移りゆく萌黄色の風(1)
客の出入りが落ち着いてきた昼下がりの時間帯に、ドアベルが揺れる小気味のいい音が店内の中に鳴り響き、同時に扉が開かれた。
「いらっしゃいませ!」
元気のいい声を発し、焦げ茶色の髪を高い位置から一本に結っているクレイア・イーズナルは、笑顔で水色の瞳を入り口へと向ける。そこには未だに美しい体型を維持した大人の女性がにこやかに微笑んでいた。
「こんにちは、クレイアさん」
「ヴィオラさん、こんにちは」
銀色から毛先に行くに従って紫色に変わりゆく長い髪をまとめあげた、かつて王都サフィールで女優業を営んでいたヴィオラ=ステイシスは、アルフェリスというネコよりも一回り大きい翼を生やした獣――ステラと共に、林檎菓子専門店『アフェール』へと踏み入れた。
同姓であるクレイアでさえも見とれてしまいそうな彼女は、林檎菓子が並べられた前に来ると一種類ずつ丹念に見始める。
「どれがお勧めなのかしら?」
「どういう目的でお買い求めですか? それによってお勧めする商品が違うのですが……」
「たいしたことじゃないのよ。ただ、たまにはあの人にティル・ナ・ノーグの黄金林檎のお菓子を食べさせてあげようと思って」
ふふふっと笑みを浮かべる姿は、いつもより嬉しそうにも見える。あの人と聞いてクレイアは、ヴィオラの夫――ステイシス氏のことをぼんやり思い出す。会ったことはないが、時々ヴィオラとの会話で出てきているため、雰囲気は何となくわかる。
「そうですね、最近ではさっぱりしたものが良ければ、小さく切った林檎をたくさん入れたゼリーを、まだ少人数であれば小さめの林檎パイをお勧めしています。どちらも甘さは控えておりますので、お気に召すかと思います」
「それじゃあ……ゼリーを二つほど頂けるかしら?」
「はい、少々お待ちくださいませ」
クレイアはショーケースの中に入っているゼリーを二つほど取り出し、箱にてきぱきと詰めていく。
人の出入りが多いときにはさすがに店番を一人でこなすのは厳しいが、これくらいの人の量なら慣れたものである。たわいもない話をしながら、ヴィオラに商品を差し出し、お金を受け取っていると、再びドアベルが鳴り響いた。今度は眼鏡をかけた空色の髪の青年が颯爽と入ってきたのだ。
「いらっしゃいませ、ニーベルさん」
「こんにちは、クレイアさん。――そこにいるのはヴィオラさんですか?」
ニーベルは後ろ姿からヴィオラを判別すると、彼女は軽く頷いた。
「あら、ニーベル君、お久しぶり。あなた、ここの常連客なの?」
「まあ、たまに来ている程度ですよ。ティル・ナ・ノーグの林檎は本当に美味しくて、好きなので」
「そうね、サフィールにある林檎とは大違いだわ」
仲良く話している姿にクレイアは目を瞬かせた。ニーベルとは客として多少は話したことがあるが、元女優であるヴィオラと親しい関係にあるとは知らなかったのだ。その様子を見ていたヴィオラはくすっと笑った。
「あら、妬いちゃった?」
「……違いますよ、ヴィオラさん」
口を尖らせながら即答で返す。たしかにニーベルは世間一般的には好青年でカッコいい部類の人間に入るだろうが、クレイアにとってはただの客人である。
「そうなの? それなら、クレイアさんは他に好きな人はいないのかしら?」
「いません。恋愛に現を抜かしている暇があったら、お菓子作っています。――お二人が親しい関係であったのに驚いているだけです」
そう言うと、ヴィオラはちらりとニーベルに目をやる。彼は依然として微笑んでいるが、口元は堅かった。
「……サフィールにいるときに知り合ったのよ。ほら、彼は色々な街を回っているから、その時に」
「そうだったんですか。そうとは知らずに失礼しました」
「いいのよ。今度、クレイアさんの素敵な恋愛話を聞かせてもらえれば」
「だから、ありませんって!」
クレイアの顔が赤くなっているのをヴィオラは楽しそうに眺めながら、ゼリーが入った箱を持って背を向ける。その瞬間、ニーベルが彼女の耳元で囁いた。それに対して軽く首を横に振ると、ヴィオラはクレイアにも挨拶をして、店を出ていった。
ヴィオラの一つ一つの動作は洗練されており、行動ががさつになりつつあるクレイアは思わず溜息を吐いてしまいそうである。そんなクレイアの様子をニーベルはじっと見つめていた。つい反射的に言葉を発する。
「何でしょうか?」
「あ、いや、何でもないです」
言葉を濁しながら視線を逸らされたクレイアは、あまりいい思いはしなかった。これがレインやアレイオン辺りなら、むりやりにでも聞き出すところだが、さすがにニーベル相手にそれはできない。
