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光彩林檎の創生歌  作者: 桐谷瑞香
第5話 常若の国に響く虹の歌
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常若の国に響く虹の歌(1)

 クレイアたちがとある森で大量のグールと遭遇し、またクレイアが証言をした上で襲った男を捕まえてから、早十日が経過しようとしていた。

 今日は数日ぶりに施療院に来ており、左肩の経過を見てもらっている。経過は順調なようで、傷も確実に塞がっているらしい。

 一方で手の震えも止まるようになっていた。そのことに関してイレーネに聞くと、精神的なものからくる震えだったのかもしれないと言っていた。

 たしかに以前よりもゆとりを持って、物事を眺めることができたように思われる。何かに焦らされたり、怯えたりといった気持ちが消えたようだ。

 襲った男の聴取に関してはまだ何も聞いていない。おそらく最終的な結果くらいしか、聞くことはないだろうが、もしもその過程で産みの親の話が出たのなら、教えて欲しいというのが本音だった。

 アリーとも面と向かって、クレイアとは血が繋がっていないという事実を既に知っていたと言ったとき、彼女は驚いたが、すぐに微笑みながら首を傾げていた。

『それはたしかに事実だけど、だから何? クレイアが娘であることには変わりない』

 今まで一人で抱え込んでいたのが、急に馬鹿らしく思えてしまった。血は繋がっていないという事実を知っても、育ての親と過ごした十八年は何も変わらない。クレイアはただそれを素直に受け止めきれなかったのだ。

 施療院から帰ってくると、クレイアはコックコートを着て、家の台所に立っていた。昼間は店に出払っているため、家の中には誰もいない。

 怪我が完治するまでは店に出てこなくていいと、店長であるルクセンから、はっきりと言われている。仕事はしなくていい――だが、何かを作ってはいけないとは言われてはいない。

 黄金林檎を左手に一つ、右手にはナイフを持つと、慣れた手つきで皮を剥き始める。剥き終わり、細かく切ったものは砂糖と共に鍋に投入し、じっくりと煮詰めた。また量っておいた粉類とバターを入れてよく混ぜてから、冷やし、その後はパイ生地を適切な形に整える。煮詰めた林檎を生地の中に流し込んだ。そして最後は予め余熱をしてあった、オーブンに入れ、焼き始めた。

 焼き終わるのを、本を読みながら待つことにする。椅子に座って日の光を浴びながら過ごしていると、突然家のドアベルが鳴り響いた。昼間から、そして店ではなく家に来るとはいったい誰だろう――そう思いながら、クレイアは玄関に行きドアを開く。そこに立っていた人物を見て、目を丸くした。

「ジークヴァルト団長……!?」

「こんにちは、クレイア。少し話があるんだけど、いいかい?」

 天馬騎士団の団長がにこやかな笑顔をして、立っていたのだ。普通であれば、クレイアとこうして会うことはない人である。

「あたしは全然構いませんけど……。お仕事が忙しいのではないのですか?」

「今はちょうど休憩中。何かあったら、部下にここに来るように言ってあるから大丈夫だ」

「それならいいのですが……。立ち話も微妙ですから、上がりますか? 両親は仕事に出ているので、今は家には誰もいません」

「そうしてもらえるとむしろ有り難い。少し奥まった話もしたいからね……」

「わかりました。狭いところですが、どうぞ」

 クレイアはドアを大きく開けると、その後ろからジークヴァルトが続いて中に入ってくる。突然の来訪者にドキドキしつつあったが、ふと漂ってくる匂いに気づき、クレイアはジークヴァルトを差し置いて、慌てて台所へと駆けつけた。

 砂時計の砂がすべて上から下へと移動している。そしてオーブンをちらっと見て、焼け目が付いているところを確認すると、中から焼きあがった林檎パイを取り出した。理想としていた絶妙な焼け具合ににんまりとする。

