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1話 『招待状』



「ーー金がない。」



藍浦裕仁あいうらゆうじんは、虚無感だけが詰まった財布に向かって力なく呟いた。その表情からは生気が感じられず、今の彼はまるで生きている空蝉のような状態だった。魂が抜かれたような無気力な表情を貼り付けながら、簡易的な折りたたみベッドに身を委ねた。制服の上着は床へ放り投げられたまま放置し、裕仁はただ壊れた機械のように財布と睨めっこを続けていた。


口からは馬鹿の一つ覚えのように溜息しか出ない。そんな彼の目の焦点は、ついに心が諦めたのか無意識に財布から逃げるように反れていく。他人から見れば、同情を覚えるような見るに堪えない重体であること間違いない。足を曲げる事なく伸ばし、天井のシミを見つめるように微動だにしない。


ーー何故、このような悲惨な状況になっているのか。


それは高校からの帰宅途中での出来事だった。裕仁はふと、帰路の途中にあるコンビニに立ち寄ることにした。それが絶望の始まりだった。そこは高校から徒歩三分程度の地点に位置しており、よく同校の生徒も見かける。ちょっとした待ち合わせにも使われ、丁度いい距離に位置している事から多くの生徒が利用している。裕仁がそのコンビニに立ち寄った目的は、無くなってしまった袋菓子を買い溜める為であった。他人はどうか知らないが、裕仁にとって間食用のスナック菓子は生活において必要不可欠な存在だった。特に、夜中の軽食には重宝する。普段は数日間の分を常に買い溜めて置くのだが、食べ続ければいつかはどうしても底がついてしまう。袋菓子も決して無限ではないからだ。菓子が胃袋に消え、家から消失してしまった時は何時もこうして帰宅時に購入することにしている。それは最早日課のようだった。今日もまた、普段通りに幾つか菓子袋を選んで買って帰るつもりだった。


しかし、この日は違った。

裕仁にとって、余りにも予想外な出来事が勃発してしまったのだ。これは重大事件と言ってもいいような衝撃だった。


その内容とは驚くべきことに、財布の中には百円玉が一枚も入っていなかったのだ。何処を探せど、目を凝らせど見当たらない。瞬間、裕仁は頭が真っ白になった。そして、思考が止まった。これにはレジ店員はおろか、当人ですらも驚愕せざるを得なかった。まるで時間が止まったかのような感覚に陥り、数秒間財布を持ったまま佇んでいたことを少し覚えている。その後諦め悪く目を擦って何度も確認したが、結局銀色の小銭は裕仁の前に姿を見せてくれることはなかった。


仕方なくスナック菓子を諦め、ふらつくような千鳥足で無事に家へと帰還を果たした。精神的に重症を負ったせいか、裕仁は帰ってくるや否や、すぐにベッドへと倒れ込んだ。それが裕仁の現時点までの流れだった。最早、乾いた自虐的な笑みを浮かべるしかなかった。


ただ、財布の中が綺麗さっぱりにすっからかんという訳ではない。一応中には何ヶ月前の物かすら覚えていない複数枚のレシートと、最近作った市立図書館のカード。それと小銭は、一円玉と十円玉がそれぞれ二枚ずつ収められていた。当然のことに、英世も諭吉も裕仁に微笑んではくれないのだが。そしてポケットには、見るからにご利益が皆無な金運上昇のお守りが財布のポケットに大切に仕舞われていた。


裕仁は瞼を下ろすと、大きく溜め息を吐いた。


しかし、この件で誰を咎めるべきかは既に分かっていた。金が溶けるようにしてなくなるのは全て自分に原因があり、自分に責任がある。それを決して人の所為にしてはならない。漫画の新刊、友人との外食、都会での娯楽、その他諸々……バイトも碌にせず、ここまで遊び呆けて荒使いをしていれば金欠になるのは当然の結果と言える。大戯けの所業と言っても過言ではない。とは言っても、高校二年生なんてそんなものだろう。後先考えずにやりたい事を優先的に行い、後々になって真面目にしなければならない事を片付けておけば良かったと後悔をする。それの繰り返しの日常だ。そして落ち込むだけ落ち込むのだが、その負の螺旋を直す気は一切ない。金銭面に関しても同じことが言える。買いたいものを購入したは良いが、案外必要なかったのではないかと買ったことを猛省する。しかしこのスパイラルを止める事は不可能だ。これは一種の買い物依存症なのだろうか。だとすれば、本気で心配になる。一枚の札を手に入れることは難しいが、羽を生やして解き放ってやる事はとても簡単なのだ。


