、急遽下校となってくれればどれだけ有難いことだったか。授業はいつも以上につまらなく、寝ることも叶わずに退屈を落書きで食い潰していた。流石に宝石の所持者達も学校まで押し寄せることはなかった。寧ろ、裕仁が宝石を持っていることすら知られていない可能性が高い。何故なら、裕仁も誰が宝石を持っているのかの見分けはできないからである。そのプレイヤー達をこの日本から探すとなると、ゲーム期間が無制限というのも納得がいく。期間が短ければ、最悪誰とも出会わずに終わってしまうからだ。そうなると、当分襲われる心配は無いと考えて良いだろう。


授業を終えると、裕仁は盛大に背伸びした。長時間座っていると、どうしても体が固まってしまう。しかし、いくら伸びをしても気怠さは相変わらず体を蔓延っている。そもそも、憂鬱の原因は雪乃だ。その案件を解決しない限り、体には重荷が積まれたままだ。裕仁は鞄に荷物をまとめる前に、先に厄介な用件を済ましてしまおうと考えた。面倒ごとはさっさと片付けてしまうに越した事はない。


気鬱を纏った足取りは枷がついたかのように重く、次はどのような理不尽で荒唐無稽な願いが振り下ろされるのかが不安で仕方がなかった。


階段を降りて校舎を出ると、物音を立てずに壁伝いに進んで静かに校舎裏を覗いた。すると、寂れた花壇付近に立つ、前髪の整った凛とした少女が目に移った。雪乃は既にそこで待っていた。どうやら手には何も持っていないようだ。それに様子もいつもと対して変わらない。一度大きく深呼吸をして、裕仁は彼女の前に姿を現す決意をした。口説いようだが、その呼吸は緊張を紛らわすためではない。盛大な溜息だ。


そうして姿を現わすと、雪乃もこちらに気づいたようで笑いかけてきた。


「やぁ、裕仁。遅かったじゃない。」


「悪いな。ここに来るべきか、来るまいかを悩んでいたものでな。」


「……正直ね。」


雪乃はムッとして言った。裕仁はそんな彼女を笑い、飄々と言葉を吐き出し続ける。


「俺は嘘が嫌いなんだ。」


「たった今、あなたは大好きな嘘をついたわね。」


会話もいつも通りだ。いつもの減らず口の叩き合いだ。


しかし、それが怖い。


一体どんな無茶が彼女の口から飛び出すのか分かったものではない。毎度“お願い”の内容がぶっ飛んでいる所為で、想像がつかない。裕仁はここ数日で何度目かの覚悟を決めて彼女に聞いた。


「それで………『お願い』ってのはなんだ?」


そう聞かれた雪乃は、意味ありげに含み笑いをした。そうして裕仁を見つめ、口を開いた。


「そうね。それじゃあ……」




一時の静寂。




演出するかのように、強い風が二人の隙間を通り抜ける。緊張した面持ちで向かい合う二人………まさに映画や漫画によくある、緊迫したワンシーンだ。


そして、彼女は沈黙を破った。


下唇に人差し指を当てて妖艶に、それでいてあざとく上目遣いで、何かを強請るようにそっと裕仁に告げる。その瞬間は、酷くゆっくりに見えた。






「ーー宝石ちょうだい?」

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