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私はまた間違えたの?

作者: 弍口 いく
掲載日:2026/07/11

 数多くの作品から目に留めていただき、ありがとうございます。

「カタリナ・ハーベリン! お前との婚約を破棄する!」

 王立学園のダンスパーティーで、私は婚約者のフォルセティ王国王太子レオナード殿下に婚約破棄を言い渡された。レオナードの横にはカルミア伯爵令嬢のエレーヌがわざとらしく不安げな顔で立っている。


 音楽はストップし、ダンスを楽しんでいた生徒たちは壁際に寄った。中央にはレオナードとエレーヌ、そして私が取り残された。まるで私たちのために用意された舞台のようだ。生徒たちは固唾を吞みながら成り行きを見守った。


「理由をお聞かせ願えますか?」

 私はあえてエレーヌの存在を無視し、憤りを押さえながら冷静に尋ねた。


 ああ、間に合わなかったのね、婚約破棄を言い渡されるのは半年後の卒業パーティーがセオリーだと思っていたから、まだ時間があると油断していたわ。


 私はハーベリン公爵家の長女カタリナ、十八歳。ハニーブロンドに翡翠の瞳、きつめの顔立ちだがけっこうな美女だと自負している。容姿だけでなく公爵令嬢らしい品格を備えた淑女の鑑、王立学園では常にトップの成績を保持できるように努力を重ねてきた。


「婚約が調って六年余り、王太子妃教育に励み、学園でも王太子殿下に相応しくあろうと心掛けて優秀な成績を修めて参りました。なによりレオナード様をお慕いして寄り添ってきたつもりです。私の想いは伝わっていると思っていたのですが、そうではなかったのですか?」


「重いんだよ」

 レオナードは大きな溜息を吐いた。

「お前の気持ちは私にとって重荷でしかない。いつも俺を愛しているとうんざりするくらい言って、事あるごとに俺の為だと指図して鬱陶しいんだよ」

「私は本当にあなたの為を思って」

「違う! エレーヌこそが真に俺の為を思ってくれているんだ、俺は彼女の中に真実の愛を見つけたんだ」


 レオナードはこれ見よがしにエレーヌの腰を抱き寄せた。フワフワしたミルクティー色の髪にペリドットの瞳の小柄で年齢より幼く見える可憐な少女。

「エレーヌを愛してしまったんだ。彼女はお前と違い、いつも優しい言葉をかけてくれて安らぎを与えてくれる」


「優しい言葉を並べれば満足だったのですか? 将来この国を背負っていかれる方が、甘言に惑わされるとは」

「そう言うところだよ、お前の言葉はいつも正論だ、しかし疲れるんだ、お前といると息が詰まる、心休まる時がない」


「そうでしたか、やはり私が至らなかったのですね。でも、殺したいほど嫌われているとは思いませんでした」

「なに?」

 レオナードは困惑した表情を見せる。まさか、知らなかったと言うの?


「私は王太子妃教育を修了して既に王妃教育に移行しています。婚姻がなくなり王家に入らないとなると、毒杯を賜ることになるでしょう」

「そんなこと……」


 なにを蒼ざめているの? 王家の秘密を知る私を野放しに出来ないことくらい、王太子教育を受けているあなたなら想像はつくでしょ。


 胸が痛い、いいえ胸じゃないわ、みぞおちのあたりに刺すような痛みを感じた。……そうだったわ、実際に刺されたんだ。私はまたあなたの為に死ぬのね、あの時と同じ十八歳で。


 三百年前、前世の私は王太子殿下を庇って刺され、命を落とした。


 そんな前世の記憶が甦ったのは、初顔合わせでレオナードに挨拶した時だった。私とレオナードの婚約が正式に結ばれたのは十二歳の時、それは建国当初から続く由緒正しき我がハーベリン公爵家との関係を強固にしたい王家の意向だった。


