10話 『不穏な影』
《アメジスト》
現代では珍しく、無人の廃ビルと化した都市圏外の建物の一室。当然ながら電気も水道もガスも、全て止まっている。昔に使用してあったであろう椅子や棚などの我楽多の散らばった空間に、彼はいた。
住処としては最悪だ。だが、彼はここに住んでいるわけではなかった。居住してはいないが、彼はこの廃墟に頻繁に出入りをしていた。彼にとって、この建物は可愛く言えば『秘密基地』、悍ましく言えば『潜窟』だ。
暗い部屋に、僅かに差し込む月華は彼の姿を曖昧に浮かび上がらせた。
金髪に不自然な模様のタトゥー。耳には幾つものピアス。鍛え上げられた肉体の上から、灰色のパーカーを羽織っている。
外見がいかにも『不良』な男、綴木 絢成は、襤褸けた椅子に横柄な態度で凭れ掛かっていた。それでいて不機嫌そうな表情で足を組んでいる。
そんな彼の手元には、淡い紫をした光沢のある宝石……『アメジスト』が顕在していた。その紫色の宝石は、まるでそれ自体が洋燈のように暗い室内を明るく照らし出している。決して月明かりの反射などではない。宝石そのものが光源として光っていた。
このゲームの為に準備されたこの宝石には性質があった。それは、『近くに宝石所持者がいた場合、それを知らせるように宝石が光を放つ』事だ。つまり、それは近くにもう一人、宝石の所持者がいる事を示していた。
そう。この部屋には、実はもう一人少年が座っていた。その少年には、あまり不良というイメージが無く、どちらかといえば第一印象は“根暗そう”だ。パーマがかかったかの様なくるくる髪が特徴な無口な少年が、其処にはいた。彼の名前は因幡 巳空というらしい。彼は『ムーンストーン』と呼ばれる白色の宝石を所持しているプレイヤーの一人だ。彼曰く、その『ムーンストーン』の力は『考えを逆転させる』というもの。使用場所に非常に困難さのある異能だ。ハズレと言ってもいいかもしれない。しかし一度使用できれば、もはや敵を自身の掌の上で踊らせることと同然の威力を持っている。精神汚染系の異能はかなり強力だ。絢成にとって、利用価値がある。側に置いておいても不遜はないと判断した。
それに、彼は絢成の忠実な僕だ。
絢成はつい数日前に彼と出会い、そして従え、「宝石を11個揃えたら、最後に殺してやる」と約束をしてやった。彼は特に話す事なく、そして抗う事なく静かに頷いていた。如何やら生きる事にも死ぬ事にも無気力の様だ。人間味が無い。少年はまるで、この世の全てに絶望したような濁った目をしている。偶にこういった人間がいる事も、絢成は知っていた。
「……計画は変更なく進行させる。準備はいいか? 巳空。」
「………………。」
その呼びかけに、巳空はこくりと頷いた。会話は生まれない。巳空のコミュニケーションは、頷く。若しくは首を振るで成立してしまう。顔の表情も一切変わる事なく、常に無表情のままだ。喜びを表す事もなければ、不満を見せる事もない。その姿は、感情のない操り人形だった。
「…襲撃の目標は“トルマリン”だ。」
絢成は既知している。
『誰が』『何の宝石を持っているのか』という、参加者にとって喉から手が出る程欲しい情報を知っている。流石に、全ての『宝石を力』を把握しているわけでは無い。だがそれらの情報の所持は、このゲームの中で有利な位置に立っている事に等しかった。
ここで一つ、他のプレイヤーにとって大きな疑問が残るだろう。もしその事実を知ったならば、必ず決まってこう言う筈だ。
『何故、彼はこのような重大な情報を既に握っているのか』と。
…その解答の発表は、もう少し後になることだろう。
「それにしても……まさか『あの女』も参加しているとはな……。」
絢成は椅子から立ち上がり、寂れた扉へと向かって歩き出した。その際、座り込む巳空の頭を撫でて一緒に来るよう促した。
