第二話 ジギタリス殺犬未遂事件(8)
そんなこんなで、わたしたちはパティスリー・キハラを後にしました。わたし、せっかくだからケーキを買って帰りたかったんですけど、反田さんたちがジャレてるから言い出せませんでした……。
そういえば、もうお昼時をすぎています。反田さんは午後からお店に入らないといけなかったんじゃ……?
と、思ったら、反田さん、いつの間にかお家に電話して、お家の方になんとか出かける時間を遅らせてもらい、しばらく時間をもらっていたそうなのです。わたしのために、ご家族にご迷惑をお掛けして、申し訳ないことをしました。
でも、そろそろ本当に、どうしても店に戻らなければならないとのこと。
夕方にはもう一度、うちに来てくださるとのことですが、その間、わたしを一人にするのが心配だからとおっしゃって、なぜか、かわりに光也君を呼んでくれることになりました。そんなに心配することもないと思うのですが、反田さんがどうしてもとおっしゃるし、携帯で呼び出された光也君も、今日は塾もプールもないから構わないと言ってくれて……。
というわけで、遅いお昼をとりに一緒に入ったファミレスで光也君と合流し、わたしと反田さんはランチを食べ、光也君は反田さんのおごりでパフェを食べて、反田さんは反田洋品店に、わたしと光也君はわたしの家に……という、思いもかけない不思議ななりゆきで、光也君が、うちに遊びに来ています。
反田さんいわく、『悪漢に狙われている美女の身辺警護という、少年探偵団の重大任務』だそうですが、光也君、反田さんの探偵団ごっこに、子供の遊びに付き合ってあげる気分で付き合ってくれてるんじゃないかしら……。
まあ、警護が必要かどうかは別として、光也君はうちで夏休みの宿題をやると言っているので、それだったら、どこでやっても同じでしょうから、うちでやってもらっても、別に構わないでしょう。座敷にはクーラーがないので申し訳ないのですが……。
それにしても、男子小学生なんて、わたしにとって、一番縁遠い存在です。わたしだって小学生だったことはあるけれど、男の子だったことは、一度もありませんから……。家に来てもらっても、どうしていいのかよくわかりませんが、本人が夏休みの宿題をすると言っているなら、宿題をしてもらえばいいでしょう。あとは、おやつでも出せば……。とりあえず、おやつの出し甲斐はありそうです。さっきファミレスで遠慮無く頼んだ巨大なプリンパフェを食べていましたが、なんといっても育ちざかりなんですから、きっとまた、いっぱい食べてくれるでしょう。ちょっとはりきってしまいます。
我が家にやってきた光也君は、あれこれ珍しがって家や庭を眺め回し、「写メ撮っていい?」と訊いてきました。我が家は戦後に建てられたものですが、昔ながらの木造日本家屋なので、今の子供たちには珍しいのでしょう。光也君、写真を撮るのにちゃんと許可を乞うところが偉いですね。
「いいけど、外からだけよ」と許可すると、「琴里ちゃんに写メ送って見せてあげようと思って」ですって。反田さんも言っていましたが、ときどき琴里ちゃんとメールのやりとりをしているらしいです。
「どんなメールするの?」と、好奇心で尋いてみましたが、ニヤニヤしながら「教えなーい」と言われてしまいました。メールを打ちながらも、ずっとニヤニヤしています。本当に、どんなやりとりをしているのかしら。青春ですねえ。
光也君が持ってきた宿題の一つは、例の、お千代伝説についての自由研究でした。構想を聞かせてもらいましたが、着眼点がひと味違って、おもしろいのです。ただ伝説を紹介したり、ゆかりの場所の写真を撮ったりするだけでなく、苑明寺のお千代伝説が御狩原南小学校の子供たちの間で『かんざしババア』という都市伝説に変化した、その過程を追いたいということで、親や反田さんに紹介してもらったいろんな年代の卒業生からの聞きとり調査を計画し、すでに何人かに話を聞いているとのこと……。それは、かなり斬新な切り口なのではないでしょうか。すごいです。もしかして、学校で賞をもらったりするのでは? この着眼点を示唆したのは反田さんだそうで、反田さん、ほんとに侮れません……。
