37話『休むことも必要』
《ペリドット》
その後、嘘の様に平和な日々が続いた。
まるで最初から宝石の奪い合いゲームなんてなかったかの様に。
裕仁に巻き付いていた包帯も、今ではすっかりと剥がれて肌には傷跡も残ってはいなかった。松葉杖も病院に返却し、ギプスの取れた腕はとても軽く感じた。そんな満身創痍から解放された日は、クラスの友達も「良かったなー!」と喜んでくれた。
しかし、この小さなお祭り騒ぎはまだ序章に過ぎなかった。
そして、大きなイベントの知らせを受けたのは、裕仁の怪我が完治したその週の土曜日のことだった。
久しぶりに寝返りを打ちながらゴロゴロとしていると、裕仁の携帯に一通のメッセージが届いた。誰からだろう、と裕仁は面倒そうに起き上がって確認すると、どうやら雪乃からの送信だった。文面を確認すると、
『日曜日に遊びに行くから、準備しとけ。8時頃に駅前ね。』
といった唐突で、やや命令口調な文面が送られてきた。確かに遊ぼうと言ったのは裕仁だからそれはいい。しかし、遊ぶ日程は明日だと言っている。彼女はまるで人の予定というものを考えてはいない。こんな前日に、それも夜に言うなどどうかしている。もう少し都合というものを考えて欲しいものだ。
……まぁ、予定などないのだが。
それから少しした後、もう一通彼女からメッセージが届いた。
『言い忘れてたけど、出来ればお金も一万くらい用意しといて。多分そんなに必要ないとは思うけど。』
その文面を見て、裕仁は溜息をついた。
一万とはかなりの額だ。一体奴は何をする……しでかすつもりなのだろうか。不安で仕方がない。
それでも彼女の提案を断ると後が怖いので、裕仁はそっと箪笥の奥に隠してある貯金封筒から、泣く泣くその額を崩した。そして、もう一度盛大に溜息をついた。
……そして一夜明け、曜日は日曜日となった。
あまり乗り気になれないまま気怠い足を動かし、集合場所である駅前の広場へと向かった。そして裕仁が到着した頃には、既に彼女達はそこに立っていた。
「遅いわね。レディをどれだけ待たせるつもりよ。」
腕を組んで不機嫌そうに立っている雪乃は、駅前の時計を指して裕仁を咎めた。普段よりも少し洒落た服装で、デニムのオーバーオールを華麗に着こなしている。こう見ると、殺人ゲームに身を置いているとは到底思えない。どこからどう見ても、普通の女子高生だ。
「いや、集合時間の五分前だろ?」
「十分前行動が基本よ。覚えて置きなさい。」
裕仁達は久々に彼女達と顔を合わした気がした。雪乃は教室が一緒なので嫌でも顔を合わすのだが、海音とは随分と久々な気がする。とは言っても、何度か怪我の様子を見に来ていたので、会っていないのはたったの一週間程度だ。それでも、妙な懐かしい感情が裕仁の心の奥底から込み上げた。
そして、そこにはもう一人居た。
彼女に限っては、もうあれから一、二ヶ月くらい経つのだろうか。一瞬、誰だろうかと考えてしまうくらい印象に残っていなかった。いや、正確には、彼女と初めて出会った時の格好が衝撃的過ぎて染み付いて離れないのだ。黒い外套と特徴的なペストマスクは今はなく、カジュアルなファッションに身を包んだ一人の女子として、彼女はそこに立っていた。
「……で、どうして私も呼ばれたわけ?」
例のペストマスクの正体である常葉葵は、ご機嫌斜めに呟いた。
「なんで、って……一応仲間だし?」
葵は海音の返答に溜息をつき、首を左右に振った。
「いや、そうじゃなくってさ……。どうして私の家を知っていたのか、って話よ。昨日にうるさいくらいチャイム鳴らしやがって。」
あぁ、そのことか。と雪乃はポンと手を叩き、悪巧みをする子供のような笑みを浮かべた。
「学校の帰り道にね、たまたま貴方を見かけたのよ。そこで声をかけるのもあれだしなぁ、と思いながら後をついて行ったら、残念なことに貴方が家に入っていってしまったのよ。」
葵は額に手を置いて、もう一度大きく溜息をついた。
「……ストーカーって犯罪だって知ってる?」
葵がそう言うと、雪乃は飄々としながら弁論した。
「別にストーキングはしてないわ。あくまでも話しかけるタイミングを探していたら家に辿り着いてしまった、ってだけよ。」
あくまで故意ではないと言い張り、その上に雪乃は葵へと攻撃的に口を開いた。
「それに、あんたの方がそこらから人形やらマネキンやら窃盗してるじゃないの。」
「あれは、彼らが自分の意思で付いて来るから窃盗じゃないの。」