……では、何故。


どうして裕仁は「バイトをする」という解決策を取らないのだろうか。最近は高校生でも羽振りがいい。一度雇ってもらえれば、厳しく指導を受けるかもしれないが、その代わり金銭面での悩みは薄くなっていくだろう。しかし、裕仁はそれを断固として拒否した。


それには一応、取って付けたような簡単な理由があった。


高校の生徒部がバイト禁止令を敢行しているのか。それとも裕仁の親がバイトを許可しないのか。はたまた、近所のバイト募集チラシが全て大学生以上であると記されているのか。


どれも否だ。


理由はもっと単純で、そして聞いて呆れる程下らないものである。募る言い訳も多いだろうが、それらを総合的に纏めて一言で言うならば「面倒臭いから」である。


部活をして、バイトをして、恋愛をして……そういう薔薇色の“青春ライフ”に憧れていた時期も勿論あった。寧ろ夢でもあった。これが俺の生き方だと理想を抱いたこともあった。ドラマでもこういった生活風景はよく見たことがある。少なくとも、小さい頃は自然とこの安定した流れに乗れるものだと思っていた。


だが、いざ自身がその世界に身を置いてみると、理想とは遥かに違い、異空間に立たされているかのようだった。想像以上に流れは怒涛のように荒く、落ちれば無事では済まないと第六感あたりが直感したのだ。周りの友人達が、死期を告げられた病人のように窶れながら「今日もバイト」と言って去っていく姿を見れば、誰だって現実を見てしまうものだろう。裕仁のやる気も、夏場に放置された氷のように溶けて無くなってしまった。残ったのは消化不良となった惨めな理想だけだ。


裕仁は再び、諦め悪く財布の中身を確認した。ちょっとした何度目かの悪足搔きだ。案外、レシートの間に札が挟まっているかもしれない。百円玉が端の方に隠れてはいるかもしれない。まるで小銭とかくれんぼをしている気分だった。


しかし突きつけられた現実は非情であり、何度探しても結果が変わることはなかった。




「残り22円で今月乗り切れねぇよ‥‥‥。」




今にも大きく口を開けた絶望感に呑み込まれそうな裕仁は、もう一度盛大なため息を吐いた。そして額に手を当て、呻くように天井へ呟いた。



「やっぱりバイトしなきゃかなぁ……。」



バイトという言葉が脳内によぎったことは何度もある。だが、その度に裕仁は断固としてその道を閉ざした。念入りに心の道にバリケードを設置し、何重にも警戒網を敷いた。今回もまた、裕仁がバイトに手を出すことはないだろう。溜息を一回吐く度に100円が貰えるというバイトがあるならば、それは喜んでするだろう。聞くからに楽で、何よりもかなり稼げる気がする。ただ寝転んでるだけでいいバイトとか無いものか、などと下らない事を考え始める程には参っていた。




そして裕仁は寝返りを打つと、とある事に気付いた。



「‥‥…‥なんだこの箱。」



今まで視界が狭くなって気がつかなかったが、机の上に何やら見慣れない箱がぽつりと置かれていた。その箱はダンボールのように粗雑で安っぽいものではない。漆のような繊細な黒塗りで、それなりの光沢と高級感のある箱だ。当然ながら、裕仁はその様な箱を持ってはいない。元よりこの部屋に備え付けられていたわけでも無い。明らかに、本来「無いはずの物」がここにあるのだ。言い様のない不信感が、その箱から爆発的に滲み出ている。奴からは、不自然な怪奇さというものを一切隠すつもりを感じなかった。寧ろ激しいほどにその箱は「怪しいぞ!」と自己主張している。そんな想像をした所為か、その箱がやけに鬱陶しく感じた。しかしこの箱は一体何処から来たのだろうか。宅配の品だろうか。それとも誰かからのサプライズプレゼントだろうか。呑気にそんな事を思ったのはほんの一瞬で、すぐにそんな巫山戯た考えは裕仁の中から消去された。



