青空に潜む黒き影(1)
徹夜で試作品を仕上げたその日の夕方、クレイアはうとうとしながら店の外を箒で掃いていた。本来ならば厨房で菓子を作っているはずだったが、寝ていないことに気づいたルクセンは敢えて休みつつもできる掃除に仕事を回したのだ。休みにすることも考えただろうが、翌日から二日間を休むということさえも引け目を感じている、娘のことを考えるとできなかったのだ。
店の周りは昼に一度掃除しているため、あまり汚くはなく、すぐに終わる仕事であった。欠伸をかみ殺しながら、クレイアはせっせと掃いていく。
「とりあえず今日は寝て、明日はもう一度試作をしつつ、ステイのところに行って、林檎をもらいにいく。あとは他に必要なものをチェックすればいいのかな……」
“アフェール”の店長であり、クレイアの父親のルクセンに聞けば、そこら辺のことはすべて教えてくれるだろう。なぜなら数多くの菓子作り大会に出て、入賞だけでなく優勝経験もあるからだ。だが、それではルクセンの力を借りていることになる。純粋に自分の力だけで勝負したいクレイアにとっては、我慢するべきところだった。
「……ああ、あとはどんなオーブンを使うんだっけ。念のために確認しておくか……」
大会当日はその場で作り、皆に食べてもらう――つまり公開で一連のことが行われることになっている。事前に指定されて作った菓子によって既に四人に絞り込まれており、そのメンバーから優勝者を決めることになる。
開けた場所にあり、ティル・ナ・ノーグで最も大きいと言われている菓子店“リバティオ”の前で大会は行われ、器具に関してはその店のものを借りることになる。ちなみにその店の息子も絞り込まれた四人に入っており、実力やその他の状況を見ても、おそらく彼が優勝に近いと言われている。
「さすがに使いなれている人とそうでない人が扱うとなると、差が付く可能性は高い。たぶん同じような型式だったと思うけど……。まったく関係のない店を借りるとかできなかったのかな。父さんが審判員だった大会はまた別の方式だったから、そういう影響はでなかったけど……」
独り言をしつつ、一通りゴミをまとめあげた。これを捨てれば今日の仕事は終わりである。ちりとりに入れようとしたが、不意に風が吹き、落ちていた袋が舞ってしまう。屈んで取ろうとした矢先、少し低めの声の男性が耳元で囁いてきたのだ。
「――血の繋がっていない人間を、父親と呼ぶか?」
背筋が凍り付き、思わず固まった。
風は再び吹き、拾おうとした袋が流れていく。クレイアは追いかけもせず、硬直したままだった。
しかし数瞬して立ち上がり、辺りを見渡す。だが囁いてきた男性の姿は見えなかった。
鼓動が激しく打っていく。
手に汗をかき始めている。
「どうして、それを……」
そのことに関しては、誰も知らないはずである。
おそらくクレイアと育ての両親以外は――。
「掃除終わったよ。他に何か手伝えることはある?」
店番をしている育ての母親のアリーに聞いたが、首を横に振るだけだった。
「いいえ、大丈夫よ。今日はもうあがって、少しは休んでいなさい」
「うん……わかった、ありがとう」
お礼を言うと、クレイアは店から出て、裏手に併設されている自分の家へと戻っていった。二階建ての家であり、一階は大きなオーブンがある台所やリビング、そして団欒の場、その上の階は狭いながらも各個人の部屋がある。
二階に上がり、部屋に入ると仕事着であるコックコートを脱ぎ、私服へと着替え、ベッドに横になった。
部屋の中にはいくつもの菓子についての本や、ティル・ナ・ノーグの歴史の本など様々な本が積んである。他にもイラストが描かれた紙が床に落ちていたりと、部屋の中は非常に散らかっている。何日もせっぱ詰まりすぎたせいだろう、大会が終わったらすぐに片づけなくてはならないとクレイアは思う。
そのまま深い微睡みの中に落ちてしまいそうになるが、さっき誰かに呟かれた言葉が頭から離れられない。
――いったい誰、それとも空耳? 今は忘れようと思ったのに、忘れなければならないと思ったのに……。
ベッドから体を起こすと、自室からそっと出た。二階には誰もいない。妹のエレリアはたしか孤児院に遊びに行って、まだ帰ってきていないようだ。