それこそ咎められるのはお門違いだ。と葵は反論した。しかし、裕仁から見ればどっちもどっちだった。仕方なく裕仁は彼女達の軽い口喧嘩に割って入った。
「……それで、駅に集まったはいいが何処に行くんだ?」
そう言われた雪乃は思い出したかのように「そうだったわね」と言って鞄の中から何かを取り出した。それは、何かのパンフレットのようなものだった。
「行く場所なら、もう決まってるわ。」
雪乃は威張る様に言った。海音はワクワクしながら、雪乃に「どこどこー?」と聞き続ける。雪乃もそんな反応が欲しかった、と言いたげに小さく笑い声をあげた。
「何処へ行くかと言うとね……それは、最近できたテーマパークよ!」
ーーーーーー
駅から電車を乗り継いで、揺られること一時間。やたらと混んでいた電車もこの駅に到着すると一気に流れに乗って降りていく。裕仁達もその流れに乗る一行だ。
「もうそろそろ到着ね。」
雪乃がそう言うと、海音は嬉しそうに笑みを浮かべた。電車の中から既にテンションが高かった彼女だが、それがさらに舞い上がった様な表情になっていた。今にも走り出しても可笑しくない落ち着きのなさだ。
そして駅の階段を一段ずつ降りていくと、やたらと明度の高い派手な門が見えてきた。宮殿の様な型をした大きな入り口は、裕仁ですら少し心が踊る。そして人々はそのゲートに次々と吸い込まれていく。
「さすがに混んでるな。」
「まぁ、多少わね。」
葵もあーだこうだ言いながらもなんだかんだで盛り上がり始め、かなりの頻度でシャッター音がなっている。海音のことも「ちゃん付け」で可愛がり始め、口数も最初に比べて断然多くなっている。やはり遊園地という場所は人を童心に返すのだろうか。
暫く並んだ後にチケットを購入し、ついに入場したのが並び始めて20分が経過した頃だった。海音は受け取った地図の乗ったパンフレットを早速広げ、アトラクションを確認し始める。葵も覗き込む様にして、「ここ面白そうね」などと楽しげに呟いている。集合時に文句を垂れていた彼女も、今となってははしゃぐ子供の一人だ。受験勉強での疲れやストレスなどが溜まっていたのだろう。案外丁度いい発散の場だったのかもしれない。
「ねぇ雪乃、裕仁。あれ乗ろう!」
そんなことを考えていた裕仁の服を引っ張り、海音は嬉々とした表情でとあるアトラクションズを指差した。
「どれどれ?」と指された方を見ると、少し離れた場所に鉄塔の様なものが見えた。目を凝らすと、人を乗せたリフトがゆっくりと登り始め、そして頂上付近に達すると目にも留まらぬ速さで垂直落下していく。そこから聞こえるのは、人々の悲鳴だ。
裕仁は思わず青ざめた。
ざっと50メートル以上はあるだろうか。
ジェットコースターならまだしも、フリーフォールを楽しめる自信はない。見ているだけでも寒けがする。裕仁はそっと海音の肩に手を置き、諭すように話しかけた。
「海音、あれは地獄の乗り物だ。別のにしよう。」
「いや。あれに乗る。」
「……身長制限があるかもしれないぞ。」
「そんなに小さくないもん。」
「少し考え直して見ても……」
「絶対にあれに乗る。もう決めたもん。」
「まじですか。」
裕仁の提案を、海音はバッサリと切り捨てた。彼女の意思が揺ぐことはなかった。あの手この手で裕仁は説得するも、これに乗ると決めたら海音は一切折れない。自身の主張を最後まで貫き通した。挙げ句の果てに、海音の意見に賛成する者が現れ始めた。
「もちろん、楽しそうだから私は乗るわ。海音と一緒にね。」
「私も。海音ちゃんが乗るって言ってるんだから、断る理由もないでしょ。」
ほら、といった顔を浮かべて、海音は裕仁の顔を見つめた。そんな裕仁のトドメを刺すかのように、雪乃は嘲笑を浮かべて一言告げた。
「怖いなら別に下で待っていてもいいのよ。怖いのなら、ね。」
裕仁は逃げ道を失った。
そんなことを言われては、乗らざるを得ないではないか。それに、女子三人が乗ると言っているのに、男子が一人だけ怖いから乗らないなど言っていられない。意地でも自分が怖がっているわけではない、ということを証明する必要がある。
つまらないプライドだと思うだろうか。
それが男子という生物だ。
単純で負けず嫌い、そして無理に強がる扱いやすい単細胞生物だ。
「よし分かった。乗ってやろうじゃねーか!」
裕仁は勇んで、先頭を行く彼女たちの後ろを歩き始めた。
ーーーーー
「……やめときゃよかった。」
