夜空に浮かぶ光彩(2)
「さてどこに行くんだっけ、イヴァン?」
「アール、それは最初に言ったはずだが……。北東にある妖精の森付近の予定だ。その先にある高台の方が観測するには最適な場所だと思うが、そこまで行くとモンスターがいるからな、妖精の森辺りにしておくのが無難だろう」
「なあ、その先にも行こうぜ! モンスターと会ったら、逃げればいい話だろう!」
「……俺は嫌だね。お前だけ勝手に行っていろ」
イヴァンとアールが言い合いながら、並んで歩いているのを、クレイアはレイと共に後ろから眺めていた。容赦のないイヴァンの突っ込みに思わず笑ってしまう。
穏やかな日常と言うのだろうか。
それが久々に垣間見ることができて、少しだけ嬉しかった。
「そういえばさ、クレイア。お前、刺された怪我は大丈夫なのか? アイリスがすっげえ心配していたぜ」
「左腕だったおかげか、日常生活には支障はないよ。たまに少し痛むくらい」
そう素っ気なく答えると、アールはふーんと言って、再びイヴァンとの会話に戻った。クレイアと親しいアイリスを通じてとはいえ、アールにも噂が伝わっている。もしかしたらこの街のほとんどの住民にクレイアが襲われた事実は広まっているのかもしれない。
突然、前を歩いていたイヴァンが立ち止まった。クレイアは気づかず、その勢いで彼の背中へと当たってしまう。
「ごめん、イヴァン……」
「シェイナ?」
呟くイヴァンの視線の先には、ある家の壁に寄りかかっている、少し暗いアメジスト色の長い髪を結っている女性がいたのだ。彼女はイヴァンに気づくと眼帯をしていない左目を彼に向けた。
「イヴァンじゃないか。どうした、こんな夜中に」
「みんなで星を見に行くんだ。そうだ、シェイナも一緒にいかないか?」
彼は微笑みながら尋ねると、一瞬シェイナことシェイナリウスの頬が赤色に染まった。
「……ありがたい申し出だが、今日はこれから用がある」
「ハンターの仕事?」
「……まあ、そんなところだ」
シェイナリウスはどことなく哀愁漂わせる表情で答えた。そして壁から背を離し、颯爽と彼らに向かって歩き始める。
「どこに行くかは知らないが用心することだ。戦闘能力が低い人間にとって、夜というのは想像以上に厳しい時間帯だからな」
「ご忠告ありがとう。大丈夫さ、妖精の森に行くだけだから」
イヴァンはシェイナリウスとすれ違う時に、さりげなくお礼を言う。彼女は若干口元を緩めながらも、その場から去っていった。
「随分と大きい女だな。レイがちっこく見えるぜ」
「アール、悪気はないのはわかっているが、そのことについてはあまり触れないでくれ……」
男としては身長の低いレイはぽつりと本音を漏らす。よほどショックだったのかもしれない、シェイナリウスとすれ違ったときには。
静寂の中が続く街を通り抜けると、辺りは木々に囲まれる地帯へと踏み入っていた。そろそろ妖精の森に差し掛かるというところだ。少しだけ遠くなった街をクレイアはちらりと見る。もしかしたら最後かもしれないと思うと、感慨深いものがあった。
「なあ、あれなんだ?」
アールの声に意識が前へと戻される。妖精の森の入り口にある木に、一体のぬいぐるみが置かれていたのだ。
耳や目、手や足は黒く、他の部分は白い、ティル・ナ・ノーグでは見たことのない動物のぬいぐるみだった。それをアールはじろじろと見ながら持ち上げた。
「なんだこれ? どこかの旅行記で似たような動物を見たことがあるな」
「誰かの落とし物かもしれない。騎士団に手渡した方がいいんじゃないのか?」
「まあそうだな。……そんなに可愛いものじゃねえけど」
「あっしのことが可愛くないとは何事だ!」
突然目の前にいるぬいぐるみから声が発せられたのだ。その場にいた四人は目が点になる。そんな状態になっているのにも気づかずに、ぬいぐるみは言葉を続けていく。
「あっしはな、これでも立派な精霊なんだ。お前らのような子供に気安く触られるものじゃないぞ!」
「ぬいぐるみが……喋っている」
「そうさ、赤毛の少年。あっしは上級中の上級の精霊のパン。いいからとっととおろせ!」
アールの口元がにやりと笑みを浮かべた。きらきらと目が輝いている。