しかも、この自由研究、その過程で、いろんな年代の地域の大人の方と知己を得られるというおまけもあるのですよね。もしかすると、反田さん、そこまで考えて光也君に聞き取り調査を勧めたのかも……と、そこまで深読みするのは、さすがに買いかぶりすぎでしょうか。でも、そうとも言い切れない気がするのが、反田さんの底知れないところです。
と、光也君の携帯が鳴りました。お友達からのお誘いの電話のようです。今の子は遊びの誘いも携帯なんですね。
光也君は、ひとことふたことお友達と話すと、わたしを振り向きました。
「ねえ、司書子さん、友達が一緒に宿題やろうって言うんだけど、ここに呼んで一緒に宿題してもいい?」
まさかの展開ですが、光也君には、こちらの都合でここに来てもらっているのですから、そのせいで、貴重な夏休みの一日に、お友達と遊べなくなっては申し訳ないので、迷わず了承しました。この座敷は無駄に広いですし、一人も二人も同じです。――そういえば、わたし、いつの間にか光也君にも『司書子さん』って呼ばれてますね。
光也君は、電話でお友達に我が家の場所を説明しています。
「うん、だから司書子さんちで宿題やろーぜ。えっと、パンダ公園とこをまっすぐ行って、おせんべい屋さんの角を右にまがったとこの、花がいっぱい咲いてる家。そうそう、白い犬がいるとこ。今日は、犬、いないけど。え? あ、図書館の児童室のお姉さんだよ。うん、そう。そうそう。オレ、友達になったの」
そっか、わたしたち、友達になっていたんですね……。なんだか、くすぐったいような気持ちで、胸の奥が温かくなりました。
電話の時点では一人増えるだけの予定だった光也君のお友達は、うちに来た時には、三人に増えていました。途中でたまたま会った友達も一緒についてきたらしいです。別に構わないのですが、おやつについては、ちょっと考えないといけませんね。子供が合計四人、わたしを入れて五人です。何が出せるでしょうか……。
子供たちは、物珍しそうに我が家を見回しています。
「わー、田舎のおばあちゃんちみたい」
「すげえ! 畳だ! 障子もある! かっけー! 忍者が住んでそう!」
「こういう家、アニメとかゲームに出てくるよね」
『田舎のおばあちゃんち』と言った子は、たまたまそういう『おばあちゃんち』を持っているんでしょうけど、他の子にとっては、障子や畳ですら珍しいのでしょうか。今の子供たちにとって、こういう日本家屋って、アニメやゲームの中のものなんですね……。
男の子が四人も集まって、どんなにうるさいかと思ったけれど、みんな、おしゃべりしながらも、お行儀よく一緒に宿題をやり、飽きると、それぞれ持ってきた携帯型ゲーム機で遊び始めました。静かなものです。でも、見ていると、ちゃんとお互いに対戦したり通信したりで、これはこれで一緒に遊んでいるんですね。
おやつは、いいことを思いつきました。氷白玉です。
うちには手動のかき氷機がありますし、そういえば、ちょうど先日、みぞれの氷みつを一瓶、買ったところなのです。一人暮らしだし、そもそもかき氷なんて滅多に作らない――というか、思えばもう何年も作ったことがないんだから、シロップ一瓶なんて絶対使い切れないとわかっていたのですが、その日はあまりにも暑くて、そういえば最近出番がなくて天袋に仕舞いっぱなしだったかき氷機のことをふと思い出したら、もう、矢も盾もたまらなくなって、つい、衝動買いを……。
そして、案の定、それ以来、かき氷機さえ仕舞ったままで、シロップも、まだ開封していないのです。このままでは、結局一度も使わないまま夏が終わってしまっていた可能性も……。
これは、そのシロップを消費する好機です!
