第二話 ジギタリス殺犬未遂事件(14)
おばあさんをケーキ屋さんまで送った後、ちょうど良い機会なので、お店に寄って、ケーキを買いました。先日は、せっかく子供の頃の憧れだったこのお店に初めて足を踏み入れたのに、結局、ケーキを買いそびれてしまいましたし、今日は後で反田さんが家に来てくれることになっているので、先日のお礼を兼ねて、たまにはちょっと高級なものをお出ししようかと……。今まではたいてい手作りのお茶菓子をお出ししていたのですが、たまにはわたしも、ケーキ屋さんのケーキも食べたいです。買うのが二つばかりで申し訳ないですが、一つだけよりは買いやすいです。
そういうわけで、うきうきとケーキを選びました。夏だけあって、フレッシュな季節の果実を使ったゼリーやムースなどの涼しげな限定メニューがいっぱいで、心を惹かれるのですが、子供の頃の憧れのお店ですから、当時からある定番のケーキも捨てがたいです。真っ赤なイチゴがちょこんと乗っかったショートケーキに、艶やかなコーティングに包まれたチョコレートケーキ、スミレの花の砂糖漬けを飾った淡いレモン色のレアチーズケーキに、雪みたいな粉砂糖を振ったシュークリーム……。粉砂糖って、不思議ですね。ぼんやり薄甘いだけで特にこれといった味がするわけでもないのに、あれがかかってるだけで、何でも急に美味しそうに見えはじめるのです。まるで魔法みたい。
ああ、でも、やっぱり、色とりどりの可愛らしいベリーを溢れんばかりに盛り上げた夏季限定のベリータルトが、わたしの目を誘惑するのです! それに素朴なバナナケーキ、薄紅色に透き通る白桃のコンポートと優しいたまご色のカスタードクリームをぎっしり詰め込んだシャルロット、りんごのカラメリゼを乗せた三層重ねのキャラメル&カスタードムース、飾りの輪切りオレンジのゼラチンがけも夏らしく涼し気なオレンジ・シブースト、焼き目もつややかなアップルパイにミルフィーユ……。
こう言っては失礼ですが、私が子供の頃にはすでに『昔ながらの味』というイメージがあったこのお店にも、今はずいぶんと洒落たケーキもあるのですね。これらの繊細で洗練されたケーキたちを、この、熊さんみたいなご主人の、あの太い指が作り出しているなんて……。
そう、このお店の、今のメインのパティシエは、この正造さんなんだそうです。わたしが子供の頃は、お父様の正二さんが作っていたらしいです。今でも、昔からある定番メニューは主にお父様が作っていて、時代に合わせて甘さやカロリーを若干控えつつも、基本的に同じレシピなのだとか。
ということは、子供の頃にお友達の家でおやつに出してもらって大感激した、あの想い出のイチゴショートが、また食べられるのですよね。間に挟まったクリームの中にも薄切りのイチゴがいっぱい入って、優しい甘さの中にほのかな酸っぱさのアクセントを添えていた、あのふわふわ、しっとりのイチゴショートの美味しさ、今でも忘れられません……。
ああ、困りました。食べたいケーキがたくさんあって、選びきれません!
