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光彩林檎の創生歌  作者: 桐谷瑞香
第2話 青空に潜む黒き影
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青空に潜む黒き影(4)

 客に囲まれながら作るというのは、思った以上に若手職人にはプレッシャーを与えるようだ。残念ながら審査員を選ぶための抽選に落ちたニーベルは、人だかりから少し離れたところで、少年少女たちの様子を眺めていた。

 “アフェール”のクレイアと“リバティオ”のマロールは、日々の接客で鍛えているからか、または時として公開で作っているからか、手際よく菓子作りを進めていた。しかし残り二人の少年と少女の動きは明らかにぎこちない。

「あれでは本来出せる力も出し切れない」

「本当ですよね、あれじゃ、うちが売ってあげた泡立て器も意味がないですぅ」

 ニーベルが呟く言葉に対してまさか返答があるとは思わなかったので、つい目を丸くしながら首を横に向けた。

 左目にモノクルを付けている、真っ赤な髪を簪でまとめている女性――シーラが肩をすくめながら立っていたのだ。童顔のためか割と年齢は下に見られるが、実はニーベルと同い年である。

「あの女の子が使っている泡立て器はうちが売ったんだ」

「シーラさんの店で? そうは見えないけど……」

「ああいう普通の商品ももちろん売るよ。これでもお値段は低めにして売ったんだ」

 シーラの雑貨店“BECK”を訪れたことがあるニーベルの感想としては、他の店でもあるような商品から、非常に珍しいものまで多種多様な雑貨が売られており、面白いものを欲しい時には顔を出したものだ。だがその店よりも、露店を開いている時の方が彼女を見かけることは多い。

「ふふふ、泡立てをする部分が、少し特殊な金属を用いている商品でね、誰でも上手く泡を立てることができるはず……と聞いたんだけど、どうやら嘘だったみたいだねぇ」

 はあっとシーラは溜息を吐いた。彼女は様々なところに買い出しに行っているらしいが、商品に対して言われた謳い文句をそのまま使うのは検討する必要があるかもしれない。今回のように、こういう現場を目撃してしまっては売った側としても気分は良くないものだろう。

 少女はシーラが売った泡だて器を使って、何度も何度もかき混ぜるが、時間に余裕がなくなると、ついには諦めて違う作業へと移っていった。

「ただの泡だて器だったのかなぁ。しょうがない、また良い品を買ってこよう。――ニーベル君、また店に来てね! それじゃ」

 シーラはニーベルに別れを告げると、人混みの中へと消えていった。

 彼女の小さな背中が見えなくなると、再び視線は大会会場に戻そうとする。だがその前に、誰かの叫び声が耳に飛び込んできた

「きゃーー! 誰かーー! 盗人よ、捕まえてーー!」

 声が聞こえた方から、女物の鞄を抱えた男が血相を変えて走ってきたのだ。ここら辺の人混みを抜ければそこは裏路地である。なんとしても今、捕まえなければ。

 しかしニーベルの手を煩わすことなく、すぐに男はお縄に付くことになる。

 すらりとした体格の、柔らかいピンク色の髪を一本に束ねた女性――アンブローシアが男の前に立ちはだかったのだ。

「待て! この美しいティル・ナ・ノーグの街に、不穏な空気を連れてくるふとどき者が!」

 彼女は両手を広げて、男の進行方向を妨げようとする。

「じゃ、邪魔だ! そこをどきやがれ!」

「ここで退いたら、天馬騎士団の名が廃れる。既に周りは固めてある。潔くお縄につけ!」

 そうアンブローシアは言ったが、はっきり言ってしまうと他の騎士団員の姿は見当たらなかった。どうやら彼女一人で突っ走ってきたらしい。

 だがそんなことは逃げている側からしてみれば、意外と気づかないものだ。男は前に立っている彼女の行動に注視しつつも、ただただ必死に逃げ道を探している。

 そして男が道に逸れる前に、アンブローシアは勢いよく駆け寄り、飛びかかったのだ。だがその先には大勢の人がいる。男はぎりぎりまで彼女を引きつけて、飛び掛られる瞬間に避けると、アンブローシアは人混みの中に顔面から倒れこんでしまったのだ。

「お、おのれ……、なかなかやるな、この盗人め!」

 悔しそうな顔をしつつも、彼女はすぐに立ち上がり、逃げていく男の背中を睨み付けた。男は盛大に笑いながら駆けていく。

「騎士団もたいしたことねえな! はっはっは!」

「――あいつはたしか今日は非番だ。今日の彼女の行動は、騎士団ではなく、一人の善人な女性として、評価してやってくれ」

 男が走っている方向の先に、突然ワイシャツを適当に着崩した煙草を吸っている男が現れたのだ。

「誰だ、お前!?」

「俺か? そうだな、これでも一応お役人」

「はあ? お前みたいなやつが役人だと? 邪魔だ、どけ!」

「はいはい、威勢がいいのは結構。だけど盗みなんかしてはいけないよ――子供(がき)が」

 飄々と発言する男に対して、いらっとした盗人は右手で作った拳を振りかざした。

 拳が煙草を吸っている男の顔へと一直線に入り込む――と思ったが、彼は拳を易々と左手で受け止める。簡単に止められ、盗人が驚いているところを、彼は右手で作った拳を鳩尾へと入れ込んだ。

