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2話 『宝石の力』

【十二人で宝石を奪い合って下さい】






手段、方法は一切問いません。

12個の宝石全てを自らの手元に揃えた者が、今ゲームの最終勝者となります。


そして勝者にはそれなりの“賞金 ”をご用意させて頂きます。


詳しい説明は同封の冊子をご参照ください。それでは、健闘を祈ります。



運営より。





箱の中に同封されていた手紙を全て読み終えた裕仁であったが、余りにも突拍子のない話で理解が追いつかなかった。混乱の糸は複雑に絡まり、解く糸口さえ見当たらない。とは言っても、書いてあることは分かる。単語の意味も当然分かる。勉強は嫌いでも、流石にそこまで馬鹿ではない。ただ、矛盾するようだが手紙の内容が全く理解できなかった。


ゲーム?

奪い合い?


漫画や軽小説でしか見たことのないような、単語とシチュエーションのオンパレードだ。よもや、そういったファンタジーとは無縁な現実の世界でお目にかかれるとは思ってもいなかった。そしてそのような理不尽極まりない迷惑ゲームに、まさか自分自身が巻き込まれようとは想像だにしていなかった。


だが実際に、素人目にも高価だと分かる宝石が送付されている時点で、唯の悪戯としてこの事態を済ますことも出来なかった。まるで見せつけるように存在感を放つ宝石は、きっとこのゲームとやらの信憑性を向上させる効果も含んでいるのだろう。もし運営側がそういう意図を込ていたのであれば、効果は抜群であったと渾身のアイロニーを乗せて伝えてやりたい。でなければ、やられっ放しのような気がして非常に不愉快だ。


しかし幾ら宝石が本物であろうと、このゲームが胡散臭いのには変わりない。全く現実味を帯びておらず、真実性に欠けている。これももしかすると、新手の詐欺の一種なのかもしれない。ならばここからは何の知識もない一介の高校生が出る幕はなく、大人しく警察組織に押し付ける方がいいだろう。だが、だからと言って馬鹿正直に事情を伝え「助けてください」と警察署や探偵事務所に行って相談する訳にもいかないのだ。信じてもらえるかどうか以前に、門前払されるのが目に見えている。それどころか厨二病の患者として、冷ややかな視線を無慈悲に浴びせられる事だろう。自作小説のネタ作りがしたいなら自宅で大人しくしてくれ、と。仮に話を最後まで聞いてくれる優しい人物に当たったとしても、もしその宝石が盗品だったならば、真っ先に疑われるのは裕仁自身だろう。そのまま無実の罪を背中に縛り付けられ、この先の人生をじめじめとしてそうな獄中で過ごすのはまっぴら御免だ。幾通りかの未来を想像した裕仁は手紙から目を逸らし、諦めたように宝石を朧げに眺める。


「‥‥‥どうやら厄介なものに巻き込まれてしまったようだな。」


だが、このまま不貞腐れていても仕方がない。まず優先すべきは現状の把握と情報の収集だ。どんな小さなことでも、掻き集めれば少しは実態が見えてくるかもしれない。RPGの世界でも現実の世界でも、それはきっと正攻法に違いない。嘘や悪戯であると確信できない以上、現在地点で得られる情報は全て手に入れ、最善を尽くした方が良いだろう。それが裕仁の出した結論だ。たったの砂一粒だろうと、情報を蔑ろにする者は情報に泣く。たかが砂であろうと集まれば泥団子だって作れるし、城だって作れる。互いの戦力が拮抗していた場合、勝利を収めるのはいつだって情報収集力が優れた側だ。そうだと遥か太古、狩猟と採集の時代から相場が決まっているのだ。少年漫画に教えてもらった。裕仁は頭を指で掻き、仕方なく冊子の方に目をやった。


