常若の国に響く虹の歌(4)
ある日の早朝、クレイアはまだ表口が開かれていない大衆食堂へとやってきていた。扉をノックすると小気味のいい音が返ってくる。間もなくして扉が開かれると大柄な筋肉質体型の中年の男性が現れたのだ。赤茶色の髪の中にちらほらと白髪ものぞいている。海竜亭を経営し、冒険者ギルドもしているマクシミリアンが出迎えてくれた。
「おう、クレイア! すまんな、しばらく頼むな」
「いえ、こちらこそありがとうございます。ご迷惑かけないように頑張ります」
頭を深々と下げると、クレイアは“海竜亭”の中へと入っていった。
藤の湯でシラハナスイーツの作り方を教えてもらった以降、ルクセンは間髪入れずに他の店で働いてくるようクレイアに指示を出していたのだ。怪我も治りきっていないため、そんな状態で伺うのはむしろ失礼ではないかと言ったが、既に相手側と話は付けてあったため断るわけにもいかずに、毎回渋々とその店へ出向いていた。
一方で相手側のおもてなしのされ方に対して、いつも驚いている。クレイアが来るのを楽しみにしていたらしく、どの店でも朝から丁寧に教えてもらっていた。一通り作り方を教えてもらい自分で何度か作っていくとその日の夕方か、遅くとも二、三日もすればクレイアが作ったものも一緒に店頭に並べられていたのだ。
店を閉める間際に、ある店主からこんなことも言われていた。
「クレイアは手先が器用だし、ものわかりが本当に早い。さすがルクセンさんの娘さんだ。うちの店にこのまま置いておきたいよ」
「いや、それほどでは……」
「将来いい菓子職人になるよ」
もしかしたらクレイアの産みの親の父親の方は菓子職人や装飾具作りなど、細かい作業をする人だったのかもしれない。
そして今回は海竜亭での仕事である。ルクセンからの指示によれば七日ほどの予定だ。最終日に海竜亭にてパーティーが開かれるため、その準備も含めてのことらしい。
「今回はクレイアが助っ人で入ってくれて、本当に助かっている。今いる連中でこなせなくもないが、たまには厨房への負担を軽減させようと思ってな」
「あたし、菓子作りしかできませんよ。家で夕飯作るくらいしか他の食材には触りませんし……」
「まあそこら辺はうちのコックが教えてくれるだろう」
香り豊かな匂いが厨房から部屋へと流れ込んでくる。その匂いの原点である厨房のドアをマクシミリアンは開いた。白いコックコートを着て、コックの帽子を被っている青年が、鼻歌をしながらスープに胡椒を振っていた。
「ユッカ、おはよう」
「おはようございます、マックスさ――!?」
菫色の髪の青年はマクシミリアンの方へと振り返ると同時にクレイアを見るなり、顔が固まった。クレイアもグラッツィア施療院後、彼とは久々に顔を合わしているため、あの時の自分の行動を思い出してしまい、恥ずかしさのあまり顔を伏せてしまう。
二人の様子を見ていたマクシミリアンはにやりと笑みを浮かべた。
「なんだ、お前ら、付きあ――」
「お父さん、うるさい」
海竜亭の看板娘でもあるアニータが、丸めた雑誌で容赦なくマクシミリアンを頭から叩いた。突然の娘の登場にほんの少し驚いた彼だったが、すぐに大きな口を開こうとする。
「お前、突然叩くやつが――」
「ギルドにお客さん来ているよ。こっちは私が進めておくから、早く行って」
隙のない返答の仕方にマクシミリアンは唸り声をあげつつも、おとなしく厨房から出ていった。その後ろ姿を見届けたアニータは肩をすくめる。
「ごめんね、朝から。何か気を悪くすることでも言われた?」
「いや、特に……」
「そうなの? ……そういえば、二人とも顔が赤いんだけど」
「……え!? 気のせいだよ。ね、ユッカさん」
ユッカはクレイアに背を向けてスープをかき混ぜ始めつつ、首を縦に振る。
別にユッカのことを意識しているわけではない。ユッカに見せたあの泣き顔を思い出すと、恥ずかしすぎて赤くならざるを得なかったのだ。
「まあ、いいわ。――ユッカさん、それがひと段落したら買い物行ってくれる?」
「別に構いませんけど……」
「じゃあ、よろしくね、クレイアと一緒に」
笑顔で発したアニータの言葉に、ユッカとクレイアは再び文字通り固まったのだった。
――どうしてこういう状況になったんだろう……。
クレイアは内心ぶつぶつ呟きながらも、隣に立っている菫色の髪の青年の顔に若干の陰りが見えたため、慌てて笑顔を取り繕った。
「何でしょうか、ユッカさん。――それより、どこか行きますか? 野菜、お肉、果物、その他……って、このメモの内容からすると、かなりの店の数を回らなければならないみたいですね。……というか、おたまなんて、今買う必要があるの」
