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MEの部屋  作者: ビン
1/2

真奈美 1

 午後20時。私は池袋東口にいる。冷たい風が吹き付ける。もう、冬が近づいているんだ。コートを身に着けたサラリーマンが通り過ぎるのをぼっと私は眺めていた。私も数年後、彼のように働くのだ。

 今日は、洋子と待ち合わせをして、「自分探し説明会」に参加する。中身はよくわからない。私は洋子になんか怪しくない?と聞いてみたが、彼女は無料なんだし別に大丈夫でしょと軽くいう。

 私たちは無料という言葉に弱い。無料であれば、何も損をすることがないような感じに思える。だけど・・・。時間は失われるんだ。経済の授業で教授がこんなことを言っていたのをふと思い出した。

「君たち、機会費用という言葉を知っていますか。簡単にいうとね、何かを選ぶということは他のことをする可能性が失われる。そのコストを機会費用っていうんだ。わかりやすく言おう。君たちはこの授業に参加せずに時給1000円のバイトをすることもできる。君が授業に参加することで1000円を手に入れるチャンスが奪われているんだ。」

 普段、寝ている授業なのだが、この話はなぜか耳に入ってきた。何かを選ぶということは他の可能性を失うこと。私は、おかしな懇談会に行くことで、別のことをする可能性が奪われる。でも・・・別にこの時間帯はどうせ、家でゴロゴロしているだけだし別に大きな損はないかもしれない。バイトは週2回しかやっていないし、そんなにお金に困っているわけでもない。なら、別にいいか。

 そんなことを考えていると、遠くで手を振る洋子が見えた。

「ごめん、遅くなって。待った?」

「ううん、そんなに待ってないよ。」

「真奈美、この説明会、どこでやるかわかる?」

「え?洋子が誘ってきたんだから洋子が知ってるんだと思ってた。」

しっかりしてよ。本当に損したかも・・・。交通費が失われた。こりゃ、家にいたほうが得だったかな。

「なんかこのビラにはさ、『池袋東口に20時15分に来ていただければ迎えに来ます』と書いてはあるんだけど、なんか信用できないよね。」

「やっぱ、怪しいよ、それ。もうそろそろ20時15分だけど。なんか迎えに来ましたーみたいな人いる?」

 二人で辺りを見回してみるが、それっぽい人がいない。いくつかのサークルで若者たちが笑いながら話している。道端では金髪の兄さんが居酒屋の勧誘をしている。このまま、二人でどこかに飲みに行ってもいいかもしれない。それにしてもそんな不確実な情報でよく、洋子は行こうなどと誘えたものだ。まあ、それが彼女の性格なんだけど。

 洋子はアクティブな子だ。興味をもったら、どこへでも行く。私とは真逆の性格だ。私は、何をするにしても必ず、立ち止まってしまう。これって危ないんじゃないか?私なんかが行ったら恥をかくだけだよなどと言って、人の誘いを断ることが多い。だけど、洋子の誘いは比較的応じている。彼女は私を知らない世界に連れて行ってくれる。去年は洋子に誘われていろいろなところにいった。東京でずっと暮らしている私が名古屋や大阪にまで行ったのは洋子のおかげだろう。

 だけど、洋子は深く考えずにどこへでも行ってしまうから心配ではある。この間は、見知らぬ男と一緒に飲みに行って、強引にホテルに連れてかれた話を聞いた。この事件で洋子は傷つきはしたが、しばらくしたらまたいつもの洋子に戻っていた。親友として私は洋子に同じような過ちをしてほしくはなかった。洋子が心配で私がこの誘いにのったといっても過言じゃない。きっと私が断ったら一人ででもそこに行くだろうから。

 「私たちみたいな人、他にもこのあたりにいるんじゃない?」

「確かに。あ、あそこにビラ持っている人いるよ。あの人も困っているみたい。」

 視線を遠くにやると、坊主の男がビラを片手にキョロキョロしていた。男に洋子はずんずんと近づき話しかけに行った。すごいなあ洋子は。

 男は笑いながら「よかった。同じような人がいて。ちょっと怪しいと思ったんですけど、暇だったんでこのへん来たんですよ。この近くに住んでるんで、迎えに来なくても、そこまで困らないんですけどね。」

 そうこう話していると、黒いコートを身に纏い、黒い帽子をかぶり、マスクをした、いかにも怪しい容姿の男が近づいてきた。細見の長身で大きな目しか私たちは男の特徴をつかむことができない。

「自分探し説明会の案内人をしてます。JOKERです。三人だけですか?」

 JOKER?三人とも戸惑いながら「は、はい。」と返事をした。

「まいったな。もう少し多く集まると思ったのに。まあ、こういう集め方しかわれわれにはできないんですけどね。さっそく、行きましょう。私についてきてください。」

 男はすたすたと歩き始めた。歩くスピードがけっこう速いので、もたもたしてはいられない。たった三人を相手にあの男が自分とは何か?どういう職に向いているか、判断するコツなどを教えてくれるんだろうか。慣れないヒールで歩いているため、足が痛い。もう、少しは気遣いでもしたらどうなのよ。

 夜はすっかり更けた。ビルとビルの合間を縫うように私たちは歩き続けた。その間、誰も話さない。何かここは黙ってないといけないようなそんな空気があった。すっかり人気がなくなったところに来ると、男は沈黙を破った。

