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光彩林檎の創生歌  作者: 桐谷瑞香
第3話 灰色の記憶に色を
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灰色の記憶に色を(4)

 雨があがり、ブランジューネ城の厨房の屋根裏部屋に住まう人たちに別れを告げると、ニーベルは朝焼けの中を眠そうにしているエッダと共に並んで歩いていた。

 水溜まりに踏み入れると、その衝撃で水が飛び散る。ニーベルは水溜まりを避けながら歩いているが、エッダはひたすら真っ直ぐに進んでいた。

「そんなことしたら、濡れるよ」

「別に私は濡れないから大丈夫。――今回の雨の後は虹が出なかったね」

 エッダが残念そうな顔をしながら、昇っていく朝日を眺めている。ちらりと彼女は自分が着ている服を見下ろした。

 桃色の髪よりもやや薄い色のポンチョの下には、鮮やかな虹を模した柄が入っているワンピースを着ている。彼女にどんな風景が好きかと聞いたところ、返ってきた言葉は『虹がかかっている風景』だった。よほど虹が好きなのだろうと、ニーベルは察していた。

「また次の機会があるよ」

「うん……。その時は一緒に見ようね」

 エッダはニーベルに近寄ると、ぎゅっと腕を握った。しばらく口を閉じていたが、やがてゆっくりと見上げる。

「ニーベル……」

「なんだい?」

 優しく聞き返すと、エッダは口を大きく開いた。

「あのね――」

「そこの若造、一人で何を喋っておる?」

 突然人間に話しかけられたニーベルは、慌てて視線を前に向けた。エッダはニーベルにしか見えない。

 銀色の髪の上に赤い帽子を被っている老人が、眉をひそめながら、すたすたと歩いてくるのだ。

「いえ、気のせいだと思いますよ」

「いや、わしゃ、確かに聞いておったよ。下の方を向きながら何かを喋っているのを。――お主、よく噴水の前で話をしている男ではないか」

「そうですが……」

「ふむふむ、このジャジャ爺、いい情報を仕入れたぞ。語り部の男は独り言をする、変わった奴だとな!」

「すみません、それはあなたの心の中に秘めておいてくれませんか?」

 ジャジャ爺という言葉を聞いて、彼が噂に聞いたことがある情報屋のジャガジャットであると推測する。動植物の生息域や多くの人々の性格まで知っていたりと、幅が広い情報を持っている。そんな彼にニーベルが独り言をするという、妙な噂を広めてほしくはなかった。精霊と話していたと言ってもいいが、魔法使いであることを公言したくないため、それも避けたいところだ。

 しかしその願いもむなしく、ジャガジャットは首を横に振った。

「嫌じゃ。金や物と引き替えに、この情報を教えてやるのじゃ!」

 そして笑いながら、ニーベルの横をあっというまに通り過ぎてしまった。エッダは怪訝そうな表情で彼の後ろ姿を眺めている。

「大丈夫……じゃない? たぶん」

「そう思いたい……」

 肩を竦めながら、息を吐き出した。そしてニーベルは思い出したようにエッダを見下ろす。

「そうだ、何か言おうとしていなかった?」

 そう聞いたがエッダは激しく首を横に振った。

「ううん、何でもない。――ほら、早く帰ろう」

 エッダが手を伸ばしてくる。それに応えるようにニーベルは近寄ると、彼女は満面の笑みで腕を掴んだのだった。



 * * *



 その日は薄暗い雲をベッドの上で眺めていた。ティル・ナ・ノーグとしては珍しく、しばらくぐずついた天気が続いている。

 大会から三日が経過したが、未だにクレイアの熱は完全に下がっている状態ではなかった。イレーネは、体内にいる抗体が奮闘して病原菌を対峙しているのだろう、それを促進させるには栄養のあるものをしっかり採る必要があると言っている。

