27話『緊急事態の知らせ』
《ペリドット》
雪乃と別れて帰宅した裕仁は、特に何かをするでもなく体を横にして携帯を触っていた。
付けっぱなしのテレビからは、ニュースキャスターが滑舌の良い声で原稿が読み上げていた。最近、世間を賑わせている自動車による爆発事故の多発や、マスコミに囃し立てられた大物芸能人のスキャンダル報道など、裕仁にとって興味の薄いニュースが延々と流れていた。ニュースで報道された事など、被害者や、その関係者以外にとっては唯の話の引き出しに過ぎない。それに報道すらされていない、現在進行形の殺人ゲームだってある位だ。可哀想だとか大変だとか口にしても、結局内心では“自分ではなくて良かった”と思ってしまう。裕仁はこのゲームの所為で、その事を直接的に感じ取ってしまった。
裕仁自身も、心が荒んで現実から目をそらす事なく見始めるようになった思っている。裕仁は自嘲気味に笑った。まさか自分が、冷め切った目で世間を評価するようになるとは思ってもいなかった。
そんな時だった。
机の上に無造作に置かれた緑色の宝石………『ペリドット』は、急に眩く光を放った。最近見慣れた光景だったが、直ぐにその異常性を思い出した。感覚が麻痺し始めている。
「宝石が……光った……⁉︎」
裕仁は慌てて携帯を確認した。
すると、丁度のタイミングで雪乃から一件のメッセージが届いた。内容は“宝石が光ったから、警戒する”という裕仁の思った通りのものだった。
だが、その文面に少し違和感を覚えた。そして裕仁は、直ぐにその違和感の正体に辿り着いた。
「……それは、おかしい。」
よくよく考えてみれば、言い得て妙だった。詳しい場所までは知らないが、裕仁の家と雪乃の自宅はかなり離れているはずだ。それなのに、二箇所で同時に宝石が光った。
つまり、敵は一人ではないという事になる。
取り敢えず、裕仁の宝石も光った事は教えなければならない。こちら側からも誤解のないよう、簡潔な内容で急いで返信を打った。
そのすぐ後、海音からもメッセージが送信された。もしや、海音の所でも宝石が光ったとでも言うのだろうか。それならば最低でも敵は三人となる。それは偶然などではなく、明らかに狙われているという証拠だ。裕仁は恐る恐るそのメッセージボックスを開いた。
しかしその内容は、裕仁の思考の遥か斜め上だった。
“追われてる 助けて”
たったその数文字だったが、裕仁にかなりの衝撃を与えた。
それからの行動は速かった。裕仁は直ぐさま靴を履き、アパートの部屋を飛び出した。その際、例のペストマスク……常葉葵にも連絡を入れようとしたが、裕仁は連絡先を聞くのを忘れていたようで、連絡先の欄に彼女の名は無かった。
「くっそ! 常葉の連絡先しらねぇ!」
葵にはこの異常事態について知らせる事は叶わないが、今はそれどころでは無い。仕方なく、裕仁は携帯と宝石を片手に走り出した。
《ガーネット》
雪乃は至って落ち着いていた。
焦っていない訳ではないが、不思議と感情が高ぶる事はなかった。
“それで、今は何処に逃げているの?”
携帯でメッセージを打ちながら、雪乃は窓から外の様子を伺っていた。宝石が光ったという事は、この近くに宝石の所持者がいる筈だ。通りにはちらほらと通行人はいるが、至って挙動不審の奴はいない。立ち止まっている者もいない。当然こちらを見ている者もいない。どうやら、雪乃が見張られているという訳でも無さそうだ。だが、近くに確実にいる。それだけで闇雲に大きな行動は起こせなかった。
だが今頃、きっと裕仁は何も考えずに飛び出しているだろう。根拠は無いが、雪乃は確信していた。確かに、仲間がピンチだ。飛び出したい気持ちも分かる。だが、それで運悪くも相手の策略に足を踏み入れ、全滅して仕舞えば元も子もない。だからこそ、雪乃は落ち着いて状況を見定めていた。
携帯の画面に、海音からのメッセージが表示された。
“多きめよ百貨店の裏手”
逃走劇の最中での返信の所為か、少なからず誤字が目立つ。走りながら文面を打てと言う方が無理な話なのかもしれない。それでも海音は必死に場所を教えてくれた。その努力には応えなければならない。
雪乃はその百貨店に心当たりがあった。と言うよりかは、この近所に大きい百貨店は一つしかない。雪乃の家から真っ直ぐと大通りに出て、そこにある信号を右に曲がって只管進む。確かそこには、この街には似合わないほど大きな百貨店がある。軽く十階はありそうで、いつも大袈裟なまでに垂れ幕がかかっている。そこは人通りが多い筈なのだが、と雪乃は思ったが、百貨店は営業時間は短い事を思い出した。この時間帯はとっくに閉店しているのだろう。
