青空に潜む黒き影(2)
若手菓子職人による菓子作り大会が前日に迫り、クレイアは朝から落ち着かない一日を過ごしていた。前夜は早々に眠り込み、翌朝は仕事が始まる前に試作をし、店の仕込みが始まってからは部屋に引っ込み、他の準備をし始める。
ルクセンはクレイアに対して告白したことをアリーには言ったのか、いつもよりさらに優しく接してくれた気がした。申し訳ないと思いつつも、今、アリーと話の場を設ける気力も時間もなかった。
やがて必要な材料を買いに、クレイアはショルダーバックを肩からかけて昼前にティル・ナ・ノーグの街に繰り出していた。今日は時間があれば夜に試作をするくらいで、あとは調理場に立つ予定はなかったため、仕事着であるコックコートから、アップルグリーンを基調とした動きやすい私服に着替えている。
ステイがいるプチーツァ農園で必要分の黄金林檎は既に確保してあるので、まずはそれを取りに行こうと思ったが、その前に思い切ってサン・クール寺院に寄り道することにした。
街の中心部に建造された、ティル・ナ・ノーグで最も大きな寺院である“サン・クール寺院”には空の妖精ニーヴや海の妖精リールが祀られている。一方で、その寺院の主な業務としては街の冠婚葬祭と併設された孤児院の運営だ。
以前からここにいるある人に対して聞きたいことがあったクレイアだが、なかなか聞けずにいた。しかし少しずつ動き始めた自分の過去を垣間見ると、前に進まないわけにはいかなくなっている。変わりたくないと思っている自分を押し切って、ようやく寺院まで来たのだ。
「……ホープ司祭から話を聞こう。ただ……上手く話さないと、最悪なことになる」
寺院の代表をつとめているホープは、穏やかで人当たりが柔らかく、一見して素敵な男性と見えるが、一点だけ困ったことがある。それは噂好きという点だ。特に恋愛系に関しては、彼に知られた場合には一瞬でその噂は街中に広まってしまうだろう。
寺院に入り、吹き抜けのホール状になっている礼拝堂へと進んでいく。そこにいるかと思ったが、期待に反してホープの姿は見当たらなかった。世の中上手くいかないものだと痛感する。
まずは挨拶にと、明かり取り窓の付けられた高い天井をちらりと見てから、空の妖精ニーヴと海の妖精リールに祈りと捧げた。その天井には妖精の女王ニーヴが生まれたばかりの大地へと降り立ち、万物を創造していく様子を描いた巨大な絵画がある。クレイアは特に信仰している妖精はいなかったが、それでも創造主であるニーヴは別格だ。
菓子作りもある意味、万物を創造するというもの。
まるで命を与えるかのように、魂を込めて作る。そうしなければ魅力的なものなど作ることはできないからだ。
慣れない祈りを捧げ終わると、長い黒髪の少女が横で微笑みながら立っていた。
「こんにちは、クレイアちゃん。珍しいね、お祈りをしているなんて」
「来たらしているよ、お祈りくらいは。……明日、上手くいきますようにってね。意外と緊張しているんだよ、あたし」
思わず弱気なことを言うと、リーシェはそっとクレイアの右手を両手で包み込んだ。手と手を通じて彼女の優しさが伝わってくる。
「きっと大丈夫、クレイアちゃんなら本番でも力を発揮できるよ」
「ありがとう、リーシェ」
優しげな緑色の瞳の少女は小さく笑みを浮かべると、つられてクレイアも笑ったのだった。
「――そうだリーシェ、ホープ司祭はいる?」
「正確な場所はわからないけど。ホープ司祭は寺院内にはいると思うよ。一緒に探す?」
「いや、手間かけさせちゃ悪いから、だいたいの場所だけ教えてくれればそれでいい」
本当は聞きたい内容があまり人に知られたくないものであったため、誰の手を借りずに探したかったが、この広い寺院と時間を考慮すると、最低限の力は欲しいのが本音である。