足音をたてないようにクレイアはルクセンの書斎へと移動した。こっそりとドアを開け、周りに誰もいないことを再度確認すると、するりと中に入り込んだ。
窓はカーテンで閉められており、部屋の中は暗かった。少しだけカーテンを開けて、光を中に差し込ませる。
部屋は窓の下に机があり、その後ろに本棚があるという、とても狭く、簡素な空間だ。だが本棚にはクレイアが生まれる前に書かれたお菓子の本や、アーガトラム王国外で作られているお菓子の本など、多種多様のお菓子に関する本がある。またクレイアの部屋にある冊数など比べものにならないほどの多さだ。
「父さんは本当に菓子作りには勉強熱心なんだよね」
今でこそ、二十年近くも続いている老舗の菓子店の一つとも言われているが、店を始めた頃は軌道に乗らず、辛いこともあったはずだ。そしてその状況を打開したいがために、菓子作りと座学の勉強を並行して行っていたようで、その時期に書かれた本が最も多かった。落ち着いたら、ここにある本を借りて勉強しようとクレイアは思う。
一方で本には手を触れずに、本棚の下に置いてある、小さな木箱に手を付けた。
初めてこの木箱の存在に気づいたのは、二年前。誤って本棚を崩してしまったときに、偶然見つけてしまったのだ。
その箱をゆっくり開くと、布に包まれたナイフと黄ばんだ手紙が入っている。手紙には丁寧とは言い難い文字が並んでいた。
内容はクレイアのこと――、事情があって育てられない、突然の申し出ですまないが、この子のことをあとは頼んだ――というもの。
これを初めて読んだときは、あまりの衝撃に思わず家を飛び出してしまったものだ。その直後にモンスターに襲われるという非常に危険な目にあったが、運良く助けられ、そして再会した育ての両親のあまりの心配した姿を見て、深く反省するのだった。
今は時折手紙を読んでは、謎や想いを深めていくだけ。
この手紙の真相は、そしてこの布に包まれた短剣が意味しているところは――。
布を開いて不思議な形をした短剣を見ようとした矢先に、階段を踏む音が聞こえてきた。あまり軽やかでない音から、両親のどちらかと判断する。急いで布を包み直し、手紙と共に箱の中に入れた。そして中途半端に本棚の下に押し込んで、おもむろに本を一冊取りだして開いたのだ。
それと同時くらいに部屋のドアは開いた。ルクセンが目を瞬かせながらクレイアを眺めていた。
「クレイア、どうした? もう試作は終わったんだろう」
「う、うん、ちょっと気になったことがあって、調べものをしているだけ。ごめん、すぐにどくね」
「いや、別に構わないよ、机の上にあった本を取りに来ただけだから」
そう言って、ルクセンは机の上の積んである本を数冊取り上げつつ、中身を確かめ始めた。
クレイアは父親の様子が気になりつつも、本に目を通す。菓子を題材にした童話であり、読む対象としては幼い子供、クレイアが読むものではない。慌てていたとはいえ、もう少し選んで取るべきだったと思い、ぱらぱらとページをめくると、徐々に紙がしわになっていることに気づく。雨にでも濡れたのだろうか。最後のページまで来ると、不自然にも切り取られた跡があった。
「――父さん、この童話どうしたの?」
本を三冊抱えたルクセンがクレイアの傍に屈み込んだ。その本の表紙を見せると、彼の目が大きく見開いた。
「それは……人からもらったものだよ」
「やけに扱いが酷いことになっているけど。ページが破られているなんて……」
「偶然もらったもので、けどタイトルが魅力的だったら、中身も見ずに本棚に突っ込んだ覚えがあるよ。――それよりも、ちょっと本棚から取りたいものがあるから、寄ってもらってもいいか?」
「わかった」
だが、何もせずに、素直にどいたのがいけなかった。
本棚の下部にあるのは、ぼろぼろになっている昔の本。だからそこには目を付けないだろうと思ったが、なんとルクセンはその部分に手を伸ばしたのだ。
そしてある一冊の大きな本を抜きだそうとしたとき、あの箱に視線がいってしまう。
その様子を見ていたクレイアは思わず硬直した。ルクセンの手がゆっくりと本ではなく箱に伸び、それに触れると持ち上げた。
「――クレイア」
「な、何?」
いつになく真剣な眼差しで見てくるルクセンに対して、息が詰まりそうだった。
「この中身、見たのか?」