アニータからもらったメモを見つつ、思わず本音を漏らしてしまう。量的にはたいしたことはない。なぜなら野菜や肉の多くは予め配達を頼んでいるからだ。それでも賄えないときがあるため、こうして買い出しという状況になっているが……。
「……何かの意図を感じるよ、このメモ」
肩を竦めつつ、クレイアはユッカに視線を移すと、彼はぼそりと呟いた。
「雑貨屋に行き、それから野菜や果物、肉、魚の順で行くのがいいと思う。野菜や果物もたいした量ではないから持ち歩ける」
「わかりました。あそこにある雑貨屋さんから行きましょう。――あの、あたしが案内をする形でいいんですか?」
ユッカは首を縦に振った。まともに口を開いてくれない。この調子ならば会計の仕事はクレイアの仕事になりそうだ。のんびりと歩きながら、近くにある雑貨店まで行く。
その間に、どうにかして言葉を投げかけているがなかなか続かない。アニータから聞かされているが、ユッカは極度の人見知りをする体質らしい。アニータでさえ、まともに話してくれるようになったのはつい最近である。それを考えると、ユッカがアフェールに度々訪れているとはいえ、まともに話した回数がほんの僅かであるクレイアと買い物に行かせるとは、アニータはいったい何を考えているつもりだろうか――。
「――クレイアさん」
「は、はい!」
隣から呟かれた声にクレイアは慌てて反応した。あのユッカから話しかけてきたのだ。
「傷や体調は……大丈夫?」
「だ、大丈夫です! もうほとんど傷口も塞がりましたし、体調もこの通り元気です! ――その節は本当にありがとうございました」
軽く頭を下げながら言い、頭を上げると、ユッカと視線が合う。瞬間的に頬が熱くなるのを感じたクレイアは咄嗟に視線を逸らし、なぜかユッカまで逆側へと視線を向けた。その視線の状態のまま二人で商店街を歩いていく。
「……イ、イレーネ先生にあの後言われました。『栄養が採れていないから、一向に良くならなかった。食に興味を持たせるようなきっかけをくれた、ユッカに感謝するんだな』って。実はあの日までまともに食事していなかったんです。馬鹿ですよね、仮にも食を扱っている職業なのに……自分の食について考えていなかったなんて」
「……今、食べられるのなら、それでいいと思う」
クレイアはゆっくりと視線をユッカに向ける。彼は仄かに笑っており、思わず胸の鼓動が速くなった。
すぐに彼の方から再び視線を逸らされたが、それでもこれほどじっくりと顔を見合わせたことはなかったように思われる。
――なんでドキドキしているんだろう。
深呼吸をしながら、クレイアは心を落ち着かせる。
ふと真横にある果物屋の店主が黄金林檎を手に乗せながら、客寄せをしているのが目に入った。林檎はきらりと光る美しい黄金色であり、通りを行き交う人の足を止めるには充分だった。
「ユッカさん、林檎ですって」
「けど林檎は既に大量に仕入れて――」
「せっかくだから一個購入して、剥いてもらって、二人で食べませんか? あれは絶対に美味しいですよ」
「でも……」
ユッカが歯切れ悪い返答をする。林檎を主としてお菓子を作るものとしては、あれは食べないと気が済まないのが正直なところだ。
クレイアは一瞬躊躇ったが、黄金林檎を売りさばく男性の声を聞くと、次の瞬間ユッカの右腕を引っ張って、歩き始めた。
「ク、クレイアさん!?」
「寄り道だから怒られるとか気にしなくても大丈夫ですよ。あたしが事情を話しますから」
「……わかりました」
ユッカは真っ赤になった顔を伏せながらクレイアの指示に従っていく。
どんな心境で引っ張られているかも知らずに、クレイアは店の男性から美しい黄金林檎を一個買うのだった。
* * *
海竜亭での手伝いは他の店以上に充実したものだった。
デザートという観点のみからすれば物足りない部分はある。だが前菜や主食など、ユッカが作るものはどれも美味しそうであり、見ているだけでも勉強になることばかりだ。
食に対する発想力、食を大切に扱う姿勢、センス溢れる素敵で鮮やかな飾り付けなど、クレイアには持っていない多くのものを惜しげもなく料理に出している。
時折、彼は自分の世界に入っているのか、様々な表情をしながら料理をしているときがあった。そういう状況の時は、クレイアはユッカに質問などはせずにアニータや従業員の一人であるノエルに細かなことは聞くようにしている。
「クレイアも本当にセンスがいいよね。いったいどこで身につけたの?」
クレイアがデザートの一品である、“キルシュプリューテ・マチェドニア”を出すために、林檎やバナナなど多数のフルーツを盛りつけしている最中に、じっと見つめているアニータから出た言葉だった。
