雨上がりの晴天
真夜中、雨が屋根の上を静かに叩きつけていた。だが時間が経つにつれて音は静かになり、やがては聞こえなくなっていた。
そんな中で少女は一人で作業場に籠もりながら、ある焼き菓子を作っていた。作り終えると小さなオーブンに入れ、時間を確認してから、加熱をし始める。
窓からはうっすらと朝日が射し込んできていた。もう朝である。
「今日もほぼ徹夜か。軽く仮眠を取ったとはいえ……。一人だと止める人がいないから、困ったものね。自己管理をしっかりしなきゃ」
焦げ茶色の一本に結った少女は、眠気覚ましにと建物から外に出た。朝日がティル・ナ・ノーグの街を覆ったかと思ったが、それよりも青空にうっすらと広がる大きな虹に目がいった。
「綺麗……。雨が降る機会も少ないから、虹を見るのは久々。今度、虹をテーマにしたお菓子でも作ってみようかな」
両手を組んで、思い切り伸びをしながら、ぼんやりとそのお菓子を思い浮かべる。
中に戻って、焼き具合を確認しようとした矢先、一人の青年が姿勢を正しくして歩いているのが目に入った。クレイアは動きを止めて空色の髪の彼を注意深く見ると、見知った顔と気づき目を丸くする。
「ニーベルさん?」
「おはよう、クレイアさん。朝から早いね。また徹夜?」
「少しは寝ましたよ」
「あまり無理はしては駄目だよ。この店はクレイアさんだけしかいないんだから」
「わかっていますよ」
海竜亭でのパーティーでルクセンから言い渡され、経営を任された林檎菓子専門店“アフェール”出張店の開店日はいよいよ明日となっていた。開店祝いとして新作に挑戦しており、ようやく一昨日形になったところだ。それを昨晩からひたすら作り続けている。
今、ニーベルから出された言葉は、これまでにルクセンやアリー、そして様子を見に来てくれている友人たちから散々言われているものであり、若干うんざりとしているところだった。
「心配してくれる人が多いのはいいことだよ?」
「わかっていますって。――ニーベルさんはどこかに行かれるんですか?」
いつもより荷物が多いのを見ての言葉だった。ニーベルはそれを肯定するように、首をしっかり縦に振る。
彼はアーガトラム王国の各地にある伝承を集めて放浪している身であり、いつかはここを離れだろうとはわかっていた。だが彼と出会い、幾度となく助けられただけでなく、産みの親についても少しだけ教えてくれた相手である。去ってしまうのを知ると、急に寂しくなった。
浮かない顔をして俯いていると、ニーベルは静かに微笑んだ。
「ここから一度離れようとは思うけど、また戻ってこようとも思っている」
クレイアはぱっと顔を上げた。
「今から少し王都に戻ろうと思うんだ。そこで墓参りをして、ティル・ナ・ノーグに居住を移そうと思っている」
「……え?」
「ただ王都に行き、ここに戻ってきたら、またしばらく旅には出るつもりだ。でも――最後はここに帰ってくる。そして得られた伝承をまとめて、僕だけの舞台脚本を作って、メガホンを握れればいいなって思っている」
ぽかんとしているクレイアを見たニーベルは、頭をかきながら苦笑した。
「駄目かな。この歳で、今から新しい夢を追いかけたら」
「いいと思います! 夢を追いかけるのに、年齢とか関係ないですから!」
「ありがとう」
ニーベルの微笑みに、つられてクレイアも頬を緩ませた。彼は視線を頭上にあげ、真新しい看板に目をやる。鮮やかな色で描かれた、見るものを引きつけ、心をわくわくさせるような美しい看板だ。
「あれはフェッロに描いてもらったんです。いいセンスしていますよね、あたしも頑張らなくちゃ」
「本当に綺麗だね、素敵な色合いだ。――アフェールの脇にある言葉は?」
「自分で考えた言葉です。父親からアフェールだけじゃなくて、何とか店ってつけて欲しいって。……微妙ですか?」
「いや、すごくいいと思うよ。人々がつい目を止めてしまいそうな、魅力的な言葉だ」
「そう言っていただき、よかったです。――あ、ユッカさんだ」
海竜亭のコックであるユッカは早朝ランニングの真最中だ。気がつけばここも通り道になっていた。
ニーベルは彼の姿を見るとローブを翻しながら、背を向ける。
「じゃあ、僕はここで。今度は客として訪れるよ」
「ありがとうございます。――ニーベルさんも気をつけて行ってきてくださいね」
「はい。では、行ってきます」
軽く手を振りながら、ニーベルは消えかかる虹の下を歩き始めた。一歩、一歩確実に離れていくが、それでも不思議とさっき感じたような不安はなかった。前に向けて、歩き始めた彼の姿が見られたからだ。
すぐ近くにまで来たユッカと視線が合うとクレイアは微笑む。
「ユッカさん、おはようございます」
「……おはようございます」
恥ずかしげながらもしっかりと返答してくれる。ユッカはそう答えながら、クレイアの視線の先にいるニーベルの背中を追った。
「彼は……?」
「未来を光輝かせるために、一つの区切りを付けに行くそうです」
そう言って、クレイアは店の方に振り返り、鮮やかな看板を見上げた。
林檎菓子専門店出張所『アフェール光彩店』
