荒野のウェスタン
かつてニュー・ドルゴゲートは活気に満ちた町だった。アメリカ西部へ向かう開拓団は決まってこの町で旅支度をし、町を発った。町は旅人を暖かく迎え入れ、笑顔で送り出すのを何年も繰り返した。
やがて月日が経ち、西部に出来た大きな町へと続く鉄道が開通した。しかし残念なことにニュー・ドルゴゲートには線路が通らなかった。人の出入りが少なくなったことで町は寂れた。時々やってくる人間は、迷い込んだ冒険者か近くの山に身を潜める野盗達ぐらいになってしまった。
青年、カール・クラッススがニュー・ドルゴゲートに辿り着いたのはまったくの偶然であった。馬を適当に走らせていたら、偶然この町に辿り着いたのだ。
町の入り口には町の名を記した看板が立っているが、古くなり過ぎた看板は看板としての機能を果たしていなかった。カールもその看板に気付かないまま町に入った。
昼間だというのに町の中に人は見当たらない。カールは騎乗したまま町を回ると、一軒の寂れた酒場を見つけた。店内を見ると何人もの男たちが酒を飲んでいた。町の名前さえ知らない彼はその店で情報を探すことにした。
カールは手綱を柵に引っ掛け、酒場へ足を踏み入れる。同時に、店内の男達がカールに目線を向けた。バーテンダーと老人だけはカールに注目しなかった。男達も、カールがカウンターに座ると自分達のグラスやカードゲームに意識を戻した。
カールはバーテンダーに言う。
「酒を一杯。一番安いので」
「……はい」
一杯の酒がグラスに注がれ、カールの前に差し出された。
無愛想な男だ。カールはそう思いながら酒を飲んだ。
すると一人の老人がカールの隣に座った。
「こんにちは若きジェントルマン」
老人は薄汚れたコートを着ており、お世辞にも身分のいい人間だとは思えなかったが、その佇まいは紳士的であった。
「こんにちは御老公」
カールは表情を変えないまま言った。
無愛想なカールに老人は気を悪くすることもせず、話しかけた。
「お若いの、見たところ随分と長旅をされてきたようだが?」
この言葉は当たっていた。カールは何日も野宿生活を送っていた。彼の服装は上はカウボーイハット、下はブーツまでくまなく汚れ切っている。腰にかけたホルスターさえも泥で汚れていた。
「そんなところです。ところで御老公、この町はなんて名前なんです? 町の入り口に看板はなかったが」
「ニュー・ドルゴゲートと言う名の町じゃ。今ではご覧の有様じゃが、昔は栄えに栄えとった」
老人がしんみりと言った。その悲しげな顔を見て、カールは気まずくなる。話を間違えただろうか。カールはそう思った。
「そうか。あと十年早く来るべきだったな。そうすれば賑やかな町を楽しめた」
言うとカールは笑った。心からの笑いではなく作り笑いなのは明らかだった。
「いやいや」
老人が首を振る。
「三十年、いや二十五年は早く来るべきじゃった。そうすればあんたにワシの見事な馬術と射撃を見せてやれた」
猛々しかった自分の過去を思い出し、老人は熱弁した。先ほどまでの老紳士振りは消えていた。老人は“カールの”酒を一気に飲み干し、話を続ける。
「今となっては足を悪くして仕事を引退したワシだが、現役の頃はここらで一番のカウボーイじゃった。射撃の腕も町一番! 保安官に野盗退治を依頼されたこともある! 婦人達からもよくモテた」
年を取った男ほど自分の武勇伝を語りたがるものだが、この老人はその典型的なタイプだった。老人はどんどん上機嫌になっていく。
正直なところ、カールはこの老人の過去話などに付き合っている暇はなかった。一刻も早く次の仕事を探さなくては旅は続けられない。牧場の夜警でも行商人の護衛でも何でもいい。カールには仕事が必要なのだ。
老人の語りをカールは遮る。
「すまないが御老公、ここらで何か仕事はないか? できればすぐに報酬を得られる仕事がいい。ああ、マスター、同じ酒をもう一杯」
「お若いの、それなら西の町に行くといい。駅もあって人も多い。そこになら仕事なんて山のようにあるわい。若い者は皆そこへ行くぞ」
話を切られたことは気にせず、老人は応えた。ほとんど同時に、カールの注文した酒がカウンターに置かれる。
