23話『主人公への道』
《エメラルド》
間一髪だった。
涼太は大男に絡まれている女性に慌てて駆けつけ、今にも振り下ろされんとする握り拳を掴んだ。その代わり、衝撃は全て涼太の腕に降りかかった。涼太はその力比べに打ち勝ち、金髪の男を睨みつけた。その男の右目元には『death』という物騒な文字が刻まれ、頰には見たことも無いような奇妙なタトゥーが施されていた。見るからに道を踏み外した不良だ。つまり涼太にとって彼は悪だ。
その社会不適合者は不愉快そうに顔を歪め、口を開いた。
「ーー誰の手を掴んでんだ? てめぇ。」
野生の獣のような眼光で、涼太を鬱陶しそうに睨み返した。目は口ほどに物を言うと言うが、涼太はそれを肌で実感した。その男の眼力は、明確な殺意を涼太に語りかけてきた。殺すぞ、と告げている事を、涼太は確かに捉えた。だが、涼太はそんな程度で怯むような肝っ玉ではない。
「あ? てめぇこそ、女を殴ろうとするなんて何考えてんだクソボケ。」
負けじと涼太は荒い口調で男を咎めた。男の拳を掴む手が力むのを感じた。口だけでは無い。涼太の胸底で、何かが燃えたぎるのを感じていた。何をそんなに憤怒しているのか。涼太自身も理解してはいなかったが、豪火の如く燃え盛る心を鎮めるのは不可能に近かった。
だが、涼太は少し違和感を覚えていた。
その違和感の正体は、この男の“腕力”だ。
拳を受け止めているだけなのに、ただ掴んでいるだけなのに、涼太は腕の筋肉を全て全力で活動させていた。だが、それだけでは終わらない。ただの不良だと思っていた男の筋力は更に増強され、余裕を装っていた涼太も遂に片手では抑え込めなくなった。
ここでこの男の拳を離してはならない。
そう思った涼太は、反射的に男の拳を両手で取り押える。そしてそのまま、地面に向けて降り倒そうとした。だが、涼太の全力も虚しく、まるで子供をあしらうかのように軽々しく振り払われてしまった。決して涼太が貧弱なわけではなかった。男の異常な腕力を表現するならば、羆の膂力に似た重みに似ているだろう。熊と腕相撲をして、勝てというには無理があった。
そんな気持ちになった涼太は、後ろ目に女性が怯えているのを捉えた。この男の全力の攻撃を食らっていたならば、間違いなく女性は死んでいたに違い無い。この男は、それ程の腕力を持っているのだ。彼は言わば、肉体が暗殺道具の肉体兵器だ。
間に合って良かった、と涼太は心の底から感じた。しかし、何時までもこの場に留まらせるわけにはいかない。
「ーー今のうちに、逃げて!」
涼太は後方へ飛び下がりながら、呆然と立ち尽くす女性に呼びかけた。その女性は我に返ったようにあたふたしながら頷き、それでいて丁寧にお礼の言葉を早口で述べた後に走り去っていった。
「……それで良い。」
涼太は優しく微笑むと、再び金髪の男に向き直った。彼は依然として不愉快そうな顔をしていた。
「お前…ヒーローにでもなったつもりか?」
男は足元の砂利を靴底で転がしながら、涼太に静かに問いかけた。その声には明らかな怨嗟な憎悪に似た感情が込められていた。それに対して涼太は、溜息交じりに返答した。
「あぁ。そうとでも思わなきゃ、こんな世の中クソ程も楽しくないんでね。」
それを聞いた男は、ゆっくりとした足取りで涼太に近付きながら、初めて下品な笑い声をあげた。
「ーー面白い奴だな。気に入ったよ。お前は確か……瀬良涼太だったか?」
その瞬間、涼太の背は撫でられたように寒気が走った。久々に感じた恐怖に酷似した感情だった。
「…俺のなぜ名前を知っている?」
涼太は不審な目でその男を見つめた。見ず知らずの不良紛いの社会不適合者に名前が知られているのは不気味でならない。それは、幾ら図太い神経を持っている涼太であっても例外では無かった。それ程、涼太の不良時代の噂が広まっていたのか。それ以外に、男に名を知られるような覚えがなかった。
