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消えた400万円

作者: ウォーカー
掲載日:2026/06/14

 職員室。先生の机の上。

分厚い封筒が置かれている。

中身は修学旅行費用の現金だ。

今なら誰も見ていない。

吾朗は現金が入った分厚い封筒を、懐にしまい込んだ。



 教室。ホームルーム。

担任の野田のだ道子みちこ先生が教卓を掴んで話した。

「・・・というわけで、修学旅行は予定通り行われることになりました。」

わぁーっと、教室中に生徒たちの歓声が広がった。

この学校ではもうすぐ修学旅行が控えている。

しかし、家の事情などで参加できない生徒が多く、

修学旅行の規模を小さくして、近所の遠足に切り替えるかと、

先生や保護者たちが相談しているところだった。

「よかったな!吾朗!」

「あ、ああ・・・」

男子生徒の山下やました吾朗ごろうもその一人。

実家の工場の経営が傾き、

とても修学旅行どころなどではないはずだった。

修学旅行の費用を集められたのは、吾朗の実力、だった。


 その数日前。

吾朗はちょっとした用事で、担任の野田先生から職員室に呼ばれた。

「ちょっと渡したいプリントがあるの。

 えーっと、どこにいったんだったかな。」

プリントとやらを探して、野田先生は席を外した。

吾朗は手持ち無沙汰に机の上を見た。

そこには、分厚い封筒が置かれていた。

中からチラッと一万円札の偉人が顔を覗かせている。

あれだけの厚さだと、何十万円になるんだろう。

それとも何百万円?