「何、その箱。知らないよ」
鼓動が速くなっている。どうにかやり過ごしたかった。今、ルクセンがこの箱を開いたら、何かが確実に終わってしまう。
だが、その日はとことんクレイアの詰めが甘かった。
「……嘘を吐かなくてもいい。箱の閉じ方が逆だ」
はっとした表情になり、箱に目をやる。よく見ていなかったが、実は上部には小さな柄があり、下部には何もなかったのだ。睡眠不足のせいで、脳内が上手く回らないとはいえ、あまりに酷い失態だった。
ルクセンはどことなく寂しそうな顔をしながら、箱を開き、手紙を取り上げた。
「読んだんだな?」
その言葉に対して、クレイアは唇をぎゅっと閉じながら、頷くしかできなかった。
ルクセンは息を吐き出しながら壁に寄りかかる。その横顔はまだまだ若々しさが残っていた。誕生日を迎えれば四十歳となる――クレイアの父親としては随分と若い。
「……いつかは言わなければならないと思っていた」
胸が急に張り裂けそうになった。今まで避けてきた言葉がゆっくりと語られ始める。
「だが、もうクレイアも大人だ。いい加減に話す必要がある」
ルクセンは立ち尽くしているクレイアの前に立った。空色の瞳が見下ろし、語りかけてくる。
「――クレイア、お前は私とアリーとは血が繋がっていない。十八年前の雨の日に、店の前で拾った子だ」
持っていた本を固く握りしめる。
「……そ、その手紙で知った。けど本当なの……? 父さんと血が――」
「本当だ。だが、だからといって、何も変わらないよ。血は繋がっていなくても、クレイアは私たちの子供だ。それだけは覚えていてくれ」
ゆっくりと視線を上げると、優しい空色の瞳がそこにはあった。だがその優しさに隠された何かがあるのではないかと思ってしまう、自分が嫌であった。
「うん、わかった……」
辛うじて返事はしたが、まだ心の中にしこりは残っている。納得してない雰囲気がにじみ出ていたのか、ルクセンは手紙だけでなく、短剣も取り出す。布から取り出すと、波打った形状の刀身で紋様入りの短剣がでてきた。
「これはクレイアを拾ったときに、一緒にあったものだ。クリスと呼ばれる短剣の種類らしい。そして実はその本も――雨に打たれながら横に置いてあった」
指で示した先にあるのは、クレイアが抱きしめている本だ。腕の拘束を解き、本の表紙を眺める。
「その本が何を意図しているかはわからないが、この短剣はおそらく生んでくれた両親が、クレイアがいつまでも安心して生き続けてくれるよう願ったことではないのかな?」
生んでくれた両親――その言葉を出されて、クレイアは思わず眉間にしわを寄せた。
「……なら、どうして私を捨てたの」
低い声でぼそっと呟く。
血も繋がっていないのに、大切に育ててくれ、菓子職人としてもかなりの技術を伝授してくれた育ての両親には、本当に感謝をしている。
だからこそ比べてしまう、手紙はあるが、特に詳細な理由はなく捨てた、生みの両親が――。
本を握る手がさらに強くなると、ふと大きい手が覆ってきた。小さな頃から見ている、生地をこねまくるルクセンの手。
「きっと理由があるんだ。だが、それを知ることはもう厳しい」
「わかっている……わかっているけど!」
クレイアは涙がこぼれるのを必死に耐えた。次々と疑問が溢れでるが、それをルクセンに当たっても仕方ない。
「……疲れがたまっているようだ。大会は明後日だ、あまり無理はするな」
それ以上は言わずにルクセンは短剣を片づけつつ、元の場所に戻そうとした。それを見て、クレイアはつい止めに入る。
「待って」
「どうした?」
「……その箱、全部もらってもいい?」
趣のある箱をちらりと見ながら、やっと発することができた言葉だった。その言葉を聞いてルクセンは前に差し出してくる。
「そもそもこれはクレイアのものだ。渡しておこう」
「ありがとう」
窓の隙間から入り込んだ夕陽によって、箱が照らされている。
美しい赤色に染められている様子に、クレイアは一瞬何かの光景と被った。
そっちに気をとられていたため、受け取ろうとした際に箱が手からこぼれる。音を立てて床に落ち、短剣が箱から飛び出した。
「どうしたクレイア?」
「ごめん、手元が狂っただけ」
素っ気なく言いつつ、再び短剣と手紙を、そして本も一緒に箱の中にしまいこんだ。