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光彩林檎の創生歌  作者: 桐谷瑞香
第3話 灰色の記憶に色を
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灰色の記憶に色を(5)

 翌朝はうなされるほどの夢を見ていたようで、起きたときには焦ったような顔をしたイオリが目の前にいたのだ。

「ねえ、本当に大丈夫、クレイア?」

「大丈夫だって」

 そうは言っても夢の内容は酷いものだった。目の前に赤い液体が地面を染めている光景――横たわっている女性の焦げ茶色の髪は、赤黒く変色していたのだ。その姿はまるで――。思い出すだけで吐き気がしてくる。

 その後朝食を出されたが、まったく食欲が湧かなかった。

 ほとんど手を付けていないものを見て、イオリの表情はますます曇っていく。

「食欲がそそる香りがするものなら、食べてくれるのかな……。やっぱり頼んでみるかな……。ちょうどティーアちゃんも来ていることだし」

 ぶつぶつと言いつつイオリはお盆を下げる。ふと、お盆を持ちながら部屋を出る前に立ち止まった。

「クレイア、昼は起きているかな?」

「調子によると思う。だいぶ良くはなってきているけど」

「わかった。――昼ご飯、楽しみにしていてね」

「はい?」

 イオリはにっこりと笑うと部屋から出ていった。その様子にクレイアは首を傾げるばかり。いったい何をたくらんでいるのだろうか。彼女の行動が気になりつつも、手近にあった本に手を付けていた。



 本を読みながらうたた寝をしてしまったのだろう。目覚めると読んでいた本はしおりも付けずに、閉じられていた。慌ててどこまで読んだかを確認しようとする。

 窓の外を見れば、再び雨が降り始めていた。ぐずついた天気が続き、気分もあまりぱっとしない。

 ちょうど昼過ぎの時間帯であった。軽くドアをノックされると、イオリが鍋をお盆にのせて入ってきた。その後ろから菫色を高い位置から結っている少女もついてきている。歩く度に髪がぴょんぴょん跳ねていた。

「こんにちは、クレイアさん」

「ティーアじゃない、どうした?」

「お見舞いだよ。お花でも持ってこようかと思ったけど、あとでクラリスさんが来るって言うから、顔だけ出しにきた」

「クラリスが……」

 晴れやかに笑っているピンク色の髪の双子の姉妹の妹を思い出す。彼女が来るとなると、状況によっては姉も来るだろう。騒々しい二人が来るとなると、傷口が痛みそうだ。

 イオリはお盆をベッドの上に付属されている台に置くと、クレイアに近づかせた。その顔はどことなく緊張しているようにもみえる。

「食欲はある? 食べられるかな」

「朝よりは悪くないけど……」

 数日間まともに食事をしていない今では、どの程度食べられるかは疑問であった。しかし多少は食べなければ、イオリたちに迷惑をかけてしまうだろう。重い体に鞭を打ちつつ、鍋の蓋を取った。

 取った瞬間、鍋から漂う香りがクレイアの鼻に入ってくる。心を穏やかにさせる、優しい香りだ。シンプルに見えるお粥だが、そこにはそれ以上に込められているものがあった。これはいったい誰が作ったのだろうか――。

 恐る恐るお粥をスプーンですくい、それを口の中に含ませる。

 すると様々な味が入り込んできた。非常に奥深い味であるが、どれもが競合せずにそれぞれの味を感じることができる。全体的に魚介系の風味だろうか。にもかかわらず、臭みはなく、上品なお粥であった。