「司祭はお部屋か孤児院かしら。孤児院の場所はわかるよね。だから先に部屋の前まで案内するわ」
リーシェはクレイアににっこりと微笑むと、滑らかな足取りで歩き始める。「部屋の前まで」という言葉が強調されていたようにもみえた。その申し出を有り難く受け取りつつ、二人で並んで歩き始める。
やがて礼拝堂を出て、雑談をしつつ廊下を歩いていると、目の前に大きな影が現れた。不思議に思い顔を上げると、浅黒い肌の上半身を露わにし、民族衣装のようなものを着た、背中から鷹のような茶色い翼が生えている青年が現れたのだ。彼はアーラエと呼ばれる、背中の翼により空を飛ぶことができる種族である。人間を憎んでいることが多い種族が、なぜここにいるかといえば、好意を抱いている黒髪の少女に会うためだ。今日も真剣な顔をしてリーシェを見つめている。
「キジャさん、どうしましたか?」
「リーシェ、今日時間はあるか?」
「特別な予定はありませんけど。どうされましたか?」
「一緒に来て欲しいところがある。リーシェと一緒に行きたいところが」
その言葉に対して、リーシェの頬はさっと朱色に帯びる。キジャは躊躇いもなく彼女の手を取った。彼女の頬がさらに赤くなる。
「来てくれ、リーシェ」
「ちょ、ちょっと急過ぎます。今はクレイアちゃんの道の案内を――」
「ええっとね、ビアンカさんにでも聞くから、二人でさっさと行っていいよ。この前は邪魔しちゃったし」
以前、ライラ・ディに寺院を訪れたときに、キジャのことを邪険に扱ってしまったことを思い出していた。今日はそもそもリーシェの手をあまり借りたくはなかったので、キジャがこの場で連れ去ってくれるのなら、むしろ有難いことである。
「ク、クレイアちゃん!」
顔面が真っ赤になるリーシェであったが、キジャは彼女の腰に手を当てると、すぐ傍にある大きな窓を開けて、ばさりと大きな羽を広げる。そしてリーシェの制止の言葉もむなしく、二人は軽やかに大空に繰り出しに行ってしまった
「行ってらっしゃい、リーシェ」
手を振りながら二人を見送ると、何事もなかったかのようにクレイアは寺院の中を進み始める。キジャがリーシェのことを好きなのは、街の誰もが知る事実である一方で、リーシェが彼に想いを寄せているのも二人の様子を見ていたら、たいていはわかるだろう。種族の違いからか、思うように関係は進展していないが、いつかはいい方向にいけばいいなとクレイアは思っていた。
熱々カップルを見送って歩いていると、わずかに灰色にくすんだ白い髪の青年が目に入った。腰からは剣を下げているが、手には絵を描く道具を持っている。
「フェッロ!」
見知った顔を見て話しかけると、彼はゆっくりと振り返った。
「クレイア、どうしたの?」
「ホープ司祭、どこにいるか知らない?」
「司祭は寺院内にいると思う。朝会ったときに、今日出かけるとは言っていなかったから」
「具体的な場所は……知らないよね。わかった、自分で探してみる。――あら、今日は何の絵を描くの?」
真っ白なキャンパスを覗き込むと、フェッロは庭の方に目をやった。
「今日は風景でも描こうと思う。昨日のうちに材料も調達したから、何も気にせず描ける」
フェッロは寺院の守衛としてここにいるが、画家という職業も持ち合わせている。何度か描き上がった絵を見たことがあるが、どれも美しく、感嘆してしまうものばかりだった。
「いい絵が描けるといいね。――あ、そうだ。もしあたしが独立するってなった場合には、店の看板描いてもらってもいい?」
以前から考えていたことを何気なくフェッロに打ち明けると、彼は目を丸くしつつも首を縦に振った。
「独立するの? “アフェール”があるのに? おれが看板を描くのは別に構わないけど」
