第一話 お祖母ちゃんの髪飾り事件(13)
反田さんは、それを見てまた笑いました。
「うーん、良いなあ……。何とも言えないなあ……。でね、さらに実を言うと、俺、図書館が良い所だっていうだけじゃなく、司書子さん自体、素敵な職員さんだなあと思ったんですよ。司書子さん、あの時、すっごく丁寧で、親身だったでしょう? 言葉遣いが丁寧ってだけじゃなく、なんとか俺の役に立ってくれようと、ものすごく一生懸命になってくれてるっていうのが、すっごい伝わってきて。あと、こっちのことを尊重してくれてるなっていうのも、伝わってきてね。無知丸出しの俺の質問に、すごく真剣に向き合ってくれてるんだって。親切な人だなあ、誰に対してもこんな風に一生懸命に対応してあげてるんだろうなあ、真面目で一生懸命な人だなあ、お仕事頑張ってるんだなあ、偉いなあ、きっと素直で純粋で頑張り屋さんなんだろうなあ、そういう人って良いなあって思って。しかも、しゃべり方とか仕草も、なんか奥ゆかしくって、見た目も清楚でね。『今どき貴重な大和撫子発見か!?』って思って、そこにダメ押しの『まあ』で止めを刺されまして。それで、俺、すっかり司書子さんのファンになっちゃったんですよね」
反田さんは、ちょっとおどけた口調で言って、照れくさそうにほっぺたを掻きました。
えーっと……。お言葉の前半は素直に嬉いけど、ありがたいけど、後半のほうについては、どう反応していいのか困ってしまいます……。反田さん、お店屋さんの人ですから、お口がお上手なんですよね。ちょっとしたお世辞やお愛想も普段から言い慣れていて、こうしてさらっとお上手が言えるのですね。すごいです。羨ましいです。
わたし、そういうのが全然駄目で。社交辞令が通じなかったりお世辞が言えなかったりするだけでなく、人からお世辞やお愛想を言われるのも、とても苦手なのです。なぜかというと、どう反応していいかわからないからです。人間関係の潤滑油としての社交辞令を軽んじたり否定したりするつもりは全くないし、お世辞を言ってくれるということはわたしを喜ばせようと思ってくれているということですから、そのお気持ちはありがたく思うのですが、それに上手く対応できないので、すぐに困ってしまいます。わたしだって一応大人ですから、お世辞を言われればそれがお世辞だということくらいわかりますが、それに対してうまく返答できずに黙って赤くなったりしてしまうので、まるでお世辞を真に受けているみたいに思われそうで、恥ずかしいのです。お世辞を言われたら『褒めても何も出ませんよ』と軽口で返すのが模範回答だというのは知っていますが、わたしは、どうしても、その言葉を口に出すことができません。わたしなんかがそんなことを言っても、なんだかわざとらしくなってしまう気がして、気恥ずかしくて。
実は、例の『ちょっとそこまで』という決まり文句も、わたし、未だに、どうしても口に出すことができないのです。だって、実は『そこまで』じゃないのに『そこまで』だなんて無用な嘘をつくことが、どうにも気持ち悪くて。いえ、それは『嘘』ではなく単なる決まり文句なのだと、朝早くなくても『お早う』というのと同じようなものなのだと、頭では理解しているのですが、それでも、どうしても抵抗があって、気恥ずかしくて口に出せず、実は今でも、ご近所の方に『どちらへ?』と聞かれると、毎回正直に行き先を告げているのです。隠さなければならないような場所に行くなら、わたしだって嘘くらいつけますが――たぶん、つけると思いますが――、別に人に知られて困るようなところに行くことなどないので、隠す必要もありませんし。
とはいえ、大人なのだから、そういう決まり文句くらい言えないとまずいとは、思っているのです。決まり文句が言えないために恥ずかしい思いをすることも、しょっちゅうです。でも、やっぱり、言えないのも恥ずかしいけど言うのも恥ずかしくて、どうしても駄目なのです。
でも、もしかして、今なら……とても気さくでお話ししやすい反田さんになら……わたし、今までどうしても言えなかったあの言葉を、言えるかもしれません。そう、今こそ、勇気を出して、思い切って……!