「いいか、巳空。俺は『王』だ。このゲームの『絶対王者』だ。俺の言う事は『絶対』だ。敗北はあり得ない。不可能も無い。だから、お前は俺に着いてこい。」
そのまま絢成は外へと出た。
その後を追うように、巳空も小さな歩幅で扉を開けた。
《トルマリン》
一週間ほど前に奇妙な宝石が届いて以来、夢術 彩音の生活は大きな変化を見せた。
それはいい方向にでは無い。悪い方向にだ。
軽い一種の人間不信とでも言うのだろうか。
不要なまでに人を疑い、過度なまでに接触を避けるようになってしまった。
と言っても、人付き合いは捨ててはいない。学校内で挨拶をされれば当然返すし、質問されれば誠実に答える。ただ、学校以外ではなるべく人のいない道を選び、潜み逃げるように帰宅する日々が続いていた。
こういった場合、人の多い道を選んで歩くのが正解なのだろう。防犯番組でもそう言っていたような気がする。だが、このゲームに正気の通じない相手が参加していた場合の事を考えると、大通りだろうと人混みで混雑してようと平気で暴虐の限りを尽くすだろう。そんな事は関係無いと言わんばかりに無差別に殺害していくだろう。
彩音のせめてもの願いは、周りの人々に迷惑を掛けない事だった。自身が巻き込まれてしまったのは仕方が無いことだ。運がなかった。それに尽きる。しかし、それで他人を巻き込むのは納得がいかない。「自分の苦しみを知って欲しい」だとか「同じ目にあって欲しい」などと考える輩は、彩音にとって最大の敵だった。最も嫌いな人種と言ってもいい。
自身が苦しむのには、必ず何かしら自身にも原因がある筈なのだ。例えこのゲームのように突如渦中に放り込まれたとしても、だ。
人様に迷惑をかけるなど愚の骨頂。
別に一切掛けないとは言わないが、せめて相手が不快に感じない程度には、自身が立派に生きなければならない。それが彩音の主張だ。
その理論で言えば、このゲームも彩音にとって憎むべき存在だ。自衛のために宝石は持ち歩いているが、自らの意思で戦闘を仕掛けるつもりはない。賞金とやらにも興味はない。
彩音は丸型の眼鏡を掛け直し、いつもと同様に路地を通って帰宅しようとしていた。
この区域は何故か路地が多い。複雑に入り組み、幼少時は一つの迷路のように楽しんでいた。しかし高校生にもなった今では、ただの通り慣れた道だ。行き止まりの場所も、新たな路地へと繋がる道も全て把握している。ノスタルジーに浸る為の通路となっていた。
しかし、今日は何かが違った。
「あれ……? こっちの道って行き止まりだったっけ?」
あろう事か、通い慣れた道で迷子になってしまった。彩音は有り得ないと感じた。つい昨日まで普通に抜け出せた迷路が、突如今日になって道が変わったとでも言うのだろうか。
全てが不自然だ。
「……可笑しいなぁ。」
行き止まりに立ち尽くす彩音に、不審にも一人の男が声をかけてきた。
「やーやーお嬢さん。もしかして迷子ですかい?」
その男は金髪に上半身裸パーカー。右目の下には『DEATH』の文字が刻まれていた。
誰得とも言えないような微妙な格好で、男は彩音の退路に立っていた。
その金髪の隣には、牛蒡のように細く、いかにも根暗そうな少年がひょろりと立っていた。身長は高めだが、金髪の男よりかは小柄だ。その立ち姿は力無く、風が吹けば倒れてしまうのではないかと思う程安定してそうになかった。目は澱んでいて、どこを向いているのかも分からない。どこからどう見ても不審者だ。
「……貴方達、誰?」
彩音はそう問いかけた。
だが、既になんとなく分かっていた。
こいつらは『宝石』が目当てな連中だ、と。
金髪の男はにやりと顔を歪ませ、彩音に笑いかけた。
「俺はこのゲームの『勝者』となる存在だ。その礎の為に死んでくれお嬢さん。」