氷も、一人暮らしではそんなに使わないのに、ついつい、気がつくたびに製氷皿を空けて次を作るから、冷凍庫のストッカーに大量に溜まっているのです。うまい具合にたまたま白玉粉もありますし、あずきの缶詰は常備しています。手動のかき氷機で氷をたくさん削るのは大変ですが、それぞれに自分の分を自分で削ってもらえばいいでしょう。長年忘れ去られて天袋の奥で眠っていたかき氷機も、久しぶりに活躍の場を得て、きっと喜ぶことでしょう。
そうだ、白玉を茹でるのも、手伝ってもらいましょう。わたし、子供の頃、祖母が白玉を茹でる時に手伝わせてもらうのが、とても楽しみだったのです。練った粉を丸めたり、それを平たく潰して真ん中に指でくぼみをつけたり、茹だったのが浮き上がってくるはしから網で掬って氷水のボウルに入れたり……。粘土細工みたいで楽しかったのです。わたしが作った白玉は、大きさや形が綺麗に揃った祖母のと違って、少し形がいびつだったり、大きさが不揃いだったりしましたが、それでも、自分で作ったものはなんだか特別な気がして、わざわざいびつなのを選び取って食べましたっけ。子供の頃の楽しい思い出のひとつです。
ああ、嬉しい。ひさしぶりに、家で作った氷白玉が食べられるなんて!
というわけで、みんなでわいわいと作った氷白玉を、縁側に腰掛けて食べました。親切な光也君が張り切ってわたしの分の氷も削ってくれたので、楽ちんでした、手動のかき氷器って、けっこう腕が疲れるんですよね。
夏の午後の日射しがじりじりと照りつけて、セミが鳴いていて、ふうりんがチリンと鳴って……。そういう中で、真っ白な雪みたいなさくさくの氷の山に銀のスプーンをさくっと突っ込んで、一口食べて、次に、氷の山にスプーンを突き立ててちょっと崩して、シロップが混ざってみぞれ状になったところを端からシャクシャクと混ぜて……。ああ、幸せです。やっぱり、かき氷は、冷房の効いた喫茶店とかファミレスで食べるのではダメなのです。こうやって、暑い縁側で食べなければ!
みんな、しばらく無言で、夢中でかき氷を食べました。早く食べないと溶けてしまいますものね。氷がシャクシャクいう音と、ガラス器にスプーンが当たってカチカチいう小さな音だけが、明るい縁側に響いています。
夏休みの子供たちと一緒にこうしていると、なんだか、わたしも、一緒に夏休みの気分です。実際には、ただの、普通の週休の一日なのに。まるで子供の頃の夏休みにタイムスリップしたみたい。薄暗い座敷の奥から、今にもお祖母ちゃんが声をかけてくれそうな……。
いけない、今は泣いてはいけませんね。子供たちがびっくりしてしまいます。
それにしても、不思議な状況です。わたしが、四人の男子小学生と一緒に、うちの縁側でかき氷……。まさかこんなことがあるなんて、想像もしていませんでした。
反田さんと知り合ってから、わたしの休日は、ときどき少し不思議な日になるようです。
そうそう、荻原動物病院に電話したところ、スノーウィは、もう大丈夫だそうです。一時はどうなるかと思ったけど、本当に良かった。荻原先生、お年なのでモウロクしてるとかヤブだとか言う方もいるし、本来は馬が専門で犬猫のことはよくわからないらしいという噂も聞きましたが、やっぱり頼りになります。なにしろ、スノーウィのことは、子犬の頃から面倒見てくださっているのです。スノーウィの前、わたしが小さい頃に飼っていた犬のエスだって、ずっと荻原先生に診ていただいて、ずいぶん長生きしたのです。