 レオナードは赤い髪に金色の瞳の美少年、その髪と瞳の色はフォルセティ王家の血筋を示している。前世の私が愛した王太子殿下も同じ、赤い髪に金色の瞳の人だった。


 その時に突然、思い出したのには意味があるはず、きっとレオナードはあの方の生まれ変わりなのだ。



   *   *   *



 前世の私は今世と同じハーベリン公爵令嬢のヘスティナだった。ただし時の王太子ジョージ殿下の婚約者ではなかった。婚約者候補だったが辞退に追い込まれて、ハーベリン公爵家とは反対派閥の公爵令嬢マーガレットが選ばれた。


 しかし候補だった三年間の交流で彼に心を奪われていた私は、結ばれないとわかってからもその想いは消せなかった。彼を愛していた。でも候補時代にその想いを告げることが出来なかった。内気なくせにプライドだけは高くて、素直になれなかったことを後悔した。せめて気持ちだけは伝えればよかったと……。


 ジョージ殿下とマガ―レットの婚約披露パーティー、出席したくなかったが公爵令嬢としてはそういう訳にはいかず、針の筵に座る思いで会場入りしていた。


 二人のダンスは息がピッタリ合っていて悔しいけどお似合いだった。私は申し込まれた他の令息と踊っていたが、視線はジョージ殿下に釘付けだった。だから誰よりも早く気付けたのだ。


 ジョージ殿下に向けられた刃に……。


 考えるより先に体が動いていた。殿下が危ない! 護らなければ! それしか考えられなかった。

 みぞおちに激痛、短剣が深く食い込んだのがわかった。


「ヘスティナ!」

 私は振り向いた殿下に抱き留められたようだ。

 短剣が刺さった場所が燃えるように熱い。


「ヘスティナ!!」

 殿下の顔が目の前にあった、必死で叫んでいる。私の名前、……嬉しい、久しぶりに名前を呼んでくださったのね。


「ああ、なんてことだ、なんで俺なんかを庇ったんだ!」

 決まっているでしょ、あなたを愛しているからです。でも声にならない。あの瞬間、どれ程後悔したか、せめて想いを告げてから死にたかった、しかし腹部の痛みが酷くて声を出そうにも力が入らなかった。


 暴漢は近衛騎士に拘束されたようだ。周囲の喧騒は感じられたが、耳に届くのは殿下の震える声だけだった。


「お前を手放した意味がないじゃないか! お前には真に愛する人と幸せになってほしい、愛していたからこそ手放す決心をしたのに」


 えっ? なにを言っているの?

 私は耳を疑った。

 愛しているのはあなただけよ、と言いたかったが開けた口からは空気が漏れるだけ。


 私には真に愛する人が他にいると思っていたの?

 そうか……あなたはそう聞かされていたのね。私も聞かされていたのよ、殿下が愛しているのはマーガレットだと。


 偽りの言葉に翻弄され、自分に自信が持てなかった弱い私は流されて、なによりあなたを信じ切れずに婚約者候補を辞退した。私たちはお互いに想いを確かめ合うことなくすれ違ってしまった。


「愛している、死なないでくれ……愛しているんだ」

 殿下は私を抱きしめながら言葉を絞り出す。


 後悔……。

 私も愛しています。

 後悔しかない。

 なぜあの頃、素直に〝愛している〟と言えなかったのか。


 ……でも、……最期にあなたを、護れた。






 という非業の死を遂げた前世を、私は六年前に思い出した。


 私は三百年の時を経て、健在だったハーベリン公爵家の子孫として生まれ、今度は王太子の婚約者に決定した。


 でも、引っかかることがあった。

 フォルセティ王国の歴史にジョージ国王の名が無いのだ。彼は即位しなかったの? なぜ? 私が命を賭して助けたのは無駄になったの?


 私はフォルセティ王国の歴史を調べ直した。図書館へ行き、歴史書を読み漁ったが、ジョージ殿下の名はどこにも出て来ない。その時代に即位したのは第三王子のアルフレド殿下だった。




「なにをそんなに熱心に調べているのかな?」

 図書館で首を捻っていた私は、アルディラ公爵家のニジェル様に声をかけられた。

「そんな険しい顔をしていたら、可愛い顔が台無しだよ」

 柔和な笑みを浮かべながら茶化すように言うニジェル様は二十七歳のおじさま、と言ったら失礼だろうが、当時十二歳だった私より十五歳年上の彼は、父と変わらない立派な大人の男性だった。


