35話『無意識の本心』
《タンザナイト》
閉ざされていた視界がゆっくりと開かれると、そこにはぼやけた人影が二つ映っていた。その瞬間に不明瞭だった記憶が一気に流れ込み、一時的な頭痛が衿花を襲った。見渡すと、衿花の少し隣には瓦礫の山が出来上がっていた。この下敷きになっていたかと思うと、自分でも「よく生きていたな」と褒めたくなる。痛む頭を片手で抑えながら上半身を起こすと、二人の少女はこちらに視線を向けた。
「……お、目が覚めたみたいね。意識ははっきりしてる? この指が何本だかわかるー?」
小さな一つの人影が小さく手を振ったり、指を二本折りたたんだりと忙しなく動いている。するともう一つの人影が衿花の元に歩み寄り、淡々とした口調で話しかけてくる。
「こんな夜遅くに“おはよう”とは、貴方は珍しい人種ね。無機物の布団はさぞ冷たかったでしょうに。まぁ、兎に角生きててよかったわ。」
彼女の白銀のような髪が街灯に照らされ、衿花は眩しく感じる。先程まで視界が闇に包まれていたのだ。明かりに慣れていなくても不思議はない。不慣れな光に目を細めながら、衿花は彼女たちを見上げた。
「……本当に死なれてたら困るからね。私は人殺しは御免だよ?」
「私だって御免だわ。後味悪そうだし。」
二人は衿花をそっちのけにして、そのような会話を延々としている。
……今なら逃げられるかもしれない。
衿花は、逃走を諦めてはいなかった。
今の衿花は言わば戦意をなくしたただの怪我人だ。そのお陰か、彼女たちはまるで衿花に警戒心を抱いていない。寧ろ勝ち誇ったような態度さえ取っている。逃げるなら今しかない。
衿花の持つ宝石ーー『タンザナイト』の持つ異能力は “障害物の生成” だ。
一聞、使い道のない弱小な能力だと思うだろう。しかし、この宝石の力は無限大だ。先程の衿花のように、障害壁を幾重にも生み出し、段差を何重にも突出させて小さなバトルフィールドを創生した。つまり、本人の過大な解釈次第でこの蟻も潰せぬような力は虎を屠るまで化ける。
今度は戦わない。
逃げの一手のためだけに、この宝石の力を使うーー。
だが、そう思っただけで、『タンザナイト』の力は発動しなかった。衿花は困惑の色を見せた。今の今まで、異能が発動しなかったことはない。では何故、今このタイミングで不発したのか。衿花は考えるまでもなく、二人の少女を睨みつけた。
「……あぁ、念のために貴方の宝石は既に私が回収したわ。我武者羅に襲い掛かられても迷惑だからね。」
白髪の少女の方が、衿花の宝石を指で転がしながら笑った。まるで衿花の考えることはお見通し、と言わんばかりに頬を緩めていた。
衿花も、そりゃそうか、と自身の浅はかな考えを後悔した。元よりこのゲームはただプレイヤー同士が殺し合うわけではない。『宝石』を“奪う為”に致し方なく殺し合うだけだ。当然、衿花が気絶している間は無防備となる。ならば宝石は略奪するに決まっているのだ。その程度の事も察知出来ないくらい、衿花は朦朧としていた。出血は少ししかしていないものの、頭部を強く打った所為か未だに痛覚が響く。
「分かってるだろうけど、怪しい動きはしないでね?」
次は、ツインテールの幼子が衿花に忠告をした。 宝石さえなければ、このような子供に脅された所で何も怖くはないのだが。寧ろ、小生意気で可愛く感じるだろう。しかし、形勢が形勢だ。今の彼女の言葉の重みは、裏社会の処罰宣言よりも恐ろしい。
彼女は気付いていないだろうが、“角度を変える”というのは恐ろしすぎる力だ。もし、衿花の腕の角度を真逆にされたらどうなるだろうか。もし首の角度を著しく変化させられたらどうなるだろうか。酷く、陰惨な結果が待っているに違いない。発想を一つ残忍なものに変えるだけで、人を殺める方法など湧き水のように湧いて出る。それも『宝石の力』を使うだけなら、蛇口をひねるよりも楽な作業となる。
『宝石』は与えられる人間でその結末は大きく変わる。衿花はその事を深く理解した。そして感謝した。与えられたのが優しい心を持つ幼い少女であった事を。
「……それで、私をどうするつもりなのかしら?」
衿花は溜息交じりの吐息を漏らし、二人に問いかけた。それに対して、再び白髪の少女が冷たく突き放すように返答した。
「別に、どうもするつもりはないわ。宝石はもう頂戴したから、貴方はもう帰っていいわよ?」
まぁ、そうだろうな…と感じながら、衿花はもう一度地面に寝そべった。すると、都会の明かりに掻き消されてはいるものの、無数に輝く星々を確認できた。そういや、何で星って色が違うんだっけ。そんなどうでもいい事を考えながら、衿花は叫んだ。