 しかし気だるい体はなかなか動いてくれず、出された食事も一口、二口しか食べないことが多々だった。

「もう、いいの?」

「うん……。お腹空いていないし、今は寝たい」

 イオリがほとんど残っているお粥が入った鍋をまじまじと見ている。

「……美味しくなかった?」

「そんなことないよ。味付けは薄すぎたけど」

「さりげない指摘をありがとう。……美味しいものなら食べるのかな」

 溜息を吐きつつ、鍋の蓋を閉じる。クレイアはベッドの上でイオリがいない方向にぼんやりと視線を向けていた。

「そういえばアリーさんとエレリアちゃんが、お見舞いに来たいって言っていたけど、今日は体調どう?」

「……まだ微妙。たぶんこの状態だと、一日中寝ていそう。そうだ、母さんたちに言っておいて。ただでさえ忙しい日々なんだから、無理して来なくていいよって」

「わかった。今日はやめておいてもらうね。一刻も早く熱を下げて、家に戻れるように」

 イオリは鍋が置かれているトレーごと持ち上げて、病室を後にした。ドアが閉じられると、部屋の中はクレイア一人になる。

「何をやっているのかな」

 クレイアは自虐的に呟く。ここ数日、何もしない空虚な日々が続いている。

 忙しい合間にも産みの親について調べていたが、十八年も経った今ではまともな情報はほとんどなかった。しかしあの男と接触され、そこから断片的に得た情報は予想を遙かに上回るものだった。あの男と再度接触して聞き出したいという考えもあった。

 だが、向けられたナイフに対して、体が竦んでしまったことは否定できない。二年前に自分の失態でモンスターに襲われてから、さらに丹念に鍛えていたつもりだったが、精神的に混乱している状態では思うように動けなかった。

「あたしはまだまだ弱い。強くならなくちゃ」

 そう自分自身に対して言い聞かせるが、体は思うようには動かない。

 ぼんやりとクレイアは天井を見上げた。

 こうして何もせずに一人でいるのは、いつ以来だろうか。暇さえあれば、お菓子について勉強をし、作っていた。時にはエレリアの相手をしつつ、楽しい日々を過ごしていた。

 街に出れば様々な人々と交流をし、多くの刺激を受けていた。毎日が充実していて、この生活が一生続いていいかもしれないと思ったものだ。

 けれど出生に纏わる事実をおおよそ知ってしまった今、少しずつ日常が壊れていくような感覚に陥る。

 同時に数日も菓子作りをしていなことに対して、恐怖を感じるようになった。

 もし店に戻ったとき、菓子が作れなかったら、あの場所にはいることができないかもしれない――という恐怖を。

 そう考えると重い体を無理矢理持ち上げて、足を床に付けようとしていた。

 そのとき突然病室のドアが開いた。そこから金の毛並みの大きな犬がクレイアに向かって飛び込んできたのだ。

「リューン!?」

 柔らかで、ふかふかの毛を持つ犬、非常に懐きやすく、クレイアも会えばいつも撫でていた。リューンはクレイアに寄り添ってくる。くすりと笑いつつ、その頭を優しく撫でた。

「どうしたの? セヴィやレオンさんは?」

 つい尋ねてしまうが相手は犬だ。撫でられたことだけに反応し、嬉しそうな鳴き声を漏らす。しかしその疑問もすぐに解消される。

「リューン、いた!」

 クレイアが顔を上げると、淡い金色の髪で色白の少年がリューンの近くにやってきた。綺麗な顔立ちや爽やかな笑顔を見ると、少年とはいえ惹かれるものがある。成長したら、さぞ素敵な青年になるのだろう。

 少年――セヴィーリオはリューンを見た後に、すぐ傍にクレイアがいるのに気づくと、首を傾げていた。

「あれ、クレイアさん? どうしたの?」

「やあ、セヴィ。ちょっと風邪をひいてね」

「そうなの? 珍しいね。クレイアさんって、いつも元気に仕事をしているイメージがあったから」

「最近忙しかったから、その反動かな。そういうセヴィはどうしたの?」

 リューンの首元をわしゃわしゃと撫でているセヴィに話を振ると、彼は自分の頬をリューンの頬にすり寄せながら答えてくる。

「僕もちょっと風邪を引いたら、お父さんが医者に行けってうるさくて。まあその後はせっかく家を抜け出したことだし……」

「すぐに家に帰れと言ったはずだが?」

 セヴィがぎょっとした顔をする。おそるおそる部屋の入口に向くと、灰銀髪で、筋肉質の男性が両腕を組みながら立っていたのだ。右目は傷を負った影響で潰れており、さらには右の二の腕部分から先はなく、一見すれば強面の男性に見えるが、彼から発する雰囲気はとても穏やかなものだった。セヴィの父親レオンの突然の登場に、クレイアも思わず目を丸くする。