冊子は思った以上に分厚く、それなりの重みがある。かつて自宅にあった辞典に引けを取らない。だが、それ以上に目を惹くのは外装であった。重厚感のある黒革で装丁されている所為だろうか、胸糞悪いが肌触りはとても心地よい。先程の手紙の内容によると、『奪い合いゲーム』とやらの詳しい情報や説明は全てこの冊子に記されているという。この革装の冊子は、所謂“ルールブック”の役割を担っているらしい。黒色の表紙には金糸で『Competition for the Gemstone』と綴られている。英語は得意ではないが、辞書を使えば読めないこともない。裕仁は学習机に立てかけられた英和辞典を手に取り、指でなぞりながら不慣れに索引を始める。英単語が単純だったお蔭か、検索にそこまで時間はかからなかった。この英文を直訳すれば『宝石の争奪戦』。何とも直接的で分かりやすい題名だろうか、と裕仁は思った。同時に、争奪戦という言葉に言いようのない一抹の不安を抱えた。


「これ、中の説明文まで英語だったら困るな。」


そう思いながら厚い革の表紙を捲ると、「ルール説明」と日本語で書かれていたことに少し安心する。中身はともかく、本の見た目だけでも良くしたかったのだろうか。ここまで宝石やら便箋やらと高級感を漂わせてきたのだ。説明書だけコピー用紙の陳腐なものでは格好がつかないという事なのだろう。洒落た英文字に金糸なのがそれを物語っていた。


それにしても、一つ一つの小道具に金がかかり過ぎている。その点がひどく疑問であった。安物か高額かの判断は鑑定家でもない裕仁に見極めることは出来ないが、金糸は高いものなら五万を超えると聞いたことがある。洋書革装丁も高級な物なら余裕で万を超える値段がするらしい。それが十二人分用意され、挙句の果てに全員に一ずつの宝石ときた。このゲームの運営とやらは、相当な富豪集団のようだ。それとも、パトロンとして何処かの金持が出資しているのだろうか。財産をこんな事に無駄遣いするなど、一般市民である裕仁には全くもって理解できなかった。そして理解したくもなかった。


やはりどうしても、真実味が欠落しているのだ。まだ、どこかのテレビ局が『ドッキリ大成功』と書かれたパネルを持って現れたほうが余程現実的な範疇だ。「騙された」の一言でこの件も終わりにできる。多少苛立ちはするだろうが、心に張り付くような靄は霧消し晴れるだろう。裕仁はどこかそうであってほしいと願っていた。そのような淡い期待を抱きながらも、裕仁は冊子の説明欄に目を落とした。そこに記されている幾つかのルールは、箇条書きで簡潔に書き出されていた。





《ルール説明》



・このゲームでの勝利条件は、【十二個の宝石を揃える】ことです。


・期間は【無制限】。勝者が決まらない限り、何年でも続きます。


・勝者には賞金【1億円】が贈与されます。


・手段や方法は問いません。勿論、【傷害行為、殺人行為】も許可します。罪に問われる心配はございませんのでご安心下さい。





裕仁は唖然とした。それは呆れや茫然と同時に、驚愕に似た衝撃も含まれていた。無意識のうちに裕仁の口は間抜けのように開いており、塞がことができずにいた。この「宝石争奪戦」とやらは、余りにもぶっ飛んでいる。この企画を考案した人は恐らく、いや絶対にどこか狂っているに違いない。頭のネジが一本や二本外れたわけではなく、元から一本足りとも締まってはいないのだろう。現実と空想の区別もつかないような“ゲーム脳”の持ち主であることに間違いない。おいおいと涙がこみ上げ、同情すら覚える。可哀想だが、考案者はとても正気の沙汰であるとは思えなかった。悪いことは言わない。この企画を考えた人物の身近にいる人は、早い内に大きめの精神病院を紹介してやったほうが良い。


この説明の内容を簡単に纏めれば「勝てば一億円。負ければ最悪の場合、見知らぬ誰かに殺される」。つまり、死か金か。ハイリスク・ハイリターンもいいところだ。死ねばライフが一つ減り、復活できるほど現実は甘くない。死ねばそこで人生終了であり、ゲームオーバーだ。この先還らぬ人と成り、二度と目覚めることは無くなる。棺を担いで協会にお金を貢ごうが、その行為は無意味なのだ。