実は吾朗の家は借金を抱えていて、

吾朗は修学旅行に行けないことになっていた。

吾朗はそれが悔しくて、両親に貧乏を責めたりしたものだった。

今では心無い発言だったと反省している。

金を集めるなら、自分がアルバイトなりなんなりすればよかったのだ。

しかし成績がよくない吾朗には、学校からアルバイトの許可が得られなかった。

親にも頼れず、自分で働くこともできず、

どうすれば修学旅行にいけるのだろう。

その答えが、今、目の前に転がっている。

あの札束さえあれば、それが叶う。

吾朗の心によこしまなものが湧き上がった。

さりげなく周囲を見てみる。

職員室には他にも数人の先生や生徒がいるが、

皆自分の事に集中していて、誰もこちらを見ていない。

肝心の野田先生もどこかへ行ってしまった。

・・・今ならやれる。今しかない。

吾朗は札束の入った封筒を机から取り上げ、

懐にさっとしまい込んだ。

そのすぐ後。

「待たせてごめんなさいね。

 えーっと、修学旅行不参加の場合のプリントなんだけど・・・」

「それ、いらないかもしれないです。」

「え?そうなの?」

「僕、修学旅行、行けるかも知れないです。いえ、行けます。」

豹変した吾朗の態度に、野田先生はキョトンとしていた。


 札束の入った封筒を盗んだ。

これは完全に犯罪行為、悪いことだ。

しかし吾朗に後悔はなかった。

吾朗が家に帰ってから封筒の中身を数えてみると、

ざっと400万円は現金が入っていた。

この金があれば、修学旅行にも行けるし、工場の借金も返せるだろう。

家の工場には毎日、たちの悪い借金取りが来ては怒鳴り声を上げている。

それを両親が土下座して返ってもらう姿も、もう見なくて済む。

吾朗は喜び勇んで両親のところに行った。

「父さん、母さん、金が手に入ったよ!」

「なんだって?いくら?」

「えーっと、400万円くらい。」

「お前、それ、どこから手に入れてきたんだい!?」

というようなお決まりなやり取りが行われた。

吾朗の両親は、息子がしでかしてしまった罪について深刻な顔をしていた。

しかし、そこは親子。

深刻な顔をして考え込んでいるということは、

つまり盗んだ400万円をすぐに返そうとは考えていないようだ。

吾朗の両親も、喉から手が出るほどに現金が欲しいのだ。

父親が吾朗に言う。

「お前、この金はどこから盗んだんだ?」

「学校の職員室の担任の先生の机の上。」

「これを盗んだところを、誰にも見られてないだろうな?」

「多分、誰にも見られてない。」

「お前はなんとういうことを・・・。

 でも、このお金があれば、借金もなんとかなるかもしれないねぇ。」

吾朗と両親が頭を合わせて考え込む。

金は人を変える。

悪いことと分かっているのに、そこに金があれば飛びついてしまう。

吾朗の父親が口を開いた。

「これっきりだ。この一回だけだ。

 この金だけは、ありがたく使わせてもらう。

 でもこのことは、家族3人だけの秘密だ。

 そして、もう二度と人のものに手を出すんじゃないぞ。

 わかったな?」

吾朗と母親は頷いた。

こうして、学校の400万円は消えた。


 次の日、吾朗は普段と同じように学校に登校した。

教室にたどり着くと、いつもの光景が広がっていた。

おしゃべりする生徒、机に突っ伏して寝ている生徒、などなど。

そこにガラッと扉が開いて、担任の野田先生が入ってきた。

「はい、みんな、席について。

 今日はちょっと早いけど、臨時のホームルームを行います。」

「臨時ってなんだろ?」

ガヤガヤと教室が騒がしくなり、吾朗の心臓も騒がしくなった。

教室を鎮めた後、野田先生が教卓を掴んで言った。

「修学旅行の参加人数が増えて、規定人数を上回りました。

 というわけで、修学旅行は予定通り行われることになりました。」

わぁーっと、教室中に生徒たちの歓声が広がった。

「よかったな!吾朗!」

「お前も修学旅行に行けるんだろ?」

「あ、ああ・・・」

吾朗の家が貧しいのは皆が知っている。

だから、親しい生徒たちは、吾朗が修学旅行に参加できることになったことを、

まるで自分のことのように喜んでくれた。

しかし、担任の野田先生は顔を曇らせた。

「修学旅行に参加する人数が規定人数を超えたのは良いのですが・・・。

 問題が起こりました。

 みなさん、思い出してみてください。

 昨日、学校の中で、不審な人の姿を見かけませんでしたか?」

また教室がガヤガヤと騒がしくなる。

「先生、昨日、何かあったんですか?」

担任の野田先生は、考えた末に口を開いた。

「これは外部の人には決して話さないでください。

 修学旅行の費用として集めた現金400万円が、失くなりました。」

教室が一層騒がしくなった。

「現金が失くなったって、泥棒!?」

「しかも400万円だぞ!」

「修学旅行はどうなるんですか?」

野田先生は渋い笑顔で生徒たちを落ち着かせようとした。

「それは安心してください。

 失くなった修学旅行の費用は、先生たちで立て替えます。

 だから修学旅行が中止になる、ということはありません。」