「レオンさん、こんにちは。セヴィのお迎えですか?」

「クレイアか。本当は来る予定はなかったが、イレーネ先生に聞きたいことがあってな。――まあ来てよかったよ、またよからぬことを息子は考えていたらしいから」

 レオンはセヴィの顔を見ると、深々と息を吐き出す。セヴィは口を尖らせながら、リューンの首周りに腕を回していた。

「すぐに帰るつもりだったのに、どうして来るのさ」

「だからたまたまだと言っただろう。ほら、クレイアの迷惑だろ、早く部屋を出なさい」

「はーい。――それじゃあ、またお店でね。今度は元気なクレイアさんに会いに行くね!」

 笑顔で手を振れられ、クレイアも思わず微笑みながら返す。そして一人の少年と一匹の犬は、あっと言う間にレオンの脇を通りすぎて、廊下に出た。

 レオンは肩をすくめながらドアを閉めようとしたが、半分閉じたところで、不思議そうな表情を向けてきた。

「家族が見舞いには来ていないのか?」

 ベッドの脇にある机に花も刺されていないのが気になったのだろう。クレイアは静かに笑みを浮かべた。

「お店も忙しいですし、風邪がうつってはいけないと思って、見舞いには来ないようにしてもらっています」

「そこまでする必要はあるのか?」

「自分で起こした不注意です。他人に余計な迷惑をかけたくありません」

「家族が――他人なのか?」

 レオンが怪訝な表情を浮かべている。勝手に出てしまった言葉に対して、クレイアははっとして口を手に抑えた。視線をそっと横に向けた。

「……自分以外の人は他人ということですよ。意味合い的にはあっていますよね?」

「そうだな。たとえ血は繋がっていても、認めなければ所詮他人事として流せるな」

「それはどういうことですか?」

 クレイアが何気なく尋ねると、レオンは光を浴びることができる左目を若干伏せた。外に声が漏れないように、ドアをゆっくりと閉じる。

「……かつてセヴィを施設に入れていた時期があった。当時は色々と忙しくて、子供を育てるのが面倒だったからだ。だがその後に偶然が重なって、セヴィを引き取り、同じ時を共有できている」

 レオンはどこか遠くを見ながら、ぼんやりと呟く。

「ある時、血の繋がりよりも大切なものがあると思った。それは時間の共有の仕方だ。薄いものであっても長ければたいした形にはならないが、濃いものであれば短くても充分形になる。――セヴィと一緒にいる時間は割合からみれば多い方ではないが、それでも濃い時間を過ごしたおかげで、それ以上のものを手に入ったと思っている」

 レオンはかつて何をしていたかは知らない。だがその過去にあった出来事以上に、今がとても充実しているということが、言葉の端々から感じることができた。同時に今が幸せだということも――。

 やがてクレイアを一瞥すると、レオンはドアノブに手をかけた。

「すまなかったな、休もうとしたときに話しかけてしまって」

「いえ……貴重なお話をありがとうございます」

「もし、セヴィがここにまた遊びに来ていたら、家にすぐにもどるよう言ってくれ。お大事に」

 しっかりとした足取りでレオンは部屋から出ていった。ドアが閉まると、再び部屋の中は静寂で包まれる。


「血の関係以上に大切なもの……」


 重い言葉がクレイアの心の中に降りつもっていく。



 今回お借りしました、初登場の登場人物の設定考案者やデザイン者は以下の通りです。


*ジャガジャット(設定考案、デザイン:ごんたろうさん)

*セヴィーリオ・ハルト、リューン(設定考案、デザイン:藍村霞輔さん)

*レオン・ハルト(設定考案、デザイン:藍村霞輔さん)


 皆さま、どうもありがとうございます!

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