移りゆく萌黄色の風(2)
「そういえばさ、クレイア、大会の参加申し込み、今日まででしょう?」
「クラリスまでそれを持ち出すわけ……」
何度目かになる質問に、さすがのクレイアも溜息を吐いた。周りの人々はそれぞれの席ごとにざわめき合っているため、その様子に気にとめるものは目の前にいるピンク色の髪の少女以外はいなかった。
今日は長めに昼休憩をもらったため、少し足をのばして、クラリスと共に大衆食堂である海竜亭で昼食をとることになった。他にもここでは冒険者ギルドや船乗りギルドの窓口業務を請け負っており、筋肉質な男性も多数出入りしている。新鮮な魚介類をメインに使った料理の数々は、調理の仕方、盛りつけ方などどれも魅力的であり、ここに来る度に同じ食を扱うものとして、刺激を受けていた。
本日、クレイアはエクエスサーモンのムニエルを注文していた。エクエス海で捕れたサーモンを濃厚なバターでソテーしており、匂いだけでも食欲がそそられる一品だ。レモンを多めに絞って、なるべくさっぱりとした味付けにしてから食べ始める。多く絞ったにも関わらず、味の質は落ちないから、すごいものだ。
気がつけばあっという間に皿は空になってしまった。今はデザートを注文しており、手や口を休ませている最中に出された台詞である。気まずいこと極まりないので、ついつい話題を変えようとした。
「それにしても海竜亭の料理って、本当に美味しいわよね、デザートももちろんだけど、特に主食の方。コックの人に会って話をしてみたい」
「ちょっと話を逸らさないで!」
大声で言い、机を叩きながら立ち上がったため、クラリスは店中の視線を浴びることになった。あまりの恥ずかしい状況に頬を赤くして、一言「すみません」と呟くと、すぐに座り込んだ。やがて海竜亭の中はいつもの騒ぎように戻る。
クラリスは口を尖らせながら、今度はクレイアだけに聞こえる声量を発した。
「――この前たまたまルドル君と会ったら、検討中って聞いた。まさか締め切り当日なのに、まだ申し込んでないの!?」
「色々忙しかったの。従業員の一人が親族の急死で突然国に帰ることになって。――これ以上人手不足を加速させるようなことはできない」
「だからって、もったいないよ!」
ピーコックブルーの瞳が、クレイアの水色の瞳を貫いてくる。思わず逃げ腰になったときにタイミング良く、海竜亭の看板娘である赤茶色の髪の少女アニータがデザートを持って現れた。
「お待たせしました。なめらかクリームブリュレとソルベ・ポムです。特にソルベ・ポムはお早めにお召し上がりください」
二人の目の前にデザートが置かれると一時休戦、それぞれスプーンを持って食し始める。途中でお互いに一口ずつ食べあいながら黙々と進めていく。クレイアは黄金林檎を使ったシャーベットを口の中に入れた途端、一瞬で溶けてしまった。
「美味しい……。甘さと口溶け感が絶妙。こういうのを作ってみたいけど、ちょっと無理かな」
“アフェール”では買ったお菓子を軽く食べられる場所はあるが、店頭販売を主としているため、焼き菓子等の日持ちできるものや持ち帰りを前提としているものを作っている。そのためこのように即座に食べてもらえることを前提とした飲食店でのデザートを食すというのは、新鮮であると同時に、一つの勉強の場となっているのだ。
「たしかに美味しいけど、クレイアが作ったお菓子の方がもっと美味しいよ」
「……ありがとう」
「躊躇っているなら参加した方がいいよ。参加しなくて後悔するより、参加して後悔した方が絶対にいいし」
「参加して後悔って……」
「人に見せて、食べてもらわないと、いつまでたっても上達しないよ?」
