灰色の記憶に色を(2)
『ねえ、お兄ちゃんはどうしてそんなに頑張るの? 昨日も夜遅くまで起きていたでしょう』
群青色の瞳の少女が首を傾げながら、真っ直ぐに見つめてくる。さらさらの空色の髪が肩から下に流れていた。
『ばれちゃったか。これはお父さんたちには内緒だよ。心配されたくないから』
『無理しちゃ駄目だよ、今日の演技、すごく鈍かった。寝ていないんだなって、わかったよ』
『よく人を見ているね……。役者の状態までわかる、実は監督とかの才能あるんじゃないのか?』
そう何気なく言ったが、少女は首を横に振った。
『言ったでしょう、あたしがなりたいのは脚本家だって。様々な地方の伝承を集めて、それが混ざった演劇の脚本を書きたいの!』
それを発言している少女の姿はいつも以上に輝いていた。秘めている夢に向かって、歩み始めた頃だった。
『監督と脚本家を兼任している人も結構いるよ。せっかくだから、両方に挑戦してみたら?』
『そうなの? 両方は大変だけど、できたらすごく楽しいよね、頑張ってみようかな。――ちなみに主役はお兄ちゃんって決めているんだ』
『それを演じる頃、結構な歳になっていそうな気がするけど……』
『失礼ね、そんなに時間はかからないって。待っていてね!』
『わかったよ』
少女の言葉に兄は笑顔で頷いた。その柔らかな微笑みは、舞台上ではかなりの効力を発している。駆け出しでありながら、ファンも少なくないらしい。
兄はその言葉を真摯に受け止め、さらに演技や声質を磨いていった。よりたくさんの観客を演技や声で魅了するために。
寝る時間も惜しんで練習をし、これが天職だと思いながら、必死に駆けあがろうとしていたが――
少女とその兄の夢が叶うことはなかった。
* * *
「ニーベル、大丈夫?」
「軟膏がよく効いているから、見た目よりも大丈夫だよ」
「ならいいけど……」
古びた小屋の中で空色の髪の青年はぐったりとした様子でスカーフを肩にかけ、壁にもたれ掛かっていた。雨はまだ止まないようで、屋根に雨が打ちつけている音が聞こえている。
その青年の隣にいる、桃色の髪の少女は泣きそうになるのを必死に堪えていた。それはそうだろう――青年の様子を見れば、誰もが息をのむ姿だったからだ。
肌が見える部分はほとんど火傷を負っている痛々しい姿――。顔はどうにか守りきったが、首から下は悲惨な状態である。首元には戒めのようにある五線譜に絡まった音符の刻印があった。
「どうしてあんな無茶したのよ。いくら気にかけていた人だからって!」
「火傷なんてまだいいじゃないか。彼女は酷く衰弱していた。出血もあったし――一刻も早く連れ出すしかなかった。だからあれしか方法はなかったんだ」
「優しすぎるの、ニーベルは!」
「道の先が見えない自分より、道の先が見える他人が頑張ってもらった方がいいだろう?」
弱々しくも微笑まれて、エッダは言い返すことができなかった。彼女は立ち上がり、外の様子を眺めている。
「……まだ止みそうにないわ」
「止まない雨はないっていうから、いつかは止むよ」
そう言いつつも、ニーベルは内心別のことを考えていた。
――止まない雨もある。心の中に降り注ぐ雨とか……。
「クレイアさん、大丈夫かな」
「人の心配よりも自分の心配をして」
ぼんやりと呟いた言葉に対して、エッダは容赦なく切り捨てた。
* * *
ヨハンから、ニーベルとクレイアの関係を引き替えに教えられたことは、非常に驚き、せっぱ詰まる内容であった。
クレイアの産みの母親をもてあそび、さらには彼女に致命傷を与えた男が、各地を転々としつつ、ティル・ナ・ノーグの街に訪れたというものだ。それだけなら別に構わないが、どうやらそいつは焦げ茶色の髪に青系の瞳を持つ女性を襲っている人物であり、おそらく最終的な目当てはその産みの母親の娘であるクレイアだろうと、ヨハンは推測していた。
もしその男がクレイアの顔を見たら、すぐに血の繋がりがわかるはずだろう。
なぜなら二十年近く前にニーベルが会った、当時二十歳前後のクレイアの産みの母親と今のクレイアが、非常によく似ていたからだ。
ニーベルは幼い頃にクレイアの産みの母親と王都サフィールで顔を合わせていた。彼女は舞台で踊り子として活躍しており、化粧映えのする綺麗で、魅力的な女性だった。しかし意外にも話してみると気さくであり、会った回数は少ないが可愛がってもらった記憶がある。
そんな女性の娘に驚異が迫っているかもしれない――そう思うと駆け行く速度は上昇していく。護身術は身につけているというが、大会終了後の彼女の顔を見たら、その効果を期待することはあまりできない。そのためニーベルはクレイアを保護するために街中を探していたのだ。
