第二話 ジギタリス殺犬未遂事件(6)
反田さんの妄想は止まりません。
「そう。ストーカーっていうのはね、勝手に相手を自分のものだと思い込んだり、相手も自分を好きに違いないと思い込んだりするんですよ。一方的にそう思い込んでた司書子さんが、最近、俺と、そのう……懇意にしてるから、それを見て、司書子さんが自分を裏切ったと思ったんですね。それを、不誠実だと受け取ったんです。で、司書子さんの、その『不誠実』に対して、警告を与えることにしたんですね。まずは司書子さんがかわいがっている犬に目立つ形で危害を加え、『態度を改めないなら、次はお前だ』という警告をしてきたんですよ!」
「ええっ……?」
「だから、次は司書子さんの身が危ないんです!」
「そんな、まさか……」
「まさかじゃありませんよ! 司書子さん、ストーカーに心当たりはありませんか?」
「えっ?」
「例えば、司書子さんちの垣根の前をやたらウロウロしてる男とか。通りがかりに、さりげない風を装って、やたらと庭を覗きこんでくるとか、犬の散歩にかこつけて、一日に何度も、しょっちゅう家の前を行ったり来たりしてるとかね」
……えーっと、言われてみれば、そういう男の人に、とても心当たりがあるんですが……。
思わず、口から出てしまいました。
「……反田さん」
「えっ?」
「それは反田さんです」
そういえば、反田さん、最初の頃、しょっちゅう犬の散歩で家の前を通りかかってましたよね。いくらなんでも遭遇回数が多すぎて、多少こちらの散歩時間がズレても必ずと言ってもいいほど反田さんに会うので、やたら散歩の回数が多いか、でなければ散歩の時間が異常に長くて、しかも同じ所を何度も通っているとしか思えませんでしたが……。あと、反田さん、家の前を通りかかると、必ず庭を覗き込みますよね。前にご自分でおっしゃってたとおり、うちの庭の雰囲気が好きだから鑑賞しているのだとは思いますが……。
まあ、そのくらい、誰のことでも、邪推すればいくらでもストーカー扱いできてしまうってことですよね……とは思いましたが、でも、たしかに、反田さん自身が、ご自分で挙げたストーカーの行動例にすっかり当てはまってしまってるような気も……。
まじまじと反田さんを見ると、反田さんは、ぐっと言葉に詰まった様子でしたが、やけになったように叫びました。
「俺以外で!」
ご自分の行動については、弁明しないんですね……?
わたしがちょっと引いたのがわかったのでしょうか、反田さんは、ぶすっとして言いました。
「言っとくけど、俺はストーカーじゃないですからね! 司書子さんに花を贈りたければ、ちゃんと、正々堂々と手渡しますよ!」
それはそうですよね。だいたい、反田さんはわたしと一緒に縁側にいたんだから、外から花束を押し込めるわけがありませんし、そもそも、そんなことをする理由も必要もありません。
「ストーカー野郎に抜け駆けされちゃったけど、俺だって、今度、司書子さんに花束贈りますからね! あんなショボいのじゃなくて、花屋で買った立派なやつ!」
「えっ、なんでですか?」
「なんで、って……」と、反田さんはおおげさにがっくりして見せました。「贈りたいからですよ!」
「えっ、そんな……。けっこうです……」
そんな、理由もなくお花なんかいただいても、申し訳ないし、困ります……。
「うわ……。ほんとに酷いなあ……。こっちこそ、『なんで』ですよ。俺が花贈っちゃ、なんでダメなんですか?」
反田さん、わりと本気でしょげてしまったようです。ごめんなさい。ご厚意はありがたいのです。お花は大好きですし。
でも、お庭に咲いた花のおすそ分けならまだしも、お花屋さんの花束なんて、高いですから……。
「だって、そんな……。そんなもの、いただく理由がないし、高いから申し訳ないです」
「理由があればいいんですか? じゃあ、誕生日に贈りますよ。それならいいでしょ? 誕生日に真赤な薔薇を歳の数だけ! いや、司書子さんなら白い薔薇かなあ、イメージ的に……。司書子さん、誕生日、いつです?」
わたしがとっさにうっかり答えると、反田さんはポケットから手帳を取り出してメモして、パタンと閉めながら、しかつめらしくうなずきました。
「よーし! 誕生日、ゲット!」
えっ……。まさか本当に誕生日に花をくれるつもりでしょうか。困るんですけど……。しかも、よりによって薔薇を三十三本だなんて、とっても高いだろうし、それに、そんな大きな花束、活ける花瓶がありません。薔薇は水揚げが難しくて萎れやすいですし……。本当に困ります。誕生日がとうぶん先で良かったです。それまでに反田さんがこの気まぐれな思いつきを忘れてくれますように。
「……さて、のんきな話をしている場合じゃなかったです!」と、突然、反田さんが声音を改めました。「そういうわけで、司書子さん、警察行きましょう。俺、付き添いますから」
「えっ、今からですか……?」
「そう。今から」
「でも、警察行って、何て言うんですか?」
「だから、ストーカーに狙われてるかもしれないから身辺を警護してくれって……」
「でも、それ、全部、ただの、反田さんの想像じゃありません?」
「いや、全部じゃないでしょ? たしかに想像入っちゃった部分もありますが、少なくとも、庭に毒草の花束が落ちていたのは本当ですよ」
「でも、毒草と言ったって、うちの庭を含めて一般家庭の庭で普通に栽培している花ですし、別にわざとうちの庭に投げ込まれたんじゃなくて、誰かが道ばたに落としたものをたまたまスノーウィ-が庭に引きずり込んだだけかもしれないし、庭に花束が落ちてたってだけじゃ、警察は相手にしてくれないと思うんですけど……。というか、警察だってお忙しいのに、そんなことなんかでお時間とらせたら申し訳ないです」