「……っ痛!」

 うめき声を発しながら、盗人はしゃがみ込む。しかし目は死んでおらず、まだ抵抗しそうだったため、襟首を持って顔を無理矢理近づけさせた。

「まだ暴れる気か? いい加減にしろよ、大会の最中に。これ以上痛い目でもあいたいのか?」

 重い口調で言い、鋭い睨みを利かせると、盗人は震えながら首を横に振った。煙草を吸っていた男の表情は見えないが、よほど怖いものだったのかもしれない。襟首から手を放すと、飄々とした口調に戻る。

「これでも手加減したから。さて……騎士団に突き出すとするか」

 しばらくして、街を巡回していた騎士団たちに対して盗人を引き渡した。男は何事もなかったかのように煙草に火をつけると、アンブローシアが彼の元に歩いていった。そして俯きながらも、頭を垂れる。

「……感謝する、エドゥアルト・クレヴィング」

「別に感謝されることはしていない。治安が悪くなったら、俺の仕事も増えるからな」

「だが、あれは私が――!」

「お前、力みすぎると良いことはないって、誰かに言われなかったか?」

 エドゥアルトは煙草を口から離して息を吐く。煙が空の中へと消えていく。

「――じゃあ、俺は仕事に戻るわ。今日はゆっくりと菓子大会でも見物していたらいいだろう。ただ、こんな人混みだ。盗みとかもまだ起きるかもしれないから、気負わない程度に頑張れよ」

 ひらひらと手を振りながら、エドゥアルトはその場から去っていく。その後ろ姿をアンブローシアは眺めながら、歯を噛みしめながら、ぎゅっと手を握りしめていた。

 彼女なりに頑張っているのだろうが、どうやら空振りをしてしまう女性らしい。めげずに頑張ってほしいとニーベルは思いつつ、視線を彼女から離す。

 ふと路地裏の方から誰かが大通りを眺めていることに気づく。その人を一目見た感想としては、柄が悪い中年の男性。よく見ればフードの合間から見える頬にはくっきりとした傷がある。人を外見や雰囲気だけで判断してはいけないが、それでもその人から発せられる雰囲気は近寄りたいとは思えなかった。

 非番とは言っても、騎士団員であるアンブローシアに伝えた方がいいのではないだろうか――そう思い、彼女に近づこうとした途端、「おおっ」という、感嘆の声が一度に湧き上がる。

 ニーベルは菓子を作っている、少年少女たちに視線を戻した。そこには優勝候補の一人であるマロールが、綺麗に焼き終えた菓子をオーブンから取り出している時であった。



 さて、時は少しだけ戻り、クレイアも大会の参加者として黙々と菓子を作り続けていた。緊張はしているし、視線も気になる、そして不慣れな環境であったため、実はクレイアも思うように体が動かなかった。だがそれは誰しも言えることだ。このような状況で成果をあげてこそ、職人として大きな一歩を踏み出せるはずである。

 正規の審査員と観客から抽選で選ばれた審査員の人数分、計二十五個分の底の浅い小さな丸い型をテーブルに並べていた。そこに作っておいた生地を、慣れた手つきで流し込んでいく。

 時計をちらっと見た。この作業をするには、予定した時間よりも若干遅い。これからは丁寧に作りつつも、時間との勝負になりそうだ。

 他の参加者はいったいどの段階だろうか。しかしそれを悠長に見ている暇はない。

 クレイアは二十五個ある丸い型の上に、手早く細かく切った黄金林檎蜜入れつつ、その間に蜜も入れながら、形を作っていく。単調な作業でもあっても、決して気は抜かない。

 いつしか周りの喧噪はクレイアの耳の中には入ってこなくなっていた。これは目の前のことに没頭している証拠である。

 やがて満足のいく形を作り終えると、急いでオーブンの元へと駆け寄った。その時、ちょうどマロールがオーブンから焼き菓子を取り出すところだった。彼は口元をつり上げながら、まるで自慢をするかのように見せつけながら取り出したのだ。

 そこにあったのは――ホールで作られた美しい丸い形のパイ。しかもその作りはどこかで見たことがあるものだった。

「どう、クレイア。いい形だろう、このパイ」

「そうだね……」

 立ち尽くしているクレイアの横をマロールは通りながら、耳元で囁いてくる。

「――聞いてみるものだね、本場の林檎パイ作りの店長に」

「ま、まさか……」

 クレイアの脳内に、微笑みながらパイ生地を作っている父親を思い出す。

「僕の方がセンスいいから、教えてくれたんじゃないかな? ――やっぱりさ、いくら小さい頃からお菓子を作っていても、遺伝的な要因を考慮すると、無理があるんじゃない? 僕は菓子職人を父親に持つから、その点は大丈夫だけど」