ただの平凡な高校生である裕仁も、流石に楽観視できない状況であった。最早他人事ではない。狂気に染まった殺人ゲームの渦中に自分自身が巻き込まれてしまったのだから。こんな基地外染みたゲームで命を落とすなど、「今日から一人で無人島でサバイバルしてください」と言われるよりも納得がいかない。裕仁は己の不運さを恨んだ。ちょっとした規定や約束事なら破ったことはあるが、犯罪は犯したことはない。それどころか暴力もまともに振るったことがない。波風立てずに平和に暮らしたい、典型的な事なかれ主義だ。親の言うことを聞かなかったことはあるが、強く反抗したことはない。ましてや、神に見放される覚えも微塵としてなかった。


「おいおい‥‥‥これは何の冗談だ?」


“殺人の許可”。どうしても賞金の説明欄より、このインパクトの強い五文字に目が着く。釘付けになったようにその文字から目線をそらすことが出来ず、鼓動の波打ちが速くなる。決して金銭的な欲がないわけではないが、自分から一攫千金するぞと意気込んで参加を申し込んだわけではない。金など元よりない。貰えても貰えなくともこのセルフ貧乏生活は変わることはないだろう。そもそも一億などという桁の金額など想像もできない。欲しくないといえば嘘になるが、人を殺してまで手に入れたいとは思わない。だったら優先順位的に、自身の命を心配するのが先だ。この馬鹿げた遊戯で命を刈り取られてしまったならば、一周回って笑えてしまう。だが、裕仁にしてみれば何一つとして面白くない。裕仁はまだ学生だ。絶対にこの職業に就きたいという夢はないが、将来やってみたい事は山程ある。挑戦してみたいこともある。だからこそ、こんなゲームで惨めに死ぬ訳にはいかないのだ。


裕仁は荒くなりつつある呼吸を落ち着かせると共に、平静さを取り戻そうとする。焦燥に駆られると、頭脳は思うように働かない。思考は硬くなり、柔軟に状況を受け止めきれなくなる。考えるためにはまず落ち着く事が先決だ。





裕仁は心を落ち着かせ、瞑想するかのように目を固く瞑って考えていた。よくよく思考を巡らせてみれば、“死からの逃げ道”は多数にある。寧ろ死ぬ可能性の方が遥かに少ないだろうという事に気が付いた。


その理由は、誰も彼もが“戦闘大好き人間”というわけでは無いからだ。強い奴と戦いたいなんて考える輩はそうそういない。そんな戦争や紛争の渦中で生きて、殉難したいと考えるのは何処かの戦闘民族だけで十分だ。恐らくだが、裕仁と同様に参加に積極的ではないプレイヤーの方が多数を占めるだろう。突然このような凶悪事件に近いゲームに巻き込まれ、瞬時に「よし、やってやろう」となる人間は圧倒的に少数だ。人は自身の命が掛かっていると理解した瞬間、消極的で臆病になるものだ。参加者の全員がその恐怖に打ち勝てるほど、屈強な精神を持ち合わせているとは限らないのだ。


もし仮に、大半が血を望むような血迷ったプレイヤーであったとしても、もう一つだけ逃げ道が残されている。一層の事“宝石を他のプレイヤーに譲渡してしまう”という手だ。このゲームに自分から進んで参加する必要はないのだから、誰かに途中で宝石を渡しても問題は一切ない。自ら進んで他プレイヤーに渡す事は、ルールブックに禁止とは書かれていない。我ながら妙案だ、と裕仁は胸を撫で下ろした。だが、この作戦には巨大すぎるリスクもある。濃厚でタールのように黒い不安要素は、これを間に受けてしまう“おめでたい脳”の持ち主か“殺人狂”が必ず一人はいるという事だ。人を殺して罪に問われないという時点でまず、「人を殺してみたかった」と言う奴が名乗りをあげるだろう。そして次に「人を殺すだけで金と宝石が手に入る」というサイコパスが欲を剥き出しにし、口の隙間からよだれを垂らしながらナイフに手を掛ける。もしそんな相手に大人しく宝石を差し出したとして、命を保証してもらえるだろうか。いや、してもらえないだろう。九割九分九厘、口封じや興味本位で殺されるのがオチだ。そうなれば逃げ道はない。この作戦を使用するには、人を見極める審美眼が求められるのだ。要するに宝石を譲渡しようとするならば、死ぬか生きるかは結局50パーセントなのだ。何とも酷い話だ、涙が出る。