裕仁は情けなく、露店の側に配置された休憩スペースのテーブルに伏せていた。たった一度乗り物に乗っただけなのに、裕仁はもう一日中遊び通したような疲労に塗れた顔をしていた。これには同席している海音も苦笑いだった。
「だから言ったじゃない。待っててもいいって。それなのに、つまらない意地を張ったのは誰かしらね?」
そこへ、雪乃と葵が席へと帰ってきた。両手にはパックに詰められた軽食と、人数分の飲み物を抱えている。それらは
海音も待ってましたと言わんばかりに、雪乃達の買ってきた物を机に並べ始めた。フランクフルトにフライドポテト、焼きそばといった定番の商品はもちろん、中にはこの遊園地オリジナルの少しメルヘンなパンケーキなどがあった。
何もなかった白色のテーブルも、一気に賑やかな食卓のような温かみのある変化を遂げた。
「それじゃあ食べましょうか。」
その雪乃の言葉が合図になったかのように、皆一斉に「いただきます」と食事の開始を宣言した。
……気分を害している一人を除いて。
ーーーーー
その後も、彼女達は盛り上がり続けた。
昼食を終えてまず向かったのは、立派な骨組みのアップダウンの激しいジェットコースターだった。外からの見た目以上のスピードと落下の高さに、裕仁は悲鳴をあげずにはいられなかった。そんな彼に反して、女性組は愉快げに笑い声をあげている。よくこんな暴れ牛のような乗り物に乗って愉しめるものだ、と裕仁は心底から思った。
そして次に向かったのは、サーカステントのような屋根が特徴的なメリーゴーランドだった。ジェットコースターの次に定番のアトラクションと言ってもいいだろう。しかし、これには裕仁は乗っていない。この時の裕仁は、海音から直接任命された写真撮影係だったからだ。美しく豪華な装飾に彩られた中で、海音は白馬にまたがってステージを廻っている。そんな情景をカメラに残すのが裕仁の仕事だった。雪乃のサポートもあって、裕仁の撮影した写真は中々のものだった。馬にまたがった海音がこちらに顔を見せた瞬間、裕仁は大きく手を振る。すると、彼女もまたこちらに手を振り返してくる。この時が最も綺麗な写真が撮れるシャッターチャンスだ。そのように色々工夫を凝らした結果、海音は大いに喜んでくれた。その無邪気さに裕仁は、海音を可愛げのある妹のように思い、少しほっこりとしていた。
……何故か一緒に馬に乗って回っていた葵がどうも不思議でならなかったが。
その後、裕仁は彼女達に「お化け屋敷に行こう」と提案した。それは、絶叫マシンを楽しむ彼女達への仕返しのつもりで言ったのだが、案外あっさりとその案は了承された。お化け屋敷はそれなりに雰囲気はあった。中は薄暗くて、視界もままならなかった。暗闇の中に緑や赤の混じった独特の照明が、凍ったように冷たい空気と共に恐怖心を掻き立ててくる。
奇妙に佇む墓から地上へと飛び出してくる手。不気味な井戸から這い上がってくる血だらけの男。唐突に響く皿の割れる音。次々と現れるギミックも、クオリティの高いものがあった。それなのに、だ。彼女達はそれ程弱みを見せることなく、出口へとあっさり辿り着いてしまった。いや、もちろん吃驚の声を上げていた時もあったが、裕仁の期待していたような展開などでは無かった。決して疚しいことでは無いのだが、もう少し叫び声をあげたり、しがみつかれたりなどのハプニングもあって良かったのに、と裕仁は少し肩を落とした。何気に彼女達の中で、一番驚いていたのは裕仁だったのかもしれない。
コーヒーカップも、再び裕仁を酔わせるきっかけとなったアトラクションだった。馬鹿みたいにはしゃいだ葵が無謀にもカップを回し続け、裕仁は遠心力で外に投げ出されそうな感覚に陥った。視界は光が引き伸ばされ、色が混濁し、吐き気を覚えるには十分なものとなっていた。他のカップと比べてみても、ここだけ異様に回転が速かったのは間違いないだろう。「ギブ! ギブ!」と裕仁は何度かカップの側面を叩いてコールしたが、テンションメーターが振り切れてしまった葵にその言葉はまるで届かなかった。結局、タイムアップまでその回転は一度も止まることはなかった。
当然、裕仁の苦しみはそれだけでは終わらなかった。
船を模したデザインのバイキングに無理やり乗車させられ、弱ったところを更に空中ブランコで高さ30メートルの世界へと吊り上げられた。アトラクションから降りてきた裕仁のこの世の終わりのような表情に、彼女達が失笑していたのは忘れもしない。