 アルディラ公爵家は王家に連なる家系で、〝王家の影〟を統べる家柄だった。黒髪に灰青色の瞳のニジェル様は王家の色は受け継いでいないが、お祖父様が先王の弟君なので王家の血を引いているのは確かだ。そんな方に声をかけられて私は緊張した。


「三百年前の王家の系図?」

 ニジェル様は私の隣に座り、広げていた書物を覗き込んで眉をしかめた。


「いえ、その……少し興味があって」

 本当は少しどころではなかったのだが、

「ここなのですが、第一王子と第二王子を飛び越えて第三王子のアルフレド様が即位されたのは何故かなと」

「そんな細かいことが気になるんだ、それも三百年も昔のこと」

「え、ええ、気が付いたら見過ごせない性分なんです」


「兄たちが無能だったから優秀な三男が即位した、それだけじゃないのか? そういうことは珍しくないだろ」

「そう……なんですか?」


 ジョージ殿下は特別優秀ではなかったが無能でもなかった。確かに第二王子ブレナン殿下はカリスマ性があり、第三王子アルフレド殿下はまだ幼いながら鬼才と言われるほど優秀で、二人とも国王になる資質はジョージ殿下以上に備えていたが、兄弟仲はとても良く、ブレナン殿下もアルフレド殿下も国王になる兄ジョージ王太子を支えると誓っていたはずだ。


「納得いかないのか」

「…………」

 ジョージ殿下のその後が気になる。

「よし、君を特別な場所に招待しよう」




 ニジェル様が案内してくれたのは閲覧制限があり一般人は入れない特別な区画だった。

「王族か、許可された者しか閲覧できなない書物があるんだ、ここなら一般に公開されていない王家の歴史を知ることが出来るだろう」

「そんな、私なんかが」

「君はレオナード殿下の婚約者、準王族だから権利はある」


 ニジェル様が言った通り、そこにはジョージ殿下の記録もあった。私が命を落としたあの事件も記されていた。


 第二王子派の暴走だった。

 ブレナン殿下の意思ではなく、カリスマ性があり国民にも人気が高い第二王子こそが未来の国王に相応しいと妄信した者たちが勝手に起こした無計画な蛮行だった。


 しかしその裏で動いていたのは、優秀なブレナン殿下の存在を脅威に感じて排除したかったマーガレットの実家の公爵家が暗躍していたことを、アルフレド殿下が突き止めた。そのことが切っ掛けで、二人の兄が失脚して末の弟が即位したのだ。

 王家の御家騒動ともいえる醜聞、歴史書に残したくないのも頷ける。


 ジョージ殿下の手記が残っていた。


『私は知らなかった。マーガレットの実家が権力を独占するために、弟たちを排除しようとしていたなんて……。私たち兄弟を仲違いさせようと画策し、弟を陥れようとした。挙句、私がブレナン支持者の恨みを買って殺害されそうになるなんて……。そのせいで関係のないヘスティナが犠牲になった。


 私の側近も、友人と思っていた者たちも、マーガレット側に懐柔されていた。知らないのは私だけだった。私のような人を見る目がなく甘言に乗せられて簡単に騙されるような人間が国王になったら国は傾く。だから私を操ろうとしていた側近たちを粛清した上で、王太子の座を辞退した。ブレナンも自分の知らないところでの陰謀だとは言え、責任を感じて廃嫡を申し出た。そして、第三王子アルフレドに王太子の座を譲った。


 彼なら立派な国王になるだろう、私も助力を惜しまない』


 その通りになった。アルフレド国王は賢王と呼ばれ、彼が立案した政策の礎の元、三百年後の現在もフォルセティ王国の平和は続いている。

 ジョージ殿下とブレナン殿下も陰ながらアルフレド国王を支えたようだ。そして彼の手記はこう締め括られていた。


『私は生涯独身を通した。病の床に伏して浮かぶのはヘスティナの顔だ。願わくは生まれ変わってもう一度巡り逢いたい……。その時は間違えない。君を見つけて愛していると言おう』