「何かお気に召さないことがありましたら、言ってくださいね」
営業用の笑みを浮かべるので精一杯だった。
「それでニーベルさん、本日はどのようなお菓子がよろしいでしょうか?」
「そうだね……僕もゼリーを頂こうかな。二つほど頂けるかな?」
「わかりました、少々お待ちください」
気温もここ数日高い日が続いているため、必然的に爽やかなものに手を付けるのだろう。クッキーやチョコレートは減らして、ゼリーの製造を多くしようと考えていると、またしてもドアベルが鳴り響いたのだ。
今日は途切れずに客が来るな……と思っていると、入ってきた人物を見て、つい眉をひそめてしまった。
「こんにちは、クレイア、お菓子買いにきたよ!」
肌が綺麗で整った顔をしており、一瞬性別を見間違えそうになったが、緑色の瞳に白茶色の髪という特徴的な容姿であったため、すぐにクレイアは“彼”を判別することができた。
「あんたは……また仕事さぼって来て、何やっているの、ルドル!」
「だからお菓子を買いにきたんだって。どうせたいして人は来ないんだから、抜けても大丈夫」
ティル・ナ・ノーグの一角にある本屋『シュトローム』の店番をしている彼は、こうしてよく“アフェール”にまで来て、お菓子を買って帰るのだ。たまになら普通の客として接してもいいが頻度が多すぎるし、何より彼は買ったお菓子を食べながら仕事をしており、それは客に対して失礼だと思ったため、こうして会う度に追い返していた。
「たとえ少なくても客は来るなら、おとなしく店番していなさい! 今日は売らないわよ、とっとと帰れ!」
「えー、なら、藤の湯寄って帰る。その途中でお菓子屋あるかなー」
「こ……ここは商人としては買わせるべきだけど、ルドルのために心を鬼に……。すぐに店に戻りなさい! あんた、いい年なんだから、真面目に仕事しなさい! そろそろ先のこと考えて――」
間髪入れずに吐き出そうとしていたが、またしてもドアベルが鳴り響く。思わず口を尖らせた状態で客を見ると、入ってきた客が驚いた表情で、一瞬入り口で立ち止まった。その様子を見て、即座に表情を営業用に変えたのだ。
それを見た目の前にいたルドルが「クレイアの変わりよう、怖い」と呟いていた。クレイアはそれをしっかり記憶し、あとでどう懲らしめようか考えることにする。
「いらっしゃいませ、林檎菓子専門店『アフェール』にようこそ!」
「こんにちは。菓子を購入したいのだが……立て込んでいるなら、大丈夫だ」
フード付きの薄い外套を着ているため露出は少ないが、そこから見える白金色の髪に薄い青色の目が印象的な客だ。初めての客には特に接客を大事に、と教え込まれたクレイアはすらすらと言葉を並べる。
「いえ、こちらのお客様は気に鳴らさないでください。すぐに対応できますよ」
「そうか、それならば少し見させていただこう」
客人が隣に来ると、ルドルはその人の顔を見て、目を丸くした。
「あれ、店によく来るツェバニーヴさんだよね、買い物ですか?」
「……ルドルか? どうして君がここに……」
「ここは僕の行きつけのお店ですよ」
「そ、そうか、なら尚更ここでは……」
ツェバニーヴが引き腰になっているが、クレイアは止めに入る。
「彼が何かしたんですか? あとできつく叱っておきますよ?」
「いや、そうではない。ただ……」
非常に言いにくそうな雰囲気を出しており、聞き出すにも初対面相手にはやりにくい。とりあえず彼女が渋っている元凶である、ルドルを追い出すことに決めた。
「ルドル、そう言えばこの方はあんたの店の常連さんと言っていたわね。あんたがこんなところで油を売っているから、店から引き返したんじゃないの? それに早く戻らないと……父さんや母さんにも言いつけて、今度から立ち入り禁止にするよ」
「え、そこまでするの……。わかったよ、もう戻るから、林檎サブレを一袋だけちょうだい。ね、それでしばらくは来ないからさ!」
「しばらく……ね。もう休みの日以外来ないで」
溜息を吐きながら、林檎の形をしたサブレを三枚ほど袋に入れたものを硬貨と交換する。手頃な値段なため、よく大量に買っていく人が多い品だ。
「そういえばさ、クレイアは出るの、あれ」
「あれって、若手菓子職人の菓子作り大会のこと? 年齢制限には引っかかっていないから、参加はできるけど……」
先日父親が食事の場で出された話を思い出していた。
二十歳以下の菓子職人を対象とした大会が近日中にあり、クレイアも参加してみたらどうだと言われているのだ。ティル・ナ・ノーグのお菓子はアーガトラム王国でも非常に評判が良く、またこれからさらに伸びると思われる二十歳以下の大会を催すことで、注目を集めようというものだ。