「これは美味しそうなパイだ」

 すぐ傍まで来ていたジークヴァルトは感嘆の声を漏らす。それを見たクレイアは林檎パイを彼の方に向けて微笑んだ。

「紅茶でも入れましょうか?」



 気が付けば、ジークヴァルトと向かい合ってクレイアは林檎パイを食べていた。彼の皿はあっと言う間に空になっており、優雅に紅茶を飲んでいる。

「アフェールのお菓子は、アレイオンを通じて何度か食べたことがあるが、本当に美味しいね。……この前、ペルサに何か菓子を作ってみろと言われて、見よう見まねでカップケーキを作ってみたんだが……散々毒を吐かれたよ。『あれは犬の餌か何かが』とか『料理の才能ないな』とか……」

 ジークヴァルトの表情が段々と暗くなっていく。今、話したこと以外にもよほど酷いことを言われまくったらしい。ペルセフォネの性格から考えると、容赦なく切り捨てたのだろうと薄々勘づく。クレイアはくすりと笑いながら、使っていたフォークを空になった皿に置いた。

「もしお菓子作りを習いたいのであれば、あたしでよければ教えますよ?」

「本当か?」

「はい。ただ――ちょっと遠慮のない言葉を発するかもしれません。以前、友人と一緒に作った際、スパルタ過ぎるとも言われたことがあるので」

「いや、構わないよ。機会があれば是非ともお願いをしたい!」

 ジークヴァルトは嬉しそうに言い切ったが、それが後々に後悔することになるとは……今の彼には知らなかった。

 紅茶の入ったカップを机に置くと、ジークヴァルトはターコイズブルー色の瞳をクレイアの水色の瞳に向ける。かしこまった雰囲気に思わず背を伸ばす。

「――さて用件だが、まずはこの前発生した大量のグールについてだ。あの巨大なグール、実は元は通常の大きさだったらしいが、何らかの魔法に当てられたか、他の偶然が重なり巨大化したらしい。そしてその巨大なグールの雰囲気にひかれて、多数のグールが集合した結果、あの事件が起こった。まあこちらとしては、グールと一網打尽にしたから、悪い仕事ではなかったと思っている」

「そうだったんですか……。私たち、タイミングが悪すぎですね」

 クレイアは苦笑しながら、紅茶を一口だけ飲む。下手をすれば命を落としかねない状況だった。だがあの事件がなければ、クレイアはティル・ナ・ノーグの街には既にいなかったかもしれない。それを考えると、人生とは不思議なものだとも思ってしまう。

 ジークヴァルトも一呼吸を置いてから、次の話題に移る。

「そして二点目は――この前クレイアを襲った犯人の処罰が決まった」

 その言葉を聞いて鼓動が一気に速くなった。

「話を聞いていくうちに、かなり多くの女性を痛めつけるだけでなく、殺めたということがわかった。そこからもっとも厳しい処罰となった。――もう二度と、貴方の前にあの男が現れることはないだろう」

「そうですか……。ありがとうございます」

 左腕をさすりながら、視線を横に逸らす。ほっとしたのと同時に、産みの親との繋がりが完全に絶たれたのかと思うと、少しだけ複雑であった。

「一方で男の聴取を取っているときに――貴方に似たある女性の話が出てきた。十八年前に、彼の手によって致命傷を負わされた女性だそうだ。当初は犯されそうになったため、赤ん坊を連れて必死に逃げ回ったらしい。だが見つかってしまい、その際に何度も切りつけられた。どうにかその場から立ち去ったらしいが、その後の彼女の消息は掴めなかった」

 ジークヴァルトの言おうとしていることはわかっている。同時にそれはクレイアが推測を立てた内容を補強しているものだった。

「その女性も大変だったのですね。良かったです、あたしはそういう風にならならいで」

「そうだね。もし万が一のことがあったら、この家の人たちは悲しむはずだ」

 そしてジークヴァルトは一枚のメモ書きを伏せて、机の上に乗せた。

「――口が堅そうな騎士団員を使って、秘密裏に女性の最後の場所を探し当てた」

「……え?」

「この紙の裏に居場所が書かれている。クレイアに渡しておく」

「……ありがとうございます」

 差し出された紙を受け取り、伏せたまま自分の前に持ってきた。

 ジークヴァルトはクレイアとその女性の関係は口には出していない。おそらく知っているだろうが、イーズナル家のことも考えて伏せているのだろう。その心遣いが非常に嬉しかった。