 ジョージ殿下は私を愛してくれていた。周囲の人たちの悪意に私たちは負けたのだ。

 お互いの気持ちを素直に打ち明けていれば……、嘘に惑わされず、私が辞退せずに王太子妃に選ばれて、ジョージ殿下の後ろ盾がハーベリン公爵家であったなら、また違った未来があったかも知れない。


 いつの間にか涙が零れていた。

 私は慌てて歴史書を閉じた。貴重な書物を涙で濡らすわけにはいかない。




 彼の願い通りに、ジョージ殿下の生まれ変わりのレオナードとヘスティナの生まれ変わりの私は巡り逢った。レオナードには前世の記憶が無いようだけど、彼が前世を思い出すまで、周囲の人々の陰謀に巻き込まれて翻弄されないように彼を護ると心に決めた。


 そして前世では出来なかったこと、真っ直ぐレオナードと向き合った。

「レオナード様、愛していますわ。立派な国王になって頂きたいのです。その為にはどんな努力も惜しみません。あなたの為に生きます」


 私のストレートな物言いにレオナードは苦笑する。

「相変わらず重いな、君に気持ちは」

「重荷に感じられなくていいのですよ、私が好きでしていることですから」


 王太子の執務も代わりにやった。彼を全力でサポートした。

 今度は間違えない。

 やがて彼は即位するだろう。前世では王にならなかったけど、今度は王になるのだ、その為に私は力を尽くして彼を支える。


 しかし、そう順調には運ばななかった。






「アレは放って置いていいのかな?」

 図書館の窓から、レオナードとエレーヌが仲睦まじく並んで歩く姿を見つけて、ニジェル様が眉をひそめた。


 十二歳の時に初めて言葉を交わしてから、ニジェル様は時々私を図書館の特別区画に誘ってくれるようになった。もちろん二人きりではなく護衛が付いている。年も離れているし邪推する者ものなく、私は彼を兄のように慕っていた。


 三年前にお父様が勇退されてニジェル様が公爵家を継がれた。多忙を極めているはずなのにこうして時々私の相手をしてくださる。『息抜きと、君の顔を見ると元気が出るからだよ』と微笑むニジェル様は、三十三歳になるのに未だ独身で婚約者もいない。アルディラ公爵家の嫡男なら縁談は山ほど来るだろう。夜会に出れば令嬢たちに囲まれて選り取り見取りのはずだ。


 なのに独身を貫いているのは心に秘めた女性がいるからだという噂だった。相手が誰なのかは謎、身分違いで結ばれない平民を囲っているという噂もあった。

 どんな人だろう? ニジェル様に愛されるなんて、正式な妻になれなくても幸せよね。


 私も愛されたい。

 レオナードに前世の記憶が甦れば、きっと私を愛してくれるはずだ。でも、その日はいつになるのだろうか。


「選りにも選ってカルミア伯爵家の令嬢とは、本当に困ったものです」

 二カ月程前から二人が逢瀬を重ねるようになったことは把握していた。それも私に王太子の執務を丸投げしてだ。


「選りにも選って、……そう言うからには、君も知っているのか?」

 私に向けたニジェル様の視線はいつもの優しい彼ではなく、王家の影の総司令官である若き公爵の顔だった。


「ええ、彼女の実家はきな臭いですから」

 前世の教訓により、私は彼の周囲にも気を配っていた…つもりだった。最近急速に台頭してきたカルミア伯爵家には黒い噂があったので、その娘のエレーヌだけは近付けたくなかった。しかし彼女の誘惑にレオナードは負けてしまった。彼女とレオナードがこれ以上親しくなることを阻止しようとしても、嫉妬は見苦しいと耳を貸してくれなかった。


「それにしても、婚約者の浮気現場を見ても平気なんだな、全然傷付いていないように見えるのは、淑女教育の賜物か、それとも」

 自分から臭わせたくせに二ジェル様は早々に話題を変えた。と言うことはカルミア伯爵家に疑惑があるのは間違いないだろう、だがまだ公に出来る段階ではないと言うことだ。


 平気なわけないじゃない! レオナードは巻き込まれる危険があるのよ、そうなれば私の努力は水の泡、レオナードはまた即位できないかも知れない。

 ……って、私、エレーヌとの仲に嫉妬するより、彼の立場を心配してるの?