基本的には他の菓子大会と変わりなく、作ったものを審査員が食べて評価するというものだが――この大会で特に目を引くのが副賞であった。賞金ももちろんでるが、副賞が――なんと他の街への菓子作りのための留学を街で支援するというものなのだ。
またもし優勝でもすれば、優勝者がいる店に活気が出るのは目に見えている。
だがクレイアにはいくつか躊躇う理由があった。
「まだ時間もあるし、少し考えている」
「ええ、考える理由なんかあるの? クレイアなら、絶対に優勝狙えるって! 最近はイーズナルさんより美味しいものを作るって噂を聞くよ」
「ありがとう。けど、ただの噂だから、これ以上広めないで」
おそらくライラ・ディの時に蜜林檎入りチョコを作ったときだろう。時間もなかったため、砂糖や蜜の量を思いつきで入れたが、上手い具合の甘さになったのだ。その後、雑誌に大々的掲載され、そこから尾ひれが付いて、そのような噂になっているのだろう。父親の方が遥かに優れているのに、その噂を聞くたびに苦笑いをするしかない。
「大会、応援に行くからね。それじゃあ!」
「仕事していなさい!」
最後まで余計な言葉を残して、ルドルは店を出ていった。
彼を見送っていると、ふと空色の髪の青年が微笑みながら佇んでいるのが目に入る。クレイアの顔は真っ青になり、すぐに頭を下げた。
「申し訳ありません! お客様のことをすっかり忘れておりました」
「いや、別に構わないからいいよ。面白いものも見られたし」
「今のやりとりが面白いとは……なんだか恥ずかしいです」
「個人的には大会とかに出て、力を試すのはいいことだと思うよ。多くの人に見られるというのは、いい経験になるしね」
「はあ、一つのご意見として受け取っておきます」
ニーベルは遠い過去を思い出すかのように目を細めている。それを横目で見ながら、クレイアは急いでゼリーを箱に詰め、そして林檎サブレを一袋乗せて、彼に差し出す。サブレを見ると目を丸くされた。
「いや、これは……」
「お待たせしてしまった、お詫びです。受け取ってください。もしかしてサブレお嫌いですか?」
「むしろ好きだよ、いやこのお店のお菓子はどれも好きだ。――じゃあ、有り難く頂く。どうもありがとう」
「よろしければ、またのお越しをお待ちしています!」
「うん、また来るね」
ニーベルはにこやかに微笑むと、ゼリーが入った箱を片手にドアベルを再び鳴らして、通りへと出ていった。
本当に優しい人で良かった……と安堵の息を吐きつつ、目の前にいる客に視線を戻した。薄い青色の目がショーケースの中身を凝視している。クレイアはお菓子を一口サイズに切ったものがたくさん詰まった、小さなバスケットをツェバニーヴに差し出した。
「味見でもしますか?」
「……いいのか?」
「構いませんよ、納得のいくまで吟味してください」
そう言うと、彼女はどれを取るか選びつつ、最終的には蜜林檎入りチョコを半分に切ったものを口に入れたのだ。
「――美味しい」
「ありがとうございます。それは私が考案したチョコなんですよ」
「君が……か、その歳で凄い。この美味しさなら、充分大会でも優勝を期待できる味だ。――どうして参加しないのだ? 主催者側にとっても、君が参加しないのはもったいないと思うぞ?」
初めての客であるツェバニーヴにまで言われるとは。
このように後押しをしてくれる人がたくさんいるのは、非常に嬉しいことだ。あとは自分の心持しだいだろうか。
大会の参加申し込みまでまだ時間がある。その間にも仕事に忙殺されるのは目に見えていたが、もう少しだけ結論を先にしようと思ったのだった。
この小説は企画内の参加者が考案した登場人物を、多数お借りしています。
初めて登場した人物に対しては、あとがきにてご紹介させて頂きます。
以下、今回の話で出た、登場人物の設定考案、デザイン者、またよく登場する関連作品です。
*ヴィオラ=ステイシス、ステラ(考案・デザイン:宗像竜子さん)
⇒『アルテニカ工房繁盛記』http://ncode.syosetu.com/n2701bc/ 著:宗像竜子さん
*ルドル・エーアスト(考案・デザイン予定:煎助さん)
*ツェバニーヴ(考案:トラムさん、デザイン:himmelさん)
なおクレイア、ニーベルは私が設定考案しましたが、デザインはそれぞれ宗像竜子さん、麻葉紗綾さんに描いて頂きました。
皆さま、どうもありがとうございます!