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光彩林檎の創生歌  作者: 桐谷瑞香
第3話 灰色の記憶に色を
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灰色の記憶に色を(1)

 雨が静かに絶え間なく降る中、一人の女性がおぼつかない足取りで、布で包まれた何かを抱えながら歩いていた。フードを深く被っているため表情はよく見えないが、辛うじて見える口元の部分は酷く青白い。

 よく見れば黒いロングコートは濁った赤色で染められている部分があり、その隙間からは赤い液体が滴っている。明らかに何かがあったとしか考えられない状態だ。

 ふと女性は顔を見上げると、こじんまりとした一件の店に目がいった。まだ開店したばかりなのか外見はとても綺麗であり、また女性も働いているのか窓越しに中を見ると、可愛らしい置物が置かれている。

 女性は息も絶え絶えとなりながら、その店の前に着くと、抱えていたものをそっと軒差しに置いた。布に包まれていたのは可愛らしい赤ん坊であった。ぐっすりと寝ているのか目覚める様子はない。そして女性は雨に濡れてしまった本と、一本の短剣、そして本に挟んであった手紙を赤ん坊の傍に置いたのだ。

「……元気に生き続けて。私やあの人の代わりに。ここならきっとあなたを幸せな人生を導いてくれるから」

 独り言のように呟いた言葉は、雨によってすぐにかき消されてしまう。赤ん坊の上にそっと汚れていない布をかけてやると、女性はゆっくりと立ち上がり背を向けた。

 再び雨の中に出ると、最後に赤ん坊の顔をちらりと見て、微笑んだ。

 

「さようなら、クレイア」



 * * *



 遠い所から意識が戻ってくる。

 懐かしくも寂しい光景を映した夢から目覚め、クレイアはゆっくりと目を開けた。

 まず目に入ってきたのは、明かりを抑えているため正確な様子まで判断することはできないが、おそらく天井、しかも綺麗に掃除をされた――。

「ここは――」

 何気なく呟くと、見慣れた黒髪の少女が目に入ってきた。

「クレイア! 私のことがわかる!?」

「イオリ……? ここは……?」

「ここはグラッツィア施療院。怪我と高熱が酷くて運び込まれたんだよ。放って置いたら危険だったかもしれないけど……もう大丈夫。ああ、良かった……無事に目が覚めて」

 強ばった表情から緩ませたイオリが、クレイアを覗き込んでいた。

「怪我と高熱……」

 その言葉を口にすると、急に左肩から腕にかけて痛みが走り渡った。経験したことのない痛みに、思わず顔をしかめる。

「無理しないで、痛いなら、痛いって言って! あんな処置をした後だもの、痛まない方がおかしい」

「あんな処置?」

「あんな処置って、あれが一番適切な処置だが?」

 気がつけば、部屋の入り口にこの施療院の院長であるイレーネの姿があった。

 腰まで届く赤い髪をゆるく三つ編みしたものを揺らしながらイレーネは颯爽とクレイアに近づき、額に手を当て、数秒してから離す。

「まだ熱は下がりきっていないな。怪我のことも含めて、しばらくは安静にする必要があるだろう」

「あたし、熱出したんですか?」

 幼い頃に熱を出した経験は何度かあるが、ここ数年はそんな記憶などなかった。ましてや意識を倒れるほどの高熱など出したことはない。イレーネは腰に手を当てつつ、眼鏡越しからクレイアに視線をやった。

「疲労が溜まっていた、緊張感が突如無くなり気持ちが緩んだ、あとは雨によって体力を奪われたというのが原因だろう。別に流行り病とかじゃないから、数日安静にすれば熱は下がるから安心しろ」

 その言葉を聞いて、少しだけほっとした。だが左肩から広がる痛みはいったいどうなのか。クレイアがそこに視線をやると、意図を把握したイレーネはさらに言葉を続けた。

「怪我の方は傷が深いところもあるから、完治するまでには時間がかかるな」

「具体的には……」

「腕の切り傷は空気に触れている面も広いし、リオの精霊のスノウの力を使って、丁寧に縫合したから、こっちはすぐに傷は塞がるはずだ」

 この場にはいないが、リオはスノウと呼ばれる精霊と契約しており、感覚凍結という魔法を使っている。それは一種の麻酔として利用ができ、今回の縫合もその力を利用して行ったのだろう。