「『そんなことなんか』じゃないでしょう。司書子さんの身の安全がかかってるんですよ!」
「だから、かかってないと思うんですが……」
「もう! 司書子さんはのんきだなあ! 危機感がなさすぎますよ! あのね、いくらこのへんは治安が良いったって、女性の一人暮らしには、やっぱりいろいろと危険があるんですよ。身辺の安全には、十分気を配って下さいよ」
たしかに身辺の安全には留意するに越したことないでしょうが、でも、やっぱり、これだけのことじゃ警察は動いてくれないと思うんです……。スノーウィも無事だったわけだし、そもそも、もしかすると別にジギタリスのせいじゃなく、ただの食あたりとか別の病気かもしれないし……。
困っていると、反田さんは、しばらく考えて言いました。
「うん、でも、まあ、たしかにそうですよね……。庭に花束が落ちてたってだけじゃ、たしかに、警察も動きようがないですね。じゃあ、警察はいいです。でも、そうしたら、心配だから俺に司書子さんの身辺を警護させてください」
「えっ? 警護っていうと……」
「俺、ここに泊まり込みますから!」
「えっ! ……あのぅ……困ります……。そういうわけには……」
反田さんが純粋に善意でおっしゃってくれているのはわかりますが、常識的に考えて、それはちょっと……。
「……あ、そうですよね……。それはそうですね……。すみません、心配のあまり、つい……」
反田さんは、また、ちょっとしょんぼりしました。せっかく善意でお申し出くださったのに、申し訳ないです。
「いえ……。お気持ちは嬉しいです」
「ほんと、すみません。別に下心があったわけじゃないんで」
「はい。わかってます」
反田さんのご厚意に対する邪推の気持ちはまったくないのだと伝えたくて、心をこめてうなずくと、反田さんは元気を取り戻してくれました。わたしは人の感情を読み取るのが苦手なので、反田さんのように、表情が大げさなくらい豊かでよく変わる人は、わかりやすくてありがたいです。
「じゃあ、犬の散歩のついでに、ここの周りを巡回警備しますよ。それならいいでしょう? キャンディの散歩の時間を伸ばして、家の周りを何周かぐるぐる周りながら、不審者がいないか警戒しますから。キャンディも大喜びで一石二鳥ですよ。あいつ、お袋が甘やかしておやつをやるもんで、最近ちょっと太り気味だし、ちょうどいいや」
そういうことなら……。番犬のスノーウィがいない今、わたしもやっぱり、なんとなく心細いので、お言葉に甘えることにしました。ただし、お仕事やご自分の生活の負担にならない範囲でということで……。
反田さんは、がぜんはりきって、なぜかまたパソコンで検索をはじめました。
「警備をするのに武器がいるよな! スタンガンとか催涙スプレーとか? スタンガンってネットで買えるのかな? ちょっと検索させてくださいね」
そういって、通販サイトを見ていますが、そんなものが必要でしょうか。一度変な単語で検索したりネットショップで変な商品を見たりすると、しつこく関連広告が出るので、うちのパソコンにあまり変な検索履歴を残さないで欲しいんですけど……。しかも、どんどん関係ない商品を見始めているような……。
「へぇー、こんなのも売ってるんだ。すげえ! おっ、これ、カッコいいなあ……。探偵七つ道具みたいだ。ちょっと欲しいなあ……。こっちはなんだこりゃ? アホだなあ……。こんなの誰が買うんだよ……」
なんだか関係ないページに夢中になってしまったようなので、その間、わたしは、なんとなく、ゴミ袋の中の花束をもう一度よく眺めてみました。お花、ぐちゃぐちゃに踏み荒らされた上、すっかり萎れてしまって可哀想に……。解けかけたリボンも、土にまみれて、情けないありさまです。
これ、きっと、ケーキとかプレゼントの箱にかかっていたリボンの再利用ですよね。たぶんお店の名前でしょう、何やらロゴが入ってますし。
祖母もよく、お菓子の箱などについてきたリボンを、クッキーの空き缶に貯めていましたっけ。他にも、綺麗な包装紙だのボタンだの何だの、いろいろと集めていました。
解いたリボンを丁寧に巻いて年季の入ったクッキー缶に仕舞いこむ祖母の仕草が目に浮かんで、思わず涙ぐみそうになった時、「年寄りはこういうものを捨てられないのよね。お庭のお花を誰かにプレゼントする時なんかにも使えるしね」と言った祖母の言葉が、ふいに耳に蘇りました。まるで、今、耳元で言われたみたいにはっきりと。思わず目を上げて、きょろきょろと祖母の姿を探したくなるほどに……。
もちろん、祖母の姿はどこにもありませんでしたけれど。
この花も、お年寄りが花束にしたのではないかしら。しかも、きっと男性――おじいちゃんです。だって、リボンの結び方が、不器用な縦結びで……。
リボンを取っておいたのは、奥様とかお嫁さんとかですね、きっと。墓参りに行くのに、お庭の花を切って、そのままではばらけてしまうからと、奥様かお嫁さんが取っておいたリボンを拝借して、不器用に結んで……。
でも、うちの前で落としてしまって、お年寄りだから腰が痛くて屈めなくて、それで拾うのを諦めて、お花無しでお墓参りに行ったのです。
その、しょんぼりした後ろ姿を想像して、胸が痛みました。ああ、おじいちゃん、お気の毒に……。うちの前なんですから、遠慮なく声をかけてくれたら拾って差し上げたのに!