“分かった 今から行く”
雪乃は簡潔に返信した。
気がつけば、宝石は知らぬ間に先程までの光を失っていた。
《ペリドット》
雪乃と海音の会話履歴を見て、ある程度の場所は分かった。最近のSNSとやらは便利だ。同じチャットルームで話をすれば、全員にそのメッセージが届くようになっている。メールの頃の一斉送信が懐かしく感じる。
その会話内容に登場する百貨店は、運良く裕仁のアパートからかなり近い距離にあった。これは勝手な推測だが、裕仁の宝石が光ったのは恐らく追われている海音か、追っ手の宝石が反応したものだと思われる。二人はこのアパート付近を通り過ぎて行ったのかもしれない。その時に気付けていれば、と裕仁は思ったが、過ぎた事を後悔していても仕方が無い。もう救えないのではなく、まだ救えるのだ。裕仁が進むのには、それで十分な理由だった。
夜の街には、これから飲みに行くであろうサラリーマンや、都会で羽目を外す若者たちで賑わっていた。ただ、路地に一度足を踏み入れると物音一つなく、人が通る気配もまるでなかった。まるで別世界だ。大きな通りと裏路地ではこうも活気が違うのか。光の届かぬ闇に呑み込まれたような、孤独の支配する不吉な路地だ。ここで怪談話が爆誕しても、裕仁は何ら疑問に持たないだろう。そんな不穏漂う空気は、何かが起こる前兆なのか、はたまた自分の気が滅入っているのか。どちらにせよ、裕仁はこの路地がやけに恐ろしいものに感じた。
そんな疑心が犇めく中、一つ確かな事があった。
それは間違いなく、海音がこの路地を逃走しているという事だ。ポケットからは、眩い光耀が漏れている。裕仁の持つ『ペリドット』が、その事を示していた。
裕仁は宝石を一握りし、腹を括った。
………しかし、裕仁のそんな決意とは裏腹に、お求めの逃亡者はあっさりと飛び出してきた。
「うわっ」
突如として裕仁の目の前の建物が傾き、そこから滑り落ちるように一人の少女が登場した。どこからどう見ても海音だ。舞台やドラマショーだったら、どれ程ダイナミックな画だった事だろう。裕仁は思わず吃驚の声を上げた。
だが海音はそれどころではないようで、後ろを振り向く事なくこちらに向かって全力疾走してくる。その顔からは必死具合が見て取れた。
「結構大丈夫そうじゃあねーか。」
裕仁は遠くから走ってくる海音に向けて、声を張り上げた。するとそれに応えるように海音も叫んだ。
「大丈夫なわけないでしょ⁉︎ 死ぬかと思ったわ‼︎」
その大声には、明らかな怒りを感じた。まぁ、あれだけ元気なら問題ないだろう、と裕仁は頷く。海音も最早容姿や格好、乱れる髪なども御構い無しに疾駆している。そこから彼女の行動は本気のものだと分かった。
そんな時、海音が滑り降りてきた建物の壁が轟音を立てた。種も仕掛けもなく、壁に大穴が空いたのだ。瓦礫が床に散らばり、砂煙が辺りを覆う。海音は叫びながら、命からがらに走り続けた。
「きゃあぁぁぁぁ⁉︎」
「海音! 兎に角走れ‼︎ 」
「そんな事言われなくても、分かってるわよ!」
砂煙に覆われた穴から出て来たのは、筋肉質な大男だった。その体躯を目立たせるタンクトップ。整えられた前に伸びる髪。何やら異質な空気を纏った男だった。見るからに普通ではない。裕仁の抱いた第一印象も、どう考えても不審者だろうというものだ。その登場シーンも、まるで特撮やハリウッド映画のようなド派手なものだった。この数秒は、裕仁の脳裏に深く焼きついたことだろう。
「……おや、宝石がこんな所に二つも転がってやがる。これは幸運な事だ……ただ、ちょこまかと逃げるのが難点だな。」
男はせせら笑いながら歩み寄ってくる。
目の前の男は、裕仁や海音を人としてみていない。ただ、動く宝石だと思っている。裕仁は軽く舌打ちをした。
「……イカれた野郎だ。」
この場にいる誰もが思った。
この場での戦闘は避けられない。
目の前にいる男から逃げ切るには、戦うしかない。裕仁の目から見てもそれは明らかだった。
目の前の男は、殺る目をしている。女子供だろうと関係なく、殺る時は殺る。そんな狂った目をしている。そんな男から戦闘を避ける事が出来るだろうか。いいや、出来ない。
だが、被害を最小限に抑える方法ならある。裕仁の鼓動は速度を上げる。その“方法”を実行するには、自身を鼓舞させるしか無い。覚悟を決めるしか無いのだ。
裕仁は、口内に溜まった唾を飲み込んだ。