「なぁんだ、よかったー。」

「よくないよ、泥棒がいるんだぞ。」

「この学校の中に400万円を盗んだやつがいるんだ!」

吾朗は平静を装っていたが、内心は脂汗まみれだった。

生徒たちの言葉を、野田先生が戒めた。

「みんな、滅多なことを言うものではありませんよ。

 400万円を盗んだ犯人は、きっと学校に忍び込んだ部外者です。

 この学校に、悪いことをする人はいません。

 先生はそう思います。

 だからみんな、これから警察の方々が捜査にくるので、

 協力してくださいね。」

ということで、今日の午前中の授業は中止になった。

代わりに、生徒は一人ずつ順番に別室に呼ばれ、

警察の事情聴取のようなものを受けることになった。


 また生徒が一人、事情聴取を終えて教室に戻ってきた。

「どうだった?」

「いんや、俺は誰にも気が付かなかったんで、

 参考にはならなかったらしい。」

「次、山下やました吾朗ごろう君、別室に来てくれ。」

いよいよ吾朗の番だ。

吾朗は震える手を隠しながら、普段は使われていない教室の扉を開けた。

「失礼します。」

教室の中には、テレビで見るような机椅子と明かりが用意されていた。

椅子に座ると明かりが目に入って眩しい。

向かいの席に座る警官と、横に立っている警官、

それに少し離れたところで机に向かってメモを取っている警官の3人がいた。

席に座っている警官が口を開いた。

「それでは、君の名前は山下やました吾朗ごろう君で間違いないね?」

「はい、そうです。」

「では山下君、昨日の行動について、できる限り詳しく教えてくれるかな?」

それから吾朗は、警官に昨日の行動について何度も説明させられた。

「朝、普通に登校して・・・」

「普通、というと?」

「えっと、遅刻寸前に登校して・・・

 授業が終わった後、担任の先生から職員室に呼ばれました。」

「・・・職員室に。」

警官たちが小声で何事かを相談している。

吾朗は目立たないよう、喉を小さく鳴らした。

「職員室では何を?」

「えっと、先生からプリントを受け取りました。」

「それだけ?」

「そうだったと思います。」

「こちらの調査では、担任の先生と何かお話されているはずなんですが・・・」

「あ、そうでした。修学旅行について話しました。」

「修学旅行の何を話しましたか?」

まずい。話が核心に迫っていく。

吾朗は必死に言葉を選びながら答えた。

「僕が修学旅行に参加できるようになった、と話しました・・・」

「修学旅行に参加できるようになった、ということは、

 元々は山下君は修学旅行には不参加だったのかね?」

「は、はい、そうです。」

「それはどうして?」

「うちにお金が無くて・・・」

「これは失礼な事をお聞きした。

 失礼続きで悪いが、どうして修学旅行のお金が手に入ったのかね?」

ここだ。ここで変なことを言えば、全てがバレてしまう。

だから吾朗は、なるべく言葉を少なく答えた。

「・・・親が、お金を用立ててくれました。」

「どうやって?」

「そこまでは、子供の僕には・・・」

「山下くんのご両親から話は聞けるかな?」

「家でやってる工場が忙しいので、どうでしょうか。」

「ほう、工場。ということは、ご両親は家にいるんだね?」

しまった。余計なことを言ってしまった。

結局、吾朗の家にも捜査官が派遣されることになってしまった。

こうして吾朗の事情聴取は、可もなく不可もなく終わった。


 それから警察たちは不規則に学校にやってきては、

生徒や先生たちを呼び出して話を聞いた。

吾朗も何度も呼び出されて話をさせられた。

あるいは吾朗が一番、呼び出された回数が多かったかもしれない。

吾朗の実家にも警察は訪れて、両親から何度も話を聞いていた。

両親はもちろん、吾朗が400万円を盗んだことは言わなかった。

「では山下さん、借金はどうやってご返済されたのですか?」

「それは、長年の蓄えを使って支払うことにしました。」

「そもそもの借金について、公的な記録が見当たらないのですが。」

「お恥ずかしい話ですが、いわゆる闇金から金を借りていたので・・・。

 ですので、記録には残っていないと思います。」

「本当に?」

吾朗の両親は、蛇に睨まれた蛙のようだった。

それでも息子のため家族のため、絶対に口は割らなかった。

それは吾朗も同様で、絶対に本当のことは言わなかった。

外部からの侵入をほのめかすため、

遅刻回避用のショートカットに使うフェンスの穴の秘密まで喋った。

そのせいで何人かの生徒たちからは顰蹙ひんしゅくを買ってしまった。


 消えた400万円。見つからない犯人。迫る修学旅行。

学校では何かに追い立てられるように捜査が続けられていた。

クラスでも生徒たちによって犯人探しが行われるようになった。

「あいつじゃねえの?犯人は雅之まさゆきだろ。」

沢木さわき雅之まさゆきというのは、このクラスで定番のいじめられっ子だ。

吾朗も直接、手を出しはしないが、進んで話しかけようとはしない相手。

「おい、雅之、さっさと400万円返せよ!」

「ぼ、僕は盗んでないよ・・・」

「嘘つけ!お前、こないだ消しゴム盗んだろ!」