これは、一度や二度では、とてもじゃないけど、食べたい種類を全部食べられませんね。秋にはまた、旬のフルーツを使った季節メニューが出るのでしょうし……。これからは時々、ケーキを買いに来ようかしら。一人分、一つだけのケーキは、なかなか買えないけれど、二つなら買えるから、反田さんが来る日に……。
反田さんのおかげでケーキが買えて嬉しいです。このお店に来ることができたのも、反田さんのおかげですし。わたし、ゆくゆくはこのお店のケーキを全種類制覇したいので、反田さんには、ケーキの種類の回数だけ、うちに来てもらわなくては! ……なんて、冗談ですけど。
反田さんは、どのケーキがお好きかしら? お友達の正造さんなら、知っているかもしれません。
そう思って尋ねてみると、正造さんは、
「えっ、反田に食わせるの? さあ……。そういえば何が好きか聞いたことないね。何でも食うんじゃないの? あいつに洒落たのはもったいないから、普通のでいいよ。ていうか、安いのでいいよ。シュークリームとかさ。あ、でも、イチゴショートは、今の時期はイチゴが輸入物だから、あんまりお勧めしませんね。イチゴの入ったケーキは、ぜひ冬場に食べて欲しいんですよ」だそうです。
自分のお店のものなのに、安いものでいいとかイチゴはやめろとか、面白い方ですね。
それから、正造さんは、あらためて人の顔をじろじろ見て、
「ふーん、今日、反田、司書子さんちに行くんだ? いいなあ……」と、意味ありげにニヤニヤしました。
やっぱり何か誤解されてるような……。でも、はっきり言われたわけでもないのに勝手にムキになって弁明しはじめるのも自意識過剰みたいだし……。
そしてわたしは、いつの間にか、この人にも司書子さんって呼ばれてます……。
結局、どうしても二つだけなんて選びきれなくて、ベリータルトとレアチーズケーキとチョコレートケーキと、三つ買ってしまいました。だって、反田さんがどれを好きかわからないし……。きっと反田さんは二つくらい食べてくださるでしょう。ちなみに、わたしはどれも好きなので、反田さんがどれを選んだとしても、わたしも食べたいケーキを食べられることになります。
ケーキを箱に入れて渡してくれる時、正造さんは、カウンターの上の籠から、一つずつ小さな袋に入れて可愛らしくリボンを結んだバラ売りのフィナンシェを二つとって、おまけに、と、差し出してくれました。いくら小さな焼き菓子とはいえ、それなりのお値段のものなのに、そんな、申し訳ないです……。
わたしが遠慮すると、正造さんは、
「いやいや、受け取ってくださいよ、これ、賄賂だから!」と言いました。
賄賂……?
わたしがきょとんとしていると、正造さんは、
「ほぅら、山吹色のお菓子でございますよ」と、時代劇の悪徳商人の物真似をしてグフグフ笑いました。
たしかに、焦がしバターを溶かしこんだフィナンシェはふくよかな黄金色に輝いているし、金塊を模したお菓子であるとも、『資産家』とか『銀行家』という意味があるとも聞きますが、なんでわたしに賄賂……?
首を傾げていると、正造さんは、苦笑いしました。
「いえね、俺、こないだ、まずいこと言っちゃったかなと思って。こないだ言ったあれ、嘘ですからね!」
「は?」
「ほら、タラシの反田っていうの」
「ああ……」
「あいつ、別に女タラシではありませんから」
「はあ……」
「あいつさあ、誰とでもすぐに仲良くなるでしょ? そういう意味ですから。ほら、人タラシっていうの? 特に子供とか年寄りには、やたらウケがいいでしょう? でも女性には、なぜかいまいちモテないんですよねえ。この俺にだってちゃんと彼女ができて結婚できたっていうのに、反田のどこがいけないんでしょうかねえ。ねえ、お嬢さん、どう思います?」
「さあ……。別にどこも悪くないと思いますが……」
もし反田さんが本当にあまりモテないとしたら、それは、『なぜか』ではなく、いつも変な服を着ているからだと思いましたが、失礼なので言えませんでした。
わたしの返事のどこが面白かったのか、正造さんは、がははと笑いました。
「だよね、どこも悪くないよね! お嬢さんもそう思うでしょ? ね、反田、けっこう良いでしょ?」
それから、少し真面目な顔になって続けました。
「いや、お嬢さん、潔癖そうだから。失礼ながら、ああいう冗談を真に受けそうなタイプとお見受けして、もし誤解を招いてたら悪かったかなーって思ってたんですよ。あいつ、本気みたいだからさ。というわけで、どうかこれでひとつ、反田をよろしく! 既にお気づきのこととは思いますが、あいつ、マジですごくいいヤツですから!」
はい、反田さんが良い人であることは、よーく知ってます。
正造さんはフィナンシェをわたしの目の前に突きつけました。
「というわけで、どうかこれで、ぜひ反田貞二を、反田貞二を、よろしくお願いします!」
選挙演説ですか……。そんな風に言いながら押し付けられると、それを頑なに拒んではまるで反田さんをよろしくお願いされたくないみたいだから、遠慮しづらいです……。
正造さんの誤解はともかくとして、反田さんのように良い方に親しくしていただけることは、わたしもありがたく思っていますし、正造さんが反田さんの良いお友達であることもよくわかりましたし、つい押し切られて、フィナンシェを受け取ってしまいました。
三つばかりしか買ってないのに、こんなにおまけをいただいて、本当に、かえって申し訳ないです……。でも、このフィナンシェ、すごく美味しそう!