だが、彼が零した次の一言によって、全てが合致した。
「所持している宝石は『エメラルド』。」
「………‼︎」
涼太は驚愕した。
そして同時に理解した。
目の前に怪しく佇む金髪の男は、間違いなく宝石争奪戦の参加者だ。そして、間違いなく奴は『悪』のプレイヤーだ。弱者を虐げ、宝石を強奪する悪そのものに違いない。顔や見た目からして、それは疑いようもなかった。という事は、彼が殴ろうとしていたあの女性も何らかの宝石を所持しているという事になる。涼太の中で、情報が幾本の糸が一本に束なるように繋がり始めた。そして、一つに纏まった瞬間、涼太は薄ら笑いを浮かべた。
これは、涼太に与えられた一つの試練に違いない。そして、涼太に与えられた初めての活躍の舞台だ。ならば悪を正し、正義を貫く姿勢を神に見せ付けるのみだ。そうする事によって、涼太は初めて自分自身を主人公と認めることができる。
「ーーお前、名前は?」
涼太は目の前の男に名を問うた。
男は耳を掻きながら気怠げに答えた。
「綴木だ。」
「下は?」
「絢成だ。」
「そうか。……覚えておくよ。」
涼太は口角を吊り上げると、中指を思い切り立てて絢成を嘲笑うように挑発した。自称ヒーロー、自称主人公とは思えないような、悪辣非道な行動と台詞だった。だがそんな自覚は本人には皆無であり、涼太は満足げな表情は崩さなかった。とんだダークヒーローだ。
「俺に倒される悪役の第一犠牲者として、墓標に名を刻んでやる為にな。」
それを受けて絢成もまた、不気味なまでに顔を歪ませ、悪魔のような笑みを涼太に見せた。それと共に親指で首を掻き切る動作を見せ、その後に上を向いていた親指を下に向けた。無邪気に、そして純粋に敵意を露わにした。
「…抜かせクソガキ。」
それから暫し沈黙ーー。
破裂しそうなまでに張り詰めた空気が、二人の間に強固な壁を立てた。
動きたくとも、動けない。
互いが互いの動きを警戒し、ある意味で拮抗状態と化していた。絢成が少し右手を動かせば、涼太は警戒心を強めて深く構えを取り、涼太が足を一歩踏み出せば絢成は守備に徹して半歩退く。
両者の宝石の異能を用心し、攻撃を仕掛けようにも仕掛けられない。不用意に飛び込めば、そこは既に敵地だ。地雷地に無防備で走り回るも同然の危険性だ。いつ爆発しても可笑しくはない。その様な死に直結する賭けに出る程、蛮勇ではない。そんな剣呑な感情が、二の足を踏ませていた。
そんな中、先に沈黙を破ったのはは絢成の方だ。
大凡常人とは思えない速度で涼太へ迫り、右構えから左手で逆突きを繰り出した。涼太は咄嗟に体を半転換させ、突きを受け流すようにいなした。絢成の攻撃動作は大きいが、それでも動きを読み辛い速度で移動する。これはかなり厄介だ。熱り立つ不良のオーバーアクションの喧嘩には慣れているが、このような高速で動く不良を相手にした事はなかった。涼太は焦りを隠すことができなかった。
それを察したかのように、絢成は更に攻め込む。拳を振り抜いた勢いを利用し、体を一回転させて後ろ回し蹴りを涼太に仕掛けた。フェイントにも似た攻撃に、涼太は何とか腕で防御する。だが、人間離れした力量によって大きく吹き飛ばされてしまった。
「がっ…‼︎」
当然、絢成はそれを追う。
更に踏み込んで右突き、左突きと追撃を仕掛ける。涼太は着地した瞬間に大袈裟なまでに横へ飛び、我武者羅に回避した。この破茶滅茶な動きが奴の宝石の力なのだろうか。力の差がまるで違いすぎる。受け流すどころか、躱すのですら命懸けだ。
「おいおいどうした。威勢がよかったのは最初だけか?」