「するかどうかはまだわからない。けど……一人で何かをする期間を作りたいとは考えている」
このままアフェールでお菓子を作り続けて、店を継ぐのもいいかもしれないが、それだけでは何か足りない気がする。一方で、果たしてアフェールを継ぐ資質や器量が自分自身にはあるかどうかも疑問だったから、独立という考えもちらついていたのだ。
フェッロは前髪の隙間から紫がかった灰色の瞳を覗かせた。
「……おれもこうして工房から出て独立したけど、結構大変だった。でも人との交流によっては意外とどうにかなるものだとも思う」
「そうなんだ、アドバイスをありがとう。まあ、ただの予定だからさ。正式に話が出たら頼みにくる。――あたしもいい加減に将来を見据えないと」
外からは孤児院にいる子供たちの笑い声が聞こえてくる。彼ら、彼女らは、クレイアよりも若くして独り立ちする子も少なくはない。そんな子たちを見ていると、前に進むために一刻も早く過去をはっきりさせたいのだ。
しかしそれを考えるたびに、胸のあたりがずきりと痛む。過去に触れるたびに苦しくなる。無意識の内に触れてはいけないと決めつけている自分もいるようだ。
「あ、ビアンカ」
ふと、フェッロが前方から来る、ほっそりとした体つきの柔らかな金色の髪の女性に声を投げかける。彼女は明るい緑色の瞳を丸くさせて駆け寄ってきた。
「フェッロさんにクレイアさん。お二人でどうされましたか?」
「あたしがたまたまフェッロと会って、立ち話をしていただけです。そうだ、ビアンカさんに聞きたいことがあるんですが、ホープ司祭ってどこにいますか?」
「司祭ならさっき見かけましたよ。奥の倉庫で探しものをしているみたいです。司祭に何か御用ですか?」
「物知りのホープ司祭にちょっと聞きたいことがありまして。教えてくださり、ありがとうございます、ビアンカさん」
クレイアが頭を下げると、ビアンカは微笑みながら首を振る。
「いえいえ、早く会えるといいですね」
誰もが見ほれる聖女の笑顔にクレイアもつられて顔をほころばせた。笑顔というのは、常に人を前向きにしてくれるものだ。
二人に軽く挨拶をすると、クレイアは寺院の奥にある倉庫へと向かった。離れる際にフェッロがビアンカに話しかけているのが聞こえた。
「ビアンカ、君が一番いいと思う風景ってどこ?」
「私が……? いったいどうしてですか?」
「せっかくなら誰かが喜んでくれる風景の方がいいと思って」
フェッロは恥ずかし気もなくその台詞を言うと、ビアンカの頬は赤く染まる。そして顔を俯かせながら細々とやりとりをしながらも、やがては二人で寺院の外へと行くのだった。
寺院の奥にある倉庫の裏手には木がたくさん生えているため、街の中心部であるにも関わらず、どことなく物寂しい雰囲気が漂っていた。ビアンカに言われたとおりの場所に着くと、そこには青い帽子に、襟の詰まった白い司祭服を身につけている人がにこにこしながら古びた教典を持っていた。ホープはクレイアを見ると、目をぱちくりさせる。
「ルクセンの娘のクレイア君じゃないか。わざわざどうしたんだい? まさか――誰かの素敵な恋愛の話でもしに来てくれたのかい?」
「違います」
即否定をすると、ホープががっくりとうなだれる。
ホープはクレイアの育ての父、ルクセンと同い年であり、意外にも仲がいいらしい。ルクセンもホープに劣らず平和主義であるため、そこら辺で意気投合して仲良くなったのだろう。
クレイアは水色の瞳を細め、深い紫色の垂れ目な瞳を真っ直ぐに見据えた。その真剣な表情に魅せられたホープも背筋を伸ばして見返してくる。
「――ホープ司祭は長年この寺院におり、また記憶力もいいと聞きました。もし“覚えていたら”でいいのですが、十八年前のことでお聞きしたいことがあります」
