ある異世界転生者の話
――なんだ、彼の話か。
その前に君は異世界転生なんて言葉を知っているかな? 冴えない男が生まれ変わって、神様の力で新天地でやり直すというお話だな、君でもわかるように説明すると。こいつの何が良いかと言えば、ただ異世界に行くだけじゃないところさ。やり直す際にチートを貰ってハーレムを作るなんていかにもな男の夢が詰まってそうな話じゃないか。世界中の男はかませ犬で、並み居る美女は股を開く。
なに、そういうのを聞きたいんじゃない?
全く君という男は要領が悪いくせに時間を浪費する事にかけては天才じゃないか。いいかい君、私は順を追って話すんだ。悪いが君に全てを合わせる事は出来ないな。ただそうだな、私も頑固者のつもりはないからね……合わせるところを合わせてやろうじゃないか。
さて前置きだが、これからの話にチートもハーレムも出てこない。話すのはそう彼が事切れる……ああ、言葉が悪かったな。異世界へと転生する瞬間までだ。そいつを親切丁寧に、順を追って話そうじゃないか。まずはそうだな人物紹介と洒落込もう。このお話の主要人物はたった二人。これなら残業続きで冴えない顔をしている君の頭にもすんなり入ってくるだろう? 彼の名前は藤原鷹斗、高校を中退して以降ろくに外に出てこなかったいわゆる引きこもりの三十五歳だ。じゃあ、話を始めようか。
――待て待て待て、私の紹介がまだだと?
全く今まで何を聞いていたんだ、ここまで来てわからないとはね。まあ良い、特別サービスだ。せっかちな君に教えてやろう。
私は神、神様だ。
彼の世界に現れた疑いようのない救いの、ね。
彼の日常生活に、特筆するべき事など無かったよ。三十五にもなれば普通は笑える話の一つぐらい用意があっていい物だが、彼にそんなものはなかったよ。唯一の会話相手は彼の両親だったが、まぁ無職で引きこもりの息子がいくら冗談を口にしようが笑えなかったのは間違いないな。
人生は長い暇つぶしという言葉があるが、なるほどそれは彼にこそ相応しい言葉だったな。むしろ専門家と言っても良い。パソコンとインターネットさえあれば彼はどれほどの長時間でも過ごせる才能の持ち主だったからね。今にして思えば彼にもその才能を活かす道があったのかも知れないが、彼はもう異世界へと旅立っている。まぁ私は残念だなんて少しも思わないけれど。
彼の朝は夜の八時に始まり、寝るのは朝の十時だった。もっとも遮光カーテンが閉めきられた彼の部屋に時間など単なる記号でしか無いのだが。まあともかく起きてしまえば、彼はパソコンの前に座る。それから寝るまで動くことはほとんどない。ほとんどと言ったのは便所だけは行くからだな。もっとも彼の部屋の扉から三歩のところにあるのだが。
食事? そんなもの母親が運んでくれるに決まっているじゃないか。素晴らしい母の愛だと思わないかい、産んだことを悔やんだ癖にまだ母親の義務だけは努めようというのだから。全くハンカチが何枚あっても足りないね、まともな神経をしてたら追い出すか刺し殺すかの二択しか無いというのに。
ただ、その尋常じゃない神経が参っていたのも事実だ。だから彼女は祈ったのさ。
何に? 当然神様にだ。息子が幸せな人生を全うできますようにと。
だから私は応えたのだ。神様だからね、簡単だったよ。
はじめに神は天と地を作ったというが、私がはじめに行ったのは彼にメールを送る事だった。件名は簡単だ、『異世界転生に当選しました』とね。何、つくならもう少しまともな嘘をつけ? おいおいおいおいおい、そいつは正気で言ってるのか? あー違うな、君は正気すぎるんだな。君は見たところ彼と同じぐらいの年齢だが、少なくとも彼とは違う人生を歩んできた。だから正気なんてものをとうの昔になくしていた彼の考えが理解なんて出来ないんだ。
想像できるかな? 社会からこぼれ落ちた彼は十八年間両親以外と会話しなかったんだ。ついでに彼は失うものなど何もない。まぁ彼をその気にするには、三通同じメールを送る羽目になったのだが。
そうだ、そのやり取りを少し教えてやろうじゃないか。まずは私の送った文面からだな。
『おめでとうございます、藤原鷹斗様は今大流行の異世界転生に当選しました! つきましてはこの異世界スウィンドルの神ソリュブルの部下、大天使ヘロウウィルにご連絡下さい!』
こうだな。信じる奴がいるのかって? おいおい馬鹿を言っちゃいけないな、私は人を信じさせる事に関して言えば世界で五本の指に入る男だぞ? まぁ私一人では説得力が足りないと思ったので大天使ヘロウウィルだなんてふざけた名前の役割をでっち上げる事にしたのだが。
ちなみにヘロウウィルを演じてくれた佐伯女史はそこまで重要な役割じゃあない。というのも私は役者志望の彼女にそういう映画を撮影していると言って演じてもらっただけなのだから。だから君は彼女にあっても、あなたがヘロウウィルですかなど聞いてはいけないからな。そんな事をすれば君のほうがその社会的地位を疑われる事になるからね。