やがて街外れで腕から血を流しながら倒れているクレイアと、血に塗られたナイフを持った男がいるのを目撃。エッダの音波攻撃により、男を退かせることに成功した。さらに追おうと思ったが、それよりもクレイアが非常に弱っていたため、そちらを優先することにした。
雨が降り始めた中、ニーベルにとっては最悪な環境になりつつあったので、すぐに空き小屋に運び込んだが、怪我以上にクレイアの身には厄介なことが起こっていたのだ。
うなされるくらいの高熱――暖かくしようと思っても、服は雨を吸い込むほど全身が濡れてしまっている。このままにしておけば、肺炎となり、命の危険もありうる。一刻も早くグラッツィア施療院に行って、適切な処置をしてもらわなければ。
ニーベルは躊躇いもなく、自分の緑色のローブを脱ぎ、クレイアを優しく包んだ。そのため必然的にニーベルの上半身の肌の一部は露わになり、薄いインナーと二の腕まで覆う薄手の手袋以外、特に肩の部分に関しては肌が完全に露出していた。首元から胸まで巻いているスカーフにも手を付けようとしたが、それはエッダが止めに入る。
「駄目よ、ニーベル!」
「エッダ……」
「これから雨の中を歩くつもりなんでしょう。それならそのスカーフで頭や顔を覆った方がいいわ。いくらなんでも顔に火傷の痕が残ったら、素敵な顔が台無しよ!」
的確な意見を言われて急に我に戻る。たしかに彼女の言うとおり、雨が降っている中での移動はニーベルにとってはリスクが高すぎる。それを少しでも回避するために肌を見せない服を着ているのに、いったい自分は何をしているのだろうか。
スカーフをぎゅっと握りしめ、それを首から外して、頭から被り、頭部の肌が露わにならないように考慮した。エッダは何か言いたそうだったが、すべて飲み込んでいる。
そしてニーベルは持っていた布で出血の酷い部分を止血し、クレイアをローブの上から抱き上げた。身長が低いせいもあるが思ったよりも軽い。いつも強気な発言をしていた彼女は、こうして見れば何かに怯えているか弱き少女でもあった。
エッダがちらりと外を見た。雨は止む気配はない。
「……行くのね、ニーベル」
「行くよ。案内を頼む。僕はたぶん彼女を抱えて走ることで精一杯のはずだから」
「……わかった。無理だったらやめてね。……火傷、辛いだろうから」
エッダと契約するための条件の一つである『雨に濡れると火傷する』は、契約した直後に雨が降っていたため体験したことがあるが、非常に辛かった覚えがある。それを思い出すと決心が鈍りそうだったが、視線の下にある少女の苦しそうな姿を見ると、そんなことは忘れてしまう。
「……行こう」
「行くわよ」
ニーベルとエッダは視線を合わせ、頷きあうと、一目散に小屋から飛び出した。
雨がニーベルの肩に降り注ぐと同時に、痛みが全身に走る。それに対して歯を食いしばりながら耐えつつ施療院へと直行した。
雨の影響か、通り道には人の気配はなかった。そのためニーベルは皮膚が焼けている姿をほとんど人に見られずに進むことができたのだ。
やがて息も絶え絶えとした状態でようやくグラッツィア施療院に辿り着いた。気を抜けば倒れそうだったが、どうにか踏ん張って玄関へと近づいていく。そんな様子を見ながら、エッダはおろおろしながらニーベルの傍に立っていた。
軒下になっている裏口の玄関にクレイアを横にして置き、持てる力を使って扉を何度か叩いた。だが反応はない。施療院に人はいないのだろうか、それともただ単に気づいていないだけだろうか。
「早く、早くしないと……」
ちらりとクレイアの顔を見ると、より青みが増している気がする。もう一度拳を振りあげようとすると、エッダが別の方向を見ながら止めに入った。
「待って、ニーベル。精霊が……」
呟いた先にニーベルも視線を向けると、ぼんやりとだがその姿を確認することができた。ふわふわと広がる柔らかい金髪ので、青色の瞳を持つ女性が微笑みながら立っていたのだ。ほんわかとした雰囲気と、彼女の微笑みにニーベルは思わず見入ってしまう。
「施療院にご用ですか?」
「あなた、ここに知っている人がいるの?」
エッダが訝しげに見るが、彼女は嫌な顔もせず、にこにこしながら首を縦に振った。
「ここで働いているリオさんが、私の契約者なんです。お呼びしましょうか?」
「……お願いするわ。急いでくれると嬉しい」
「わかりました」
そう言うと、精霊の女性は表口の方へと移動していった。エッダはむすっとした表情でニーベルの前に仁王立ちする。
「どうしたの?」
「ニーベル、一瞬見とれていたでしょう」
「いや、別に……」
「悪かったわね、子供で!」