「こっちはって、他は――」

 イレーネは渋い顔でクレイアに語りかけてくる。

「……肩の部分は空気に触れている面も少ないし、貫通しかかっている……などを考慮すると、時間はかかる」

「左肩が……」

 つまり簡単に言ってしまえば、しばらくは思うように左側が使えないということだ。右手は傷つけられていないようで綺麗だが、左肩が使えなければ満足に生地はこねられない。

 あまりよくない状況にショックを受けつつも、少しずつ状況が見えてきた。一方で、どうしても一点だけ気になる部分があった。イオリにぼんやりと視線をやる。

「誰に運び込まれたの。あたし、だって……」

 記憶の端から出てくるのは、産みの母親を襲ったという男。あいつは最終的には母親だけでなく、クレイアまでも手をかけようとしていたと思われる。それを考えると、身の毛が逆立つ思いだったが、あの状態からどうやって助けられたかまったく覚えていない。

「ええっと、急患って言って突然来て、イレーネ先生にクレイアを押しつけて、早々に帰ったから……相手の顔はよくわからなかった」

 イオリは視線を宙に向けながら、歯切れ悪く答える。明らかに――おかしい。ここはじらすよりも、直球で聞いた方が早いだろう。

「……口止めでもされているの?」

「ま、まさか!」

「言い方がおかしい」

「気のせいだって!」

「ねえ、いったい誰なの?」

 クレイアは思わず体を起こそうとすると、左側に痛みが走り、さらに目眩がして、よろけそうになる。それを傍にいたイレーネが支え、再び横に寝かしつけた。

「熱が下がるまでは寝ていろ。急に動くなんて、馬鹿がすることだろう」

「……どれくらいで熱は下がるんですか? 両親やお店に迷惑が――」

「丸一日寝ていて、多少はマシになっている。四、五日以内には家には戻れるだろう」

 聞き捨てならない言葉にまたしても起きあがろうとするが、それをイレーネが目で制した。

「アリーさんやルクセンさんから聞いたぞ。徹夜が続いてたり、しばらくまともに寝ていないって。それに大会中も随分と体調が良くなかったみたいじゃないか。完治するまでは、店は休めとお達しがきた」

「でも、あたしは――!」

「店長から直々に言われたんだ。それは強制だよ、従業員にとって」

 クレイアが反論する前に、イレーネはぴしゃりと言い放った。出てこようとした言葉が、クレイアの口の中に戻っていく。

 イレーネはちらっと入り口に目を向けると、菫色の髪を高い位置から結んでいる少女に声をかけた。

「ちょうどいいところに来た。ティーア、アフェールに行って、イーズナルさんにクレイアが目覚めたと伝えに行ってくれ」

「わかりました!」

 元気良くティーアは挨拶をすると、颯爽とその場からいなくなってしまった。施療院に時折訪れる街のメッセンジャーのティーアは、こういう伝言を嫌がらずにしてくれる。施療院に常にいなければならないイレーネにとっては有り難い存在だろう。

 イレーネは再びクレイアを眺める。

「アリーさんとルクセンさん、ここに運び込まれたと聞いたとき、飛んでくるように来たぞ。あの様子ではクレイアが目覚めるまで、ずっとここにいそうだったが、お前の菓子作りや店への想いを考えると、ここにいていいのか、と言ったら、渋々帰っていった。――だから、心配されていないとかそういうわけではないからな」

 優しく微笑みながら、イレーネは布団を直す。そして軽くクレイアの頭を撫でた。

「少しくらい緊張を解いたらどうだ? ここなら安全だ。誰にも襲われることはない、雨に打たれることもない。――ゆっくりと休め」

 頭を撫でられるなど、いったいいつ以来だろうか。少なくとも妹のエレリアが生まれてからは母親であるアリーにしてもらった記憶はない。まだ体力も戻っていないのに話をしていたため、疲れが再び現れたのか、徐々に眠気がやってくる。

 やがてイレーネは名残惜しそうにしているイオリを連れて、部屋から出ていった。

 少しだけ目を閉じると体は正直なもので、あっという間に意識は微睡みの中へと消えていく。だがそれはクレイアの精神を少しでも休ませようという、体からの気遣いでもあった。