三通目にして帰ってきた彼からのメールは、私の想像通りの文面だった。
『本当に異世界転生させてくれるんですか……?』
何、本当に信じただと? おいおい馬鹿を言っちゃいけないな、いくら彼が他人との接点のない生活を送ってきたからといってそこまで判断力を鈍らせていたわけじゃあない。彼は私をからかいに来たんだよ。あるだろほら、詐欺電話をおちょくってみた、なんて動画とかさ。きっとそのつもりだったんだろうな、心の重箱の隅っこにもしかしたら本当かもしれないなんて淡い期待を抱いてたかもしれないけれど。
彼はどうすればよかっただと? なんだデジタル世代のくせしてそんな事すらわからないのか。訳の分からないメールなんて、全部無視するするべきだったのさ。
彼に信用されるのは簡単だったよ。昔からの手段、金と女を使ったんだ。金といっても宝くじほどの金額を見せたわけじゃないし、女と言っても寝室に誰かを潜りこませたわけじゃあない。
金はかかったが、そこまではいかなかったはずだな……二十万ぐらいだったかな? 彼がほしい物を買ってやるというひどく簡単なものさ。何せ彼は高級時計や外車を欲しがったわけじゃないしね、本当に安くついてくれたよ。まぁ私がつけた条件といえばコンビニで受け取ってもらうよう頼んだだけなんだがね。自宅から出てもらう必要があるのだから、その練習さ。面白いだろう? 彼が十八年にも及ぶ鎖国は二万円程度のフィギュアで崩壊してくれたのさ。ま、人間なんてそんなものだけどね。
女、こっちは大変だったな。なにせ彼が使える電話は両親が寝静まったあとの固定電話だけだったからね。そこは佐伯女史の尽力だな、ひとえに。顔? 会わせた訳ないじゃないか。知らないかい、夜目遠目笠の内って言葉を。ただ今風に言い換えれば古いかな、プリクラ電話チャット内ってね。結局彼は佐伯女史の透き通るような声だけで、彼女に惚れてしまったのさ。ちなみに彼女はなかなかの美人ではあったけれど、男の妄想には叶わなかっただろうな。
まぁそんな風にして、私は彼の日課を増やすことに成功した訳だ。佐伯女史の電話とコンビニまでの夜道だな。実際彼の人生の有頂天だったんじゃないのかな。夜中になれば意中の女性と電話で見栄を張り、その後コンビニで私が頼んだものを受け取る。どうだい夢の様な日々じゃないか。苦節三十五年で手にした我が世の春というわけだ。
その間、私は何をしていたかって?
決まっているだろう、もちろんダメ押しの為の下準備さ。
さて状況を整理するため、彼の視点でことのあらましって奴を見てみようか。深夜十二時ぐらいまではまぁ今までと変わらなかったが、電話で異世界の話を佐伯女史から伺って何一つ面白くもない気取ったジョークを飛ばしてから神様からのプレゼントをコンビニまで受け取りに行く。実際異世界転生がどうかなんて、彼の頭からは抜けていたと思うよ? ただ運の良かった自分にとうとうツキが向いてきた、なんて勘違いをしていたのかも知れないね。
次に社会的な視点で見てみようか。三十五歳の無職に見知らぬ電話の恋人ができ、夜中徘徊しては彼の収入以上のフィギュアを抱えて帰ってくる。これを見て不可解だと思わない人間がいると思うかな? いいやいないね、彼は既成事実として何かのトラブルに巻き込まれたという事になるのさ。
じゃあなんで異世界転生なんて言ったのかって? だからそう早まるんじゃない、今からそれを言うんじゃないか。
私はね、他人を不幸にするのは趣味じゃないんだ。だから彼の最後の瞬間、嫌な思いで旅立ってほしくなかっただけだな。そうだな、二択にしようか。
一つは、『ああ折角ツキが回ってきた俺の人生も終わりだ』。
もう一つは、『ああこれが異世界転生ってやつか、これから俺の第二の人生が始まるんだな』。
どっちが良い? 誰だって後者だろう? 糞みたいな人生に差した光明がこれからも続くと信じたほうがずっと幸せに決まっている。それにこいつは、彼の母の望みだったからね。
いいかい、君は私ほど人生経験が深くなさそうだから教えてやるが、幸せな人生というのは幸せな死の事を言うのさ。まあ実際は? 彼は私が雇った人間に車で跳ね飛ばされた訳だけど? 満足して事切れる以上の幸せがこの世のどこにあるというのかね? それに意中のヘロウウェルも来世で一緒と来てしまえば、彼の人生でもっとも幸福な瞬間だったと思うよ。
これで彼の話は終わりだ。私は依頼主から金を貰って豪華な休暇を過ごしてきたというのに、無粋極まりない君らにここまで連れてこられたという訳だ。
何? 彼は異世界転生したのかって?
おいおいおいおいおいおい、馬鹿だ馬鹿だと思っていた君の頭はとうとうその程度まで落ちてしまったのかい? ああそうだ、状況を整理しようか。今度は彼の状況じゃない、私と君の状況だ。
ここは取調室で、君は冴えない若手刑事。そして私はそれに捕まった間抜けな詐欺師で。
私の噂をどこから聞きつけた愛情深い彼の母に頼まれて、たったの一千万で息子を殺した。
――これ以上の答えが一体どこにあるというのかね?