……なんて、それこそ、反田さんのストーカー妄想以上に根拠の薄い、ただの想像ですけれど。
ところで、このリボン……。よく見ると、『Patisserie KIHARA』と書いてあったのですね。リボンが泥だらけな上によじれていたし、デザイン化された筆記体なので、よく見ないと何という字が書いてあるかわからなかったのですが。
『パティスリー・キハラ』って……もしかして、ご近所の木原洋菓子店のことでしょうか? そういえば、何年か前に改装した時に看板も新しくなって、何か横文字になっていませんでしたっけ。あまりちゃんと読んでいなかったのですが、もしかしたら、いつの間にか今風に改名していたのかも。
木原洋菓子店のお菓子は、この辺では贈答品の定番なので、うちもよく頂きましたが、以前は、たしか、よくある、ピンクやブルーの真ん中に一本金のラインが入った、昔ながらのナイロンリボンがかかっていたように思います。が、最近では、こういう、シックな色合いの洒落たロゴ入りリボンに変わっているのかもしれません。
このリボンが木原洋菓子店のものだとしたら、この花束の主は、やっぱり、ご近所の方ですよね? ご近所の方が遠方に住んでいる誰かを訪ねるのに木原洋菓子店のお菓子を手土産に持って行ったとか、地方発送サービスで送ったなどで、遠方の方がこのリボンを手に入れる可能性も、あるにはありますが、その遠方の方が、たまたまそのリボンで束ねた花束を持って我が家の前を通るとは、あまり考えられません。
これ、もしかして、何か手がかりになるのでは……?
怪しい通販サイトに夢中になっている反田さんの背中を、つんつんとつついてみました。
「あの……反田さん。これ……」
「なんです?」
「このリボン、パティスリー・キハラって書いてあるみたいなんですけど。もしかして、二丁目の木原洋菓子店のリボンじゃないでしょうか」
「えっ!」
反田さんは、わたしが差し出した花束の袋を奪い取るようにして、顔を近づけました。
「ほんとだ……。そうですよ、これ……。俺、こないだ木原に聞きましたもん、店名を入れたオリジナル・リボンを発注することにしたって。あ、知り合いなんですよ、あそこの息子」
「ということは、やっぱり、この花束の主はご近所の方ってことですよね」
「その可能性が高いですね! よし、これは大きな手がかりだぞ! 司書子さん、お手柄ですね!」
「……いえ、それほどのことでは……」
ほんとにたいしたことじゃないんですが、反田さんが褒めてくれると、なんだか意外なほど嬉しくて、内心、少し照れてしまいました。
反田さんは、勇ましく言いました。
「よし! さっそく、木原んとこに行きましょう!」
「えっ!?」
「何が手がかりがあるかもしれないじゃないですか! 最近、あそこでケーキを買ったヤツが怪しいですね! あのリボン、発注したの、つい最近のはずですからね! 今からすぐ行って、最近誰がケーキを買ったか、木原のやつに聞くんです!」
……いくら、リボンが変わったのがつい最近だとしても、ケーキを買った人なんて大勢いるだろうし、いくらその大半がご近所の人だとしても、ケーキ屋のご主人だって、それを全員憶えていたりはしないと思うんですが……。
「さ、行きますよ、司書子さん!」
反田さんは、パソコンをスリープすると、すっくと立ち上がりました。本当に行くんですか……。
と、思って、後をついていきかけたら、反田さん、急に立ち止まって、くるりと振り返りました。
「あ、そうだ。その前に。せっかく上げていただいたので、お祖母ちゃんにお線香上げさせてもらっていいですか? そういえば、俺、まだ一度もお祖母ちゃんにご挨拶してなかったですよ」
それもう、もちろん……。
反田さん、良い方ですね。