そんな犯罪者予備軍の頭数が多ければ多いほど、忍び隠れど死の可能性は鰻登りに上昇する。裕仁が現時点で唯一出来るのは、自分のような争い事を嫌う穏健派ばかりに宝石が配られるのを祈る事だけだ。流石にこれ以上、神も哀れな子羊を見放さないだろう。そうであると信じたい。そうでなければ、知らぬ土地で無神論を呪詛のように唱えることとなるだろう。


大きく溜息をついた後、裕仁はもう一度冊子に視線を戻した。あまりにも酷な内容に気を取られ、まだ途中であったことを思い出した。それから文字を端から端まで流すように読み、重要そうな部分だけ拾い上げていく。その中で一つ、気になる項目が裕仁の目に留まった。



・【宝石】にはそれぞれ、固有の『力』が宿っております。詳しい情報に関しては、次頁をご覧下さい。



ルールの最終項目に『宝石の力』という見慣れない単語があった。一見して何の事かさっぱり分からない。“パワーストーン”のような「運気上昇」の事を指すのだろうか。それとも、また別の要素が隠されているのだろうか。どちらにせよ、また俄かに信じ難いような展開が待ち受けているのだろう。詳しい説明は次頁を見ろとの事だったので、裕仁は紙を一枚捲った。分からないことを長々と推察したところで、結局は机上の空論。水に絵を描くような無駄な行為に等しい。それならば、早々に諦めて答えを見た方がよっぽど賢明だろう。テスト勉強だって同じだ。


次の頁には、宝石の写真と共に解説が長々と掲載されていた。文字は米粒のように細かく、見てるだけで目と頭が痛くなる。こういう系は裕仁に堪える。ただでさえ一ページに文章が二段ある小説は苦手なのだ。いや、小説や物語ならばまだいい。読み進めれば話が展開され、自分もその世界の中にいるような気分になれるからだ。しかし、解説文や説明文は非常に好まない。それ以前に何も面白くない。興味のないテーマが題材であれば尚更だ。終わりの見えないような長い解説は、一目見るだけで読む気力を損なわせる。文字の一つ一つが悪魔のように見え、嘲笑を浮かべているようにすら感じれた。だからだろうか、裕仁は真っ先に“宝石の写真”に目が留まった。写真に写った宝石は映えるような緑色に輝き、まるで瑞々しい草木を想像させる美しさを秘めていた。ただの写真ですら、このような詩的な感想を無意識のうちに思わせる。その写真に写っている姿は恐らく、裕仁の手元にある宝石で間違いないだろう。その宝石の名は『ペリドット』というそうだ。





【ペリドット】


別名『夜会のエメラルド』


モース硬度 6.5〜7.0


石言葉 『夫婦の幸福・平和・安心・幸福』


8月の誕生石





その他にも、何故『夜会のエメラルド』と呼ばれるようになったのか。どういった成分で構成されているのか、安価な物から高価な物までの値段の差など、実に十数ページに渡って様々な事が記されていた。よくもこれだけ書くことがあるものだ、と作者に思わず関心してしまう。だが、裕仁は宝石の事を「美しい」と感じていても、別段宝石そのものに興味がある訳ではない。ましてや成分などの説明文は読む気すら起こらなかった。意味不明な数式の羅列が、まるで侵略者のように冊子の中を踏み荒らし跋扈していた。奇妙な記号に至っては、中学二年生が考えた漫画などに登場しそうな紋様だった。