「父さんが作業しているところをずっと見ていたからかな。特に意識したことはない。……はい、これで終わり」
「しかも速いし……。クレイアがここにずっといたら、私やノエル君の仕事がなくなるわ。――あ、そうそう。明後日のパーティー当日のことだけど、クレイアはそんなに海竜亭の仕事はしなくていいって、お父さんから」
「え? だってそのパーティーがあるから、あたしが駆り出されたんじゃないの?」
「色々と考えがあるみたいよ。まあ下拵えしておくものばかりだから、前日の夜や当日の昼間に頑張らないとね」
クレイアとアニータが話をしていると、店の方から店員を呼ぶ声がかかる。赤褐色の髪の少年ノエルは、ちょうど皿を持ち帰ってきたところであり店内には人がいない状態だ。アニータが大きな声で返事をすると、クレイアが作ったデザートを運びつつ、注文を取りに行った。
それを見届けると、クレイアは流しに詰まれている皿類をてきぱきと洗い始めた。
* * *
そしていよいよクレイアが海竜亭で仕事を手伝う最後の日、つまりパーティーの当日となった。
『海竜亭感謝祭』と題したパーティーは、日頃から訪れているお客さんに感謝を込めて、立食形式の食事を格安で提供しているものである。常連客には予め招待状を送ってあり、その他の人でも希望があれば訪れることが可能だ。
夜に行うため通常の営業は夕方までとなっている。その影響か、昼の時間帯はいつも以上に混んでおり、厨房内もよりせわしなくクレイアたちは動いていた。
しかしその合間にもパーティーで出す料理を準備しなければならない。クレイアはただアニータから言われたものを準備したり、作ったりするだけでなく、皿洗いも手早く行ったりと、ユッカを中心として海竜亭のメンバーがスムーズに動けるように極力注意を払った。
休憩時間など確保できるはずなどなく、あっという間に日は暮れようとしていた。
「さて、ここからが本番だ。お前ら、はりきって行けよ! ノエル、会場をセッティングするから俺と一緒に二階へ来い!」
「はい!」
ノエルはマクシミリアンに連れられて、階段を駆けあがる。それを見届けながら、アニータはパーティーで出す料理一覧を書いた紙を見ながら、既にできているものを確認していく。
「だいたい予定通りに進んでいるわ。あと少しよ、頑張りましょう。――そうだクレイア、最後のアップルパイ、あなたに作ってもらってもいいかしら?」
「あたしが? アニータが作るんじゃないの? だって海竜亭の名物の一つは“アニータ特製のアップルパイ”でしょ?」
目を丸くしながらクレイアはアニータに言い返す。赤毛の髪を揺らしながら、彼女はくすりと笑った。
「今日のアップルパイ――いえ、そっちでは林檎パイね。今回、“海竜亭”のではなく、“アフェール”のを提供するように言われているのよ。――あら、作れない? 時間的には余裕だと思ったんだけど……」
アニータが以前、パーティー当日に作る“海竜亭”の料理に関しては、クレイアはあまり手伝わなくてもいいと言っていた。だがその言葉からは、“アフェール”のお菓子を作らなくていいとは言っていない。
パーティーが終盤を迎える頃の時間から逆算すると、アニータの言うとおり、林檎パイの形を作って、オーブンで焼くまでには充分時間がある。
だが脳裏に林檎菓子作り大会での悪夢が横切る。焼き加減を見極めきれなかったという、完全なるミスを犯した。食べてもらった人には申し訳ないほどのできだ。おそらく今回はそれ以上の人に提供することになる。
ミスは――許されない。
しかも今度はアフェールだけでなく、頼んだ海竜亭の看板も背負っている。意識するとかなりの重圧だった。
だが、不思議と心は落ち着いていた。むしろ作りたくてうずうずしている。しばらくパイは作っていないが、感覚はたいして落ちていないと思われる。
立ち止まりたい自分もいたが、それ以上先に進もうといる自分の方が優っていた。
――大丈夫、何かあっても周りが助けてくれる。少しくらい肩の力を抜こうよ。
アニータが腕を組んで、再度尋ねる。
「どうする、クレイア?」
もう迷いはなかった。
「――作ります」
今回お借りしました、初登場の登場人物の設定考案者やデザイン者は以下の通りです。
*マクシミリアン・ライムント(設定考案:タチバナナツメさん、デザイン:こいしるつこさん)
*ノエル・フライハイト(設定考案、デザイン:緋花李さん)
また海竜亭のメニューは『海竜亭メニュー考案・設定委員会』により、作られたものを拝借しました。
皆さま、どうもありがとうございます!