 「ここでございます。このビルの5階にMEの部屋があるのでそこに入ってください。私は、また別のところで待ち合わせをしているので、ここで失礼させていただきます。」

 三人は何も言わずに彼を見送る。彼が見えなくなった後

「やっぱり怪しいよ。ミーノヘヤってなんだろ?ミーって何?」

私はすっかり動揺してしまう。危険な匂いがする場所には近寄らない。私の本能が何か異変をキャッチしていた。

「うーん、何でしょうね。まあ、せっかくここまで来たんですし、中に入りましょうよ。」

「真奈美、入ろう。まあ、ちょっと怪しいけど、頼もしい男性がいるし、大丈夫よ」

 全然、頼もしくなんかない。ひょろひょろ坊主はなんでこんな余裕なんだろ。多数決で私は行かなきゃ行けないんだろうなあ。マイノリティを尊重することの大切さを学んだ。

 三人でビルに入り、エレベーターで5階に向かう。ずいぶんと古いエレベーターらしく、ガタガタと揺れる。私は警戒心が高まり、「このエレベーター止まるんじゃないか」とか「やくざが待ち構えてるんじゃないか」「どうやって逃げよう」とかぶつぶつとつぶやいていた。坊主は笑いながら、

「心配性ですねー。面白い人ですねー。」とか言って、私の不安を簡単に流す。

洋子も「真奈美は怖がりすぎなのよ。」と言って、笑ってる。私の心配しすぎなのかなー。

 五階に着くと、女性が一人立っていた。壁が少し剥がれ落ち、床に黒いしみがある。こんな汚らしい場所にドレス姿をしたきれいな顔立ちをした女性がいる。荒地に咲く一輪の花。山本という名札を胸につけた女性は微笑みながら

「よくいらっしゃいました。奥へどうぞ。」と言って、案内した。坊主はニタニタし始めている。男って単純。ちょっときれいな人に会えばすぐ鼻の下が伸びる。そして頬が緩む。わかりやすい生き物だなあ。私たちは男にどう見られてるんだろ。

 MEの部屋。ミーってMEだったのか。山本さんがドアを開けて中に入れてくれた。収容人数40人くらいだろうか。学校の教室くらいの広さだ。パイプ椅子が順序よく並んでる。中にはすでに4人いる。3人(男二人女一人)は私たちと同い年くらいで1人は白髪まじりの中年の男だ。四人は打ち解けているみたいで楽しそうに雑談している。

 40人教室に7人しかいない。誰も前の席には座ろうとしない。後ろの方の席でじっとしている。もうすぐ21時だ。あのマスクをつけた怪しい男はあと何人連れてくるんだろう。

 「はあ。疲れたねえ。なんか、無料だから来たけどさ、参加費とられるんだったら絶対来なかったわ」

「僕もそうですね。この辺はけっこう知ってるんですけど、初めて来ましたよ。最初からここ集合にしてくれればよかったのに。」

「本当にそう。時間かけて駅からここまで歩かせるなんて何考えてんのよってかんじ。それにこれ、いつ始まるの?」

洋子がビラを取り出して

「一応、21時に始まることにはなってるけど。」

「あと5分ね。」

 ドアが開く音がした。2人の30代くらいのオトナの女性と、一人黒い布で全身を覆ったものが現れた。

二人は席に座り、黒い布を被ったのが教壇の前に立った。

「え?何あれ?」

教室内の男女が騒ぎ始めた。不気味だ。やっぱ、帰った方がよかった。怪しすぎる。

さっきのマスク男が教室に入ってきた。

 「みなさん、お待たせしました。自分探し説明会にようこそ。ええ、みなさん。不思議に思った方が多いことでしょう。この黒い布の中にいるのは何かってね。ちょっと不気味に見えるかもしれません。少し説明させてもらってからこの布を取ります。そこであなた方はきっとびっくりするんじゃないかと思います。」

 マスクをとった。一呼吸を置いて、男はペットボトルをカバンから取り出し、ごくりと水を飲んだ。ふつうの男だ。平凡な男。ただ目がギラギラしてるように感じた。

「少し説明します。認識についてです。みなさん、自分が見ている物は誰が見てもそう見えると思いますか?たとえばあなたが見ているこのペットボトル。誰が見ても同じ形のペットボトルだろうとあなた方はそう思い込んでいる。他の人からすれば、丸い形をしたペットボトルかもしれないわけですよ。」

 こんなの詭弁だ。誰が見てもあれは、私たちがよく目にするペットボトル。誰が見ても同じように認識できなかったとしたら、私たちの社会は成り立たない。

「私の言っていることはおかしいと感じることでしょう。もっともです。たぶん、このペットボトルは誰が見ても、よくお店で見るペットボトルだと思います。ここからが大事です。私たちは主観と客観を一致させて何とか生きている。自分の認識と他者の認識は一致するはずだ、と。思い込みは大切です。いや、信頼は大切です。信頼がなければ私たちの社会は破滅します。みんなそう思っているはずだ、この思い込みに疑いを持たせることが今日の狙いです。では、そろそろ黒い布をとりましょう」

 ははあ。難しい。今までいろいろな説明会を言ったが、こんな哲学的な話をする説明会は初めてだ。自分とは何かという問いに直結するのだろうか。その答えがこの黒い布の中にあるのだろうか。

 男は黒い布をぎゅっと掴んで、力強く引っ張った。現れたのは・・・

 私だ。

 私が教壇の前に立っている。ふと横をみると洋子は口をぽかーんとあけている。

「洋子。私があそこにいるよ。鏡でいつも見ている私が。」

「なんで私があそこにいるの・・・。」

坊主の男も驚いた様子で「俺が・・・俺があそこにいる。」

 「どうです?主観と客観は一致しないんです。」

 男はニッコリ笑い、白い歯を見せた。


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