その言葉を目に焼き付けながら、背中で太陽の光を浴びながら、ユッカに別れを告げ、クレイアは店の中へと戻っていった。
どこからか歌が聞こえる。
聴く者すべてを癒すかのような、さらには明るい未来を感じさせるような、少女の明るく美しい歌声が――多種多様な人々で溢れる常若の国に響き渡った――。
了
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
登場人物が非常に多い小説でしたが、いかがだったでしょうか。
またストーリーも私が書ける範囲で様々な雰囲気を出したものでしたが、少しでもお楽しみいただけたでしょうか。
読者の皆様が少しでも楽しく読み終えて頂いたのなら、幸いです。
さてこの作品は冒頭でも言っている通り、多人数参加型西洋ファンタジー世界創作企画『ティル・ナ・ノーグの唄』の企画作品です。キャラクターを出し合い、皆で共有をし、自由にイラストや小説を書こうという企画です。
企画開始時から、できればより多くのキャラクターをお借りして、長編小説を書きたいと思い、夏過ぎにようやく時間が確保できそうだったため、さっそくプロット作りから入りました。その時点ではキャラクター一覧に載っている8割程度しか出す予定はありませんでした。それでも非常に多いです、70人くらいだったでしょうか……。
しかし執筆を進めているうちに、もしかしたら全キャラクターお借りできるのではないかと思い、それを踏まえた上でプロットに再度組み込んだ結果、全員登場させることができました。
最終的には14万字足らずの小説で、キャラクター一覧の88人(ステラ、リューン、ドロリーチェ一味も一人ずつカウント)+2人(エッダ、サディーク←キャラクター一覧ではなく、ニーベル、エフテラームの補足に載っています)+4人 (名前有りのオリジナルキャラクター)=『94人』ものキャラクターを出した、かなり詰め込まれた小説となりました。
改めて数字に起こすと凄い量ですね。普段はこの文字数で長編を書くとなれば、10人台しか出さないと思われるので、私としては頑張った方だと思っています。
しかしながら登場の仕方にムラがありました。
通り過ぎただけの存在もいらっしゃったりしまして……完全に私の実力不足です。申し訳ありません。
(なお、自分が考えていた設定や雰囲気と違う、こういう風に直して欲しいなどありましたら、遠慮なくご連絡をお願いします。早急に修正させていただきます)
あまりの人の多さや多忙から、途中で投げ出しそうになりましたが、時折頂けるお言葉に背中を押されて、最後まで書くことができました。ありがとうございます。
また、キャラクターたちが自然と動いてくれたため、振り返ってみれば思ったよりも大変な執筆ではなかったです。
一方でキャラクターのどれもが多種多様な性格や容姿をしていたことから、キャラクター作りの観点を、また世界観や詳細な設定の作り方など観点でも、大変勉強になる執筆でもありました。
企画を主催してくださっているタチバナナツメさん、また企画参加者の皆様にここで感謝を申し上げます。貴重な経験をさせて頂き、本当にありがとうございました。
この企画を通して得たものは、今後の執筆活動に役立たせていきたいと思います。
最後に、企画参加者宛に書かせて頂きます。
この企画に参加し、皆様と出会えて本当に良かったです。
多種多様の小説を読んだり、数多くの美麗イラストも観ることができ、常に楽しませて頂いています。
また小説はもちろんのこと、イラストという発表の仕方は違うけれど、皆が頑張って向上をしようとしている姿を垣間見て、いつも刺激を受けています。
他の企画に参加した以上に得たものは多く、参加して本当に良かったと思っています。
もっと書きたい、もっと企画に積極的に触れていたいという気持ちでいっぱいですが、現実問題を考えると私にはそろそろ限界のようです。
クレイアやニーベルが前に進み始めたように、私も再度現実を直視し、本気で目の前のことに取り組み、進む道を自分で切り開けるよう頑張ります。
企画自体はもう少し続くようですが、私は一足お先に隠居をし、皆様の活躍をこっそりと応援していたいと思います。感想など忘れたころに押し付けていると思うので、その時は笑って受け取って下されば嬉しいです。
この企画はあくまで『ティル・ナ・ノーグ』という街を主な舞台にしたものであり、その中にいる多種多様な個性を持つキャラクターたちや、彼ら彼女らの交流や成長等を小説やイラストによって描かれています。
一方で様々な人がいる参加者側も舞台は違うとはいえ、交流や成長等があり、今、振り返れば企画参加者自身もティル・ナ・ノーグの住民の1人だったのではないだろうか……と錯覚しそうになりました。
抽象的過ぎな言い方ですが、つまりはそれほど魅力的な街であり企画であるということです。そんな企画に参加して良かったです。
それでは、またご機会があれば、他の作品で会えますように……。 皆さま、本当にありがとうございました!
桐谷瑞香(2012年12月15日)




