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33話『反撃の嚆矢』




《タンザナイト》



一体何が起こっているのか……。

水瀬衿花みなせえりかは困惑していた。


つい先程まで、衿花は天在して余裕綽々と寛いでいた。だのに気が付いた時には、既に形成は天地が反転したかのように逆転していた。最初こそ、あの二人が地を這い回る姿を嘲って傍観していた。その筈だが、今ではどうだ。屈辱的にも、嘲謔していたあの二人に追い回されている。



衿花の脳内に、一つの感情だけが何度もリフレインしていた。


………何も警戒していなかった。


それは当然だと言ってもいい。衿花は天上に位置し、その他二名は地の底にいるのだ。少し過大すぎる比喩だが、強ち間違いでもなかった。一際目立つ高い柱に衿花は座していて、彼女たちからの攻撃は一切届く筈がない。それはあの二人が衿花のいる足場の周りを、ただ回り続けることから、その事は顕著だった。あの二人は攻撃する術を持ち合わせていない。つまり、宝石の力も攻撃タイプではないという事だ。その考えに達したのと同時に、衿花の中に生まれたのが“油断”だった。


先ほども述べたが、この状況では油断して当然なのだ。


刃先も銃弾も通さない完全完璧な鎧を着込んで戦場に出たとして、果たして油断しない筈があるだろうか。決して攻撃が届かない位置で、物見遊山する気分で高みの見物を決め込んでいた場合、果たして警戒する必要があるだろうか。答えは言わずもがな否だ。自分が攻撃されないと分かっていて何故用心しなければならないのか。日本人の殆どは、衿花と同じ考えを持っているに違いない。誰だってその結論に至るに違いないのだ。



だからこそ、“その弱点を突かれた”。



状況がひっくり返る瞬間は、たった一度の“不覚”によるものだった。







ーー時は少々遡り、まだ衿花が天柱の頂で哄笑を上げている頃。


愚かにも解決策を探し続けるあの二人にも徐々に倦厭を覚え始め、一度大きな欠伸を吐き出す。衿花は飽きっぽい性格なのだ。と言うよりかは、嫌な事は徹底的に忌避する性格なのだ。実際、このゲームは刺激的だが退屈だ。衿花の心を燻るような、刺戟は感じなかった。あるのは陰鬱で、弱者を徹底的に陥れて愉しむような陰惨な喜びだけだ。


そんな時、衿花の近くで何かが落ちるような音がした。何かを投げ込まれたのか。衿花は不思議そうに首を傾げ、気怠げに音の正体の方へ首だけで振り向いた。果たして何なのか。爆弾か、はたまたグレネード弾か。現代社会において、それらの所持は許容されていない故に、それらは思考の範疇から消し去った。それ以外となると、危険物となる物は特に思い当たらない。想像力が乏しいものだと自嘲しながら目に止めたものは、衿花の想像の斜め上を更に上回った。


……衿花が腰を下ろしていた近くに、何か球体のようなものが転がってきたようだ。一瞬の内に様々な思考を巡らせ、必死に答えを求めるも、無駄だと察した。そして衿花は何も考える事なく、無用心にもその球体を拾い上げた。


そして僅かながらにも抱いていた疑念は霧消し、確信に変わった。


拾ってみればわかる。これはただの軟球のゴムボールだ。何も仕組まれても、仕込まれてもいない。指で押せば凹む程度には柔らかくて、当てられても然程痛くはないだろう。こんな物で彼女たちは倒すつもりだったのだろうか。もしそうなのであれば、とんだ茶番劇だ。笑わせてくれる。呆れて物も言えなくなるほど愚劣極まりない。



彼奴らに投げ返してやろう。

そう振りかぶった瞬間だった。


何かが宙を舞ってくるのが、衿花の視界の端に映り込んだ。


またボールだろうか。


いや、大きさがまるで違う。


ならば、あれは何だろうか。


あれは…………







人だ。







衿花がその結論に達した頃には、既に数瞬遅かった。










《ガーネット》



彼女に投げ渡したボールは、一つの“座標点”だ。


雪乃がその地点に移動する為の、レールの役割を果たす座標だったのだ。



当然彼女はそんな事はいざ知らずに、ボールをいとも簡単に拾い上げてくれた。実に有り難い話だ。だからこそ、雪乃はこの女性に、本来なら不可能である一撃を浴びせることができたのだ。


手が届かない、遠距離の攻撃ができない。そんな規制が張り巡らされる中、決して浴びせることができない一撃を、雪乃が彼女に与えることが出来た仕組みはこうだ。とは言っても難しいことや、複雑な深謀は何一つとしてしていない。