 カップが空になっているのを見て、クレイアは紅茶を注ごうとしたが彼は片手で制した。

「たくさんご馳走になったし、そろそろ時間だから、ここら辺でお暇するよ」

「わかりました。――今日はこんなところにまで出向いていただき、ありがとうございました」

 深々と頭を下げると、ジークヴァルトは苦笑しながら首を横に振った。

「いやいや、いい気分転換になったよ。こちらこそ美味しい林檎パイをありがとう。また店頭で並ぶのを楽しみにしている」

 立ち上がり玄関の方に歩いていくのを、クレイアは見送りにいく。ふとドアノブに手をかける直前で、ジークヴァルトは横目でクレイアを見てきた。


「――人には様々な過去や立場を抱いている。時にはそれが重くのし掛かることもあるだろう。だがそれがあり、周りに支えられてこそ、今の自分がいる。それは――忘れないでくれ」


 優しい言葉が、クレイアの心の中に浸透していく。

 イーズナル家だけでなく、親しく接してきたすべての人の顔が次々と思い浮かんでくる。それを忘れて、愚かな行動に出ようとしていた自分を悔い改めたい。

「……わかっています。ありがとうございます」

 ジークヴァルトが開いたドアからは、燦々と輝く昼の太陽の光が射し込んでくる。

 それを眩しそうに見ながらも、天馬騎士団の団長を笑顔で見送った。



 * * *



 やがて時はゆっくりとだが、確実に動き始める――。



 クレイアは仕事を終えたルクセンたちに、ジークヴァルトに対して茶菓子にも出した林檎パイを差し出し、目を丸くされてから三日後のことだった。

「クレイア、ちょっと藤の湯に行ってきてくれないか?」

 朝食で使った食器を洗っているところに、突然出されたルクセンからの言葉。最後の一枚の皿を水切り場に立てかけると、父親に対して向き直った。

「藤の湯に行ってどうするの?」

「まあとにかく行ってくれ。あとはあっちに任せてある。――ああ、そうだ。ついでに帰りにでもシラハナスイーツも買ってきてくれ」

「スイーツを買うのが目的じゃないの? まあ暇だからいいけど……」

 疑問符が浮かびつつも、硬貨を何枚か受け取ると、クレイアは早速支度をして入浴施設“藤の湯”に向かった。



 藤の湯は交易所の建ち並ぶ港の一角にある、他の建物とは違った雰囲気を漂わす外観をした大衆向けの入浴施設だ。縦長の建物の頂上からは湯煙が昇っている。ここの店主は東国にあるシラハナ出身者のソハヤという男性であり、彼は施設を運営しているだけでなく、休憩所で売られている甘味も作っているのだ。

 昼前にも関わらず藤の湯は賑わっており、その合間をぬいながらクレイアは二階へと上り、休憩所へと向かう。

 藤の湯にも人間だけでなく、もちろん様々な種族も訪れていた。辺りを見渡せば、すぐ傍に獅子と人間が交じりあったような外見をした男が、白花パルフェと呼ばれる甘味を美味しそうに食べている。特に白花茶のアイスを口にしているときは、とても幸せそうな顔をしていた。

 そんな彼と視線が合うと、突然飛び上がるように跳ね上がったのだ。

「お主、いったいいつからそこに!」

「いつからって、今さっきからですが……。美味しそうですね、パルフェ」

「そうだ、特にこのアイスがひんやりとしており――ではない!」

 彼は立ち上がりクレイアから離れるように移動する。初めて会った相手にそのような行動をされるとは、若干心外であった。

「あら、ブラウさん、やっぱり行っちゃいましたか~」

 気がつけば横には藤の湯の店員かつクレイアの友達である、ふわふわ波打つハニーブロンドの少女――パティが立っていた。クレイアが横に顔を向けると、大きくて丸いコバルトブルーの瞳と目が合う。手には透明な瓶に入れられた飲み物を手にしていた。これはとても甘くて、ほんのりとほろ苦い後味の飲み物である“琥珀”と呼ばれる物だ。それを売るのがひと段落したところらしい。