 ゆっくり咀嚼して飲み込むと、お粥が食道を通って胃にまで達する。それが胃の中まで温かくする。


 不意に目から一筋の涙がこぼれた。


 イオリたちには見えないが、頬に涙が伝わるのをクレイアは感じていた。ずっと我慢していた涙が、お粥によって出されてしまったのだ。

「この味は――海竜亭のコックの人」

 呟いた言葉にイオリとティーアは目を丸くした。クレイアは涙を拭うと、二人に向けて大声を発していた。

「今、この人いるの? お願い、会わせて!」

「そんなに会いたいの? クレイアさん」

「これを誰が作ったか、あたしは知りたい」

 ティーアがイオリと顔を合わせながら、渋い顔をする。こそこそと会話をしながらも、首を辛うじて縦に振った。

「……わかった。クレイアさんが会いたいって伝えてみる。ただ極度の人見知りの人だから、会えないって断るかもしれないけど……」

 そう言うとティーアは部屋から出て、イオリもその後を追うようにして出ていった。

 クレイアは視線をおろし、一口だけ食べたお粥を眺める。もう一口と思い、食べてみると、再び涙腺が刺激されて、涙がこぼれ落ちた。


「どうして、どうして――」

――美味しいものは、涙が出るほど感動するのだろうか。

  そして塞き止めていた涙が、誘発して流れてしまうのだろうか。


 ずっと泣かないと決めてきた。

 誰にも頼らないで生きていくために、強く生きようと思っていた。だから泣くのをやめた。出てきそうになった涙は、ひたすら飲み込んで――。

 やがてドアが遠慮深げにゆっくりと開いた。顔を上げると、見たことのある青年が俯きながら入ってくる。

「ユッカさん……?」

 クレイアが尋ねると、菫色の青年はこくりと頷いた。

 今日のユッカの格好はいつも朝や店で会うラフな服装ではなく、白いコックコートを着ている。それがすごく似合っており、その凛々しい様子にまじまじと見ていた。

「ユッカさんが海竜亭のコックだったんですか?」

 そう尋ねると、彼は気恥ずかしそうに首を縦に振る。

 思ってもいない告白にクレイアは呆然としていた。海竜亭の食事は非常に美味しく、クレイアも大好きだ。それを作っている人が実は店の常連さんだったと知り、思考が停止してしまう。

 沈黙の時間が続くと、ユッカは背を向けて部屋から出ようとした。

「待って!」

 呼びかけると、びくりとしながらも彼は動きを止める。今まで話した時もこういう感じであった。あまり長居はせずに、すぐに去ろうとする。だからこそ、呼び止めたかった。

「……お時間はありますか? 少しだけここにいてくれませんか?」

 何も考えずに言葉に出した途端、すぐに後悔した。

「ああ、でも、お店の途中ですよね、ごめんなさい。聞かなかったことにしてください」

 即座に否定して、お粥に目を落とす。今はこのお粥をいただけるだけ、幸せなことにしよう。

 ふと影がクレイアを頭上から覆った。目をぱちくりしながら顔を上げると、ユッカがベッドのすぐ傍に来ていたのだ。彼は躊躇いつつも、意を決して口を開く。

「……店は大丈夫、少しくらいなら」

「本当に?」

 ユッカは視線を逸らしつつもしっかりと首を縦に振る。

「じゃあ少しだけ……いてくれますか? その……お粥が美味しすぎて、一人じゃ、泣きながら食べていそうだから」

 そう言うと、ユッカがぎょっとした顔をした。言い方が悪かったと、即座に訂正する。

「違うの、美味しすぎて、涙が出るくらいに美味しすぎるの!」

 ユッカは不思議そうな顔で首を傾げる。

「これだけじゃなくて、海竜亭の食事もどれも美味しいです。一度お会いして、じっくりお話したかったんです。たいして上手くないけど、あたしも食べ物を扱う端くれ――話を聞いたら、すごく刺激を受けるんだろうなって」

 苦笑しながら言うと、ユッカは真顔で首を横に振っていた。

「――クレイアさんのお菓子は美味しい」

「え?」

 思わぬ言葉を返されて、クレイアは間の抜けた声を漏らす。ユッカは珍しく視線を逸らさずにクレイアの水色の瞳を見つめていた。

「この前の朝もらった試食品は特に。食べたら元気をもらったような気がした。そんなお菓子を作る人が端くれだなんて、俺は思わない」

 端的に、だがしっかりと意見をクレイアに伝えてくれる。憧れと思っていたコックに有り難すぎる言葉を出され、どう返していいかわからなかった。

 ただこれだけは言える。


 素直に――嬉しかった。


 熱くなった目頭を抑えると、ユッカはまたしても驚いた顔をしていた。それを見て、慌てて無理矢理笑顔を作る。

「ユッカさんのせいじゃないです。こみ上げてくるものがあったので。――嫌ですね、さっきから泣きそうな顔ばかりで。もう泣かないって決めたのに」

 出てきそうな涙をすべて拭って、お粥に手を付ける。一口食べると、少しさめてしまっているが、それでも充分美味しかった。

「美味しいです、本当に。けどいったい誰が連れてきたんですか? イオリ、それともあの様子からするとティーア?」

 ユッカは口を閉じたまま首を縦に振るだけ。だが、それでもだいたい察することができる。イオリがティーア経由でユッカに言い、連れてきたのだろう。

 再びお粥を食べながら、クレイアは涙が流れるのを耐えつつ、気晴らしにユッカに質問をしていた。それを彼は首を縦に振ったり、「ああ」とか「そう」とか、簡単に返すだけだったが、隣に誰かがいるだけで充分である。

 気が付けば鍋の底が見えていた。寝込んでから、ほとんど食べなかったクレイアにとっては驚くべきことである。

「美味しいものって、どんな状態でも食べられるんですね。ありがとうございます、少しだけ元気になれました」

 微笑みながらお礼を言うと、ユッカの頬がほんの少しだけ朱色に染まったような気がした。彼は手早く、鍋を片づけ、お盆を持ちながら立ち上がる。

 だがそこで動きを止めた。そして気難しい顔で、何かを思案し始める。ぼんやりと見上げていると、ユッカは口を開いた。


「……我慢しないで泣いたほうがいい」


 瞬間、クレイアの目から涙が一粒落ちる。そしてユッカの真剣な眼差しを見ると、次々と落ちてきたのだ。それを慌てて拭おうとするが、ユッカは首を横に振った。我慢するなと、無言の想いが伝わってくる。