「君はレオナード殿下を愛しているから頑張っているのだと思っていたけど、そうじゃないんだね。彼との婚約はあくまで政略、家のために動いているのか」

「私は……」


 家の為なんかじゃない、レオナードのために頑張ってきた。それは彼を愛しているからだわ!

 でも……わからなくなった。彼がジョージ殿下の生まれ変わりだから……そう思っているから、レオナードの中にジョージ殿下の面影を追っているだけなのかも……。


 もしかしたらレオナードはそんな私の心を敏感に感じ取っているのかも知れない。でも彼だって前世の記憶が甦れば、彼が前世の私を思い出してくれれば、愛し合っていた記憶も呼び覚まされる、きっと私たちの関係は揺るぎないものになるはずだわ。


「ゴメン、余計なことを言ったな。貴族に生まれた以上、家のための政略結婚は義務、君にはどうすることも出来ないもんな。君と殿下の婚約は王命だ、優秀な君を国王陛下は手放さないだろう」




 しかし、レオナードが前世を思い出すことはなく、エレーヌとの〝真実の愛〟とやらに溺れた。

 そして簡単に私を手放した。



   *   *   *



「婚約破棄は承りました。私の処分は国王陛下からのご沙汰を待ちます。最期の時間を少しでも家族と過ごしたいので、今夜はこれで下がらせていただきます。逃げも隠れも致しませんからご心配なく」


 手遅れだった。彼の耳に私の言葉は届かなかった。

 公衆の面前で宣言されたのでは引き下がるしかない。

 そして私はまた同じ十八歳で死ぬことになる。今度は彼を庇ってではなく、彼に裏切られて……。


 私は完璧なカーテシーを披露して踵を返そうとしたが、

「お待ちください」

 エレーヌに呼び止められた。

 自分が破棄を言い渡した結果、私が死ななければならないことが理解できずに呆然とするレオナードの腕にしがみ付きながら、エレーヌはまるで自分の方が被害者のように瞳を潤ませている。


「酷いですわ! 毒杯なんて物騒なことを言って私を怖がらせるおつもりなのですか? 同情を買ってレオナード様を取り戻そうとなさっているのですか? そのような前例はないでしょう」


 エレーヌは知らないのだろうが前例はある。公になっていないだけだ。特別区画にある書物には記録が残っている。


「レオナード様は私を選んでくださったのです。爵位は低いですが、あなたに劣らぬ品格と教養を身に付けている自信はあります、立派に王太子妃の役目を果たしてみせますわ。だからそんな意地悪を言わずに潔く身を引いてください」


 意地悪ですって? どの口が言っているのかしらね。

 ええ、潔く毒杯を賜りますとも。そして、死んだら化けて出るリストにあなたも入れておくわね。


 私が心の中でそんな悪態をついている時、それまではこの小芝居に注目して静寂を保っていた会場内が急に騒がしくなった。


 そちらを見ると、十名くらいの騎士が会場に入ってくるのが見えた。先頭にはニジェル様の姿。王立学園のダンスパーティーになぜ彼が? それも騎士団を従えての登場、パーティーには似つかわしい物々しさだ。


「パーティーの最中にお騒がせして申し訳ありません、緊急を要することなので」

 レオナード様が舞台の中央に歩み出て、視線で騎士に指示を送った。

「カルミア伯爵家エレーヌ嬢、ご同行願えますか」

 二人の騎士が素早く歩み出て、レオナードにくっ付いているエレーヌを引き剥がした。


「なにをするんだ!」

 レオナードはエレーヌを取り戻そうとするが、騎士に阻まれた。

「無礼者!」

 騎士たちは王太子相手に一瞬躊躇してニジェル様を窺った。公爵がわざわざこの場に出張ってきたのは、このような事態を想定したからだろう。一介の騎士では王太子殿下に逆らえない。