「……なあレイ。これって売れるのか?」
「アール、金に困っているからって、それはないだろう」
レイは頭をかきながら、呆れた口調で言葉を発する。しかしその言葉を聞き流し、アールはパンに対して白い歯を見せた。
「よし、パン、一緒に行こうか!」
「なっ……! お前、あっしを売ろうというのか。なんという不届きものか!」
ばたつかせるパンに対して、アールは意気揚々と鞄にパンを入れ込もうとする。嫌がるぬいぐるみの姿を見て、レイたちは止めようとした矢先に、一人の少女の声が飛び込んできた。
「ちょっと待ちなさい!」
アールは動きを止め、目を細めて声がした方を見据えた。一方、拉致されそうになったパンはばたつかせるのをやめる。
暗き森の中から出てきたのは、非常に珍しい蝙蝠のような黒い羽を生やした、小さな少女であった。真っ白い長い髪を二つに結び、黒と白からなる派手な服を着ており、視線を下げれば、とりわけ底が厚い靴を履いている。険しい顔をしながら、少女は叫ぶ。
「それは僕のぬいぐるみだよ、返して!」
「あ、そうだったんだ。どうぞ、どうぞ」
アールは少女の姿をまじまじと見ながら、パンを彼女に手渡した。引っ手繰るように取り返し、パンを抱きしめると、ようやく安堵の表情を見せた。パンたちから視線を逸らさないアールに気づいた少女は、眉をひそめる。
「……なんだい、お前たち。僕の顔に何かついているのかい?」
「いや……その格好はもしかして邪妖精ってやつか? たしか妖精とはまた違った種類の羽を生やしているって聞いたことがある」
下から蒼と紅の瞳が睨んでいることにも、気にもとめずに、アールは質問をしていく。少女は手を腰に当てながら、口を尖らせた。
「ハーフの邪妖精だよ。悪いかしら?」
「いや、すごい羽だなって思ってさ。なあ、邪妖精って――」
興味深い人と出会ったアールは、今にも紙を取り出して、聞き込み調査をしそうな勢いである。すぐにでも星空観測に行きたがっているイヴァンの様子を見たレイは、アールの肩を叩こうとした。
「おい、アール。そろそろ道草食っていないで――」
「そこにいるのはエルライナか?」
クレイアたちが来た方向から、朱色の髪の少年が目の前にいる邪妖精――エルライナへ駆け寄ってきたのだ。彼の肌は異常なまでに白く、病的なものを抱えているのではないかという様子である。
「あら、ムラマサじゃない。今日は外に出ていい日じゃないと思うけれど」
「新月に近い日、用心すれば大丈夫だ。そういうエルライナはこんなところで何をしている。お子さまが外に出ていい時間ではないだろう」
「……ちょっとお尋ねもののモンスターを刈ろうと思っただけよ。いちいち人の行動に口を挟まないでちょうだい」
エルライナは口を尖らせながら、ぷいっと顔を横に向ける。彼女の言い分にとりあえず納得したムラマサは、次に怪訝な目でアールたちを見る。
「お前たち、いったいなんだ? そこで何をしている」
「ただ珍しいぬいぐるみを拾って、持ち主に返しただけさ。なあ、レイ?」
「あ、ああ……」
突然振られたレイは適当に相槌を打つ。するとムラマサの眉間にさらにしわが寄っていく。
「そうか。だが……お前、彼女に対して変な視線を送っていなかったか? 何か変なことを企んでいたんじゃないだろうな?」
ムラマサが腰にある刀の柄を右手で触れた。さすがにアールも張りつめた空気になり始めていることに気づき、顔が引きつってくる。
適当に言葉を並べようとした矢先、ふと、目映い光がその場にいた人々を照らした。クレイアは空に視線を向けると、雲の間からいくつかの星と三日月が目に入ってくる。三日月であるとはいえ、星がいくつも集まっても輝けない光を発していた。
「……月……だと!?」
月を見たムラマサの表情が一変する。そして抜こうとする刀を、逆に左手で抑え込んだのだ。まるで自分とはまた別の精神体が出てくるのを必死に抑えるかのように――。
「駄目よ、ムラマサ!」
エルライナはムラマサの異常に気付くと、声を張り上げた。
「わかっている、わかっている……!」
エルライナは険しい表情のまま視線をアールたちに向けた。