「あーー、畜生! ぜってー勝ってやるって思ってたのに! 巫山戯んなよくそ!」
……ほんと、どうして負けたんだろうな。
そう、衿花は弱々しく呟いた。
そんな衿花の頬を撫でるように、夜風は静かに吹き荒れた。
「……本当は分かってるんでしょ?」
青みかかった髪を揺らしながら、少女は微風のように囁いた。
「……そうだな。油断してしまったからね。」
そう、衿花は完全にこの勝負に勝てると思い込んでいた。故に、自爆した。相手の策とも知らずに不用意に行動し、そして陥れられた。自分でも分かっていたはずなのにだ。油断は死を招く。そして、油断は最大の愚行だ。奢れば奢るほど自信は過剰になり、最終的には我が身を滅ぼす。何とも惨めな最後だった。
しかし、彼女はそれを否定した。
「ううん、違うよ。ただ単純に、貴方にやる気がなかったから。本当は戦いたくなかったんでしょ?」
そのような事を言われて、衿花は思わず吹き出した。
「ぬるいわね。私は足止めと言ったけど、貴方たちの宝石を強奪するつもりでいたわ。」
衿花はあくまで否定する。しかし、彼女は引き下がらない。
「否定してもダメ。見ていたら分かるよ。貴方はただ、あの牢獄のような場所に私達を閉じ込めて爆笑していただけ。確かに苛立ちは覚えたけど、結局貴方から実害は一つも受けてない。それが証拠なの。」
少女は顔に微笑みを浮かべながら、衿花を見つめた。それでも衿花は否定的な表情を浮かべた。そんな衿花に少女は一度溜息をついて、諭すように話しかける。
「まだ認めないの? 貴方は気付いてないかもしれないけど、貴方はいつでも私たちを仕留めることが出来たのよ?」
その瞬間、衿花は目を見開いた。
そんな場面は一つも無かったはずだ。いや、この際そんな些細な事は問題では無かった。衿花が驚いた理由は、衿花とその少女は、互いに互いの能力を脅威を分析していた点だ。そして、自身の異能に関しては全くと言っていいほど深部まで理解していない。衿花はこの小さな少女に、何処か似たような感情を抱いた。
「……一体、いつ私に何が出来た?」
「貴方が大笑いしている時だよ。私達がかなり高い場所まで登った時に、貴方が新しく横から壁を生み出して、私たちを突き落としちゃえば良かったんだよ。ゲームセンターのコインゲームのようにね。」
その他にも、とその少女は言葉をつないだ。
「壁と壁でプレス機のように挟んでしまうとか、私が立ってる地面だけ高く打ち上げて、そして素早く引っ込めてしまうとか。そうすれば体は取り残されて落下していってしまうでしょ。それ以外にも、まだまだ様々な方法があった。なのに、貴方はどれも実行しようとしなかった。」
だからやる気がなかった……か。
衿花は、彼女達が想定するような使い道は一切頭にはなかった。確かに聞いてみれば、そのような手があった、と納得できる。だが、それを自身が実行できるかと問われれば、恐らく無理だと答えるだろう。惨憺たる結果が容易に頭に浮かぶ。想像するだけで吐き気がする。
「だからね、思ったんだよ。私は、貴方のような優しい人に宝石が渡って良かった、って。」
青髪の少女は、先程よりも温かみのある笑顔を浮かべだ。何もかも彼女と考える事は一緒なんだな、と衿花は心の中で笑みを零した。
しかし、それを口にするのは恥ずかしさを覚える。彼女達とはほんの数時間前まで敵同士だったのだ。それにも拘らず、衿花はこの幼い少女に親近感を抱き始めていた。
「お前ら、名前は?」
衿花は、二人の少女に問いかけた。
するとまず、白髪の少女から返答が返ってきた。
「私は嘉嶋。嘉嶋雪乃よ。」
成る程、通りで白くて冷たいわけだ。と衿花は奇妙な納得を覚えた。その次に、一拍おいてツインテールの少女が名を名乗った。
「私は姫宮海音。海に音って書いて『まりん』って読むの。所謂“キラキラネーム”ってやつね。」
随分と恵まれた名前をしているな、と衿花は感じた。苗字に“姫”という漢字が含まれるのは、女子として一度は夢を見る。更に名前負けしていない愛らしさに、衿花はこの少女に少し嫉妬心を覚えた。
「ついでに、私は水瀬衿花。別に覚えなくてもいいわよ。」
衿花は軽く自己紹介をして、ゆっくりと立ち上がった。そして服に付着した砂利を手ではたき落とし、二人に顔を向けた。
「いいや、覚えておくわよ。でないと私が薄情な人間になっちゃうでしょ。」
衿花は雪乃の軽口に笑い声をあげながら、それじゃあ、と言い残してその場を後にした。海音も、じゃあね、と手を振って衿花を見送った。
そして、彼女達の姿が見えなくなった後、今にも消えそうな声で「ありがとう」と呟いた。
そんな彼女の小さな謝礼の言葉は、静かな闇夜に溶けて消えた。




