移りゆく萌黄色の風(5)
「あー、いい買い物をした! これで俺ももっとかっこよくなるかな!?」
夜の帳が降りる中、マシエが意気揚々と歩いているのをニーベルは微笑みながら後ろから眺めていた。ゾロの話術にまんまと引っかかったマシエは、銀貨数枚出すほどの腕輪を買っていた。マジックアイテムらしいが――効果はいかに。宿に戻ってからゆっくりと確かめるそうだ。
その帰り道に成り行きで夕飯をとり、二人は宿に向けて歩いていた。方面は同じであるが、場所は違うため、マシエとはもう少しでお別れだ。疲れた中でさらに振り回されたため、今晩は熟睡すること間違いないだろう。綺麗に並べられた石畳の上を靴で鳴らしながら進んでいく。
「今日はありがとな、おかげで色々と面白かったぜ」
前を歩いているマシエが両手を使って伸びをしながら、言葉を発している。
「おかげさまで、とても大変な一日だったよ。買い物くらい一人で行ってくれ、子供じゃないんだから」
「たまには男同士で買い物くらい、いいじゃねえか」
歩いていたマシエは立ち止まり、背中越しからちらりと振り向いた。
「……無理にでも理由を付けねえとお前、一人で行動しちまうだろ」
ちょうど路地裏に入っていたため、彼の表情はよく見えない。だが言葉だけでも、ニーベルを立ち止まらせるには充分であった。
「俺は他人のことなんかよくわからねえけど、俺は今の状態になっちまったことに後悔はしてねえ。アクラネと契約して寿命が縮まっても、それは代償だからな、その分短い人生を楽しむさ。けど楽しい人生を歩むには、一緒にいる人も楽しんでもらわなければならねえ」
マシエは体ごとニーベルの方に向けた。
「――お前、本当に人生を楽しんでいるか?」
まっすぐに貫いてくる鳶色の瞳。汗で滲んだ手をぎゅっと握りしめる。
「……人生、楽しいばかりじゃないと思う」
脳裏に浮かぶのはあの惨劇ともいえる光景。短剣を首にあてた状態で倒れ伏している母親、そこから流れるおびただしい量の鮮血。身も心もぼろぼろになった妹――そしてそんな状態にした、ニーベルが親友だと思っていた青年。
その後は感情が押さえきれず、エッダと共に唯一手をかけてしまった人となる――。
「ニーベル……顔色悪いぞ。疲れているのか?」
ぼそっと呟くマシエの声にはっとし、ニーベルは我に戻って返事をする。
「そうだね、君にさんざん振り回されたから」
「……悪かったな。また飯でも食おう。今日はありがとな、それじゃ」
簡単に別れの挨拶をすると、マシエは自分が泊まっている宿に向かって走って行ってしまった。その背中をぼんやり眺めながら、ニーベルも歩き始める。
「……マシエとは距離を取ったほうがいいかもしれない」
――このままだと、いつか気を許してしまうから……。
重い足取りで宿に続く裏路地を通っていく。
ここでならエッダを呼び出してもいいだろうか。……いや、今、彼女と話したところで、何も変わらないだろう。
「――ねえ」
今、どんな言葉を求めているか、ニーベル自信にもわからない。
「ねえ、そこのお兄さん」
所詮人から発せられる慰めの言葉など、綺麗ごと。
残っている伝承もほとんどが綺麗ごとだ。
「ちょっと聞いているの、空色の髪のお兄さん!」
その声でようやくニーベルは自分が呼ばれていることに気づき、声の主に視線を向けた。なにやら異国の派手な衣装――いわゆる和装というべきものをまとっており、かんざしを用いて茶色の髪をより華やかにまとめあげている。その派手な衣装から、一瞬女かと思ったが、背の高さ、がっしりとした骨格から男性だと判断した。
「何か用ですか?」
あまりそういう人とは接したことがなかったため、必然的に警戒気味になってしまう。彼は下駄を鳴らしながら、近づいてくる。
「とってもカッコいい人だから、つい呼び止めちゃった」
「そうですか、ありがとうございます。しかしすみませんが急いでいるので、僕はこれで」
背を向けて歩き始めようとすると、彼はにやっと口元をつり上げた。
「――何か悩んでいることでも、あるのかしらん?」
その言葉を聞いて、思わず立ち止まってしまった。そして唇をぎゅっと閉じたまま、視線だけ向けると、すぐ後ろに彼の姿があったのだ。そして突然左手を握られる。
「離してください!」
「アタシ、副業で占いをやっているのよ。本当はお店の奥に来た人にしか占いはしないけど、特別にアナタにはしてあげる」
手を振り払って逃げようと思ったが、その力は男そのものであり、為す術もなく手相をじろじろと見られ始めた。
「……あなたはいったい何者ですか?」
「アタシ? アタシはビービー。この先でお化粧をしてあげているお仕事をしているわ。興味があったら、いつでも来てね」
「はあ……」
陽気な雰囲気で言っているが、握られる腕の強さは緩むことはなかった。
占いなど今までほとんどしてもらったこともないし、ここまで近い距離で占われたことなど論外だ。手相とはいえ、そこまで凝視する必要があるのだろうか。