「カルミア伯爵令嬢には逮捕状が出ています」

 ニジェル様は訴状を広げた。


「痛い! レオナード様! 助けてください」

 エレーヌは騎士に掴まれた手を振りほどこうと体をよじるが、騎士たちはビクともしない。

「なにかの間違いだ、俺の婚約者だぞ!」


 レオナードの言葉にニジェル様はハッとして険しく眉間に皺を寄せた。

「あなたの婚約者はハーベリン公爵家のカタリナ嬢と記憶しておりますが」

「ついさっき破棄したところだ、新しい婚約者はエレーヌだ!」


「なんと……、間に合わなかったのですね」

 ニジェル様は憂いに満ちた目を私に向けた。破棄された私の処遇をご存じなのだ。


「こんな女狐に誑かされて、真の宝を手放すとはなんと愚かな!」

 ニジェル様はレオナードに視線を戻すと、怒りに目を吊り上げながら吐き捨てるように言った。

「なんだと!」


「その女はあなたを利用して密輸していたのですよ。殿下がカタリナ嬢に当てられるべき婚約者経費を使ってその女の為に海外から取り寄せた贈答品の中から危険薬物を発見しました」

「そんな!」

「王太子殿下の名前で輸入された品の中に隠されていたのですよ」


 レオナード殿下は信じられないと言った目をエレーヌに向けた。

「知りません! 私は関係ありません」


 危険薬物の密輸……黒い噂はあったものの、私には実態を掴むことは出来なかった。エレーヌも当事者だったなんて、庇護欲をそそる可憐な顔の下にとんでもない悪女の本性を隠していたのね。


 ニジェル様は畳みかけるように言った。

「今頃、カルミア伯爵家に家宅捜索が入っている。カルミア伯爵にも逮捕令状が出ているから取り調べで明らかになるだろう。連れて行け」


「いやぁぁ!」

 暴れるエレーヌを騎士たちが引きずるように連れ出した。


 レオナードは追おうとして一歩踏み出したがニジェル様に阻まれた。レオナードは知っているはずだ、アルディラ公爵家が指揮する王家の影の捜査能力を、そしてニジェル様自ら出向いた意味も。


「俺は知らない、知らなかったんだ!」

「あなたは利用されただけでしょうが、知らなかったでは済まないことなのですよ。王宮へ戻りましょう、国王陛下がお待ちです」


 レオナードはガックリと項垂れた。

 ニジェル様は茫然としていた私の肩にそっと手をかけた。

「カタリナ嬢も」



   *   *   *



 王宮の謁見の間でニジェル様が国王陛下に事の次第を報告する。連行された私とレオナードも後方に控えていた。


「本日、カルミア伯爵領の本邸と王都のタウンハウスを一斉に捜索しました。伯爵領内で近々、非道な人身売買が行われるという情報を入手したので緊急を要しました。王国騎士団の協力も得て阻止することが出来、子供たちは無事に保護しました。タウンハウスからも禁制品、危険薬物などを押収しております」


「よくやってくれた、ご苦労だったな」

「関わった者すべて拘束しました、明日からさらに詳しい取り調べをする予定です」


「エレーヌも関わっていたのですか!」

 レオナードが割り込んだ。いくら王太子でも、国王陛下との会話を遮るのは許されることではない。混乱のあまり、そんなこともわからなくなっているのか。


 渋い顔の陛下が雷を落とす前にニジェル様が答えた。

「もちろんです、深く関与していましたよ、先ほど言ったようにあなたの名前を利用してね。エレーヌはあなたを誘惑して王太子妃の座を狙っていたのです。カルミア伯爵家は王家に食い込んで、王族の特権を利用して悪事を隠蔽し、さらに私腹を肥やすつもりだったのでしょう」

「そんな……」


「あなたは偽りの真実の愛とやらに、まんまと騙されたのですよ」

 知らなかったとしても、レオナードもただでは済まない。陛下の表情から察すると恐れていた最悪の結果になる。

 レオナードは失脚するだろう。


「カルミア伯爵は狡猾な奴だから尻尾を掴むのに苦労しただろう。王宮内にも彼の息のかかった者がいるだろうし、それらの大掃除もぬかるなよ」

 陛下はレオナードをスルーしてニジェル様との会話を続けた。

「はい」


 きっとニジェル様は何カ月も前から内偵していたのだろう、図書館で話をした時には既にこうなることがわかっていたはずだ。あの時、教えてくれていれば……無理よね、捜査機密を漏らすわけにはいかないもの。


「アルディラ公爵には褒美を遣わさなければならないな」

「それではカタリナ嬢を妻に迎えることを認めていただきたく存じます」


「えっ?」

 ずっと俯いて後悔を巡らせていた私は驚きのあまり声を漏らして顔を上げた。ちょうど振り向いたニジェル様と目が合った。

 彼は少し困ったような笑みを浮かべている。それはどういう意味の表情なの?