絢成は笑いながら、休む事なく更に殴りかかる。奴はまるで暴君だ。出鱈目なまでに強く、出鱈目なまでに速い。これは腹を括らなければならない。軽い気持ちで奴に喧嘩を売ったが、想像以上の力に圧倒され始めている。完全に予想外だ。
「まだまだ…本番はこれからだ。」
涼太は薄ら笑いを浮かべ、精一杯の強がりを見せた。勝機の扉は既に閉まり始めている。彼の攻撃を避ける度、勝ち目がゼロへと近づいて行くのを涼太は不本意ながらに感じていた。
だが、策が無いというわけではない。
勝率がゼロというわけでもない。
何故なら、涼太は未だに宝石…『エメラルド』の異能は使用していないのだ。
そして絢成は、涼太の能力を恐らく“把握していない”。それどころか、“何も知ら”ないのだろう。涼太がそう考える理由は、絢成の硬い動きだった。
奴はまだ、『警戒』している。
彼が最初に“名前”と“宝石”の事を口にしたのは、「お前の事は既に調べが付いている。私は既に全てを知っている。」というアピールだろう。ただそれは、情報戦では勝利していると相手に擦り込ませる為のブラフに過ぎない。逆を読めば、それ以外は何も知らないという間抜けな自己開示になる。
ならば、絢成をとことんまで陣地に引き寄せ、宝石の力によって一撃で仕留めるしか道はない。それが涼太に残された、生き残る為の正路だろう。そしてその策を実行するためには、涼太の『エメラルド』の使用方法を少し考えなければならない。涼太は頭を使うのは苦手だった。
その上、涼太が熟考する時間を絢成が与えてくれるわけが無かった。なお一層の猛攻が涼太を襲った。肉眼で捉えるのも困難な、畏怖を抱くほど素早い右正拳突きだ。涼太は手を大きく払い、それを斜め上へと軌道をそらした。間一髪だったと安堵したが、直ぐさま妙な違和が涼太に絡みついた。彼の攻撃は、案外あっさりと払い退けることが出来たのだ。先程までの拳の重みがなかったと言った方が分かりやすいだろうか。絢成の荒唐無稽な馬鹿力は顔を見せなかった。それが、涼太の思考を疑問として埋め尽くした。そして、その疑問の答えはすぐに発表されることとなる。
絢成は素早く払いのけられた手を引っ込め、小さく円を描くように涼太の顎先へ裏拳を仕掛けた。
ーーフェイントだ。
涼太の手はフェイントにまんまと騙され、防御へと回らなくなっていた。絢成の裏拳は今にも涼太の顎へと叩き込まれようとしていた。もう回避のしようのない距離まで拳は迫っていた。
だが、涼太は落ち着いたように呟いた。
「……仕方がない。計画変更だ。」
そう呟いた直後、絢成の渾身の裏拳は涼太の顎へと叩き込まれた。人間同士の喧嘩もとい殺し合いとは思えぬような轟音の後、何かが砕けたような不快な音が鳴り響いた。アスファルトの隙間に入り込んだ砂煙が、彼らを中心に巻き上がった。この破壊力と衝撃波を真正面から受けて、立っていられるはずが無い。それどころか、顔面が砕けていたとしても何ら疑問はない攻撃力だった。そうなっては、息をする余裕も無いだろう。舞い上がった砂煙が晴れだした頃、彼らの影は靄に映し出された。
ーーーそして、声にならない呻き声を上げたのは絢成の方だった。
涼太は、そこに立っていた。
不動の地蔵のように、それが当然とでも言うように、その場に立っていた。
それに比べて絢成は右手の拳から血を流し、その手を覆うように左手を被せていた。歯を食いしばり、声が出そうになるのを必死に堪えていた。焼けるような痛みと闘いながら、絢成は涼太へ吠えた。骨が折れているようで、彼の手の甲は僅かながらに痙攣していた。
「てめぇ……! そりゃ、一体何の能力だ……⁉︎」
顔を引きつらせる絢成に比べ、涼太は表情一つ変えず、ただ一言だけ呟いた。
「……“カチカチ”。」