それでも大切な情報があっては困る。裕仁はショート寸前を警告する頭痛に悩まされながらも、飛ばし飛ばしで諦めず、それでいて惰性で読み続けた。今はただ『宝石の力』とやらが何なのかが知りたいのだ。


そして、裕仁の目は一つの説明欄に止まった。





【ペリドット 固有の力】



『触れた物の運動力と方向を操る』



この宝石を所持している貴方は、指先で触れた物体に自由自在に“運動”を与えることができます。


例えば、ボールに触れた状態で「進め」と命令すれば、忽ちボールは貴方の命令通りに前へと動き出します。ボールに触れて「飛び上がれ」と命じれば、ボールはその場で上へと飛び上がるでしょう。



・そもそも固有の力とは…


今回のゲームで用意させて頂いた宝石には、それぞれ『固有の力』と呼ばれる『能力』が付与されています。宝石によってその種類、系統は様々です。宝石を所有している人物は、『固有の力』を使用するための媒介となります。その『固有の力』は、宝石を所持している状態でのみ発動できます。


つまり他のプレイヤーに宝石が渡ると、貴方が現在所有している『宝石の力』はその相手プレイヤーに移り、貴方は力の源である宝石を失ったので能力は使用できなくなります。


簡潔に述べるならば、集めた宝石が二つ、三つと増える度に使用できる異能は二つ、三つと増えていきます。当然ながら十二個の宝石を集めれば、その十二個の宝石が持つ力を全て使用できるようになります。勿論、宝石の所有数が0の場合、異能を一切使用できない『無能力者』、ただの『一般人』となります。


ルール上、公平性を期すために他のプレイヤーの持つ宝石の『能力』は教える事はできません。


その辺りも是非、戦略に加えてみると良いでしょう。





「ついに『異能』なんてものまで出てきやがった。やっぱり胡散臭いな、このゲーム……。」



裕仁は引きつった笑みを浮かべた。最早笑う事しか出来なかった。異能なんてこの世に存在しない。してはいけない。する筈がない。そのような非現実的な力が有ると考えているのは、世界一馬鹿な生き物である中学二年生程度だ。そして裕仁はその時期はとうに通り越した。今は歴とした科学万能主義ーーさすがにそれは言い過ぎだがーーだ。この宝石が手に渡ったのが中学生だったならば、今頃異能に漢字で名前を与え、片仮名のルビを振った挙句に自己満足のポーズを考え出していることだろう。知っている限りの語彙を尽くし、無駄に熟語を羅列させて魔術詠唱気分を味わっているかもしれない。そんな想像をしていると、妄想内の中学生が惨めで情けなく思い、肌が痒くなるような痛々しさを感じた。裕仁は冊子の超現実的な説明文を鼻で笑い飛ばすと、宝石を持つ為に近くに置かれた布を拾い上げた。


馬鹿げていても、実際には試さない訳にはいかない。これが事実であれば、状況は更に大きく変わる。勿論、調査のためだ。これはこの宝石の『固有の力』とやらの情報の正確さを確かめるためであり、これっぽっちの自らの意思は含まれていない。あわよくば異能を使えるなどとは、一切思ってもいない。わくわくもしていない。


布を選んだ理由はこれといって深い意味はない。ただ、宝石に指紋をつけるのは何故か勿体無い気がしたからだ。もしかすると、宝石の価値が落ちるかもしれない。後々弁償しろなどと架空請求業者などが押しかけてきて文句を垂れられても困るだけだ。


そして裕仁は、何か手頃なものがないかとあたりを探し始めた。この宝石の力は『触れた物の運動力と向きを操る』というものらしい。説明にあった通り、何かに触れれば良いという事だ。それだけで異能は発動する。信じてはいないが、試してから大声をあげて笑い転げても遅くはないだろう。試してから運営を罵っても遅くはないだろう。



そう考えた時、何かが起こった。


何が、と問われても理解ができないので説明のしようがない。目の前で唐突に起こった出来事に脳の処理は追いつかず、裕仁の口から言葉が漏れることはなかった。ただ呆然と口を開け、その不可思議な出来事に目を奪われていた。一体何が起こったのか。裕仁はもう一度、反芻するように先ほどの出来事を頭の中で思い返した。