……この密室投函には不可解な点が多い。



裕仁は高校生ながらに一人暮らしで、安アパートの一室を借りて住んでいる。ここへ親が勝手に来る事も、友人が忍び入る事も無いので彼らは犯人候補から第一に除外される。次の可能性は宅配便だったが、ここ最近何かを注文したどころか、通販サイトも触った事がないので即除外だ。


何よりも解せないのは、鍵の閉まった部屋にどうやってこの荷物を置いたのかという点だ。幾ら安アパートとはいえ、警備はしっかりとしているはずだ。当然だが扉の鍵は外出の度に施錠し、鍵も裕仁が持っていた。誰かがピッキングをして侵入すれば、警備会社が間違いなく働く。監視カメラにも見つからずに窓から侵入という線もあるが、裕仁の記憶が正しければ忘れずに窓鍵を施錠した覚えがある。そもそもここは二階であるので、余程奇特な人間でない限り窓から侵入はしないだろう。あり得るであろう可能性は、確実に不可能へと塗り潰されていく。そんな謎多き箱に対する焦燥感が裕仁の思考を苛み、負の方向へと想像を大きく膨らませていく。限界まで膨張した負の風船は遂に激しく弾け、普段なら考えもしない様な突拍子もない考えにたどり着いてしまった。



「‥‥‥まさか、中身は爆弾とかじゃないだろうな?」



裕仁がそう推測した瞬間、妙な冷や汗が背中を伝い流れ落ちた。他人に恨まれるような事をしでかした覚えはない。ましてや爆発物を自室に仕掛けられるほど誰かの怒りを買った覚えもない。しかし、無意識のうちに誰かを極限状態まで苦しめていたのかもしれない。人を傷つけるなど、自身が意図しない内に幾らでもしてしまうものだ。だからと言って、自宅に爆弾を持ち込まれるほどガサツな事を誰かに言った記憶もない。


……………。


裕仁は言葉にならない疑念を強く抱きながら、溜まった唾液を一度飲み込む。そして、一、二度瞬きをしてから決心した。


……あの箱の中身を確かめる。


裕仁は箱を開けるために、物音を立てぬ様に歩み寄り始めた。わずかな振動にでも反応する様な危険物でないとも言い切れないからだ。なるべく最悪の状況を想定し、最善の策を慎重に選択する。暴走してしまった考えは、行動をも暴走させる。ブレーキの効かなくなった裕仁の思考能力は、さらにアクセルを踏んで加速していく。


開けた瞬間に爆発……なんて事もありえなくは無い。もし、そうだったならばどうしようか。


裕仁はベッドを一人で動かすと、それを防壁のように立ててスタンバイする。もし、それで防げなかったとしても逃げれるように、恐る恐る屁っ放り腰で箱を開封する。傍目から見ればその倒錯した行動は、なんとも情けなく滑稽な姿であったことだろう。



「ゆっくり……ゆっくりだ…。」



裕仁は箱に無駄な刺激を与えないように、静かに慎重に開けた。それと同時に固く目を瞑り、覚悟するように歯をくいしばる。あとの全ては信用ならない神に願うだけだ……どうか爆発しませんように、と。そして全て開封し終える時、片目だけ薄っすらとだけ開けた。


そして、拍子抜けした。


中身は裕仁が思っていたような危険物ではなく、入っていたのは一つの小さな箱と冊子。そして一通の手紙のみだった。額から流れる不快な冷や汗を拭うと、呼吸を荒げながら箱に向かって苛だたしげに不満を言い放った。



「なんだ、 脅かせやがって……。こっちがどれだけ苦労してこの箱を開けたと思ってんだ。」



爆発物ではなかった事に、裕仁は心の奥底から安心した。勝手な想像から張り詰めていた緊張がほぐれ、安堵の汗が頬を伝う。しかし、まだ確認は終わらない。裕仁は箱の中に入っていた、もう一つの小さな箱へと手を伸ばした。そして先程と同様にそろりと中を確かめる。この大きさなら爆弾ということはないだろうが、違法な物だった場合、警察のお世話になる可能性もある。それだけは避けて通りたい道だ。糸紐を解き、箱の蓋にそっと手をかける。一度呼吸を整え、ゆっくりと蓋を持ち上げた。