勝手に当たられ、拒絶を意味するかのように背中を向けられてしまう。どうやら拗ねてしまったようだ。ニーベルよりも長い時を過ごしているはずだが、たまにこういう子供っぽい仕草を見ると可愛く思ってしまう。そんな桃色の髪の少女に手を伸ばそうとすると、突然扉が開いた。赤色の短髪で華奢な体つきの青年が目を丸くしてでてくる。
「本当だ、スノウ。これは急患だね。ありがとう、教えてくれて」
「いえいえ。こちらの女性、かなり弱っていますよ」
スノウがクレイアの顔を見ると、リオは眉をしかめた。
「斬られたのかな、出血もしている。これは早く縫合する必要があるよ。スノウ、あとで力を貸してくれ」
「わかりました、リオさん」
リオはクレイアをローブごと抱えあげる。そしてニーベルを一瞥した。
「あなたも治療するよね。その火傷、酷すぎて見ていられないよ」
「……できれば薬だけもらって、ここから去りたい」
「駄目だよ。イレーネ先生がその状態を見たら、何もしないで見過ごしてくれると思う?」
男勝りであり、荒くれ者たちに啖呵を切ることもある女医を思い浮かべると、肩をすくめた。
「無理だね。……火傷や精霊の存在、あとは僕がここにクレイアさんを連れてきたことを、口外しないと約束してくれるならお願いしたい」
ニーベルはエッダと視線を合わせると、そこから何となく意図を読みとったリオはにこりと笑った。
「わかったよ。人には知られたくないことがあって当然だからね。追求なんてしないから、早く施療院に入って」
そしてリオに促されながら、ニーベルとエッダも中へと踏み入れた。
その後、契約の関係で雨に濡れたために火傷をしたと言ったら、イレーネにこっぴどく怒られたのは言うまでもない。
* * *
「あのまま施療院にいれば良かったのに、どうして外にでたの?」
「雨が止みそうだったから。……まあ小降りになっただけだけどね」
「クレイアさんと顔を合わせたくないの?」
エッダの問いかけにニーベルは口を閉じた。
直感的に今の彼女には会ってはいけない気がしたのだ。壊れそうになっている彼女を助けるのは、自分ではない。これ以上近づけば深く関わりすぎてしまう。人と距離を置きたいニーベルとしては本意ではない。
「……クレイアさんの産みの親を多少なりとも知っているからさ、もし会って、話とかしたら、言っちゃいそうで」
「別に言っていいじゃない」
「言ったら彼女はどうなる? 今の彼女に受け止めきれるかどうかはわからない。もう少し元気になってからの方がいい」
そうは言ったが、彼女から聞いてくるまでは言わないつもりである。言ってしまえば彼女が今後もニーベルに頼ってしまう可能性があるからだ。
エッダは口を閉じ、それ以上発言しないニーベルに対して、不満そうな顔をして首を傾げる。やがて彼女が意を決して言おうとしたが、突然軋んだ音とともにドアが開かれたため、二人の注意はそちらに向けられた。
「あれ、こんなところに人がいる。その姿は、たしかニーベル?」
藍色の髪で、水色の大きな袋を背負った青年がひょっこりと顔を覗かせたのだ。その姿を見てニーベルは眉間にしわを寄せて、目を細くした。
「ええっと、前に会ったような気がするのですが……名前が……」
「辛うじて覚えていてくれたんだ、ありがとう。そうかニーベルは魔法使いだもんね。オレはリザだよ。リザ・ルシオーラ。前に海竜亭で食事したことがあるかな」
「そうでしたか、思い出せなくてすみません」
「いいって、みんな忘れるのが普通だから。それにしてもニーベルはどうしたの?」
湿っているローブを床に広げているのを不思議そうにリザは眺めていた。
「雨宿り……かな」
「そうなんだ。けどこのままだとローブ、乾かないよ? ……そうだ、この近くに雨宿りができる、もっと暖かい場所があるんだ、そこに行かない?」
「近くに?」
「そうそう、雨が止むまで」
リザの誘いにつられて、ニーベルは思わず返事をした。
すると肩から背負っている袋から布を取り出し、ニーベルに手渡したのだ。それを被りながら行こうというものだろう。
多少は回復した体を持ち上げて、ニーベルはリザの後についていった。
今回お借りしました、初登場の登場人物の設定考案者やデザイン者、また参考にした作品は以下の通りです。
*スノウ(設定考案、デザイン:ジョアンヌさん)
*リオ・シャルデニー(設定考案:香栄きーあさん、デザイン:ジョアンヌさん)
*リザ・ルシオーラ(設定考案:香澄かざなさん、デザイン:タチバナナツメさん)
⇒『今宵、白雪の片隅で』http://ncode.syosetu.com/n1480bf/ 著:香澄かざなさん
皆さま、どうもありがとうございます!




