15話『人形との殴り合い』
《ペリドット》
緊急信号という名のメッセージを受け取って二分が過ぎた頃。人目につかない路地を駆け抜ける途中に雪乃と合流し、海音の居るであろう路地裏へと足を踏み入れた。
其れからは先程までの通りだ。
意気揚々とヒーローのように登場したのはいいが、正直気味が悪かった。
自我を持って動く大量の人形もそうだが、問題はその有象無象共の主だ。
ペストマスクで顔を覆い隠し、黒い外套を纏った不明朗な奴だった。フードが日差しを遮り、仮面には作り物のように陰翳が濃く浮き出ていた。まるで奴自体すら人工物のように思えた。
「……あいつの仲間か。」
あいつ、とは状況的に見て海音の事だろう。
其れよりも、更に声は人工音声ときた。ボイスチェンジャーが内蔵されているのか、感情のない機械音だけがマスクの隙から漏れ出している。声帯からも男女を割り出すことが出来ない。言葉通りの正体不明な存在だった。
ペストマスクは引き連れた人形達で自身の四方を囲い、方陣を敷いた。既に奴は臨戦態勢に入っていた。どうやら逃走は諦めたようだ。
裕仁もつられるように素早く構えを取り、不測の事態にも須臾の間に行動が取れるように腰を低くした。
「……楽しみにしていろ。直ぐにその薄気味悪いペストマスクを剥ぎ取ってやるからよ。」
「…奇遇ね。私も早くあの仮面をひん剥いてやろうと思っていたところよ。」
裕仁と雪乃は互いに顔を見合わせて頷くと、勢いよく飛び出した。細い路地の為、正面衝突は免れないだろう。当然本人達もそのつもりの突貫だ。
それと同時に、ペストマスクにつき従う人形達も一斉に二人へ向かって動き出した。その動きには明確な殺意が込められていた。痛く突き刺さるような空気が裕仁と雪乃の集中力を掻き立てた。
迫り行く等身大の木偶人形は、裕仁の顔目掛けて重い拳を振り上げた。最悪のファーストコンタクトだ。
裕仁にとって、これは初陣だ。本気の憎悪を抱いた敵とは初めて真剣を交える。だからこそ、ここで引くような生半可な勇気で挑んではいない。
裕仁は後退せずに手を前へ差し出し、人形の繰り出した突きの軌道を少し逸らした。すると木偶人形はあからさまに体勢を崩し、至る部分に隙が出来た。裕仁はすかさず木偶人形の顔に触れ、横へ吹き飛ばした。『ペリドット』の持つ『運動エネルギー』を与えたのだ。少々勢いが強すぎた所為か木偶人形には罅が入り、建物の壁には浅い亀裂が走った。
だが、一体を崩した程度では人形は追撃を止めない。
次に服屋に並んでいたマネキンが複数で裕仁に襲いかかった。一撃、二撃と大振りな殴打を躱すも、流石に衆寡敵せず。背後を取られた裕仁は羽交い締めにされ、身動きを封じられた。しまった、と思う頃にはマネキンは思い切り振りかぶり、今にも重い一撃を裕仁にお見舞いしようとしていた。
だが、宝石の力はそんな程度で詰みはしない。マネキンの胴体にそっと腕を回し、指先で撫でるように触れた。目の前にいるモデル人形が大きく殴りかかるモーションをした瞬間、背後から絡みついているマネキンごと裕仁は後方へ吹き飛び、壁にマネキンを叩きつけた。マネキンはその衝撃から羽交い締めしていた手が緩み、裕仁をみすみす取り逃がした。
脱出を果たした裕仁は近くに立て掛けられた鉄製の廃材を構え、『ペリドット』の力で発射した。その廃材は勢いが衰える事なく地面と平行線を描いて飛来し、複数のマネキンの顔面を砕いた後に壁へと突き刺さった。
思わず裕仁はペストマスクを指差し、清々しい程の芸術的なドヤ顔を披露した。
「……どーよ!」
《ガーネット》
路地裏とは言え、此処はまだ少し空間が広めな方だ。回避行動もまだ苦もなく楽に行えた。