ただ、彼女に投げ寄越したボールと、雪乃自身の持つボールを宝石の異能によって“繋げた”だけだ。ただ、それだけの単純な事だ。



雪乃の持つ『ガーネット』の“繋げる能力”にも、大きく分けて二つの方法がある。



一つは、“離れた対象物を引き寄せて繋げる”方法。


例えば、手元に切り離された一部の紐を握っていたとしよう。そしてバラバラとなった紐の切れ端は、床に投げ捨てられたように散乱している。それらの断片を『ガーネット』の能力によって、握っている紐へと集めて繋げる事が出来るという方法だ。一番最初に裕仁と戦闘した時は、この方法を用いて物体と物体を連結させていた。



そしてもう一つは、“離れた対象物を座標とし、その地点に物体を引き寄せて繋げる”という方法だ。


先程と同じように例を挙げるとするならば、床に散らばった紐の断片の一つを“座標点”として設定する。その収集活動の中心となる紐の一切れに、全ての断片を集めて一つに繋げるという方法だ。これは海音を追いかけていた際、梯子が破壊された時に雪乃が使用した方法だ。



その二つ目の“繋げる”方法を用いて、雪乃は衿花に接近する事に成功した。


雪乃の持つボールは衿花の持つボールに磁石のように引き寄せられ、ボールを持つ雪乃を道連れにして宙を舞ったのだ。それが、不可能な一撃を与えたトリックの種明かしだった。


ただ、それだけではこの作戦は成功しなかっただろう。このような子供騙しが通用した理由は、彼女が極限まで油断してくれたからだろう。何故、雪乃は海音に「宝石の力を使うな」と指示したか。確かに海音の“角度を操る”異能は強力だ。不意を突けば、一瞬でカタがついたかもしれない。だが、雪乃はそれをしなかった。


その理由は、彼女をとことんまで持ち上げ、今の自分が無敵であると思い込ませるためだ。


常に張り詰めたような警戒状態では、何かアクションを起こせばすぐに対応されてしまう。それ以上に、怪しい行動をすれば、更に警戒心が高まってしまう。まだ何かを隠している、また何かを仕掛けてくるかもしれない。そう思われてしまった場合、如何なる策を弄そうとも、一切通用しなくなってしまう。それでは困るのだ。


だからこそ、雪乃と海音は自身が攻撃の手段を持ち合わせていない“無能”を装った。そして、只管何か解決策を捜すように延々と時間を引き延ばし、彼女の飽きを誘った。最初はさぞ楽しかった事だろう。だが、同じような状況が長く続けば続くほど、怠屈感は増しに増していく。まるで縷々と続く出口のない高速道路を永々と走るような、倦怠感が彼女に襲いかかったことだろう。


そして、退屈は人を殺す。痺れを切らした人間が起こす行動は一つ。“早くその時間を終わらせようと躍起になる”事だ。授業から早く解放されたい学生が時計ばかりを眺めて教師の話を何一つとして聞かないように、倦怠に支配された人間は周りの物が見えなくなるのだ。それは最早、警戒心が何一つない状態と言ってもいい。そんな症状に陥った彼女は、その手でボールを拾い上げた。何の策もなしに、このような場面でゴムボールを投げる筈がないだろう。もう少し頭が回転したならば、すぐに捨てるなり、下へ蹴り転がすなり何らかの対策を取った事だろう。しかし彼女はそれをしなかった。そう行動させることこそ、雪乃の計略だった。




そして、時は現在に戻る。





……今の雪乃は、縦横無尽に宙を駆け回る狩人だ。今の雪乃にとっては最早、高度の異なる段差などあってないようなものだ。地面に墜落する前に二つあるボールの内一つを天高く投擲し、そのボールを繋げてまた空高く舞い上がる。その行為を繰り返す事で雪乃は簡易的な飛行を可能とし、逃げ回る獲物を追い回していた。


雪乃の標的である彼女もまた、そう簡単に捕まってはくれない。どういう仕組みなのか未だに理解ができないが、段差を器用に突き上げ、雪乃の空中移動の妨害を謀ってくる。また、どこからともなく金網が湧いて登場したり、網が降ってきたりと可笑しな出来事が相次いで起こり始めていた。ただ壁を作ったり高さを変えたり…というのが彼女の持つ宝石の力かと思いきや、どうやらそれだけでは無いらしい。



「はやく諦めて捕まって頂戴よ。この移動、案外腕が痛いのよ?」



雪乃は再びボールを投げ、そして捕まえての動作を反復し、不恰好ながらにも宙を駆け巡りながらぼやいた。冗談めいた口調だが、腕に負担がかかるのは本当だ。念のために雪乃とボールが離れないように繋げているが、ジェットコースターに片腕でしがみついているような状態だ。辛くない筈がない。それでもそれを悟られないように、態と諧謔の様に口にした。