「あれは自分のと間違えただけで・・・」

そうしてクラスメイトたちからの厳しい追求の結果、

次の日から、沢木雅之は学校に来なくなってしまった。

それもまた、警察の捜査の支障となったが、吾朗には好都合だった。


 騒ぎは生徒のみならず、とうとう先生の方にまで及んでいた。

「この件の責任はどなたがお取りになるのですか?」

「まずは担任の先生でしょう。」

「野田先生!あなたは400万円もの大金を、どんな管理をしていたんですか!」

「野田先生!だいたいあなたは普段から生徒に甘すぎる!」

「野田先生!」

追い詰められた野田先生は、翌日学校に登校してこなかった。

教頭先生が家に様子を見に行くと、首を吊った野田先生の姿が発見された。

野田先生は命こそ取り留めたものの、意識不明の重体。

とても学校に来られる状態ではなく、

吾朗のクラスは教頭先生が臨時の担任を務めることになった。

騒動はそれだけでは終わらない。

野田先生が首を吊るほど追い詰められたのは、あるいは犯人だからなのでは。

そんな憶測から先生同士の責任のなすりつけ合いに発展した。

「私はやっていませんが、この混乱の責任は取りたいと思います。」

そうして学年主任の先生が辞任し、

教頭先生に代わって吾朗のクラスの担任を務めることになった。

教頭先生は、自分の仕事に加えて、

学年主任の仕事も代理で引き受けることになった。

教頭先生は頭が白い程度には年を取っている。

その老体に無理が祟ったのだろう。

ある日、学校でとうとう倒れてしまった。

教頭と学年主任の代理は、別々の先生が受け持つことになった。

こうして担任の先生も不安定なまま、

消えた400万円は見つからず、

修学旅行の期日も迫りつつあった。


 吾朗は悩んでいた。

自分が400万円を盗んだばっかりに、

担任の野田先生は今だに意識不明の重体。

教頭先生も病院に入院している身。

両親は嘘をつき続けるのに疲れて、見る見る衰えていった。

学校には今も警察が張り付いている。

一瞬たりとも気は抜けない。

緊張しているのは他の生徒たちも同じで、

このままではとても修学旅行など行ける気分ではない。

かと言って、自分が400万円を盗んだ犯人だと自白すれば、

その金を借金の返済にあてた両親も巻き込んでしまう。

「・・・そうだ、他に犯人がいればいいんだ。」

それが、吾朗がたどり着いた解決策だった。


 混乱の極みの中、学校では修学旅行の期日を迎えた。

修学旅行のバスに乗る生徒たちに笑顔はない。

担任の野田先生は今も意識不明。

代わりに別の先生が複数、担任として乗り込むことになった。

学校からも警察からも、吾朗のクラスは腫れ物扱いだ。

食事中も誰も言葉をかわさない。

観光名所をまわったらしいが、少なくとも吾朗の記憶には残らなかった。

あれがきちんと発見されるか。不自然はなかったか。

吾朗の頭の中は、そのことで一杯だった。


 楽しくもない、思い出にも残らない、形ばかりの修学旅行が終わった。

吾朗の学年の生徒たちが学校に戻ってくると、学校の様子が変わっていた。

見つかったのだ。消えた400万円の決定的な証拠が。

それは、学校に遺された、野田先生の遺書だった。

その遺書には、自分が修学旅行の費用として集めた400万円を盗んだこと。

盗んだ金はギャンブルなどで作った借金の返済に使ったこと。

しかしその罪の呵責に耐えかねて、自ら命を絶とうと思ったこと。

などが書かれていたという。

しかし警察はこの遺書の存在をそもそも疑っている。

何故なら、学校のパソコンから、削除された遺書のファイルが復元されたから。

復元されたこの遺書が作成された日時が、修学旅行出発の朝だったこと、

つまりは野田先生が意識不明の状態で病院にいた時間だったこと。

さらには野田先生には借金など無かったこと。

これは吾朗の両親のように、記録に残らない形の借金であった可能性はあるが。

いずれにせよ、遺書には不審な点が多すぎる。

それよりも、この遺書は重大な手がかりを残してくれた。

この遺書を書いた人物は、修学旅行の出発の朝、学校にいた人物だ。

その日は修学旅行に行く学年以外は休日であり、

また学校に来ていた先生たちの行動も警察は把握済み。

職員室だけ意図的に人の出入りが容易にしておいた。いわゆる囮だ。

囮に引っかかった獲物がいる。

その獲物は、自分に凶暴な猟犬たちが忍び寄っていることに、

まだ気が付いていない。

修学旅行は無事に終わり、事件も解決したんだ。

吾朗はただひたすらそう思い込もうとしていた。



終わり。


 貧乏ゆえの過ちを犯した生徒の事件でした。


かつては貧乏で修学旅行を欠席する子は珍しくありませんでした。

そうすると、その子は貧乏であるといじめられ、

修学旅行の思い出話からも置いてけぼりです。

そう考えると、修学旅行など無い方がいいのかもしれません。

先生の負担も大きすぎると思いますし。


お読み頂きありがとうございました。


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