「よかったらワシの駅馬車でそこまで送ろうか? 安くしておくぞ」
「いや、結構。ありがとう」
カールは老人の申し出をやんわりと断った。愛馬がいる彼には、馬車での移動は必要ないのだ。カールは酒を一気に飲み干した。二杯目の酒は老人に取られたくなかった。
「あんたはいい人じゃな」
老人の言葉にカールは「なぜ?」と返す。
「さっきワシがあんたの酒を勝手に飲んだとき、あんたは嫌な顔ひとつしなかった。心が荒んでいる人間なら、その拳銃でワシを撃ち殺しただろうよ」
老人はけらけら笑った。彼は純粋な目をしていた。その分、悪気もなかったのでカールにとっては余計にたちが悪い。
「酒のお礼に駅馬車の運賃はタダにしよう。どうじゃ? 乗って行かんか?」
「ほんとにいいさ。俺には馬があるからな。言わなかったかな?」
「聞いとらんのう」
老人は応える。
「例え聞いてたとしても最近は忘れっぽいから駄目じゃわい」
そろそろ行こう。カールはそう思い立った。こんな寂れた町では仕事も見つからないだろう。それなら、日が暮れる前に老人が言っていた西の町へ行くのが得策だろうと、彼は考えた。
彼は席を立ち、バーテンダーにグラス二杯分の代金を渡す。その金をバーテンダーは無愛想に受け取ってこう言った。
「またどうぞ」
カールは言う。
「そりゃどうも」
周りから見れば二人とも十分に無愛想だった。
「それでは御老公、俺はここらで失礼するよ」
カールが帽子の鍔を軽くつまんで言った。彼なりに、目上の人間に敬意を表したのだ。
「なんじゃもう行くのか。しつこいようだが、本当に足は必要ないのか?」
老人は笑って言った。カールは苦笑いしながら応える。
「御老公。これで三度目の正直だ。駅馬車は遠慮しておくよ。客引きは他を当たってくれ」
そう言うとカールは酒場の出口へと向かって足を進めた。
他の客が賭けポーカーで遊んでいるのを見てカールは心が揺らいだが、彼は何とか思いとどまった。そんな時間も無ければ金も無いのだ。
カールが酒場を出る直前、後ろの方から老人が大声で叫んだ。
「お若いの、美味い酒だったよ。ありがとうな! じゃが、今度会った時は駅馬車の運賃は定額じゃぞ」
カールは振り向かず、右手を上げて返した。そうして彼は酒場を出た。
彼はひとまず、この町で雑貨屋を探すことにした。旅に最低限の物を整えておきたかったのだ。
カールが馬の手綱を柵から外そうと店を出た時に、彼はある異変に気が付いた。引っ掛けたはずの手綱が、そこに無いのだ。慌てて彼が辺りを見回すと、五十メートルほどのところで見知らぬ男が“カールの”馬に乗って駆けているのが目に入った。
「なっ! このコソ泥め!」
カールが怒りで銃を抜いたときにはもう遅かった。馬泥棒は銃が届かないとこまで逃げてしまっていた。
彼は外面的には冷静に、銃をしまった。だが、内心では腸が煮えくり返る思いだった。同時に、自分の間抜けさに彼は落胆した。
何人かの住民がカールの声を聞いて、二階の窓から顔を出した。彼らは皆、またマヌケが馬を盗まれたか、と言った顔だった。この町では見慣れた風景らしい。
住民達の視線から逃げるように、カールは再び酒場へと入った。
今度は店内の男達もカールへ視線は向けなかった。カウンターにはさっきと変わらず、老人が静かに座っていた。カールは老人の隣へ座る。そのまま彼は口を開いた。
「なあマスター」
「なんでしょう」
バーテンダーが応えた。視線は彼が磨いているグラスに向けられたままだ。
「この町に腕の良い馬車の乗り手はいないかい? お気に入りの足が無くなっちまってね」
老人の誘いを三度も断ったカールには、今更老人に「やっぱり乗せてくれ」と頼むのはどこか恥ずかしかった。プライドがどうこうと言うより、見栄を張りたかっただけである。
「いるにはいるんですが」バーテンダーが視線を変える。
「今日はもう営業終了のようです」
そう言われてカールは老人に視線を移した。
老人はきれいに船を漕いでいた。そして彼は、そのままカウンターに突っ伏してしまった。
大きないびきが店内に響き渡る。
「どうされます?」
「とりあえず酒を一杯くれ」
まだまだ時間はある。カールは前向きに考えた。