「けど泣いたら、弱さが……」

 守るべき体の弱い妹がいるから強く生きなくてはいけない、血は繋がっていないのに、大切に育ててくれた人に迷惑をかけてはいけない――そう思い、涙を飲み込んできた。

 だが、ずっと辛かった。

 強く振る舞うことがとても辛かった。

 誰かにこの想いを伝えたかったが、それを漏らせばクレイアの出生が知らされることになり、結果として家族に迷惑をかけてしまう。だからその想いを忘れるために、形振り構わずに菓子作りに没頭していたのだ。

 しかしあのお粥を食べて、ユッカの優しさに触れ、何かが開放された気がした。

 小さな嗚咽が部屋の中に響く。吐き出したい言葉は胸の中に潜めつつも、涙は表に出した。

 その間ユッカはほんの少しだけ微笑みつつ、クレイアを見守るように、彼女が泣きはらすまでそこにいたのだった。



 * * *



 熱も下がり、体も動けるようになったため、施療院から退院したクレイアは、荷物を持って“アフェール”の裏手にある自宅へと戻っていた。荷物を置く前に店に顔を出そうと思ったが、珍しく休業日以外に閉まっていたのだ。

 不思議に思いながら、ドアを叩くと、アリーが血相を変えて飛び出てきた。

「クレイア! 一人で戻ってきたの!?」

「うん、店も忙しいし、迷惑をかけちゃいけないと思って……」

「そんな気の使い方をしなくていいのよ! ああよかった、無事に戻ってきてくれて」

 目を瞬かせているクレイアをよそに、アリーはぎゅっと抱きしめてきた。柔らかな温もりが伝わってくる。首を傾げていると、部屋の奥からルクセンが現れた。

「アリー、とりあえずクレイアを中に入れなさい」

「ああ、そうだったわね。……お帰り、クレイア」

「ただいま」

 二人から発せられる雰囲気に戸惑いつつも、クレイアは久しぶりの我が家に踏み入れた。中に入ると、エレリアがクレイアを見るなり、飛びついてくる。

「お姉ちゃん!」

「ちょっとエレリアまで、いったいどうしたの?」

「だって怖いんだもの……!」

 クレイアは眉をひそめつつも、エレリアの頭を優しく撫でる。そしてちらりと脇にいる両親に目をやった。

「あたしがいない間に、何があったの?」

「気にしないで、クレイア。騎士団の方達が私たちのことを守ってくれているから!」

「……そうじゃなくて、何があったの、店に!」

 大声を上げたため、近くにいたエレリアがびくっとする。撫でながら気づいていた、クレイアに抱きついた時点で、彼女の小さな腕が震えていることに。

 ルクセンは真っ青になっているアリーを後ろに下がらせて、事情を淡々と話した。

「……ナイフを持った男が店の従業員を襲ってきた。女性が一人だけ軽傷を負ってしまったが、騎士団が駆けつけてくれたため、すぐに男は去っていたよ。エレリアはたまたま店にいて、その様子を見ていたから、怖くなったんだろう」

「男って、どういう人?」

 鼓動が速くなっていた。忘れたいと思った恐怖の記憶が徐々に蘇ってくる。

「私は店の奥にいたし、相手側もフードを被っていたからよくわからなかった。だが『菓子大会に出た女はいないのか』とは言っていたから……」

 ルクセンがちらりとクレイアの左腕を見る。今は長袖の羽織を着ているため見えないが、その下には包帯で巻かれた腕があった。視線を逸らすと、ルクセンは頬を緩ませる。

「――まあかなりの人に見られていたんだ。すぐに捕まるはずさ。店も片づけが終わったら、また再開する。だから――そんな風に思い詰めた顔をするな」

 俯きながら聞いていたクレイアだったが、指摘をされてとっさに顔を上げた。泣きそうな顔のアリーと、微笑んでいるルクセンの姿があった。

「うん、ごめん……ありがとう」

 クレイアはエレリアを撫でるのをやめて、彼女から手を離した。そして床におろしていた荷物を持ち上げると、小さな笑みを浮かべた。

「久々に長時間動いたら疲れちゃった。荷物置いたら、また休ませてもらうね」

 そう言ってルクセン達に背を向け、廊下へと出ていった。

 途中で鏡が視界にはいると、そこには顔が強ばっているクレイアがいた。


 恐れていたことが、現実になってしまった――。


 再び前向きに生きようとしていたところに、水を差すようにして起こった事件。

 クレイアの心の中では、ある決断を少しずつ固めつつあった。


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