クラリスは一番痛いところを突いてきた。躊躇っている理由が何点かあるが、参加する利点の方が多い。その一つが大会という公の場で、舌の感覚などが優れている人たちに食べてもらうこと。 クレイアが普通に生活していたら、会えない人もいるだろう。これは――菓子職人にとっては、光栄なことである。だが同時に容赦なく切られることも覚悟しなくてはならない。
最近はあまりいいアイディアが思いつかず、新商品が作れなくなっているが、これをきっかけとして何かが変わるかもしれない。ずっと出さずにいた言葉をようやくクレイアは吐き出した。
「……参加するか」
「よし、参加するね、しっかり聞いたからね!」
「けど最近本当にいいアイディアが全然思い浮かばないのよ。これじゃ、負け戦になりそう」
「大会まであと約二十日、何とかなるって!」
「ほとんど休みがなくて、考える暇がないのが現実だけど」
肩をすくめつつも、どことなくわくわくしてきている自分がいた。よく考えれば初めて参加する大会である。おそらく今まで生きてきた中で、もっとも大きな挑戦となるだろう。
クレイアが参加すると口にした途端、クラリスの仏頂面は消え、いつもの笑顔を振りまく彼女に戻っていた。
――そんなに気にしていてくれたのかな、なんだか申し訳ないな。
デザートを最後まで食べつつ、クラリスと他愛もない話をしながら、ぼんやりと大会の菓子の構想を練り始めていた。
昼食を終え、“アフェール”に戻ると、クレイアの育ての父親である、ルクセン・イーズナルが店番をしていた。母親を含めた他の従業員が昼食の時間に入ったらしい。
「交代するよ、父さん」
「すまんな、じゃあ店の方を頼むよ」
「――ちょっと待って、父さん」
ルクセンが移動しようとする前に、クレイアは声をかける。もはやここまで来たら勢いだった。
「どうした?」
「……あたし、今度の若手菓子職人大会に参加したい。店が忙しいのはわかっているけど、当日以外はこっちに迷惑かけないようにするから……いいかな?」
そう言うと、ルクセンは空色の瞳を細めながら微笑んだ。
「その言葉をずっと待っていたぞ。店番は引き続きやっているから、早く申し込んでこい!」
「ありがとう!」
「――そうだ、その帰りに注文していた林檎を農園に行って、もらってきてくれないか? それにどうせ今晩から作り始めるんだろう、試作で使う林檎も買ってくるといい」
「いいの……?」
話がぽんぽん進んでいき、思わず水色の瞳を丸くしてしまう。それを見たルクセンは苦笑していた。
「いいんだよ。むしろ参加してもらわないと困る。ギルドの会合とかで他店舗の人と会う度に“娘さんは参加しないんですか?”って言われる身にもなってみろ。――結果はどうなるかはわからないが気にするな。一人でも多くの人に喜んでもらえるような菓子を作れ。技術的なことは相談に乗るぞ。あとは――お前の実力で勝負しろ」
「父さん……本当にありがとう」
ルクセンの言葉が優しくクレイアを包み込んでくれた。一人の父親として、一人の職人として――。
ただたまに思ってしまうのが、その優しさが同情からくるものではないだろうか、というものだった。
ルクセンや母親であるアリー、そして十歳の妹のエレリアとは、血が繋がっていない。その事実を知ったのはほんの些細な手紙からであったが、外見的に明らかに違う部分があった。
焦げ茶色の髪は同じであるが――瞳の色が違うのだ。他の三人は空色だが、クレイアはそれよりも濃い色の水色。同系色であるため気に留める人はいないが、自分自身で見比べてしまうと、脳内にその事実を埋め込まれ、同じように見ることはできなくなっていた。
産みの親はいったい誰なのか、どうしてその人は自分を捨てたのか、そしてこのまま本当にイーズナル家にいてもいいのだろうか。仮に大会で優勝し、留学した後に戻ってきたら、自分の居場所がないのではないか――。