「――運命線が大きく途切れているわ。だいたい二十五歳あたりかしらん?」
その歳を聞いて目を丸くした。今、ニーベルは二十四歳。ビービーが言った年齢までは、そう遠い話ではない。
「途切れていると、どうなんですか?」
脳裏にかつての実家での惨劇の光景が思い出される。まさか――。
「また伸びているから、安心して大丈夫よ。――人生の転換期っていうのかしら。その歳を中心とした前後で、何かが変わるわよん」
腕にかかる力が小さくなると、ニーベルの腕はだらんと垂れ下がる。固まっている顔を見ると、ビービーはくすりと笑みを浮かべた。
「人生相談なら、いつでも乗るわ。そのときは是非化粧小物店の奥に来てね。かっこいいお兄さん」
そしてビービーは派手な衣装を揺らし、下駄を鳴らしながら、一歩一歩ニーベルから離れていった。あとに残ったのは、呆然と立ちすくむニーベルのみ。
「何だったんだ……?」
「本当になによ、あの人。あたしのニーベルにあんなにべたべた触って!」
突然隣から聞こえてきた声にニーベルはぎょっとする。エッダが腰に手をあてて、眉をつり上げているのだ。
「どうしてでてくるんだ。僕は別に……」
「頑張ればあたしだって自分の意志でニーベルと話できるもん! ――あの女の格好をした男、今度ニーベルに変なことしたら、追い払ってやる!」
「エッダ、落ち着いて。ねえったら!」
いつになく殺気を放っているエッダの機嫌をとろうと、どうにか宥め始める。だが今回は少し勝手が違うようで、宥めようとすると逆に睨みつけられたのだ。
その後、どうにかして宿に戻った頃には、辺りは真っ暗になり、空には星々が輝いている時間帯であった。
風が吹く。少し冷たく、心の中をすり抜けるような風が――。
* * *
アイディアが出ては消え、出ては消えを繰り返していた。
クレイアはたいてい仕事で他のお菓子を作っている最中に思い浮かび、その夜に試作をするのだが、今回は思っていたものを作ることができず、結局没にすることが多かった。何も思い浮かばずに、夜にひたすら作ることもあるが、上手くいった試しがない。
若手菓子職人の大会まであと七日を切った。そろそろいい加減にこのお菓子で挑むというものを決めなければ、当日に間に合わないか、完成度の低いもので挑むことになる。
仕事が忙しいというのもあるが、それよりも周りからかけられるプレッシャーが若干ながら影響し始めていた。店頭で販売をしていると、「大会頑張ってね」「クレイアちゃんなら優勝するわよ」と言ってくれる人が多い。だが同時に「いい気に乗っているんじゃないわよ」「チョコだけの一発屋でしょ」と、ぼそりと呟く人もいるのは事実である。
今回の参加者で事前選考に残った人の名前を見たが、店の名前は有名であるが、その人の自体は知らない人、また独学で菓子を作っている人もいるようで、クレイアよりもティル・ナ・ノーグで名が知れ渡っている人はいないようだ。
その日の朝も睡眠時間を削った状態で、カフェ“エリン”にまで林檎菓子を持っていく。この店の店主であるエリンはある事情から一日の大半を寝て過ごさなければならなく、家からはほとんど出られない状況である。それを考慮してクレイアが“アフェール”からここにカフェで出す菓子のいくつかを配達しているのだ。
欠伸をしながら、籠に入れた菓子を机の上に並べていく。
「今日は特に新製品とかないから。クッキーにパイに、ゼリーに……」
「クレイア、今日も疲れている?」
緑色の髪を二つに緩く縛った少女が眠そうな顔でクレイアを見てきた。
「今日……も?」
「最近、すごく眠そう。ほら、目の下に隈が見える」
クレイアは近くにあった鏡に顔を向けた。凝視しなければならないが、目元に隈があるのに気づく。ここ数日は鏡ともまともに向き合っていなかったため、言われるまで気づかなかったのだろう。
「無理はしないで。大会に出られなかったら、すごくもったいない」
「気を使ってくれて、ありがとう。でも、もう時間がないんだ」
焦れば焦るほど、アイディアが出てこない。
睡眠時間が不足していることで、仕事にも支障が出始めているのに、今のクレイアは気づいていなかった。それほど余裕がないのだ。
「いったいどうすれば多くの人に喜んでもらえるのかな。ものを作ることって、本当に難しい……」
視線がだんだんと下がっていると、足下に黄緑色のガートがすり寄り、鳴き始める。そんなガートの頭をクレイアはそっと撫でた。
「――自分が楽しんで作ったものなら、周りも喜んでもらえないかしら?」
エリンがリンリンと呼ばれる橙色のガートを抱えながら近寄ってきた。
「肩に力を入れないで、自分が楽しく作れるものなら……きっと美味しいものが作れるはずだと思う」
「楽しく作れるもの?」
「楽しかった思い出とかでもいいのかな」