「十八年前……かなり昔だね。どうしたのかな?」
ちらりと周りを見渡し、クレイアは誰もいないことを確認した。言葉を脳内で選びつつ、ゆっくりと口を開いた。
「十八年前の雨の日、おそらく小雨ではなくそれなりにまとまった雨の日に、水色の瞳を持つ人を見かけませんでしたか?」
非常に抽象的な聞き方だと思う。しかしクレイアが持っている情報が少なすぎるため、それ以上のことが聞けないということもあり、仕方のないことだった。
さすがのホープも抽象すぎる内容に首を傾げてしまっている。
次の手をと思い、クレイアの出生に関する内容が書かれている手紙の内容を公表するわけにはいかなかったため、他に残されていた物をバックから取り出した。くるまっている布の中から刃が波打った一本の短剣を取り出す。それをホープは興味深そうに見てきた。
「これは……クリスと呼ばれる種類の短剣だね」
「知っているんですか?」
「昔、見たことがあるんだよ。こんな珍しい形状の短剣はほとんどないからね、私でなくても印象に残っている人は多いと思う」
「どんな人が持っていたんですか?」
「私が見たのは、たぶんティル・ナ・ノーグ以外の街から来た人だったと思う。雰囲気とか服装が少し見慣れないものだったからね」
ふとホープがクレイアの瞳をじっと見てきた。
「――その色の瞳を持っている人もいたかもしれない」
目を大きく見開かせた。クリスとホープの顔を見比べながら、平静を装いながら言葉を紡いでいく。
「いつか……というのは覚えていないんですよね」
「いや、十九年前くらいの晴れた夕暮れ時、とても綺麗な女性だったということだけは覚えているよ」
クレイアが予想していた年と若干違う。だがそれがまったく無関係とは思えなかった。
「クリスを大事そうに持ちながら彼女は言ったんだ。『幸せな家庭で育てば、たとえ血は繋がっていなくても、その子供は幸せな一生を送れるのでしょうか』っと」
衝撃の告白にクレイアはすぐに口が開かなかった。
いや、何も言葉が出てこなかった。
「私はそれに対して、『環境というのは血の繋がり以上に意味を持ち、深い絆をもたらすことがありますから、幸せな人生を歩む可能性は高いでしょう』と言った。そしたら彼女は寂しげな顔をしながら、『素敵な環境で育った方が未来ある子にはいいですよね。それに――子供にまで不幸な立場を押しつけてはいけないですよね』と呟いていたよ」
確たる証拠は何もなかったが、その女性こそがクレイアの生みの親であると、なんとなく気づいていた。
いったい十八年前に何があったのか。
その女性はどんな状況であり、その後どうなったのか。
そしてなぜ“アフェール”の前に捨てると至ったのか。
隠されていた想いが少しずつ紡がれ始めていた。
だが同時に隠れて動いていた者たちも動き始めている――。
今回お借りしました、初登場の登場人物の設定考案者やデザイン者、また参考にした関連作品は以下の通りです。
*リーシェ・マリエット(設定考案、デザイン:夕霧ありあさん)
⇒『天に架ける道』http://ncode.syosetu.com/n3658bc/ 著:夕霧ありあさん
*キジャ(設定考案、デザイン:タチバナナツメさん)
*フェッロ・レデントーレ(設定考案、デザイン:伊那さん)
⇒『楽園をふちどる色彩』http://ncode.syosetu.com/n1890bi/ 著:伊那さん
*ビアンカ・ボードワン(原案:タチバナナツメさん、設定考案:伊那さん、デザイン:緋花李さん)
⇒『失踪リ・ライラ・ディ』http://ncode.syosetu.com/n6437bd/ 著:伊那さん
*ホープ・ノルマン(原案:タチバナナツメさん、設定考案:トラムさん、デザイン:猫乃鈴さん)
皆さま、どうもありがとうございます!