だがその考えはしばらく忘れることにした。そうでもなければ、大会で勝つことはできないだろう。
参加するなら、今までで生きていた中で最もいいものを――そう思いつつ、ルクセンからお金と予約表を受け取り、大きな籠を二つ抱えると店から出ていった。
人々が行き交う通りを大きな籠を抱えた少女が進んでいく。途中で大会の申し込みを済ませると、受付をした人からほっとした顔をされた。
「クレイアちゃんが出てくれないと大会も盛り上がらないからね」
「あの、買いかぶりはやめてください。ただの駆け出しの菓子職人です」
雑誌に載り、無駄に有名になってしまったことが今更になって後悔していた。二度と取材に応じるかとクレイアは誓う。
店用の籠は一つで、もう一つはクレイアの分だ。一つならどうにか持っていけるが、林檎をいれた状態で二つ持てるかどうかは不明である。勢い余って籠を持ってきてしまい、どうしようかと思いつつ歩を進めていると、赤い帽子を被った緑色の髪の青年を見つけた。にやりと口を釣り上げながら近づいていく。
「レインー!」
レインと呼ばれた少年は嫌そうな顔をしながら振り返ってくる。
「なんだよ、クレイア」
「ねえ、暇でしょう、少し付き合ってくれない?」
「はあ? なんでオレがお前の用事に付き合わなきゃなんねーんだ。これから師匠の元に行くんだ、暇なんか――」
「黄金林檎、二個……いえ、三個でどうかしら?」
クレイアをちらりと見た後に、先に進んでいたレインだが、その言葉を聞いて足を止めた。彼は林檎が大が付くほど好きであり、いつもバックに忍ばせているほどである。
「今からステイのところの農場に行くんだ。採れたての林檎、さぞ美味しいんだろうな……」
「ステイのところから店までってところか。師匠のところに寄ってからなら、付き合ってやるよ」
「あら、ありがとう。頼りにしているよ、レイン」
笑顔でお礼を言いつつも内心ではガッツポーズをしているクレイア。林檎を何個か積んで頼めば、引き受けてくれるとわかっていたこその行為だった。
以前も花とかげであるラミナの中でも、非常に大きく珍しい百年ラミナの背中に咲いている花びらを取ってきて欲しいと頼んだとき、黄金林檎五個で引き受けてくれたのだ。毎日大量に安く購入している側としては、はっきり言うとたいした痛手ではない。そのことについてはレインに一生言うつもりはなかった。
しばらく二人で歩いていると、目の前に頭を剃り上げた、顔の右半分に火傷の痕がある、筋肉質の男が現れる。錠前屋を営んでおり、レインの拳法の師匠でもあるブッカートだ。クレイアは元気に挨拶をした。
「こんにちは、ブッカートさん」
「ああ、クレイア、こんにちは。……そこにいるのはレインか?」
赤い帽子の少年に暗い茶色の瞳がちらりと視線を送ると、クレイアは単刀直入に口を開いた。
「あの、こいつ、少しお借りしたいんですけどいいですか? 何でも今からブッカートさんに稽古を付けてもらうらしかったのですが……」
「別に構わない。レイン、しっかりクレイアの言うことを聞くんだ」
「……なんだよ、その言い方は……」
「返事はないのか?」
「はい、わかりましたよ!」
嫌々ながらもレインはしっかり返事をした。ブッカートに対して素直な様子を見て、クレイアは思わず吹き出しそうになったが、寸前のところで堪えた。
「――まあ、こういうやつだが、少しは使えるはずだ。何かあった際には、助けてもらえ」
「助けてもらえ、しかもレインに……って、どういうことですか? この長閑なティル・ナ・ノーグに、何か危険なことでもありますか?」
「偶然聞いた話だ、最近少々素性が良くない奴らが紛れ込んだらしい。特に若い女を見つけては、部屋に連れ込んでいると聞くぞ」
