光の祝杯 part1
大学生活を送る、京介、了、唯の三人は通い慣れた喫茶店で、今日も取り止めもない話をしながら、お茶をしようとしていた。しかし、響き渡った、女マスター御神さんの声。
「どういうことなんですか!?」
コーヒーの杯をめぐる推測が、静かな店内で繰り広げられようとしていたー
※この作品は、過去ブログにて連載していた作品を小説家になろうにて投稿するにあたり、加筆、再編集した作品です。
着いた当初、空は暗く、雨がしとしとと降っていた。俺と了は、行き慣れたいつもの喫茶店「Sweet」でコーヒーを飲んでいた。
「…とうとう梅雨入りか」
俺はブラックコーヒーに口をつけ、外を見る。アスファルトは濡れ、行き交う人々は色様々な傘を差し、水たまりを見ながら歩いているのだろう、俯きながら通り去ってゆく。
「嫌な季節に入るね」
了は角砂糖を二、三個コーヒーカップに入れ、さらにガムシロップを一つ、カップに流し入れた。相変わらず、お子ちゃまというか、甘党というか。
ゆったりとしたピアノジャズ、焙煎されたコーヒー豆のほのかな香り。空間は一つの世界を生み出していた。俺は木製のテーブルに肘をつき、手に顎を乗せながら、なおも雨にぬれる商店街をぼんやりと見つめた。
「唯、遅いな…」
俺達が待っているのは、氷山 唯〈こおりやま ゆい〉。特別仲が良いわけではないが、何となく気が合う友人の一人だ。俺、了、唯の三人、もしくはもう一人くらい入れて、ここ、「Sweet」で世間話をしたりしている。今日の会の主催者は唯だ。
「まぁ、執行委員とか、手芸サークルだとか掛け持っているからね。きっと、忙しいんだよ」
了がカップをスプーンでかきまわしながら、全く気にも留めていないように言った。しまいには、店内奥の、描かれたコーヒーカップのシールや、お店のサンドイッチの写真などが一面に貼り巡らされた壁を見ながら、あのサンドイッチ美味しそうだなぁ、後で頼もうかな、などど独り言を口にする。呑気なやつだ。
「…今日は日曜だぞ。しかも約束は、唯が指定した午後。それに、待ち合わせからもう一時間も経ってる。変だと思わないか?」
別に怒っている訳ではない。唯のリーダー気質が、何かトラブルを招いたのではないか、と不安なのだ。前にも何度か、気の強さが原因で、面倒ごとに巻き込まれたことがあった。そのため、唯に関する不安は、最初にそれが上がってくる。また、彼女が遅刻する時は、マナーとして必ず連絡を入れてくるし、ちょっと了の楽観主義は彼女がしっかりしているにしろ、楽観的すぎではないかとたまに思うところはある。
「まぁ、そう深く考えなくても。こおりんは来るよ。じきに。それに、僕たち今日は暇なんだんだしね」
こおりん、か。なぜが了は唯のことをそんな風に呼ぶ。可愛げがある感じでいいと思うから、などと言っているが、実際、周りで呼んでいるのは了だけだ。了はコーヒーカップから視線を外し、ラックからってきた雑誌に目を向ける。俺は後頭部を掻いた。
「そ、そう言われると、何も言えないな…」
確かに、今日は他の予定もなく、何時に来ようが問題があるわけではない。
「へぇー〈クロラ・クエストV〉、今週の海外小説ランキング一位なんだ…」
彼の中から完全に唯は消えたようである。コーヒーの水面が映る、空調ファンを眺め、ため息をついた。
「カラン」
入口のベルが来訪者を知らせる。耳がピクリとし、瞬時振り向く。しかし、音の主は唯ではなく、常連の男性客だった。目が合い、笑みをくれる。軽く会釈をし、俺は首をテーブルへ戻した。期待は砕け、また、自然とため息が漏れた。仕方がないので、手元に置いていたマンガに再び手を掛けた。