……そして暫く呆気にとられ、素っ頓狂な声をあげた。




「……………はぁあ?」



こればかりは想像だにしていなかった。

斜め上どころか、一回転してしまっている衝撃だ。


裕仁はずっと何かの危険物、若しくは見てはいけない何かが入っているのでは無いかと焦燥感に駆られていた。自慢ではないが、緊張感が常に最骨頂にまで達している状態だった。その所為で、可笑しいくらいに錯乱してしまっていた事も認める。そんな裕仁を嘲笑するかの様に中に入っていたのは、危険に程遠いどころか全く関連のない物だった。



「ーーー宝石?」



そう。箱の中には柔らかな綿のクッションが敷かれ、その上には眩いくらいの輝きを放っている一つの石が鎮座していた。勿論、ただの石ころではない。一般家庭の庶民ではお目にかかれないほどの代物だった。


形状はエメラルドカット。それはステップカットと呼ばれるカットの中で最もポピュラーなものだ。実際にはなくとも、テレビや図鑑で一度は見たことのある形状だった。四隅は切り落とされており、宝石の外周が長方形に象られている。切子面は側面に対して、平行に削られていた。その熟練された研磨の技術力は、素人ながらに見ても魅了されるものだ。


薄緑から濃緑。


エメラルドと比べると、その宝石は少し黄が混色した様な淡く透明感のある色合いだ。表面は一片の突起なく平坦で、見る角度によって濃淡は万華鏡のように激しく変化する。光の反射の一つ一つが後光のように眩しい。まるでその貴石自体が一つの光源ではないかと錯覚を覚えてしまう程だ。


何より、一目見た瞬間から裕仁はこの宝石に釘付けになってしまっていた。目が離せない……感動というのだろうか、はたまた衝撃というのだろうか。どちらにせよ、裕仁の心には様々な感情が複雑に入り組んでいた。





予想以上に強烈な衝撃によって意識が異次元に飛んでいたが裕仁は、暫く間を置いて我に返る。そこからの彼の行動は早かった。裕仁は慌てて同封されていた手紙に、一目散に手を伸ばした。



「……一体これは何なんだ? 届け先間違えたんじゃないのか!?」



手に取った手紙も、手触りから良質な便箋が使われているように感じた。普通紙や百均のコピー用紙とはまるで違う。上手く言葉にはできないが、薄手のカーペットを撫でているように柔らかく、そして心なしかいい匂いがする。ただの箱から手紙まで、全てに莫大な金の気配を感じる。宝石は勿論、漆塗りの小箱ですら到底一介の高校生が頂ける代物ではない。きっと何処かの貴族か富豪に宛てて贈られたものが、どういう異次元的な間違いか裕仁の所に届いてしまったのだろう。うん。きっとそうに違いない。


そう決め付けることで裕仁は感情の逃げ道を必死に作った。でなければ、不穏な圧迫感に押し潰されそうになってしまう。先程整えたばかりの呼吸が小刻みになり始める。


しかし、広げた手紙には「藍浦 裕仁様」と御丁寧なまでに名指しされていた。裕仁に“様”とつけて手紙を出すような知り合いはいない。緊張や不安からか、ギアが一つ上がったように鼓動がまた一段と早くなる。折角せっせと作り出した感情の逃走経路が、早くも修復不可能なほど塞がれた。もう、この意味不明な状況から逃げ出す事はできない。大人しく降伏して、この手紙を直視するしかないのだ。



「俺宛てかよ……。ますます意味分かんねぇ。」



裕仁は手紙を握りしめる様に強く持ち、一語一句見落とさないように、じっくりと読み始めた。



その手紙には、こう綴られていた。







藍浦 裕仁様


貴方は厳正な抽選のもと、大金を得るゲームの“挑戦者チャレンジャー”として選ばれました。


貴方の手元にはこの手紙と共に、一つの宝石が届いていることだと思います。お疑いでしょうが、決して発送ミスなどでは御座いません。


その宝石は、間違いなく貴方に与えられた物です。



時を同じくして、貴方を含めた十二人の挑戦者にも宝石を配布いたしました。現在、十二人の挑戦者は一人一つずつ宝石を所持している状態です。





さて、ここからが本題です。





【十二人で宝石を奪い合ってください。】




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