「それは物騒ですね。でも、あたしみたいに色気がない人には声をかけてきませんから、大丈夫ですよ。――では、失礼します」
軽く会釈をすると、クレイアはレインを半ば引きずりながらブッカートと別れた。彼が続いて発する言葉を聞かずに。
「待て……って行ってしまった。襲われたと聞いた女性の共通点として、青系の瞳を持つ者らしいが……。まあクレイアなら、人並み以上の護身術は身に付けている。大丈夫だろう」
レインが引き続きブツクサ言うのを軽く流しながら、クレイアたちはようやく緑と黄金色によって美しく彩られている、プチーツァ黄金林檎農園に辿り着いた。ティル・ナ・ノーグ内でも一、二を争うほどの大きさの農園である。
入り口まで行くと明るい青緑色の髪、その上にラミナを乗せた少年がやってきた。
「やあ、クレイア、林檎を受け取りにでもきたのかい?」
「相変わらず、器用に頭の上に乗せているんだね、ステイ……。そうだよ、林檎をもらいに来た。たぶん店の分はすでに予約はしてあると思うんだけど……」
「うん、分けて置いてあるよ。こっち、こっち」
ステイに導かれながら、クレイアとレインは後を追う。頭の上のラミナはステイが動く度に、落ちないように適切な場所にしがみついている。いくら可愛らしく林檎の花を付けているモンスターとはいえ、頭に乗せようなどと変わった考えをするのは彼くらいだろう。
農園の脇にある林檎が積まれている場所まで来ると、一籠にこんもりと入った林檎の前に連れてこられた。
「これがアフェールから頼まれていたもの。いつもお世話になっているから、少し多めにだって」
「いや、明らかに多すぎるって……」
予定していた量に、その半分くらいが加えられている。たまにサービスをしてくれるが、その量の感覚が少々掴めない。
「ねえ、売り物にならない林檎も少しもらっていい? 新作を練るのに使いたくて」
「それなら、ここからどうぞ」
ステイが示した先にはこれまた凄まじい量の林檎が積まれている。若干形が悪いという点で売り物から弾いているが、すぐに皮を剥いて切ってしまうクレイアには関係がない。乾いた笑いをしつつ、購入予定の林檎と、少し形が悪い林檎を籠に積めていく。
鮮やかに色づいた黄金色の林檎。皮をむいてしまえば、赤色の林檎と様子は同じだが、味が格別に違うのだ。生で食べても美味しい、加工しても美味しい、並べるだけでも美しい――そんな魅力的な林檎なのである。
どうにか持てる程度の林檎を積め終わると、店用の重い方をレインに頼んだ。彼も持ち上げて運ぶのには大変重さで、真っ赤な顔をして運び始めていた。
「ありがとう、ステイ。これ林檎代」
「はい、確かに受け取ったよ。いつもありがとう。オイラの農園で作った黄金林檎で、優勝商品作ってね」
「うん、頑張るね」
多くの人に支えられているなと実感しながら、クレイアも重い籠を大切に持ち上げて、帰路に着いた。
今回の話でお借りした登場人物の設定考案者、デザイン者、また関連する小説はは以下の通りです。
*クラリス・リベルテ(設定考案・デザイン:緋花李さん)
*アニータ・ライムント(設定考案:タチバナナツメさん、デザイン:つちのこ@さん)
*レイン(設定考案・デザイン:早村友裕さん)
⇒『ティル・ナ・ノーグの揺籃歌』http://ncode.syosetu.com/n6656bb/ 著:早村友裕さん
*ブッカート(設定考案・デザイン:リンダさん)
⇒『眠らぬ拳』http://ncode.syosetu.com/n9586bi/ 著:リンダさん
*ステイ・プチーツァ(設定考案・デザイン:なんごくピヨーコさん)
また海竜亭のメニューは『海竜亭メニュー考案・設定委員会』により、作られたものを拝借しました。
皆さま、どうもありがとうございます!