34話『理不尽なまでの御都合主義』
《ペリドット》
ようやく、この戦いも収束を迎える事となった。
何とも険しく、そして紙一重の勝負だった。絵に描いたようなご都合主義的な展開で笑えるが、当人からしてみれば奇跡以外の何物でもない。本来、負けるはずだった。いや、負ける未来しか見えていなかった。それほどまでに、この玄野和陰は強剛だった。にも関わらず、裕仁はこの益荒男を下してしまったのだ。
裕仁は倒れ臥す和陰を見下ろしながら、肩で一息をついた。すると、先程まで緊張感や恐怖心で麻痺していた疲労感や痛みが、急激に激痛となって襲いかかった。
「……!」
裕仁は歯を食いしばりながらその痛楚に耐え、息絶え絶えに和陰の懐を探った。この男のどこかに必ずある筈の物を、裕仁は言葉通り必死に探していた。手を伸ばすごとに、筋が切れる様な痛みが走る。それでも裕仁は、捜索を断念しない。
そして、彼のズボンの右ポケット。
そこから裕仁は、一つの小さな何かを取り出した。
それは煌びやかな輝きを放ち、その存在感は爆発的なものだった。薄暗い街灯の光を吸い込んで乱反射し、その光を何倍にも増幅させ、自らが新たな光源の様に堂々たる煌めきを放出していた。裕仁の取り出したそれは“宝石”だった。そして、一目見ればその宝石が何なのかも直ぐに理解できた。やはり宝石といえば、誰であろうと真っ先にこの輝石を思い浮かべることだろう。
ーーその名も、『ダイヤモンド』。
裕仁はそのダイヤモンドを暫く眺めてから自身のポケットにしまうと、倒れ臥す和陰の頬を何度か叩いた。ペチペチと弾かれる感覚に、和陰は低い声で呻く。どうやら死んではいないみたいだ。これで死んでいたら、一生裕仁にはこの事実が罪悪感となって付き纏う羽目になっていただろう。この瞬間、少しだが胸を撫で下ろした気分になった。それから彼は細く目を開くと、自嘲気味に笑みを浮かべた。
「そうか……俺は負けたのか……。」
裕仁は口を塞いだまま、和陰を見下ろし続ける。
そんな裕仁の顔つきを見て、和陰は力無く呟いた。
「どうした? そんな怖い顔して……。」
和陰は無理に笑い声をあげ、そして少々苦しげに咳き込む。それもその筈だ。あの勢いでビル壁に突撃したのだ。壁には大きな穴が空き、それでも止まる事なく何度も何度も幾度となく壁に叩きつけられたのだ。むせ返っても仕方がない。寧ろ、それで生きている方が可笑しかった。
そんな時、遠くからサイレンの音が木霊した。裕仁は一瞬で自分達の置かれている状況を察した。間違いない。警察がこちらに向かい始めているのだろう。そして、そりゃそうか、と頷いて勝手に納得していた。
「……少し、大きく騒ぎすぎた。きっともう直ぐ警察が駆けつけるだろうな。」
苦しげに、そして哀しげに和陰は言った。
このゲームでの犯罪行為は免除。しかし、彼はそれ以前に指名手配犯だ。宝石の奪い合いゲームなど関係なく、彼は逮捕されるだろう。自業自得と言えばその通りだが、裕仁も少しやり過ぎた気がして、罪悪感も少なからず感じている。我を忘れていたとは言え、この街をやや破壊したのも自身の持つ『ペリドット』の所為だ。
「……立てるか?」
裕仁は、ここで初めて口を開いた。
和陰は何かを感じて微笑すると
「……いや、このままでいい。充分悪さをして、自分勝手に暴れた。そろそろ大人になる時期かも知れねぇな………。」
と、うら悲しげに呟いた。そんな彼の言葉に、静かな夜風が同調する。裕仁もその風を浴びながら、何とも言えない切なさを感じていた。彼はこの先の事を、既に悟っているのだろう。裕仁は一息置いて、「そうか」と簡単に返事した。彼が決めたことに口を出しても良いことはない。だったら、裕仁が出来ることはもはや一つしかない。裕仁は最後に柔らかな笑みを浮かべて、優しく告げた。
「それじゃあな。ちゃんと大人になって出てこいよ。」
彼が「あぁ」と小さく返事するのを聞き届けてから、裕仁は足を引きずりながらその場を後にした。
《ダイヤモンド》
和陰は溜息をついた。
まさか、こんな形で現実に引き戻されるとは思いもしなかった。夢に浸った気分で破壊を繰り返し、異能を無差別に使用し、無邪気な子供のようにやりたい事をやりたいだけやってきた。
いや、『宝石』を手にしていなかった頃から、好奇心には逆らう事なく従い続けた。そして、最も和陰の興味を惹いたのは“爆発”だった。それに惹かれたのはいつの頃だっただろうか。確か幼少期、戦隊ものの番組で敵側が散る際、美しいまでの火花を散らして爆発四散したのを覚えている。きっと子供の頃、その現象が目に焼き付きいたのだろう。そして花火とはまた一味違うその絢爛な炎に、和陰は虜になってしまったのだ。
そんな昔の事を思い出しながら、遠方からけたたましく響くサイレン音に和陰は耳を傾けていた。赤色灯を煌々と光らせた、忌まわしいモノトーンの車両がこちらに接近し始めている。和陰が苦手なものベストスリーにはランクインする程度にはその存在に嫌悪を覚えていた。しかし、今ではそんなことも言ってられない。
和陰はもう一度溜息をついた。
最早逃げ果せる体力など微塵も残ってはいない。足にも神経が通っていないかのように、一センチたりともまるで動かせない。
不本意だが、何もかもを諦め、大人しく警察に手錠をかけて貰うか……。抵抗などしてもどうせ無駄だろう。ならば最後くらいは潔く逮捕されてやっても悪くはないだろう。今まで和陰が仕出かしてきた悪行に対しての、涙一粒程度の償いだ。
柄にも似合わずそんな事を考え、和陰はゆっくりと上体を起こした。
そんな時だった。
「ーーお前の敗因は、ただ“運が悪かった”。ただ、それだけだ。」
そう聞こえた瞬間、喉元に違和感を覚えた。少し触れてみると、明らかに致死量であろう血液が間欠泉のように吹き出している。搔き切られたのだろうか。しかし、不思議と痛みは感じなかった。いつ切られたのかも分からない。ただ身に残るのは、灼けるような熱さだった。
そして徐々にその意識は遠のき、重力に逆らうことなく和陰はその場に倒れ伏せた。
ーー最期に視界に映ったのは、こちらを濁った目で見下ろす、一人の少年の姿だった。
そして彼はフードを下ろし、一言告げた。
「………この物語が、お前の敗北を望んだ。だからお前は、ここで死ぬんだ。」
そんな言葉が耳に届くと、それ以降和陰の耳には何も音が届くことはなかった。