「急いでここから離れて。死にたくなければ!」
「どういうことだ?」
「彼の自我が消える前に早く!」
理由がわからないアールはその場に突っ立っていたが、すぐ傍にいたレイが彼の背中を叩いて、意識を取り戻させる。
「いいから離れるぞ」
「けど……!」
「行くぞ!」
レイ、アール、そしてイヴァン、クレイアと続いてその場を去った瞬間、けたまましい叫び声が耳に飛び込んできた。一番後ろにいたクレイアは、ちらりと背中越しにムラマサたちの様子を見ると、彼が目の色を変えて豹変しているのが見えたのだ。そして視線がクレイアと合うなり、ゆっくりと踏み出してくる。
「ちょっと、これはやばいよ! ムラマサっていう人、こっちに来るよ!」
「本当かよ!?」
「とにかく今は走れ。森の奥に行けば、さすがにまけるだろう」
「なんだか、とんでもないことに巻き込まれている気がする……。俺は星が観たかっただけなのに」
アール、レイ、イヴァンと三者三様ぼやきつつも、先頭を突っ走っていたアールが加速するのに合わせて、レイとイヴァンも続いた。
だがクレイアは少年たち三人と距離が少しずつ開いていくのを、目の当たりにしていた。男と女という体力の違いもあるが、まだ怪我が完治していないことが大きな要因でもある。
「ま、待って……。お願いだから……」
少年たちの背中が徐々に小さくなっていく。後ろからは未だにただならぬ殺気を感じる。
もう少しだけ、もう少しだけ――そう思いつつ必死に前に進んでいたが、途中で足を木の根に引っかけてしまった。ものの見事に転んでしまう。
「痛っ……!」
立ち上がろうとするが、転んだ衝撃で左肩にも負担がかかったらしい。動かそうとすると痛みが走る。
視線だけ前に向けると、その先には湖があった。湖面には雲に隠れつつある月が映し出されており、風が吹くとささやかに湖面が揺れる。月の光を浴びる美しい湖と言えばいいのだろうか――。
危機的状況であるにも関わらず、クレイアは思わずその幻想的な景色に心が奪われていた。
その湖の端には、全身黒ずくめの青年がガートや様々な獣を囲みながら佇んでいる。湖を見下ろし、何か思いあぐねているようだ。
やがて彼は視線を前に戻し、体をクレイアの方に向けて歩いてきた。クレイアは立ち上がり、木にもたれ掛かった状態で、近づいてくる彼を眺めている。
視線が離れられなかった。いや、正しくは動けなかった。
その青年から発せられる、あまりにも静かすぎる雰囲気に飲み込まれてしまったのだ。
呆然と立ち尽くしていると、青年がクレイアにもっとも近づいてきたところで、彼は視線を森の奥へとちらりと向けた。それが済むと、青年はクレイアが来た方向に進んでいってしまったのだ。
「まっ……!」
呪縛から解放されたクレイアは、自我を失ったムラマサの方に向かっていく青年を止めようとした。だが慌てて振り返ったが、彼の後ろ姿は見当たらなかったのだ。
困惑していたが、次の瞬間エルライナの甲高い声が耳に入ってくる。
「ちょっとあんた、逃げて!」
「……ルカ……か。離れろ。お前でも、今の俺は容赦しないぞ」
「……望むところだ」
その返答と共に、刀と何かが交わる音がしたのだ。
すぐ傍で壮絶な戦闘が行われている――一刻も早くこの場から離れなければと思い、重い体に鞭を打って歩き始めた瞬間、すぐ横にいた誰かとぶつかった。
「ご、ごめんなさい……」
「大丈夫だよ、クレイアさん」
優しくも安心できる声色につられて顔を上げると、眼鏡をかけた空色の髪の青年が微笑みながら立っていた。
今回お借りしました、初登場の登場人物の設定考案者やデザイン者、参考にした小説は以下の通りです。
*シェイナリウス・リア・レイリフィアート(設定考案、デザイン:黎珠那さん)
⇒『咎人の綴り詠』http://ncode.syosetu.com/n3493be/ 著:黎珠那さん
*パン・モノクローム(設定考案、デザイン:鍔姫水霧さん)
*エルライナ・トリグラフ(設定考案、デザイン:鍔姫水霧さん)
*ムラマサ センカ(設定考案、デザイン:鍔姫水霧さん)
*ルカ(設定考案、デザイン:夜光虫さん)
皆さま、どうもありがとうございます!
 