 マロールはそれだけ言うと、鼻歌をしながら、クレイアの前から去っていった。呆然としていたが、急に喧噪が耳の中に飛び込んでくる。どうやら参加しているもう一人の少年の方も、これから焼きに入るところらしい。

 クレイアは慌てて自分が使うオーブンを確認して、形作ったものを持ってくる。そしてオーブンの中に入れていき、温度をきちんと確認せずに焼き始めた。

 既にマロールは仕上げに移っている。彼が作ったのはたくさんのブルーベリーを中に入れ込んでいる、ブルーベリーパイ。“リバティエ”の職人としては珍しく、見た目や切った中身も綺麗な品であった。それはクレイアが昔見ていた林檎パイとそっくりで――。

 どうしてルクセンはそんなことを彼に教えたのか。

 これでは圧倒的に不利ではないか――。

 クレイアの顔は強ばりつつあった。



「ねえ、ユータ、クレイアって、今日は調子悪いの?」

 気が付けばニーベルの近くに先ほど会ったユータスにメリーベルベル、そして黒髪の小柄な少女――イオリが眉をひそめながら、青色の瞳を通じて大会会場を眺めていた

「どうしてだ、イオリ?」

「だって顔色悪いじゃない。緊張しているのもあるけど、いつもより動きに切れがないというか……」

「あとは焼き終わるのを待つだけだろう。もう製造も終わりだ」

「そうだけど……なんか、嫌な予感する」

「どういうことですの、イオリさん! 嫌ですわ、わたくし、リバティオのあの人にクレイアさんが負けるなんて!」

 メリーベルベルが噛みつきそうな勢いで言うと、ユータスは目を丸くしていた。

「どうしたベルベル、そんなに怒るなんて」

「聞いてください、ユータスさま! あの顔を見て思い出しましたわ。以前、お菓子を買いに行ったら、『あれ、お母さんはいないの? 子供には売れないな』って言ったのですよ! 人を外見で判断するなんて、許しませんわ!」

「わかったから、ベルベル。とりあえずここでは騒ぐな」

 ユータスが宥めると、頬を膨らませながらメリーベルベルは黙り込んだ。

 凝視しなければわからないが、たしかにイオリの言うとおり、製造が始まる前と今では随分とクレイアの顔色が違う気がする。

 まるで衝撃の事実を知ってしまったかのような――。

「クレイア、お菓子は楽しく作らなくちゃ。そんな顔じゃ……」

 後ろでは両手を握りしめているコレットと、その脇には心配そうな表情のクラウスの姿が。

 頭上は青空から少しずつ黒い雲に覆われ始めている。これは雨が降る――早く軒下に逃げなければと思った矢先、クレイアの菓子は焼き終わったのか、オーブンが開かれた。

 中からは――香ばしくも、若干鼻に不快な臭いが漂ってくる。菓子を見たクレイアの顔が、誰が見ても明らかに青ざめていた。しかし彼女は意を決して、どうにかオーブンの外へと出す。

 お菓子はたしかに焼かれていた。

 しかし――そこには焼きすぎた小さな林檎パイがあったのだ。

 コレットは震えている手を口に添える。

「時間を間違えた? ――違うわ、前の彼が使った後だったから、その余熱が……。けどクレイアならそれも含めて時間を調整するはずなのに、どうして――?」

 このような大会では味ももちろんだが、見た目も重視される。

 クレイアは唇を噛みしめながら、焦げてしまった部分を切り取り、仕上げによって誤魔化していく。だが既に焦げているのを見ていた審査員や観客の反応はどうだろうか――。

 それでもなんとか気力を振り絞って、クレイアは目の前にあるお菓子を仕上げていく。林檎をパイの上に乗せるだけでなく、甘い蜜もかけたりと、最後まで丁寧に作業をしていったのだ。その様子をニーベルたちは沈痛な面持ちのまま見守っていた。

 やがて大きな呼び鈴が聞こえると同時に製造の時間は終了した。あとは審査員たちによる試食と結果発表だけである。



 マロールは胸を張りながら、空を眺めている。

 一方でクレイアは目を伏せながら、地面を見つめていた。

 それを見れば結果は一目瞭然でもあった。


 今回お借りしました、初登場の登場人物の設定考案者やデザイン者、また参考にした関連作品は以下の通りです。


*シーラ・ベック(設定考案、デザイン:(仮)さん)

*アンブローシア・シュトラール(設定考案、デザイン:美羽さん)

*エドゥアルト・クレヴィング(設定考案:美羽さん、デザイン:タチバナナツメさん)

 ⇒『Edy's Duties』http://ncode.syosetu.com/n2326be/ 著:美羽さん

*イオリ・ミヤモト(設定考案:香澄かざなさん、デザイン:宗像竜子さん)

 ⇒『白花シラハナへの手紙』http://ncode.syosetu.com/n1149bf/ 著:香澄かざなさん


 皆さま、どうもありがとうございます!

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