「なにを言うのだ、いくらなんでもそれは」

 パーティーでの騒動はまだ陛下の耳に入っていないから、王太子の婚約者を横取りするのかと陛下は片眉を上げた。


「彼女はレオナード殿下に婚約破棄されました、パーティーの最中に公衆の面前で宣言されたようです」

「なんと! お前がそこまで愚かだったとは! あのような女狐に誑かされて、厳しい王太子妃教育を完璧に習得した聡明でかつ努力家のカタリナを簡単に手放したのか!」


 レオナードは怒鳴られてビクッと肩をすくめた。

「騙されていたことは認めます。でもそのような黒い噂があったのなら、教えてくれればよかったのに」

「耳を貸さなかったのではありませんか」

 ニジェル様がすかさず突っ込んだ。

「…………」


「婚約破棄された彼女がその後どうなるか、殿下は知らないはずないのに残酷な宣告をされたのです。今まで王太子殿下の婚約者として努力を重ねてきた彼女にする仕打ちではありません。私は彼女を死なせたくはない。アルディラ公爵家は王家に連なる血筋の家柄で重要なお役も担っております。我妻となれば毒杯の必要はないでしょう」


 実際レオナードは失念していたのだけどね。

「アルディラ公爵様、お心遣い痛み入ります。でも私のような者の為にそのようなご温情は無用です」

 私はもう諦めているのよ。こうなる予感はあったのに阻止できなかった自分の力不足だもの。


「あなたが十二歳の時、図書館で初めて言葉を交わした時から、ずっとあなたを見てきた。もちろん年が離れているので恋愛感情ではなかったが、あなたを愛おしいと思っているのだよ、死なせるわけにはいかない」


 生まれ変わって、今度こそジョージ殿下の生まれ変わりであるレオナードのために生涯を捧げると誓ったのに、成し遂げられなかった私を生き長らえさせてくれると言うの? 確かに命は惜しい、でもこの先、私はなんのために生きればいいの?


「よかろう、ニジェル・アルディラ公爵とカタリナ・ハーベリン公爵令嬢との婚姻を認める」

「ありがとう存じます」


「待ってください!」

 レオナードが慌てて陛下の前に歩み寄った。

「婚約破棄は撤回します! カタリナが俺のために尽くしてくれていたことがよくわかりました。予定通り王太子妃に迎えます」


「ならん! 一度口にしたことは簡単に取り消せない、王族の言葉は重いのだ。王族が口にした言葉の重みをお前はわかっていない。これが他国との交渉なら、手続きも踏まずに不用意に発した言葉でも取り返しはつかないのだ」


 根回しなしでいきなり公衆の面前で婚約破棄を突き付けたのは、宣言してしまえば反対されても覆せないとわかっていたからじゃないの? それもエレーヌの入れ知恵で、あなたは深く考えていなかったのかしらね。


「それよりもお前、自分が処罰を受けないと思っているのか? お前のような愚か者に国を任せるわけにはいかない、レオナード、お前の王位継承権を剥奪する!」



   *   *   *



 カルミア伯爵の悪事が白日の下に晒された。密輸に加えて人身売買は重罪である。拉致されて他国へ売り飛ばされた子供たちはもう戻って来られない。カルミア伯爵家は爵位、領地とも没収されて取り潰された。

 そしてカルミア元伯爵は公開処刑された。


 父親の悪事に加担していたエレーヌは鉱山送りになった。貴族令嬢が放り込まれて生きて行ける場所ではない、事実上の死罪だ。


 レオナードは卒業を待たずに王籍から抜かれ、臣籍降下して一代限りの男爵位を賜り辺境の領地へ追いやられた。生かされたのは陛下の恩情だったのだろうが、一生、王家の監視の下で軟禁生活を強いられることになるだろう。