裕仁は、宝石に触れるために手近にあった布を持っていた。そして布を右手に覆わせ、宝石を丁寧に掴み取ろうとした。


まさに、その瞬間だった。


まるで風に煽られたように、下から何かが持ち上げるように、布は裕仁の手元からふわりと宙へ舞い上がったのだ。話だけ聞いていればそこまで驚く事でもないのかも知れない。案外、事実は無意識の内に手を動かしてたなんて非常に滑稽で面白味がないものなのかも知れない。小学生の頃に流行した“コックリさん”でも、結局は無意識の内に自分で十円玉を理想的に動かしているのが原因である。


だがこの体験を経験した張本人である裕仁は、驚きを隠せなかった。


当然、自分で上へ投げたわけではない。そして室内に下から上へ風が吹くはずもない。そんな不便な通気孔があるならば、そこはきっと致命的な設計の欠陥住宅だろう。その部屋に似合うのは、きっとマリリン・モンローのような白いドレスの似合う素敵な女性だ。


だったらどういう訳だろうか。いや、考えるまでもない。結論は既に出ていた。



“布が勝手に宙へと舞い上がった”のだ。



そうであるとしか、説明の仕様がなかった。布はそのまま何事も無かったかのように舞い落ち、パラシュートのように地面へと緩やかに着地する。その様子を見つめながら裕仁は、数秒遅れて漸く悟った。


これが【ペリドット】の持つ固有の力……『触れた物の運動力と向きを操る』異能なのだと。


触れた物に対して自由に運動命令を与え、その向きや力までも自由に操作できるという非常に仕組みが不可解な異能だ。たった今、宝石を掴もうと裕仁の右手は布に触れた。裕仁はこうなるかもしれないという期待の意を、知らぬ間に布に命令として与えていたのかもしれない。


裕仁はこの『宝石の力』の件を「やっぱり、何も起きないじゃん! 馬鹿らしい、もう寝よ!」程度の反応で終わらせるつもりだった。異能などというものは絶対に存在しない、と思い込んでいたからだ。事実、本来は存在しないのだろう。異能などというものは馬鹿馬鹿しい存在だ。その印象はこの光景を見る前も見た後も変わらない。裕仁は心の何処かで、何も起こらない事を望んでいたのだ。“異能の存在”が発覚してしまえば、それは殺し合いの火蓋を切り落とす“キッカケ”となってしまうからだ。実際に異能と呼ばれる摩訶不思議な力は発動してしまった今、遂に冗談では済まされなくなった。この投函物は全て嘘偽りない“真実”であり、“紛い物”は一つとして含まれていない。


あまりにも唐突すぎる展開に、裕仁の住む安アパートの一室は現実から切り離された異空間のように感じた。巻き込まれ系の異世界バトル漫画のような理不尽さを、裕仁は身を染みて感じていた。いつも読んでいた漫画の主人公の心情が何となく理解できた気がする。今なら彼らと友達になれそうだ。それと同時に、どうして巻き込まれ系の主人公はあれほどあっさりと現実を受け入れられるのだろうか、と不思議に感じた。彼らは鋼の精神でも持っているのだろうか。動揺という言葉を知らないのだろうか。出来るならば、正気を保っていられる極意を是非教えて頂きたい。


感情ががどうであれ、今からどう足掻こうとも、どう地団駄踏もうとも、ゲームの信憑性は一滴の漏れなく証明されてしまったことになる。


「マジ……かよ……。」


裕仁は有り得ないと言いたげな顔で、現状をただ何もせず立ち尽くすことしか出来なかった。何度も言うが、本当に衝撃以外の何物でもない。複数の槍で貫かれたような、受け止めきれない衝撃だ。


そして、全国の厨二病患者にこの事を教えてあげたい気分になった。そして、今まで馬鹿にし続けてきた事を謝りたかった。


『異能は存在した』

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