その言葉を聞き、クレイアの中で菓子作りに挑戦し始めた頃のことを思い出し始めた。
あのときは、ただ純粋に何かを作りたかった。両親に認められたいとか、ここに存在していると思わせたかったからとか、そんな考えはまったくなかった。
――そういえば一番初めに菓子を作ったときは、父さんや母さんと一緒に作ったっけ。
懐かしい記憶が思い出されてくる。とても優しい思い出が――。
クレイアはガートから手を離し、ゆっくりと立ち上がる。少しだけ肩の荷が下りたように感じられた。
「ありがとう、エリン。何か掴めそうな気がする」
「よかった。私は応援には行けないけど、頑張って。今度、良かったらその品を食べさせてね」
「もちろん」
空になった籠を持ち上げると、クレイアはカフェ“エリン”から出た。吹き抜ける風はほんの少し冷たいが、とても清々しい朝だ。そんな空気に触れながら、笑顔で店へと走って行った。
それから五日後、ようやく納得のいく菓子を作ることができた。結局あまり凝ったことはできず、いつも作っているものに深みを増した程度となってしまったが、作っている最中はとても幸せだった。
気がつけば朝日が昇っており、その日もうっかり徹夜をしてしまったことに気づく。店の仕込みが始まるまで、もう時間がないだろう。休憩中に仮眠を取りながら、一日を乗り越えることに決めた。
厨房がある店の裏口から出て、温かな朝日が照らす中、クレイアは大きく伸びをする。薄力粉が髪に付いているが、そんなことは気にならなかった。
「今日もいい日になりそう……」
そう言いながら、街を眺めていると、一人の菫色の髪の青年が走ってくるのが目に入った。早朝にランニングをしているのか、徹夜をした日や早朝から菓子作りをしているときはよく会う。そしてたまに店にも顔を出してくれており、店側としては有り難い客でもある。
彼は“アフェール”の近くまで来て、クレイアと視線が合うと、若干目を見開き、視線をおろおろさせ始めた。その様子を見つつも、クレイアは静かに微笑んだ。
「おはようございます、ユッカさん」
そう挨拶をするとユッカは再び顔をあげ、軽く頭を下げる。そしてクレイアの前を通過しようとしたとき、思わず呼び止めてしまった。
「あの、ちょっと待ってください!」
そう叫ぶとユッカはぴたりと止まった。その状態をちら見すると、急いで中に入って、徹夜して完成した試作品の一部をユッカに差し出したのだ。
「もしよかったら、味見してくれませんか?」
ユッカは試作品とクレイアを交互に見ながら、自分を指で示す。それに対して首を縦に振った。
「そうです。いつもお菓子を買って頂いて、店の味もわかっているのかなって思い。率直な感想でいいんです。美味しくなかったら、はっきり言ってください」
どうにか完成したとはいえ、未だに一歩踏み出せずにいる。すべての人に納得できる味などないはずだが、それでも誰かにまずは背中を押して欲しかったのだ。
ユッカは少し躊躇っていたが、最後には手を伸ばして、試作品を口の中に入れた。じっくり味わうかのように、口を動かす。その味の確かめ方から、料理慣れしている人ではないかと勘づく。もしかして厳しい評価を受けられるのではないかと不安になってきていると、彼はごくりと飲み込んで口を開いた。
「……美味しい……です」
「本当ですか?」
ユッカは首をしっかり縦に振った。そして彼はきびすを返して、再びティル・ナ・ノーグの街の中へと消えていった。
たった一言であったが、それはクレイアにとって充分だった。長々と感想を言う人も大変参考になるが、たとえ一言だったとしても、何かを作るものとしてはそれが動悸付けのきっかけとなるのだ。
「――あと二日。大会当日だけでなく、明日もお休みにしてもらったから、今日は仕事に集中」
あとは当日に楽しく作るだけだ、結果は二の次。今ある力をすべて出し切ろう。
眠気は既に吹っ飛んでおり、気が付けばクレイアの脳内は今日の仕事について考えていた。厨房に戻ると、試作で使った器具を片づけ、朝の仕込みを早々に始めることにした。
しかしクレイアは知らなかった。
自分自身に吹いている風が少しずつ変わり始めていることを――。
今回お借りしました、初登場の登場人物の設定考案者やデザイン者、また参考にした関連作品は以下の通りです。
*ビービー(本名:ブルーノ ブルノルト)(設定考案:sho-koさん 、デザイン:タチバナナツメさん)
*エリン(設定考案:早村友裕さん、デザイン:藍村霞輔さん)
⇒『ティル・ナ・ノーグの揺籃歌』http://ncode.syosetu.com/n6656bb/ 著:早村友裕さん
*ユッカ・ヘンティネン(設定考案・デザイン:相良マミさん)
⇒『a piece of applecake ユッカの迎春』http://ncode.syosetu.com/n5213bd/ 著:相良マミさん
皆さま、どうもありがとうございます!