「やっぱり、ってどういうこと?」

「ブラウさんは女の人がとても苦手なんですよ~。だからあまり気を悪くしないでくださいね」

「ふーん、わかった」

「それでクレイアさん、今日はどうされましたか? 藤の湯で一浴びされますか? それとも美味しい、美味しい琥珀でもいかがですか~?」

「湯には浸からない。琥珀は――あとで考えてみる。とりあえず用件を先に終わらせなきゃ。ねえ、父親に言われてここに来たんだけど、何か聞いているかな?」

「パティは特に何も聞いていないです。トモエさんなら、知っているかもしれません。――トモエさーん!」

 近くの客と談笑していたトモエがパティの呼び声に気づくと、軽く一礼をして話を切り上げてくる。下の方を緩く束ねた黒髪を揺らした女性が微笑みながら歩いてきた。

「どうかしましたか、パティちゃん? ――あら、クレイアちゃん」

「おはようございます、トモエさん。父親から藤の湯に行けって言われて来たのですが……」

「お待ちしていましたよ。ソハヤさんが待ちくたびれていました」

「ソハヤさんが?」

 ますます意味がわからない。しかも待ちくたびれているとは――。

「大丈夫ですよ。おそらく仏頂面でしょうが、内心は早く作業をしたがっているだけですので」

「はあ……」

 パティに別れを告げると、クレイアはシラハナスイーツを作っている作業場へとトモエに連れられて行った。

「遅いぞ」

 作業場に入るなり、一蹴された言葉と目の前に広がる菓子の多さや、美しい彩りの数々見て目を丸くした。

 着流しと呼ばれる服を着こなし、腕を組んで堂々と立っている黒髪の男性ソハヤがクレイアをじろっと睨んできたのだ。

「あの、父親が……」

「ルクセンから話は聞いている。今日、クレイアはここでシラハナスイーツを作ってもらう」

「……はい?」

「お前らがいつも作っている菓子とはまた違った食材や、形の作り方をしている。心してかかれよ」

「あの話がよく掴めないのですが……」

「出来次第では店頭に並べさせてやる。酷かったら、食材費も含めて、すべて持ち帰れ。わかったな?」

「はあ……」

 クレイアの質問をことごとく無視されながらも、自分なりにこれから起こることを推測する。

 はっきりと言えることは、理由はわからないが、今日クレイアはここでシラハナスイーツを作らなければならないということだ。

 菓子作りの感覚が戻りつつあるとはいえ、より繊細な作業を必要すると言われているここのスイーツを作り抜くことができるだろうか。

 いつまでも突っ立っていると、ぎろりとソハヤに再び睨まれる。トモエがクレイアの右肩を優しく叩いた。

「わからないことがあったら、すぐに聞いてあげてくださいね。充実した一日になりますように」

「ありがとうございます、トモエさん」

 そしてトモエからエプロンを借りると、クレイアは手を洗ってから、ソハヤの横に立った。



 それ以後、しばらくクレイアは様々な店に送り込まれるのであったのだ。



 今回お借りしました、初登場の登場人物の設定考案者やデザイン者、参考にした小説は以下の通りです。


*ブラウシュテルン(愛称:ブラウ)(設定考案、デザイン:鳥越さん)

*パティ・パイ(設定考案、デザイン:水居さん)

 ⇒『幸運の尻尾』http://ncode.syosetu.com/n4599bc/ 著:水居さん

*トモエ・トウドウ(設定考案:タチバナナツメさん、デザイン:相良マミさん)

*ソハヤ・トウドウ(設定考案:タチバナナツメさん、デザイン:麻葉紗綾さん)


 皆さま、どうもありがとうございます!

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