何体かの人形と相手をしている内に、幾つかの事を推測した。まず、人形はペストマスクの意思で動いている。生命は与えられても、明らかにペストマスクの思念と私怨が籠った動きだ。
だが、幾ら何でもこの数だ。分かった事の二つ目は、恐らくペストマスクの意識とリンクしているのは主要な十数体だけだという事だ。その他諸々の人形には共通の敵という存在を教え、裕仁や雪乃に襲撃するという簡易的な命令が与えているだけなのだろう。
なので攻撃はかなり大振りで、回避も上手く取らない。素人どころか、酔っ払いの親父のような攻撃だ。この程度なら雪乃でも躱してカウンターを浴びせる事も可能だ。それが分かった事の三つ目だ。
雪乃に迫ったアンティーク人形は、見かけに似合わず強力な回し蹴りを放ってきた。雪乃はその場に跼んで躱し、蹴りは雪乃の頭上を通り過ぎた。その隙に雪乃はアンティーク人形の軸足を横へ払い、床へ転がした。
そして雪乃に覆い被さるように、新たな人形が飛びかかって来た。だが、雪乃の視線はその更に奥を見つめていた。例のペストマスクだ。奴は未だに数体の人形に護衛をつかせて、高みの見物と洒落込んでいる。それが不愉快で我慢ならない。必ず奴をこの場まで引きずり下ろし、鼻面めがけて拳を叩き込んでやる。思考も徐々に物騒になっていくが、戦闘の雰囲気に煽られてまるで違和感を感じなかった。
雪乃は無防備で襲いかかってきた人形の頭部を鷲掴みにし、近くにいる人形共を次々と『ガーネット』の力で連結させていった。塵芥を掃除機で回収するかの様に蛇行運転で人形を繋げると、雪乃は地面に向けてその我楽多を全力で投げ捨てた。
叩きつけられた数体の人形は、鈍い音を立てて動かなくなった。一度に多数の人形を片付けた事によって、ペストマスクへ辿り着くための道が漸く繋がった。だが、再び奥から多種多様な人形がぞろぞろと出現し、直ぐに道を埋め塞いだ。
「……はぁ、キリがないわね。一体何体の人形を引き連れているのかしら。」
雪乃は深いため息をつき、ペストマスクを呪うように睨み付けた。
《サファイア》
人形の軍隊の殆どは二人につきっきりだ。
偶に流れ弾のように此方にも来るが、『サファイア』の力で少し角度をズラせばどうという事はない。
それにしても、本体を叩かない限りこの猛攻は留まることはないだろう。二人は人形の攻撃を凌いではいるが、全く前進する事ができていない状態だ。このままでは根気比べだ。
勝利を確実のものにするには、この状況を一転させるしかない。
…海音にも何かできる事はあるだろうか。今は攻撃の標的からも外れ、安全な物見櫓から見物しているも同然だ。もし、奴に不意を打つのならば海音が適任だ。だが、それには海音が危険を顧みず櫓から降りなくてはならないという事だ。そんな勇気を海音は持ち合わせてはいない。
「嫌な話ね……。折角、安全地帯にいるというのに……。」
本当ならば二対一、若しくは三対一の優勢な戦闘のはずだった。だがあのペストマスクの異能の所為で、数十対三の明らか不利な戦闘に身を投じる羽目になった。更に海音は観客席から見守っているだけなので実質、数十対二の過酷な状況だ。それでも裕仁と雪乃は攻め続けている。海音は彼らの正気を疑った。激流の川に逆らい続けるのと同程度に無謀だった。
同時に、何もしていない自分を情けなく思った。もし仮に彼らがこの戦闘に敗北したとしても、恐らく海音を責めはしないだろう。余計罪悪感が錘のように募るというのに。
「やっぱり、私だけ見ているわけにはいかないよね……。」
首から下げた宝石を祈るようにぎゅっと握りしめ、海音は突き動かされるように走り出した。
決意を込めた掌は、この盤面の角度を大きく狂わせた。