彼女からは、大きな舌打ちの返事が返ってきた。苛立っているのだろうか。それはつまり、雪乃に怒りの矛先が集中し始めているという事だろう。もしそうだったならば、どれ程有り難い話だろうか。



まるで身軽な道化師の様に、彼女は跳ねて、蹴って、飛んで、と高低差のある段差を超えていく。それでも、アップダウンの激しい地を行くか、何も障壁のない空を行くかを比べれば、矢張り速度の差が生まれる。如実、彼女と雪乃の距離は徐々に狭まっていた。



再び彼女から舌打ちが聞こえた。


すると何を考えてなのか、彼女はその場に立ち竦んで雪乃に眼光を向けた。


何か妙案でも思い浮かんだか、或いは罠かもしれない。だが、雪乃はこの隙を逃すわけにはいかなかった。雪乃は彼女に向けて、速球を投げつけた。上から下へ向けて投擲されたボールは普段より速度が増していた。それから遅れて一瞬。『ガーネット』の異能を用いて、雪乃は一気に彼女との距離を詰めた。




しかし当然と言うべきか、やはり罠だった。彼女はしてやったり、と一笑を浮かべると、雪乃の投げたボールを新たに高く築いた壁で打ち払った。ボールは一度壁に跳ねると、物理法則に従って落下を始める。


一度発動させた『ガーネット』の異能は、繋げ終わるまでその効力を切断することは出来ない。雪乃は軽く舌打ちをし、ボールを追いかける形で自分自身も落下運動を開始した。


雪乃の体は、ボールの動きと比例するように下へ下へと落下していく。繋がるべき“座標点”が未だに下がり続けているのだ。



「ーーしまった!」



と、雪乃は一応叫んでおいた。






《タンザナイト》




何とか、この危機を乗り越えることができた。



勝ち誇っていた奴が落ちて行く様を見届ける衿花は、勝利を確信するような笑みを浮かべた。


そして、衿花はこう考えた。


“今の内なら逃げられる”と。




それは、また油断だ。

追い回される弱者は、追う強者を退かせた余韻に浸る。その他にも脅威があるのにも関わらずだ。初めて危機を体感する弱者は、追われている間にその強者ばかりに気を取られ、外部に控える強者の存在を忘れてしまうものだ。



衿花は忘れているのだ。



一つ、絶大な力を持つ少女の存在を無意識のうちに忘却していたのだ。それがあの女のもう一つの“策略”だったとも知らず、衿花は綺麗に忘れ去ってしまっていた。




「…最近、こんな役回りが多いのよね。目立ってないというか、忘れられてるっていうか……。私ってそんなに影薄かったかな?」



ねぇ、お姉ちゃんはどう思う?



そんな声と同時に、突如として衿花が立つ柱が大きく傾いた。まるで重力の位置が変化したかのように、衿花の重心を強く揺さぶった。力を込める爪先が足場を離れ、坂道を転がり落ちる小石のように、衿花の体は抗うことも出来ずに回転しながら落下していく。



衿花にとって、天変地異並みの衝撃だった。


まさかの出来事に、衿花は声が出ない。重力に流されるままに落ちていく。


このまま落ちていけば、必ず捕まってしまうだろう。それだけは何としてでも避けなければならない。ここは恥も誇りも何もかもを捨てて、逃走に徹するしかない。


衿花は咄嗟に落下地点に段差を配置し、転落を回避した。そして同時に四隅に配置していた墻壁を解除し、衿花は本格的な逃亡を開始した。





凹凸の激しかった段差を元のフラットなアスファルトに返戻し、その道を一気に駆け抜ける。先程までアスレチックのようだった大通りも、まるで嘘だったかのように綺麗な平坦な道となっていた。


念のために金網フェンスを逃走経路の背後に設置し、追っ手を拒んだ。







「あぁー……。それをやっちゃあ、もうお前はおしまいだよ。」





衿花の背後から、そんな声が聞こえた。



背を指でなぞられるような妙な寒気を感じた衿花は急いで振り返ると、そこには目を疑うような光景が広がっていた。


道路に無断駐輪している自転車や、店先に並んでいた植木鉢、又はゴミ袋など、その他にも様々なものが衿花を目掛けて飛来していたのだ。思わず衿花は声を荒げた。



「ーー何よこれ! 一体お前は何をした⁉︎」







そんな衿花の訴えも虚しく、彼女は我楽多の山に埋もれて姿が見えなくなった。










遅くなって申し訳ありませぬ。

1週間も間が空いてしまいましたね(;_;)


ストックが尽きたので、これから少し投稿ペースが落ちるかもしれません。ご了承下さいましϵ( 'Θ' )϶

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