「……ほ、褒めても、何も出ませんよ?」
小さな声になってしまいましたが、少しどもってしまいましたが、ついに、言えました! 恥ずかしいけど! 頑張りました! これでわたしも、一歩だけ、一人前の大人に近づけた気がします……。
わたし的には快挙だったのですが、反田さんは、なぜか、ぷっと吹き出しました。
「司書子さん、今のそれ、無理して言ったでしょう」
やっぱり、バレてしまいました。恥ずかしい……。
「……はい。わかります?」
「わかりますよぉ。なんか、すっごい頑張ってましたよね?」
反田さん……。そんなににやにや笑わなくても……。別に、誰でも言うような普通の決まり文句を言っただけのつもりなのに。やっぱり、わたしの言い方はよほど不自然だったのでしょうか。わたしなんかが一人前に人並みの軽口を言おうだなんて、やっぱり分不相応だったんでしょうか。落ち込みます……。
「あのさ、無理しなくていいんですよ」
反田さんの言葉に、びっくりして目を瞬きました。
「司書子さん、そういう軽口みたいなの、苦手なんでしょう」
「えっ……。あ、はい……」
「だったら、無理に言わなくても」
「え……?」
「そりゃあ、まあ、言う必要がある時もあるでしょうけど。でも、俺には言わなくていいですよ。俺と一緒の時は、そんな無理しないで、普通に、楽にしててくれていいですから。司書子さんらしく、ね」
とても優しい声でした。
無理してたのがバレたのが恥ずかしくて、また赤くなって俯いてしまいましたが、心の中が、なんだかじわっと温かかったです。
隣で反田さんが、庭を見回してしみじみと言いました。
「ああ、ほんとにいいなあ、この庭……。ずっとここに座っていたいなあ……」
ほんとに。
少し雑草は生えていますけど、木苺やユスラウメが実り、様々な宿根草の花が咲くこの庭は、今が一年で一番美しい時期です。雑草だって可愛い花をつけていて、わたし、本当は雑草も嫌いじゃありません。
梅の葉をそよがせて吹き過ぎる五月の風が心地よくて、わたしも、いつまででもこうして座っていたいような気がしました。
ふと目の前を横切ったアゲハ蝶を追って木苺の茂みのあたりに目をやると、元気な姿の祖母が立っていて、優しく笑ってうなずくのが見えた気がしました。いえ、もちろん幽霊なんかじゃなく、ただの、わたしの空想なのですが。
わたし、昔から空想癖があって、庭やお部屋に、いろんなものを見てきたのです。月夜の庭に舞い降りる白銀のペガサスや蕗の葉の下の小人、スズランの葉影の妖精、納戸に潜む狼や、コタツの中のサラマンダー……。大人になった今はもう、そんな荒唐無稽な空想は、もう、しなくなったけれど、しないだけで、できなくなったわけではないのです、たぶん。あんな、見たこともないものたちをありありと目の前に描き出せていたくらいだから、毎日見ていた大好きなお祖母ちゃんの姿を木苺の茂みの横に思い描くくらい、明るい初夏の真っ昼間だろうと、何の造作もないはずです。
わたしは微笑んで、空想の中のお祖母ちゃんに、声に出さずに告げました。
――お祖母ちゃん、ありがとう。おかげで琴里ちゃんの髪飾りは見つかって、光也君は琴里ちゃんに謝る事ができて、しかも、琴里ちゃんのアドレスをちゃっかりゲットしました。そしてわたしは、なぜか、こうして反田さんとお茶を飲んでいます……。
帰りがけに、反田さんは、また木苺を一粒、通り過ぎざまに手を伸ばして無断で摘んでいきました。
今まで、わたし、気後れして文句を言えずにきたけれど、反田さんとずいぶん気安く話せるようになった今なら、勇気を出して言えるかもしれません。『人の家の木苺を勝手に食べないで下さい、それはわたしと犬のものです』って。
……でも、やめました。まあいいいかって思ったから。反田さんになら、お祖母ちゃんの木苺を少しだけ分けてあげてもいいです。
それにわたし、木苺を食べた時の反田さんの子供みたいな笑顔が、ちょっと好きかもです……。