 私は彼を救えなかった。


 もし、ニジェル様が手を差し伸べてくれなければ、レオナードと共に辺境の男爵領へ行かされていたかも知れない。狭い領地の中で監視されながら自由はなくただ生かされているだけの生活、毒杯の方がマシだったと思うような窮屈な生活、きっとレオナードに悪態をつかれながら一生を送ることになっていただろう。


 それでも良かったかも知れない。

 私はまた間違えてしまった、その結果なのだから。


「君のせいじゃない、君は頑張ったじゃないか、レオナードのために嫌な役も買って出て苦言を呈した。聞き入れなかったのは彼だ、自業自得だよ」

 沈みがちな私の元に、婚約者となったニジェル様は足しげく通ってくれる。この日もガゼボでのお茶会だった。


「君はレオナードと一緒に行きたかったかい? 十五歳も年上のオヤジと結婚するなんて、やはり嫌だろうか」

「そんなわけありません! 私には勿体ないお話です」


 ニジェル様は同情から私を娶ることにしてくださったけれど。

「ニジェル様こそ、私なんかを妻に迎えていいのですか? 心に秘めた方がいらっしゃると聞いていますが」

「問題ないよ、言葉通りの中にいるから実在しないんだ」

「えっ?」


「平民の愛人でも囲っていると思っていたのか?」

「それは……」

「勘違いされても仕方ない、地位も財産もある三十三歳のおっさんが未だ独身だからね、そう噂されているのも知っている、でも違うんだ」


 ニジェル様は私の横に席を移した。

「最初に言っておくが同情ではないんだよ。十二歳の子供だった君が美しく成長していくのを見続けて、どうやら俺は年甲斐もなく君に惹かれていたようだ。君が婚約を破棄されて毒杯を賜る運命だと知った時、ハッキリ自覚した。君を死なせたくない、愛しているのだと」


 至近距離で見つめられながらそんなことを言われると……。少し恥ずかしそうに耳を赤くするニジェル様は少年っぽく見えた。

 心臓が早鐘のように打つ、頬が熱い。……私って、けっこう切り替えが早い薄情な人間なのかも知れない。もう、ニジェル様に心が傾いている。


「だから誤解を解いておきたい。この話をすると頭がおかしいと思われるから、両親には絶対するなと言われているけど隠し事はしたくないんだ」

 ニジェル様は躊躇しながらも口を開いた。


「いつの頃からか繰り返し見る恐ろしい夢があるんだ。子供の頃はその夢を見るたびに悲鳴を上げて両親を驚かせたものだ。俺が心に秘めた人というのはその夢の中に出てくる少女なんだ」

「夢の中……ですか?」


「今も時々見るんだ。少女が俺の腕の中に倒れ込む、彼女のみぞおちには短剣が刺さっていてね、受け止めた俺の手にヌルっとした生温かい感触、彼女から流れ出た血、とてもリアルなんだ。俺は彼女を抱きしめながら必死で叫んでいる、『愛している、死なないくれ……愛しているんだ』ってね。でも彼女は俺の腕の中で息を引き取ってしまう。夢に見るのはその場面だけだけど、もしかしたら前世の記憶かも知れないと思っているんだ」


「え…………」


   おしまい


 最後まで読んでいただきありがとうございました。

 婚約破棄からはじまる物語をシリーズにしていますので、他の作品も読んでいただければ幸いです。

 ☆で評価、ブクマなどしていただけると励みになります。よろしくお願い致します。


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― 新着の感想 ―
良い結果に満足させて頂きました。三百年越しの愛の成就、素晴らしいですね。今生では末永く幸せでありますように、前世の分も含め。
ここは「なろう」だからエレーヌと一緒に鉱山送りか毒盃で良かったのでは屑王太子。
素敵なお話をありがとうございます(*˘︶˘人) 途中から、ひょっとしたら…(* ॑꒳ ॑* )⋆*ワクワクと思っていましたが、ハッピーエンドでにっこりです(꘎ꔷ◡ꔷ꘎)
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