 一眠りして起きると、ちょうどルクセン、アリー、そしてエレリアが部屋に入ってくるところであった。多少気分が良くなったので、クレイアは顔を少しだけ上げると、今にも泣き出しそうなアリーが駆け寄り、優しく抱き上げてきたのだ。

「ああ、目が覚めて良かった。びっくりしたんだからね、本当に……」

 アリーの肩が密かに震えているのに気づく。その様子を見ると、クレイアは何とも言えぬ罪悪感に襲われた。エレリアも傍に寄ってきて、必死に語りかけてくる。

「お姉ちゃん、もう大丈夫なの?」

「少し風邪をひいたみたいだから、離れていて。うつしたら困るでしょ?」

「でもお母さんは……」

 抱きついたまま離さないアリーを、ルクセンがそっと外してやった。泣きそうなのを堪えて、必死に笑顔でクレイアに接しようとしてくる。

「心配したのよ。すぐに店に戻ってこないから、どうしたのかしらって思っていたら、施療院に運び込まれたって聞いて……。熱だけでなくて、男に襲われたなんて……」

「大丈夫だよ、左肩とか腕とかを刺されただけだから。手はどうにか守ったし」

「何言っているの! 女の子がそんな台詞吐いて。傷ついていない体が一番でしょう!」

 またしても泣きそうになったアリーを優しくルクセンは肩を叩き、話し相手を交換させた。空色の瞳がクレイアをじっと見つめてくる。

「その傷、おそらく体調が良くなったら騎士団から事情聴取をされるだろうが……、巷の噂で出回っている連続婦女暴行事件の犯人だと思う。怪我だけで良かった、と言うべきなのだろうか。――本当に生きていて良かった」

 そしてルクセンは軽くクレイアの頭を叩いた。小さい頃によくそういう風にしてもらった記憶があり、一瞬だけ昔に戻ったような気がする。

 そういえば今の状況――二年前と酷似していた。ルクセンとアリーの子供ではないと知り、思わず飛び出し、町外れでモンスターと遭遇、怪我を負わされたところに誰かが助けてくれて、今と同じように施療院で治療を受けている最中に三人が訪れた。

 もう二度と心配をさせないよう誓ったはずだが、二年経っても変わらないことに、苦笑してしまう。そして結局成長していないのだなと痛感する。同時にあることが疑問に浮かんだ。


――そういえば、前回も今回もあたしを助けてくれた人たちは誰だったんだろう?


 両方とも気を失っていた。そのままの状態であれば、おそらく殺されていただろう。今回のことはイオリを追求すれば吐きそうな気がするが、さすがに二年前の事件に関しては調べるのは難しいかもしれない。

「店のことは大丈夫だから、今はゆっくりと休みなさい」

「大丈夫なの、お店。ただでさえ人が少ないのに」

「意外とどうにかなるものさ。いざとなったら、人を短期で雇って売買はその人にやらせる。怪我が完治してからでいいから、店に戻りなさい」

「完治してから……」

 熱だけなら数日のうちに下がるが、怪我に関しては、イレーネは何も言っていなかった。左腕に力を込めると、縫合した部分に若干の痛みが走る。それがますますクレイアをどん底に突き落とした。


 この状態ではかなりの期間、思うように菓子作りはできない――。

 しかし一方で、人を雇えばどうにかなると言っていた、それはつまり――


――あたしがいなくても、“アフェール”はやっていける?


 そんな考えに陥っているとはまったく気づかず、ルクセンたちはイレーネに促されて、早々に部屋から出ることになった。

 帰り際にエレリアが笑顔で手を振ってくれ、それをクレイアも今できる精一杯の笑顔で返してやる。

 やがて扉が閉まると、クレイアは布団の中に潜り込んだ。歯を堅く噛みしめながら――。


 今回お借りしました、初登場の登場人物の設定考案者やデザイン者は以下の通りです。


*イレーネ・グラッツィア(設定原案:タチバナナツメさん、設定考案:美羽さん、デザイン:汀雲さん)

*ティーア・ヘンティネン(設定考案、デザイン:相良マミさん)


 皆さま、どうもありがとうございます!

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