ふと、カチカチと鳴り響く音を捉えた。壁時計の振り子音だ。我に帰り、音の方向に視線を上げた。先ほどの了との会話から、おおよそ三十分が経とうとしていた。
窓の外を見つめる。雨は上がり始め、雲の切れ間から差し込む、まばゆい光が店内へと窓を通じて訪れる。
「カラン」
ドアに備えられたベルの音。振り向く。長くのびた黒い髪が見える。…唯だ。
「あ、居た」
こちらに気付き、俺達に視線を注ぐ。
「あ、こおりん来た来た!」
了が手を振る。
「遅いぞー」
俺は、よう、と手を挙げた。
「ゴメンゴメン」
唯が傘を傘立てに差し込み、こちらへと向かって来て、向かい側の了の隣に座った。
「お茶の席に誘ってくれるのはいいんだが、主催者が大チコクっていうのはどうなんだ?」
「急用よ、急用。了にメッセージ、送ったはずよ」
「ウソ?」了はポケットからスマホを取り出し、画面を確認する。「あ、メッセージ来てた」
スマホを見つめたのち、俺にいかにも作った表情の苦笑を向ける。
「気付けよ、オイ」
「バイブ、切ってたんだった。ごめんよ、京介」
「あ、あぁ…」
ただ何となく浪費された時間に、頭に手をつく。
「遅れたのは悪かったわ。でも、とにかく悪い空気はここでおしまいにしましょ。せっかくの休日なんだし、ため息はよしましょ」
「そうだな」
「じゃ、始めよっか。なんの話にする?」
その時だった。俺の後方のドアのベルの音とともに、マスターの声が部屋いっぱいに響き渡った。その声は、慌ただしさと戸惑いに満ちていた。
「待って! どういうことなんですか!?」
その声に、すかさず俺達はカウンターの方を見て言う。
「どうかしたんですか、御上〈みかみ〉さん?」
カウンターテーブルから出てきた女マスター、御上さんが俺達のテーブルへとやってきた。
「今ね、ナオトさん、出て行ったでしょう」
ナオトさんとは先ほどの常連客の男性だ。服装がいつもオシャレで、海外出張も多数こなしている敏腕のビジネスマンだと聞いている。日本へ帰ってくると、ここへ必ず立ち寄るようだ。御上さんとも仲が良く、いつもカウンター席で話をしている。
「どうしたんですか? あんなに大きな声で呼び止めてましたけど」
了が怪訝そうに御神さんに尋ねる。
「ちょっと言ってたことが良く分からなくて。話、聞いてもらえる?」
「よく分からない、ですか?」
唯も心配そうな表情で言葉を返した。
「ええ。そうなの」
「俺達でよければ、話を聞きましょうか?」
「ありがとう」
御上さんは俺の隣にエプロン姿のまま座った。
「それで、何があったんですか?」
「それがね、知っての通り、さっきまでナオトさんと話していたでしょ。ちょうど、さっき雨が上がったじゃない。するとね、ナオトさんが〈二杯分ね〉って、一杯しかコーヒーを飲んでないのに、二杯分のお金を払って出て行ったのよ。それで、尋ねようと呼び止めたんだけど、そのまま行っちゃったの。確かにナオトさんは気前がいいけど、〈二杯分〉って言うのが意味が分からなくてね」
「〈二杯分〉ですか…」
了が首をかしげる。確かに、一杯しか飲んでいないのに、〈二杯分〉のコーヒー代を支払うのはありえない話だ。
「詳しく話してもらえませんか。さっきの一部始終を」
「ええ…」
御上さんはナオトさんがやって来てからのことをこと細かく話し始めた。
part2に続きます。
作中の「クロラ・クエスト」についてですが、短編「蜂月突日〈ハチガツ・ツイタチ〉」をご覧ください。そちらの方にどんなものかが出てきます。