そして、裕仁はこの苦難を通じて一つのことを理解した。海音に「乗ろう」とせがまれると、どうにも断れない性格らしい。それは無邪気な子供の笑顔の所為なのか、本当に彼女のことを妹のように可愛がってしまう所為なのか。とにかく、その感情が裕仁を苦しめているのは確かだった。
ーーーーー
すっかりと日が暮れ、閉園間近の遊園地にて。
彼女達は最後に、大きな観覧車に乗っていた。
「……意外と疲れたね。」
海音は満足げに、足をパタパタさせながら言った。
「そりゃあ、あれだけはしゃいでたんだ。疲れてても仕方がないさ。」
「そうねー。海音ちゃんはアトラクションもいっぱい乗ったからね。」
「楽しかった?」
雪乃は海音に優しく微笑みかけながら質問した。海音も「もちろん!」と声を張って答えた。それなら良かった、と雪乃も葵も顔を綻ばせた。
しかし、人は夢からいずれ覚めなければならない。楽しかった時間は過ぎ去り、現実と向き合わなければならない時が必ずやってくる。それは、このゴンドラの中でも同じだった。
「……また、帰ったら始まるのかな。」
今日が終わらなければいいのに。海音は寂しげに、小さくそう呟いた。その言葉には、誰も安易に返答できなかった。別に無視をしているわけでも、聞こえていない訳でもない。ただ、気の利いた言葉が見当たらずに口を噤んでしまう。「大丈夫」や、「安心して」などと安っぽい言葉を彼女に投げかけることは出来なかった。
表面上の平和など一瞬にして崩れ去る。それはまだ遠い先かもしれないし、明日かもしれない。偶々、数週間の間に襲撃がなかったからといって、明日に刺客が現れても何らおかしくない。ここにいる四人で所持している宝石は六つ。そしてきっと、自分達の知らない場所でも争い事は起きていることだろう。何人死んで、幾つの宝石が略奪されたのか。それは裕仁には分からない。そんな不安に満ちた灰色の感情が、夢見心地だった彼らの心に堰を切ったように流れ込んだ。
ゴンドラが観覧車の頂上に到達した時、漸く一人が口を開いた。
「ーー私達で、終わらせよう。」
雪乃は、そう明言した。
力強い意思を含んだ言葉に、皆の視線は雪乃に集まった。
「最初は“生き残る”事だけを目的にして戦ってきた。でも違う。このゲームが早く終わらないかな、と誰かがクリアするのを待つんじゃなくて、私達の手でこのゲームを終わらせるのよ。」
雪乃は一切の巫山戯た感情もなく、ただ真っ直ぐに宣言した。
「私達四人で協力して、宝石を12個。全て集める。」
その雪乃から飛び出した言葉に、葵や海音は椅子から立ち上がった。その勢いで揺れるゴンドラも気にすることなく、彼女たちは真剣な眼差しで雪乃を見据える。そこには期待や希望だけでなく、不安や恐怖も入り混じっていた。口で言うのは簡単だ。しかし実践するとなれば、あと何回命を賭けた殺し合いをしなければならないのだろうか。彼女の言葉を実現するには、覚悟だけでは不可能だ。確実に実力や運が備わってくる別次元の話だ。それを皆分かっているからこそ、容易に返事が出来ないでいた。
「……分かった。」
しかし、裕仁は否定しなかった。
「裕仁……!」
「ただし、俺は相手を殺さない。ただ宝石を奪うだけだ。」
雪乃は「勿論、そのつもりよ」と、指を組み替えて言った。そんな二人のやりとりを見て、海音も賛成の意見を発した。
「私も手伝うよ。力になれるかどうかは分からないけど……。」
雪乃と裕仁は、手の甲を前に重ねて差し出した。雪乃は意図を察し、満面の笑みを浮かべてその上に重ねて置いた。残るは一人だ。
三人はじっと葵の方を見つめる。葵は固く目を瞑り、眉間に皺を寄せている。そして、考えていても無駄だと吹っ切れて、葵は大声を張り上げた。
「……分かったわよ‼︎ 戦えばいいんでしょ。」
葵も雪乃の差し出した手に、手を重ねた。四人の意志が集まった所で、雪乃は気合いを入れるように大声を発した。
「絶対に、生きてこのゲームを終わらせる! そして、またこの四人で遊びましょう。これは約束よ。破った奴は一生許さないわよ!」
大きな観覧車の頂。
ゴンドラの中で結ばれた絆の約束は、かつては敵だった四人の意思を一つに纏め上げた。
この理不尽なゲームの終焉。
それが訪れない限り、彼ら彼女らの平穏な日常は返ってこない。ならば自らの手で終焉を齎し、日常を取り戻す。
それが、彼らの新たな『目標』として高く掲げられた。
今回は、誰も争わない平和な回です。
しかし少しネタバレをすると、この次からはまた戦いが始まっちゃいます(´・ω・`)
なので私も気合いを入れて続きを書いて言っちゃいます。なのでよろしくです。




